20.03.01-06 マグリブ紀行・チュニジア編

 エジプトよりも西の北アフリカ地中海岸の一帯をマグリブと言う、アラビア語で『日の没する地』、つまり西方の意味。そこに住む人々はベルベル人で、7世紀以降イスラム化した。現在のモロッコ、アルジェリア、チュニジア、リビアの4国 だ。2014年にモロッコとチュニジアの一部を旅したことがあるが、今回はチュニジアとアルジェリアを訪れた。

【チュニジア】は西にアルジェリア、南東にリビアと国境を接し、北と東は地中海に面する。地中海対岸の北東にはイタリアが存在する。
面積:16万3600k㎡(日本の約2/5) 人口:1157万人 首都:チュニス
外務省の海外安全情報ではレベル3(渡航中止勧告)が出ている地区もあるが、今回の旅行地域はレベル2(不要不急の旅行は中止)だ。

チュニジア  ローマ時代のドゥッガ遺跡(円形劇場)
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3月1日~2日
 空路チュニジアに向かう。直行便はないので一旦、中東のドバイで乗り継ぎチュニスへ。
成田pm23:00⇒ドバイam6:00 ドバイam9:00⇒pm12:55チュニス 東京とドバイの時差は5時間、ドバイとチュニスの時差は3時間。所要時間は 成田⇒ドバイ 12時間、ドバイ⇒チュニス 3時間55分 計15時間55分の長旅。

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 チュニスの到着後、そのまま空港から聖地ケロアンに向かう。途中、2000年前から続く世界遺産『ザグーアンの水道橋』に立ち寄る。水源のザグーアンから地中海に面したカルタゴまで132kmの水道橋だ。現在残る部分だけでも20kmある。ポンプの無い時代に、わずかな高低差を利用して自然に流れるように設計されている。ローマ時代の高度な測量と土木技術は驚きである。高地ではトンネルで地中を通し、低地では水道橋で高低差3%の確保している。


水道橋の遺跡は道路沿いにあり、別に柵があるわけでなく単なる遺構としか見えない。
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 ケロアンはチュニスの南165kmに位置する。オリーブ畑に囲まれたチュニジア第4の都市だ。また、カーペットの産地でもある。途中、右側にジュベル山(鉛の山の意)が見えた。現在は鉛は産出していない。

車窓から見たジュベル山
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同じく車窓から見たコウノトリの巣
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3月3日
 ケロアンのホテル近くに9世紀に造られた中世世界では最高技術の貯水池がある。現在は大小4つが残されている。当時は14個の貯水池があったそうだ。ケロアンの西36km離れた丘から水道によって運ばれ、最初に小型の浄水用貯水池へ、それから直径128m、深さ5m、容積5万㎥の大型貯水池に流れる仕組みだ。世界遺産に登録されている。

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観光局の屋上
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観光局の屋上からの眺め
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 シディ・サバブ霊廟は7世紀に建てられたムハンマドの同志で聖者のアブ・ザマ・エル・ベラウイが眠る霊廟だ。彼はムハンマドの床屋でムハンマドの髭3本と共に埋葬されている。後の17世紀のオスマン帝国時代には巡礼者のための宿、モスクとミナレット、神学校などが付け加えられ、現在の姿となった。因みにサハブとはアラビア語で『友人』という意味らしい。霊廟の建築材料はローマ時代の建造物から拝借しているので柱はそれぞれ太さも異なっている。

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 ケロアンには670年に創建されたアフリカ最古の『グランド・モスク』(シディ・ウクバ・モスク)がある。その後は何度も改修されたが、四方を土色の煉瓦で強化され要塞の様な外壁。内部への門は9つある。我々のような非ムスリムはメインゲートのみ入場を許される。

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 左の方の建材はローマ時代のもので、ラテン語でカエサルと読める石が上下逆に使用されている。右の石は同様にアントニウスと判読できる。
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礼拝の時間を確認するための日時計、階段を上り上の盤で時刻を確認
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モスクの内部は係員に袖の下を渡し写真を撮ってもらう。撮り慣れているのか中々の腕
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 ケロアンの旧市街(メディナ)はアラブ特有の混沌としたカオスの世界だ。間違って路地に入ると迷路に迷い込む恐れがある。この旧市街も世界遺産だ。

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旧市街の建物の中にある井戸から水をくみ上げるため、ラクダに歯車を回させる。

