19.09.02-.07中国新疆・中央アジア旅日記 その3

 中央アジアの中でウズベキスタンの面積は日本の1.2倍、人口は3千2百万の大国である。世界遺産もシャフリサブスの歴史地区をはじめ4か所を数える。

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9月2日(月)
 今日はドシャンベのホテルから百数十km南の涅槃佛が発見されたアジナ・テべに出かける。道中は大掛かりな道路改修が行われているため3時間ほどの時間を要した。涅槃佛の発見や発掘については昨日の博物館見学で情報は入手済。

遺跡の発掘場所は金網で囲まれていた
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 アジナ・テバ遺跡は7~8世紀の仏教遺跡であり、遺構からは大型のストゥーパや菩薩像の他、全長13mに及ぶ涅槃仏像が出土している。遺跡は1959年から考古学者により調査された。アジナ・テバは古代のシルクロードの中継地点に位置し、中国、ヨーロッパ、中央アジア、インドの湾岸地域を結ぶシルクロードの要所として貿易の重要拠点となっていた。1961年に遺構が発見され、1975年まで継続して行われた調査においては、ボリス・リトヴィンスキー率いるタジキスタン科学アカデミーの歴史学者、考古学者グループが大規模な調査を行った。仏教寺院はアラブ人による侵入の後、偶像崇拝を禁止するイスラム教の教義から破壊されたと考えられている。現在日本の支援もあり日本語表記の説明も掲示されていた。

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 遺跡は単なる土くれにしか見えない。よく見ると日干し煉瓦と思われるものには藁が混じっていた。

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どこからか現れ、見学者の素性をチェックし、その後、説明してくれた少年。手持ちのボールペンをあげるとはにかんでいた。
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今日は9月2日(月)で新学期が始まったようだ。児童が生き生きしていた。
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 昼食は街道沿いの食堂で店頭の窯で焼いているサムサ(肉やタマネギを挟んだパイ)を食す。デザートは勿論スイカとメロン。
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9月3日(火)
 タジキスタンから国境を越えウズベキスタンのテルメズヘ。ウズベキスタンは世界で2か国しかない『二重内陸国』(隣国ともう1国を通過しないと海に出られない)である。もう1か国はスイスとオーストリアの国境に位置するリヒテンシュタインである。

 ウズベキスタンとの国境に行く途中、16世紀から20世紀初めのブハラ・ハン国時代の都・ク―ル要塞に立ち寄る。
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 中央アジアで,徒歩で通過する国境はいつものことながら、ポーターがいなければ、自分で緩衝地帯を、スーツケースをもって通過しなくてはならない。航空機による移動とは異なる。炎天下の中央アジアはきつい。


タジキスタン側の税関と出国審査場に向かう
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ウズベキスタン側の税関と入国審査場に向かう。
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 昨春、ウズベキスタンに入国する際は手持ちの外貨などの申告が必要だったが、今回はなかった。多分、カリモフ大統領の死で緩やかに変化したのかもしれない。

 ウズベキスタン入国後、テルメズに向かう。途中、有名な仏教遺跡ダルベルジン・テべに向かう、ここはバクトリア地方北部に小規模な要塞が作られた後、紀元前1世紀頃都市が形成され、クシャーナ朝の時代に発展を遂げ、行政地域、居住地域、窯業などの産業地域、仏教寺院などが建設された。遺跡の住居からは金のネックレスなど多くの金製品が発見されている。3世紀頃には都市として衰退した。

 実際、遺跡を見学したが、掲示板もないし、ここが遺跡の現場かどうかは、わかりにくい場所だった。しいて言えば、発掘予定現場が金網で囲われていたことぐらいだろう。これも羊の放牧で荒らされないためのものと思われる。

クシャ―ン朝の仏教遺跡の表示、これがなければただの土くれ。
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9月4日(水)
 今日は1日テルメズの観光で過ごす。先ず、キル・キズ・サライに向かう。「キル・キズ・サライ」とは「40人の女性の宮殿」という意味らしい。宮殿は神学校の意味もあるという。実際に遺跡を見学すると、我々以外に観光客はだれも居ない。

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 その次は、スルタン・サオダット廟群を見学。サオダットという聖人の廟であり、その周りに彼のそばで眠りたいという人達の墓がある。因みにサオダットとはアラビア語で『幸せ』という意味らしい。建物中にはお墓がびっしりと並んでいた。

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 そして、その次のズルマラ遺跡は『仏塔』で有名な遺跡だ、しかし、畑の中にあり、たどり着くための道がない。畑の中に入るには農民の許可が必要と思われるので、遠くから眺めて我慢する。

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 仏教遺跡フィヤズ・テべとカラ・テべに向かう。ウズベキスタンにインドから仏教が伝わったのはクシャーナ朝時代の紀元後1世紀頃と推定されている。フィヤズ・テべはタシュケントの博物館に所蔵されている釈迦三尊像が発見された有名な仏教遺跡だ。こちらは単なる土くれでなく明らかにストーパ―の跡のようなドームがあった。ドームの中には入ることができ一周することができた。


