19.08.20-28中国新疆・中央アジア旅日記その1

 つい数年前までは新疆や中央アジアではロバ車が干し草を運んでいたが、今はトラクター。チョット残念な気がする。

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8月20日(火)
 成田発の大韓航空704便(13:55発)でソウルに向かう。ソウルで同じく大韓航空833便(19:10発)で中国新疆ウイグル自治区のウルムチへ。ソウルの乗り継ぎで2時間半ほど時間を費やす。今年の6月にここで5時間近くを費やしたので第2ターミナルについては熟知している。然し時間的にはちょっと中途半端だ。
 昨今の日韓関係からソウル行きはガラガラと思っていたが、意外にも満席であった。主な乗客は中国人。多分、日本観光後にソウルから山東省や中国東北の都市へ帰るのだろう。

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 ソウルから大韓航空機で5時間ほどかけてウルムチへ。日にちが変わる深夜にウルムチに到着。上空から眺めているとイルミネーションがすごく華やか。まるでラスベガスかと思うほどであった。ウルムチで中国への入国手続きをするには、指紋登録認証がある。見ていると係官がパスポートの生年月日をチェックし、かなりの高齢者は不要だ。指紋が摩耗し、読み取りにくいのか高齢になるとテロリストのリスクが下がるからか不明。



8月21日(水)
 ウルムチから南方航空6805便(11:15発)で中国最西端の町カシュガルへ。北京は東経120度、カシュガルは東経75度。丁度45度の差があり、時差を計算すれば3時間。しかし中国政府は北京時間しか認めず全中国を北京時間で統一している。
 午後はカシュガルの町を観光。カシュガルまで来れば中国というより、中央アジアという感じだ。しかし、20年前から都合6回目のウイグル自治区だが、ますます中国共産党の管理が厳しく息苦しさを感じる。3日ほど前から寒波?が新疆にやってきて北部のイリでは雪が降ったそうだ。おかげで涼しくて助かる。

ウルムチ空港
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カシュガル空港
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 エティガールモスクは新疆最大のモスクというだけではなく、中国最大のモスクでもある。このモスクは1442年頃に建てられ始め、その後何度か改修されて現在の様相になる。このモスクは南北の長さが140メートル、東西の長さは120メートルで、正殿、礼拝堂、教経堂、アーチ及び他の建物から構成され、濃厚な民族的雰囲気と宗教的色彩を放っているイスラム教の古い建築物だ。2001年6月25日、エイティガールモスクは明朝の古い建物として、全国重点文物保護単位に登録された。

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モスクの道は監視カメラが一杯 
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レストランに入るにも荷物チェクが必要
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 職人街はカシュガルの定番観光地。手作りの日用雑貨品をこの『職人街』で産直販売している。覗いていると見習工が一生懸命に親方の指示通り働いている。日本では見かけなくなった光景。ここも以前と変わって工房が激減、代わりに観光客向け土産店が目につく。

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職人街で治安維持にあたる自警団はスマホゲームに熱中していた
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 職人街で見つけた男の赤ちゃん用の夜間におしっこをベッドの下に流す道具? 日本の夜間頻尿の老人にも使えそうな気がした。
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 職人街からアパク・ホージャ(香妃)の墓に向かう。彼女は清朝の乾隆帝の妃の一人であった。とても芳しい香りで魅了したらしい。死後、北京からカシュガルに遺体が運ばれた。香妃の墓所はさながらインドのタージマハールを連想させる。以前はこんな感じではなかったと記憶している。モスクの隣にあって、一般の墓地にも隣接していた。

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8月22日(木)
 今日は終日、天山の真珠と言われるカラクリ湖を観光。ここは標高3645mなので富士山の9合目ぐらいか、山一つを越えればキルギスやタジキスタンだ。カシュガルからカラクリ湖に至る途中にゴングール峰(7719m)が見える。そしてカラクリ湖の先にムスターグ峰(7546m)を望む。ムスターグ峰の向こうはパキスタンとの国境、クンジュラーブ峠(4733m)がある。ここは2年前にパキスタンから入国したが、麻薬の検査やデジカメの画像全てチェックをされたり、また、なぜかポリオのワクチンを飲まされるなど、嫌な思い出がある。

