17.02.19-27のエジプト紀行

 2011年12月に初めてエジプトに出かけた。今、思い出すと、その前年にチュニジアで『アラブの春』と言われたジャスミン革命が起きた。エジプトのカイロではムバラク大統領が政権から引きずり降ろさ、ムバラク大統領の政党が入っていた内務省ビル(国立考古学博物館の隣)が放火で真黒に焼け焦げていた。その年の11月に実施された選挙結果を見守る若者たちがタハリール広場で気勢を上げていた。エジプトは騒然としていて、少々エキサイティングであった。今回は少々趣を異にし、アカデミックに古代エジプトを満喫することと、特にアブ・シンベル神殿で年に2度ある奇跡の現象を見る旅だ。

アブ・シンベル大神殿で奇跡の現象を見る
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成田からとりあえずカタールのドーハへ
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カイロ空港に到着
カイロ空港

空港からホテルまでの行程でピラミッドが見える。まさしくエジプトだ
ピラミッド

翌早朝にアスワンへ
カイロからアスワン

【アスワン】・・・早朝6時のフライトでアスワン・ハイ・ダムに向かう。前日の長旅と時差の関係で眠い目をこすりながらホテルを早朝4時に出発。エジプトは北回帰線付近から、北緯31.5度あたりで地中海に接する。極端に細長い国だ。日本で言えば西表島から種子島くらいの位置と距離になる。その真ん中にナイル川が流れている。ギリシャの歴史家・旅行家のヘロドトスは『エジプトはナイル川の賜物』と言っている。カイロからアスワンまで飛行機で移動し上空から眺めるとナイル川の東西には黒い土があり、緑の植物に覆われている。その外側は赤い砂漠が飛行機の上からでさえ、眼の及ぶ限り続いている。ナイル川の毎年の洪水が肥沃な大地を創造した。洪水なしには農業はなく、農業なしには文明を作り上げる余剰人口はなかっただろう。
目指すアブ・シンベル神殿は20世紀に大掛かりな引っ越しをした。故ナセル大統領がソ連の援助を受けアスワンに巨大なダムを作ったためである。その後30年にわたりエジプトは東側勢力のもとに入った。このダムは洪水を起こす増水を止めて水を大量に蓄え、それを使って耕地を増やすことに加え電力を起こすことを狙いとした。安定的な電力供給には成功した。しかし、農業への影響は狙った通りに行かず、洪水がなくなることで土壌に塩分がたまり始め、耕地の拡大に失敗。ナイルの洪水で運んできた養分も無くなり、農業に良い影響を与えなかった。古代ローマ時代は世界の穀倉地帯であったエジプトは人口が増えたとはいえ、現在は必要な食料を70%輸入している。

 アスワン・ハイ・ダムは幅3600m、高さ111mの世界有数のダムである。全てが巨大なため、逆に日本の『黒四ダム』の方がすごいと感じる。アスワン・ハイダムの設備の写真撮影はNG。近くに大勢の兵士が見張っている。

ハイダムの掲示板
ハイダム3

ハイダムの発電所
ハイダム1

ハイダムの人造湖(ナセル湖)
ハイダム4

【アブ・シンベル神殿】・・・アスワンから陸路ナセル湖畔にあるアブ・シンベル神殿に向かう。アスワンの南約280kmにあり、新王国時代にラムセス2世によって建造された石窟神殿だ。アスワン・ハイ・ダムの建設で水没の危機にさらされたが、ユネスコの協力のもと移転、保存された。大神殿の正面にある高さ20mのラムセス2世の坐像の足元に入口がある。内部には8体のラムセス像のある列柱室は太陽が昇る東岸に面しており、その奥の至聖室の神像に年に2回陽が差し込む仕掛けだ。これは3千年以上前の建築家たちの優秀さを雄弁に語っている。また、大神殿から北に50mの所にラムセス2世が愛した妻ネフェルタリのために造られた小神殿がある。正面にはラムセス2世の立像4体とネフェルタリ2体が並んでいる。

ナセル湖畔のホテル
ホテル

ホテルから見たナセル湖
ホテルから見るナセル湖

湖上から見たアブ・シンベル神殿
神殿1

大神殿
神殿1

小神殿
小神殿

 ナセル湖を遊覧し湖上からアブ・シンベル神殿を鑑賞。神殿付近のホテルから夕刻、再び神殿に出かけライトアップを見学、夜間は砂漠なので、やはり冷え込む。そして翌早朝に再度神殿を訪れ神殿内に陽が差すのを鑑賞。年に2回の現象のため2時にホテルを出て、日の出まで4時間ほど神殿内で座って待つ。丁度、神殿の入口付近でざわめきが起きて、陽が差し始めた。本来なら感動のひと時というべきだが、牛ぎゅう詰めなので安全面から不安が先に立つ。その後は大神殿から出て、小神殿に行き鑑賞。