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 鉄条網のの向こうはアフガニスタンとの緩衝地帯
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この穴からストーパ―の中に入る。
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ストーパ―内部の天井
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釈迦三尊像が発見された龕らしきもの  
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 フィヤズ・テべから直線で1kmほどの所にカラ・テべ遺跡がある。軍隊管理地区で現在発掘中であるが、だれも居ないので勝手に見学。フィヤズ・テべもカラ・テべも唐の時代は栄えていたので玄奘三蔵はここを経由したと考えられる。

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 カラ・テべ遺跡の直ぐそばは有刺鉄線で囲われている国境の緩衝地帯である。その向こうには中央アジアの大河アム・ダリア川が流れている。川の対岸はアフガニスタン・イスラム共和国だ。遠くには監視塔らしき塔が、しかし、あまり緊張感はない。

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 ハキ―ム・アルテミズ廟はスルタン・サオダット廟群と同様に聖人の廟である。こちらの方が敷地も広くお参りに訪れる人も多かった。また、瞑想のための洞窟もいくつかあった。

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石碑の下(地下)に棺がある
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瞑想のための洞窟
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 最期にテルメズの考古学博物館を訪れる。展示物はこの地域で出土したものが中心だ、しかしオリジナルはタシュケントの博物館に所蔵されている。

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9月5日(木)
 テルメズから450km先のサマルカンドへ。途中、テルメズから西に20km離れたカンプィルテバは、古代においてインドと中央アジア・バクトリアを結ぶルートがアムダリヤ川を越える地点に造られた要塞都市だ。

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 その後、世界遺産シャフリサブスに向かう。途中、アレキサンダー大王が通ったといわれる『鉄の門』を道路から眺める。山脈が入込んだ幅10m程度の切通だ。当然、玄奘三蔵も通ったと追われる。

 写真では判別しづらいが、家の奥に切通状の地形がある
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シャフリサブスはチムール生誕の地と言われている。ここには世界遺産の『ドルディロバット遺跡群、ドルッサオダット遺跡群、アク・サライ』がある。

 ドルディロバット遺跡群は『瞑想の家』と呼ばれるチムールゆかりの建築群だ。これは孫のウルグベクによって建設されたものだ。

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 ドルサオダット遺跡群にはチムールの息子で22歳で戦死した長男のために建てたジャハンギ―ル廟があるが、半ば崩れかかったような建物だ。建物の中には墓石がある。

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 アク・サライは1380年に着工され、チムールの死後1405年まで建設が続いた。アク・サライとは『白い宮殿』という意味らしい。現在のアーチの高さは38m、壊れる前は50m以上の高さがあった。この入り口のアーチの南には大理石が敷き詰められた中庭がある。

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9月6日(金)
 サマルカンドから300km先のタシュケントへ。そして大韓航空942便(21:20発)でソウルへ。時間があまりない中、午前中にサマルカンドを大急ぎで重点的に回る。一応、昨春もこのサマルカンドは訪れており3度の観光。

 サマルカンドの定番、レギスタン広場は前日にイベントがあったらしく取り片付け中。
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 イスラム世界で最大級の規模を誇るビビハニム・モスク。インド遠征から帰還したチムールが建設を決意して建てたモスク。様々な伝説がある。

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 アフラシャブ博物館に立ち寄る。アレキサンダー大王時代のコインやゾロアスター教の祭壇などがある。しかしこの博物館の目玉は、7世紀の領主の宮殿から発見されたフレスコの壁画だろう。色鮮やかで、当時の様子がありありと表現されている。

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タシュケントに行く途上、ゼラフシャン川を渡る。
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更にシルダリア川を渡る。
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 いつもことだが、街道沿いでメロンで水分補給。ついで子供の写真をパチリ。
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9月7日(土)
 台風13号が7日朝鮮半島に上陸するとのニュースに神経をとがらせる。何度も航空会社に連絡しフライトを確認。タシュケントを6日の21:10発の便で無事ソウル7:45到着。6時間半のフライト。時計を4時間進め時差を調節。大韓航空703便(10:10発)で成田へ。台風15号は当初より進行が遅いようで無事に12:30成田到着できた。




 今回の旅行は初めてのタジキスタンを延べ1週間滞在した。タジキスタンは1991年ソ連崩壊と同時に独立したが、その後5年間、内戦が続いた。そしてようやく平和が訪れたようだ。しかし、今年の5月19日に首都のドシャンベの刑務所で暴動が発生し、イスラム過激派『イスラム国IS』の戦闘員24名と看守3人を含む32人が死亡したとAFP通信が伝えている。やはり完全に治安が安定するのはもう少し後かもしれない。

・今回訪れた中央アジアの国々はキルギス、カザフスタン、ウズベキスタンとタジキスタンである。これらの国の人口などは2017年の数字。
 キルギス   国土面積は約20万㎢(日本の半分) 人口612万人
 カザフスタン  国土面積は約272万㎢(日本の7.2倍) 人口1804万人
 ウズベキスタン 国土面積は約45万㎢(日本の1.2倍) 人口3212万人
 タジキスタン  国土面積は14万㎢(日本の40%) 人口848万人


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2011年秋に完全リタイアー。現在は毎日が日曜日の素浪人。そして地球の何処かを徘徊中。

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