街道沿いの食堂には食材がつるされていた
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メロンはうまくてジューシー
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ゴングール峰が見え始める 
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ラクダの群れに遭遇 
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途中のダム湖に映った砂山
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昼食を取った店は、気が付けば部屋の隅に監視カメラが付いていた。
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草原にはヤク(毛牛)の群れが
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天候が急変しムスターグ峰は見えにくくなった
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8月23日(金)
 今日は、中国とキルギスの国境、トラガルト峠(3752m)を越える。玄奘が天山山脈を越えたのはペダル峠と言われている。この峠は、今は国境としては機能していない。今はペダル峠のやや西にあるトルガルト峠が国境だ。トルガルト峠に至るまでは何度も検問所を通過し、セキュリティチェックを受ける。まさに検問街道の趣だが、国境を越えキルギスに入国すると当たり前だが、検問は全くない。そして天山山脈のナリン(2370m)で宿泊。

 キルギスの独立当時(1991)は民主的でリベラルという立場をとっていた。他国に先駆けて経済と土地所有権の全面的な私有化を図った。そして『中央アジアのスイス』になることを目指した。しかし、政治家の汚職事件や、大統領の強権化で『中央アジアのスイス』のイメージからは程遠い。

荒涼とした荒れ野を峠に向かう。
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キルギス側からのトラック
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検問所で検査を待つトラック、道路雪化粧。
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トラックごとX線検査を受けるそうだ
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中国国境の標識
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キルギス側の入国審査はいたってシンプル 
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税関倉庫
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 トルガルト峠からキルギス側に入ると中国とは別世界だ。海抜3530mのチャルレール・クル湖が天山山脈を背にして見える。スイスのような光景。

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キルギスは遊牧の国、馬、牛、羊は草原でのびのび草を食んでいる。
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 シルクロードの遺跡タシュ・ラバットはかつてシルクロード交易で使われていた宿泊場所だ。シルクロードの交易隊が使っていたタシュ・ラバットのような宿泊場所をキャラバンサライという。タシュ・ラバットに残る石造りの遺構の中は寝室やキッチンなどいくつかの部屋に分かれており、シルクロード交易の雰囲気を直接感じられる

シルクロードのキャラバンサライ遺跡のタシュ・ラバット
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キャラバンサライの屋上の様子、各穴から最高を取る
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8月24日(土)
 イシククル湖の南岸を通り、カラコルへ。かつて玄奘がたどったイシク・クル湖の面積は琵琶湖の9倍だ。この湖に流れ込む川は何本もあるが、この湖から流れ出る川はない。10万年以上存在している湖なので、底には水没した遺跡がいくつも残っている。湖の色は吸い込まれるように青い。『キルギスの海』と言われるのももっともだ。この湖は熱湖とも呼ばれる。極寒の冬でも凍らない。また、この湖の標高は1609mである。

 ナリンからカラコルへの途中にナリン川を渡る、小さい川だが結構急流だ。この川は途中でシル・ダリア川に合流しアラル海にそそぐ。
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 さらに街道を進むと家畜の土曜市が開かれていた。価格は、羊は100ドル程度、牛は500~2000ドル程度、馬は800~2000ドル程度らしい。
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途中で、スカスカという奇岩の渓谷に立ち寄る。赤い岩肌の奇妙な凸凹の山だ。
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 イシク・クル湖は天山山脈の山々が見えるはずだが、天候の加減で、なかなかはっきりとは見えなかった。
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8月25日(日)
 カラコルから湖岸沿いの街道を西に15kmほど山の方に向かう。海抜2200mの所にジェテイ・オグズという温泉地があり、巨大な赤土の岩肌をした奇妙な凸凹の山がある。ジェテイ・オグズとは「7頭の牛」という意味だそうだ。

ジュディ・オグス
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 山の上に登ると如何にも中央アジアの少年と馬が休憩していた。また、冠雪した天山山脈の山には氷河を見ることができた。
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日本のJICAの支援によるキルギス物産のショップ。中々、おしゃれな店だった。
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 カラコルには小さな博物館がある。中に入ると11世紀に作成されたというユーラシアの地図があった。東を上にして丁度真上に日本が描かれていた。日本では平安時代。

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 正三位一体協会は木造の教会である。日曜日ということもあり敬虔な信者が集まっていた。自転車に乗った悪ガキ少年も教会の敷地から出るときは、神妙に十字をきっていた。笑ってしまう光景だった。