ライトアップされた大神殿
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ライトアップされた小神殿
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一瞬、奥にある至聖所に陽が差す。しかし大勢の人が写真を撮ろうと人が押し寄せる
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神殿入口を見ると日の出が見える
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神殿内はヒエログラフのレリーフがぎっしりだ
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ヒッタイトの兵士
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ヒッタイトの兵士に対し戦車で戦うエジプトの兵士
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外には観光客が大勢詰めかけている
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何故かギリシャの団体が
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テロの警戒のためかドローンを飛ばし対応中
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 アブ・シンベル神殿を見学した後、アスワンのクルーズ船にチェックイン。その後は近くの『オールドカタラクトホテル』に出かけ、アフターヌーンティを楽しむ。このホテルはアガサ・クリスティの『エルキュール・ポアロ』シリーズで有名になった『ナイル殺人事件』のスタートの舞台となるホテルである。また、このクルーズ船もナイル殺人事件の舞台となった。

オールドカタラクトホテル
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ホテルの庭園
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ホテルからナイル川を望む
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デッキの上は日光浴をする人でいっぱい
デッキ


【コムオンボ】・・・コムオンボで途中下船し、隼の神ホルスと鰐の神ソベクを祀ったコムオンボ神殿を見学。BC4世紀からローマ時代まで増築を繰り返した二重神殿。2神のために重複した中庭、広間、祭壇や部屋があった。ヒエログリフと神々のレリーフに圧倒される。

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石柱はイスラム教徒が侵入し要塞を築くために切られて短くなっている
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壁や柱に描かれたレリーフは全て物語となっている
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椅子に座っているような女性はお産のレリーフ
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聖水をかけるレリーフ
聖水

戴冠式のレリーフ
戴冠式

左から二番目はワニの神様
鰐

世界最古のカレンダー
カレンダー

神殿内の井戸
井戸

【エドフ】・・・エドフでも途中下船し、エドフ・ホルス神殿を見学。ホルス神殿は紀元前237年プトレマイオス王3世により建造が始まり、約180年かけプトレマイオス王13世によって完成されたそうだ。船着き場から神殿までは馬車で出かける。

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馬車は重要な交通手段
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エドフ・ホルス神殿
エドフ

エドフ・ホルス神殿の塔門
塔門

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顔が男で体が隼のホルス神 エジプト航空のマークになっている
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神殿の内部
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神殿の警備は厳重
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神殿の出口にある土産物店
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エドフの街の様子
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 エドフからルクソールに向かう途中、船はエスナの水門を通過する。6mの閘門式運河であるが、水門を閉じた状態で船が入る。その後、航法の水門を閉じ、前方の水門を開き水位下げる。その間、船がスピードを落とし停止した状態が続く。そこに物売りが船の側にやって来る。下から船を目掛けて商品(投げやすく包んだ)を甲板上に投げてよこす。代金決済も袋に包んで投げ返すようだ。

水門が閉じた状態
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徐々に開く
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水門が開き始める
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水門が完全に開く
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物売りがやって来る
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【ルクソール】・・・エドフからルクソールに向かう。ルクソールには西岸のメムノンの巨像、ハトシェプス女王葬祭殿と東岸のカルナック神殿、ルクソール神殿が世界遺産の登録されている。どちらも見ごたえがある。しかし、ここは20年前の1997年にイスラム原理主義過激派の「イスラム集団」が外国人観光客に対し行った無差別殺傷テロ事件、別名、『エジプト外国人観光客襲撃事件』が起きたところでもある。日本人10名を含む観光客61名とエジプト警察官2名の計63名が殺害された。

 所謂『王家の谷』と呼ばれる砂漠の中に巨大な葬祭殿が現れる。ハトシェプスト女王は古代エジプト唯一のファラオで、いつも男装をしていたという。ハトシェプスト女王葬祭殿は、紀元前1500年ころにエジプトで最初の女王となったハトシェプストのための葬祭殿で、ルクソール西岸・王家の谷の東側にある断崖を背に建てられている。

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ハトシェプスト女王葬祭殿
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壁の絵はまだ鮮明に残っている
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牛の耳を持つハトホル女神像
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3階のテラスにはいくつもの柱がある
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岩窟至聖所
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 王家の谷から少しナイル川の方向に行くとメムノンの巨像がある。2体のアメンホテプ3世の像である。呼び名はギリシアの伝説、トロイア戦争に登場するエチオピア王メムノーンに由来するそうだ。高さ18m。元々は、背後に同王アメンホテプ3世の葬祭殿が控えており、その入口の部分であった。葬祭殿は第19王朝ファラオ・メルエンプタハが自身の葬祭殿の石材調達のため破壊したそうだ。