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 その後、北アフリカの先住民であるベルベル人の地下住居で有名なマトマタに向かう。洞窟住宅を利用したバックパッカー用のシディ・イドリス・ホテルだ。シディ・イドリスが映画『スター・ウォーズ』の「エピソード4」と「エピソード2」に使われ、一躍有名になった。地下穴の中は乾燥地帯の急激な気候変化と強い日差しを避けるのに都合がよく、夏はひんやり、冬は温度が下がらず暖かいそうだ。ジョージ・ルーカスの撮影シーンの写真等が展示されていた。本日はその近くにある別の洞窟ホテルに宿泊する。なんとなく、トルコのカッパドキアのようだ。

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ホテルの手前にあるベルベル人KENZAさんの洞窟住居も見学させていただく。5人家族(夫婦と3人の子供)とのことで、石臼を挽く実演までしてくれた。

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3月4日
 朝からチュニジアの真珠と呼ばれるスースに出向く。途中、エル・ジェムに立ち寄る。エル・ジェムはローマ帝国アフリカ領の中でも最も豊かな都市の一つに数えられる。 
 エル・ジェム博物館は、1971年創設。発掘は19世紀末からフランス人考古学者によりエル・ジェムから発掘されている。外見はしょぼく見えるが展示物は素晴らしい。特にモザイク画と近郊から移築したローマ時代の住宅(アフリカの家)は秀逸である。

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 エル・ジェムのコロセウムは2世紀ローマ帝国のゴルディアン皇帝のもと、工事が着工された。チュニジアに25ほどあるコロセウムのうち最も保存状態が良く、本家のローマよりも良いと言われている。規模はローマ、ベローナに次ぐ第3番目ということらしい。3500人収容、高さ35m、アレーナは65m×40m。階級により席は3層に別れている。毎年7,8月にフェスティバルが行われる。

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スースの町はサヘル(沿岸地方)の真珠と呼ばれるチュニジア第3の都市で人口24万人。メディナ考古学博物館は要塞に囲まれたもっとも見晴らしのよい高台、元軍事施設カスバ(砦)を利用した建物にある。灯台は今も使用。ここも、キリスト教を中心にしたモザイク画が展示されている。また、キリスト教洗礼水盤は宗教的にも価値があるそうだ。そして建物自体が高台にあるため、建物上部からは市内と港が眺められた。

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 メディナの旧市街は世界遺産である。城壁に囲まれびっしりと商店が並んでいる。まさにアラブの町を感じる。城塞に沿ってグランド・モスクがあり、城塞の外には8世紀に建てられたリバトがある。リバトはグランド・モスクと同様に侵攻の前線基地として、町を外敵から保護する機能を果たしていた。グランド・モスクは非ムスリムの人は中に入れない決まりになっている。
 
城塞に付属しているグラン・ドモスク
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リバトの塔の上から見たグランド・モスク
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リバトの内部
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リバトから考古学博物館をのぞむ
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 市内をのぞむ
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3月5日
 スースのエンフィダ空港(ベンアリ大統領)からチュニスに戻る。途中チュニジア最大規模のローマ遺跡『ドゥッガ』を観光する。ドゥッガは紀元前2000年にヌメディア人がここに住み始め、カルタゴからフェニキア人がやって来る紀元前4世紀にヌメディア王国として栄えた場所だ。カルタゴ滅亡後、紀元46年にヌメディア王国もローマに滅ぼされる。

 ドゥッガ遺跡の円形劇場や神殿などは世界遺産である。チュニジアには数多くのローマ都市遺跡があるが、このドゥッガ遺跡は規模、保存状態は非常に優れていると思う。

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古代ローマ都市の中心はフォルムとそれに隣接するキャピトルだ。神殿はジュピター、ジュノー、ミネルバの3神を祀っている。マルクス・アウレリウスとルキウス・ヴェルスの2人の皇帝に捧げられたもの。

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神殿近くには浴場の遺跡や公衆トイレの遺跡もあった。まるでポンペイ遺跡のようだ。

冬の浴場(熱い蒸気)跡 
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公衆トイレ跡
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遺跡の中にヒツジやヤギが草やオリーブの葉を食べに侵入。日本では考えられない。
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 ドゥッガ遺跡の見学を後にして、チュニスに戻る。道中で羊の群れを管理している親子や電柱に巣を作っているコウノトリの番いを見る。日本ではまず目にしない光景。