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 ブルジョバリスキーの墓。19世紀末にプルジェワルスキーはロシアの探検家でモンゴルから青海へラクダと馬だけで1万2千キロ踏破し、その記録が世界各国に翻訳され、名声をあげた。カラコルまで来て玄奘が超えたベダル峠を越えようと思っていた。しかし、カラコルの街で休憩している最中に、山の清水を生で飲んでしまった。身長198cm、体重150kgの巨体の彼も腸チフスにかかり、40度を超える高熱に苦しみ、生涯を終えたそうだ。プルジェワルスキーの遺体は、「イシク・クル湖の見える所で、探検服のままで、解剖をせずに埋めてほしい」という生前の希望通りに埋められた。

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 ドウガンモスクは木造で作られた中国風のモスク。凡そ150年ほど前に中国で回族が宗教的に迫害されこの地に逃れてきた。彼らの拠り所としてモスクを建てた。通常のドーム屋根はなくミナレットも低い。まるでお寺のような感じだ。

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夕食はキルギスの民俗音楽を鑑賞
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8月26日(月)
 キルギスから国境を越えてカザフスタンのアルマトイへ向かう。カザフスタンの特徴は中央アジア諸国の中でロシア系住民のウエイトが高く、地政学的にもロシア連邦と地理的にも連続している。ナザルバエフの最大関心は政権のカザフ化を徹底して進め、モスクワとの関係を良好に保つことである。ロシア国内のロシア系住民に北部の分離をそそのかさないようにすることである。首都をアルマトイからロシア国境近くのアスタナに移したことでも明白だ。

 約80km先のカザフスタン国境に向かう道中は天山山脈がよくも見える。真夏なのに冠雪している。
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家畜を放牧しているが、羊などは車窓から眺めると川のようだ。
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キルギスからカザフスタンに入るが、国境のイミグレーションは非常にシンプル
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 チャリンキャニオンはアマルトイから東へ200km、国立公園にあるユニークな峡谷。ミニグランドキャニオンとも呼ばれている。
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 タルゴ列車にてウズベキスタンのタシュケントへ。カザフスタンではスペイン製のタルゴが高速列車として走っている。『一帯一路』の実現を図り、中国との直通を便利にするために標準軌から広軌の軌間可変車軸が検討されている。

カザフスタンのアルマトイ駅 
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8月27日(火)
 朝の9時過ぎにイミグレ手続きを行う係官が列車に乗り込んでパスポートチェクや出国スタンプを押してくれる。その後30分程度して、今度はウズベキスタンの入国手続きだ。麻薬の持ち込みや外貨の持ち込みはうるさいほどチェクされる。そして午前11時54分にタシュケントに到着。

列車の通路
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コンパートメントは2人用で2段ベッド洗面設備が付いている
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タシュケント見学。タシュケントはウズベキスタンの首都である。ウズベキスタンの人口3千2百万人の内、280万人がタシュケントに暮らしている。

タシュケント駅
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8月28日(水)
 ウズベキスタンから国境を越えタジキスタンのホジェンドへ。この3日間は毎日国境を越えたことになる。タジキスタンの人口は850万人程度だ。ホジェンドはキルギスとウズベキスタンとの間に挟まった場所に位置している。

 国境に向かう途中にアングレインの日本人墓地を訪ねる。ウズベキスタンには8か所の日本人墓地があるそうだ。シベリアから中央アジアに移送された人々はさぞ苦渋をなめさせられたことと思う。墓守の人から聞いた話だが、我々が今年最初の日本人墓参だそうだ。墓所には『不戦の誓い』や個人名の墓標がある。漢字が不明なものはロシアのキリル文字で表示。

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 ウズベキスタンとタジキスタンの国境はいたってシンプル。出国と入国手続きには1時間半ほどで終わった。ただ、タジキスタンの対応の方が非常にフレンドリーな気がした。

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国境からしばらくするとシル・ダリア川のそばを通る
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 ホテルまでの途中、タジキスタン通貨のソモニに両替のため銀行に立ち寄る。待っているとタジク族のオバサンに記念写真を頼まれる。非常に友好的な民族だ。10US $=972ソモニ

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2011年秋に完全リタイアー。現在は毎日が日曜日の素浪人。そして地球の何処かを徘徊中。

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