像の周りは何もない。日本ならさしずめ畑の中の像だが、こちらは砂漠の中の像
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 ルクソール西岸からボートで東岸に渡るとカルナック神殿がある。ルクソールはエジプト帝国の首都としてテーベと呼ばれ、何世紀にも渡って栄華の中心にあったが、現在ではその面影をみつけるのは難しい。中王国時代のBC2000年頃から数度にわたって首都がおかれたが、BC672年の異民族の略奪を受けたことに始まりアレキサンダー大王遠征後のプトレマイオス軍により完全に破壊され、ローマの支配下の時代には街は瓦礫の山だったという。そのためか、この場所はローマ軍の駐屯地になっていたようだ。カルナック神殿はアモン神(空気の神)をまつった神殿で、東西540m、南北600mの周壁で囲まれた壮大な神殿で、世界最大の神殿建造物といわれる。

カルナック1

風化が著しいオベリスク
カルナック2

スフィンクス(頭は羊、胴体はライオン)の参道
カルナック3

カルナック4

カルナック5

一枚岩を切り出して造るオベリスク。文明人?にはこの形に異常な興味を示したようだ。みんなエジプトから持ち出して自国の公園や広場に建てている。

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 怪しげなアラブ人が近づき、ここから2本のオベリスクの写真が撮れるベストスポットと案内してくれる。当然チップを要求される。1エジプトポンド、約7円を渡す。

アラブ人

2本のオベリスク

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 カルナック神殿から南へ2.5Km、ルクソール神殿がある。アモン神の妻ムート神をまつった神殿である。ルクソール神殿正面の入口両脇には巨大な大理石坐像と左側に高さ25mの巨大なオベリスクがある。右側のオベリスクはムハンマド・アリ(1769~1849)が1833年にフランス国王ルイ・フィリップに贈ってしまい、今は片方しか見ることができない。現在はパリのコンコルド広場に立っている。ヨーロッパ各地にはエジプトから持ち出されたオベリスクが建っている。

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 1805年、トルコのスルタンによりエジプト総督に任命されたムハンマド・アリは、マムルーク族を虐殺、排除し、エジプトの近代化を推し進めようとしていた。フランス人、イギリス人、ドイツ人や自称技術者たちがアリに群がっていた。アリはエジプトの近代化と産業振興のため、ヨーロッパからの機械や技術を導入する必要があった。しかし、その代償としてヨーロッパ人に遺跡の発掘権と持ち出しを認めざるを得なかった。後進国エジプトの悲しい現実。

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【ギザ】・・・ルクソールからカイロ郊外のギザに向かう。数ある古代遺跡の中でも、知名度という点においてはピラミッドに勝てるものはない。特にギザにあるクフ王、カフラー王、メンカウラー王の三大ピラミッドは有名であり、遺跡のある場所は世界遺産にも登録されている。
 ピラミッドの斜面は、ほとんどの誤差なく正しい方位を示しているそうだ。黄金比となるよう計算されているなど、他にも精巧さの裏付けとなる色々な点が見つけられており、高い建築技術があったと考えられる。

早朝ルクソールからカイロに向かう
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警備は厳重
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クフ王のピラミッド
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この穴からピラミッドの中へ
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左からクフ王、カフラー王、メンカウラ―王のピラミッド
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カフラー王のピラミッド 
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メンカウラ―王のピラミッド
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スフィンクス
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 三大ピラミッドは多くの謎をもっているが、一方で今まで考えられていた説をくつがえす新たな真実もあるようだ。ひと昔前まで遺跡は、無理に連れてこられた奴隷たちによって作られたとされていた。しかし近年の調査結果で、奴隷ではなく一般市民によって作られたことがわかった。しかも過酷な労働環境ではなく、働いていた人々が喜びに満ちていたことが、石切り場に残っていたイタズラ書きから判明。農民の農閑期の現金収入なら日本の出稼ぎ労働者と同じだ。

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【エジプト考古学博物館】・・・エジプトのカイロにある国立考古学博物館。収蔵点数は20万点にものぼると言われる。館内には、ツタンカーメン王の王墓から発掘された黄金のマスク、黄金の玉座をはじめ、カフラー王座像、ラムセス2世のミイラなど、古代エジプトの至宝が展示されている。

 博物館入口 大勢の人が集まっている
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フンコロガシのプレート フンコロガシは古代エジプトでは太陽を迎える神とされている
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玉座
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ラムセス二世のサンダル 今でも古さを感じない
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王の杖
杖

王の像
3つの像

ラムセス2世のダチョウの羽根を使ったうちわ
うちわ

同じくラムセスが使った日傘の骨
<a href="http://blog-imgs-121.fc2.com/w/h/i/whitedevil248/20170303151844dce.jpg" target="_blank">日傘の骨

ライオンの玉座
ライオンの玉座

博物館内は展示品がぎっしり
博物館内

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カフラー王像
カフラー像

トトメス3世像
トトメス3世像

棺桶
棺桶

ロゼッタストーンのレプリカ
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2011年秋に完全リタイアー。現在は毎日が日曜日の素浪人。そして地球の何処かを徘徊中。

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