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チュニス市内の独立記念塔  
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大統領官邸は非常に厳しい警戒だった。
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チュニスの旧市街地(メディナ)を散策、ここも世界遺産である。旧市街は城壁に囲まれて、グラン・ドモスクや各種商店が立ち並び、アラブ独特の雰囲気がある。

メディナの壁に世界遺産の証明 
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昔は奴隷市場であったが今は宝飾市場
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昔はメドレッセ(神学校)  
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元は図書館の扉
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グランドモスクの外壁  
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メディナの通り道
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メディナの外には大聖堂やオペラ座があり、かつてはフランスの植民地であった。
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イギリスのエリザベスホテル
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3月6日
 チュニス観光の後、ローマ・ビザンチン時代のモザイクが展示されているバルドー博物館を見学する。なお、この博物館は2015年3月に銃の乱射事件があり、22名が死亡(内3名が日本人)した。同6月にポート・エル・カンタウィのリゾートホテルでも銃の乱射事件があり、観光客38名が死亡した。外務省はチュニスに渡航する人に対し注意喚起している。

 バルドー博物館の建物の一部はオスマン帝国時代にチュニジアを統治していたベイ(地方長官)の宮殿であった。その後、1881年、フランス保護領となったバルドー条約が調印されたのもこの宮殿だ。1956年にフランスから独立したのを機に『バルドー博物館』となった。チュニジアのルーブルとも呼ばれ、先史時代から今日までの歴史を学べる随一の考古学博物館である。また、ジャスミン革命で市民が民主化推進行動に対し果たした平和行動に対して、2015年のノーベル平和賞を受賞している。

博物館正門
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ノーベル平和賞のメダル
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洗礼盤 
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博物館の建物はオスマントルコの地方庁官邸
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神話やキリスト教に因んだモザイク画や彫刻
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 2015年のテロ乱射事件の跡は至る所に生々して銃痕があった。玄関を入ったところに被害に遭った人と、国旗が飾られている。また、敷地内には被害者のモザイク画もある。

被害者名と国名
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屋外では被害者のモザイク画DSC_8909 (800x533)

ショーケースには銃痕が
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扉の横の柱にも銃痕
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 チュニス郊外12kmほどのカルタゴに向かう。この町はフェニキアの王女エリッサによって紀元前814年に建設された。途中、ODAで大成建設が施工したチュニス湖運河の北側に位置するラグレット橋を渡る。チュニジアの人が日本を評価しているのはうれしい。

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   シチリアの権益をめぐりカルタゴはローマと3度のポエニ戦争を戦った。名将ハンニバルは第2次ポエニ戦争で歴史的な象によるアルプス越えを行いイタリアに進軍している。第3次ポエニ戦争では3年間の籠城戦の後、ローマのスキピオ将軍によりカルタゴは陥落した(前146年)。カルタゴの遺跡は地中海沿岸にある。かつての港は軍港が丸く、商業港工は四角く造くられている。しかし、年月とともに変形し、今は単なる池のようだ。

軍港 
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商業工
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 ローマによって破壊され焼き尽くされたカルタゴは遺跡としてはほとんど残っていない。ローマ以前の数少ないものとしてトフェ(タニト神の聖域)くらいだろう。

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  ローマ時代の社交場としてアントニウスの共同浴場がある。当時の建物は二階建てで、更衣室、温浴風呂、水風呂、サウナ、プールなどが完備していた。ローマ人はつくづく風呂の好きな民族と思う。今はただ、円柱やモザイクが配された床が残る程度だ。

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  シディ・ブ・サイドを散策しダール・エル・アンナビを見学する。18世紀から20世紀の暮らしぶりがよくわかった。街全体が白の壁に青の窓で地中海を感じる街だ。

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 ビュルサの丘にサン・ルイ教会がある。1890年にフランスによって建てられた。1270年の第8回十字軍遠征に参加したフランス国王ルイ9世に捧げられたものだ。

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旅行の前半は今日まで、いよいよ明日からは後半のアルジェリアだ。




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チュニジアでご一緒した大竹です

天野様 
ご無沙汰しています。チュニジア、アルジェリア旅行でご一緒した大竹です。その後お変わりなくお過ごしの様で何よりです。矢張りご一緒した中本さんから、天野さんのブログあある事をお知らせ頂き、メールさせて頂きました。あちこちの旅行先のブログを書かれていて凄いですね。これから時々拝見させて頂きたいと思いますのでどうぞ宜しくお願い致します。


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