16.04.26鎌倉養生所今昔

 明治9年(1876)に東京医学校(現東京大学医学部)の教師となったドイツ人医師のベルツ博士が「鎌倉は保養地として最適」と紹介し、予防医学の観点から保養の思想を日本に導入した。また、内務省衛生局の初代局長の長与専斎が由比ヶ浜を「海水浴場として理想的な浜」として紹介。自らもサナトリウム「海浜院」を開設した。当時、結核は死に至る病で、現在のストレプトマイシンの様な特効薬がなく、治療は専ら栄養を付けることと温暖な気候と潮風にあたることが良いとされた。
 明治時代に鎌倉に開設された結核養生所の中には現在も病院として存続しているものも多い。明治30年(1897)に開設された鎌倉養生院は現・清川病院、同32年(1899)の恵風園養生所は現・恵風園胃腸病院、同44年(1911)鈴木療養所は現・鈴木病院、大正9年(1920)の額田保養院は現・額田記念病院である。因みに昭和5年(1930)、小動岬(こゆるぎみさき)で太宰治が銀座のカフェ・ホリウッドの女給・田部つみと心中事件を起こし、付近の漁師に発見され収容されたのが恵風園療養所であった。

鎌倉養生院の現・清川病院は清川来吉(後の初代鎌倉市長)が鎌倉郡東鎌倉村雪ノ下に設立した。
清川病院1

清川病院2

恵風園養生所の現・恵風園胃腸病院は小動岬近くの江ノ電の踏切を渡ったところにある。病室からはサーファーの活躍が眺められるだろう。
恵風園1

恵風園2

鈴木療養所、現・鈴木病院は鎌倉高校の近くの高台にあり、ここも潮風が吹く場所だ。すぐ隣には聖テレジア病院という聖マリアンナ医大の関係病院がある。
鈴木病院1

鈴木病院2

額田保養院は現・額田記念病院は大町の閑静な場所にある。隣は安国論寺で裏は妙法寺である。病院とお寺の関係は密接?なのか。またこの病院は高齢者の施設も充実しているようだ。
額田病院1

病院と道を隔てて右側が安国論寺
額田病院2
                 

 

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

Whitedevil

Author:Whitedevil
FC2ブログへようこそ!
2011年秋に完全リタイアー。現在は毎日が日曜日の素浪人。そして地球の何処かを徘徊中。

最新記事
最新コメント
月別アーカイブ
カテゴリ
カレンダー
02 | 2020/03 | 04
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31 - - - -
天気予報

-天気予報コム- -FC2-
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる