16.04.22義経伝説を辿る

 NPO法人鎌倉ガイド協会のIさんと「悲運の英雄義経伝説を辿る」というテーマで半日のコースを同行する。

 平家を滅ぼした後、鎌倉入りを拒まれた義経は、兄頼朝に切々たる思いを訴えた。その腰越状が残る満福寺。腰越の浜で首見分された後,義経の首が境川を遡り、漂着した首を洗い清めた「首洗井戸」。義経を祀り、義経・弁慶二基の神輿を奉じる白旗神社。「白旗大明神 神儀」と記された義経の位牌がある荘厳寺(しょうごんじ)。弁慶塚の残る常光寺。

【満福寺】・・・頼朝に許しを請う手紙(腰越状)を義経と弁慶が書いたのもこの寺で、奥州で非業の最後を遂げた義経の首見分をしたのも一説ではこの寺といわれている。

腰越の満福寺本堂
満福寺本堂

満福寺に伝わる義経の鎧
義経の鎧

「腰越状」の版木
腰越状

義経の首見分をした腰越の浜
腰越の浜

【義経首洗の井戸】・・・腰越の浜に捨てられた義経の首は境川を遡り漂着した。里人が憐れんでこの井戸で洗い手厚く葬ったといわれている。胴体は東北の栗駒山の山麓「判官森」に葬られたと伝えられる。

義経の首塚
義経の首塚

義経の首洗井戸  井戸の中を覗いてみると枯れ井戸であった
義経の首洗井戸

【白旗神社】・・・「祭神」は寒川比古命・源義経公。古くは相模一の宮の分霊「寒川比古命」を祀っていたが、義経の首が腰越の浜に捨てられて以来、頼朝は義経の怨霊に苦しめられたので義経の霊を祀らせたのが、白旗神社の起こりと伝えられている。天保6年(1835)に造営された社殿は、本殿・幣殿・拝殿を連ねた流権現造りで、外壁は江戸時時代の匠の技を駆使した立派な彫刻がある。

白幡神社本殿
白旗神社

義経の首が亀に乗せられて漂着した言い伝えから本殿には亀の彫刻がある
亀の飾り

宝蔵庫には義経の守り本尊「毘沙門天」と 「義経・弁慶」の二基の神輿がある
義経・弁慶の神輿

弁慶藤と義経藤があるが、弁慶藤(紫)の見ごろは、もうすぐ、義経藤(白)はまだだいぶ先。芭蕉の句碑もあった。
弁慶藤

【荘厳寺】・・・「山号寺号」白王山般若院荘厳寺、「宗派」古儀真言宗、「本尊」不道明王。鎌倉時代に一度荒廃したが、嘉禎元年(1235)覚盛により中興再建された。延享4年(1747)白旗神社の隣に移転した。この時に白旗神社の別当寺となったが、明治政府の神仏分離令により、現在地に再び移転した。本殿には寺宝である義経公の位牌がある。表には「白旗大明神 神儀」、裏には「清和天皇十代御末源義経公」と記されている。

「白旗大明神 神儀」の位牌
「白旗大明神 神儀」の位牌

【常光寺】・・・鎌倉光明寺の末寺。本尊の阿弥陀如来(伝快慶作)は鎌倉扇ガ谷の阿弥陀堂から移されたもので、頼朝や後北条も深く信仰したという。本堂裏の庚申塔群に「弁慶塚」と刻まれた石碑があり、上方に阿弥陀三尊の梵字を配してある。また、このお寺は明治5年から警察署が設置されていて昭和39年に鵠沼の新庁舎に移転するまで約100年間機能していたと記念碑があった。

住宅地の中にある「常光寺山門」
常光寺山門

常光寺には100年間ほど藤沢警察署が置かれていた記念碑
警察記念碑

常光寺の裏にある弁慶塚に行く山道
弁慶塚に至る道

弁慶塚は風化していて字があまり読めない
弁慶塚


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