19.06.01-06シベリア鉄道旅日記・その1

 極東のウラジオストックからヨーロッパのモスクワまでシベリア鉄道全線走破の旅。
パスポートをチェックする車掌さん。やさしいようで厳しい。ゴマをすって『スパシーバ(有難う)』という。
DSC_7119 (533x800)


6月1日(土)
羽田発7時10分のANAで関西空港へ。関西空港で友人のO君と合流し、KALでソウルへ。とりあえず本日はソウル泊。

 羽田に7時10分のフライトは想定外の早起きでキツイ。
DSC_6666 (800x533)

DSC_6668 (800x533)

ソウルの漢江越しに国会議事堂とビル群を望む。空気はPM2.5のためかはっきりしない。
DSC_6669 (800x533)

DSC_6670 (800x533)
 ホテルの近くには例の少女像があった。韓国全土の至る所に鎮座しているのか。本当に厄介な隣人だ。
DSC_6674 (800x533)


6月2日(日) 時差調整+1時間(日本とは+1時間)
 ソウルから午前便でロシアのウラジオストックへ。ウラジオストックはロシア語で『東方を征服せよ』という意味らしい。19世紀から20世紀初頭にかけて帝政ロシアの積極的な極東政策で建設された町だ。そしてシベリア鉄道が遥かモスクワにつながる町でもある。この町は港町でもあるが、坂が多く、神戸や長崎を思い出させる。そういえば今年の4月24日に北朝鮮の金正恩委員長がこの駅にやってきて、ロシアのプーチン大統領と会談している。
 1891年(明治24年)ロシア皇太子ニコライは滋賀県大津市の路上で津田三蔵巡査に切り付けられた。いわゆる大津事件。ニコライは事件の20日後にウラジオストックでシベリア鉄道ウスリー線の起工式に参加している。日本の一巡査に危機感を抱かせるほど日本にとってロシアの南下政策は脅威であった。クリミア戦争(1877-78)の敗北がロシアの南下の矛先をアジアに向けさせた。日露戦争の開戦は1904年2月である。シベリア鉄道の全線開通は、それに遅れること7カ月であった。

ソウルからKALでウラジオストックへ約2時間40分の旅
DSC_6676 (800x533)

DSC_6678 (800x533)

 『アルセーニエフ博物館』は沿海地方の歴史地理、生物、鉱物、また戦争や宇宙開発について展示している。また、シベリア鉄道建設当時の展示もある。2階には日本関係の資料があり、当時のロシアと日本の関わりがわかる。博物館は街の真ん中にある。アルセーニエフの現地通訳兼パートナーがデルス・ウザーラだ。
DSC_6689 (800x533)

DSC_6682 (800x533)

DSC_6684 (800x533)

DSC_6683 (800x533)

DSC_6687 (800x533)

 『鷲の巣展望台』は市内で最も見晴らしのよい高台にある。標高192m。眼下には金角湾の全景が広がり、右手に客船ターミナルやウラジオストック駅、軍港に係留されている軍艦が見える。また、対岸にはゴールド―ビン岬が望める。
DSC_6711 (2) (800x533)

DSC_6700 (800x533)

DSC_6710 (800x533)

 『聖アンドレイ教会』は小さなロシア教会だが、中は煌びやかなイコンで埋め尽くされているそうだが、中を見学しようとしたらミサか何かをやっていて、見学はできなかった。すぐそばにはニコライ二世の凱旋門があった。ソ連時代は帝政を否定するため破壊されていたが、近年復元された。
DSC_6702 (533x800)

ニコライ二世の凱旋門
DSC_6706 (533x800)

近くには潜水艦博物館がある
DSC_6709 (800x533)

昼食を取ったレストランのオバサン。善良なるロシア人という感じ。
DSC_6680 (800x533)

 ウラジオストック発の列車の時間が迫って来たので駅に急ぐ。駅の構内にはニコライ二世のレリーフ像があった。ソ連時代では考えられないことだ。
DSC_6714 (800x533)

DSC_6717 (2) (800x533)

 駅舎前に建つレーニン像。北大のクラーク博士像ではない。
DSC_6715 (533x800)

  シベリア鉄道の東の起点ウラジオストック駅から9259km先のモスクワへ。これは日本最北の駅、稚内から最南端の駅、枕崎までJRを乗り継いだとしても、その営業キロ数は2972kmである。シベリア鉄道の三分の一にも満たない。ロシアの領土は大づかみに言うと東西1万1千kmだが、その90%の距離を走る。今晩は、とりあえずハバロフスクへ766kmの旅程。勿論、車内泊。

二等寝台の通路 二等寝台のコンパートメント内部は2段ベットが対になっている
DSC_6724 (800x533)

 二等寝台は4人のコンパートメント。たまたま同室に2人の老婆とシェアーすることに。異性と同室になったが、老婆なのでときめくことはなかった。それは彼女たちも同じで、老人男性2人にときめかなかったと思う。
DSC_6725 (533x800)

 食堂車
DSC_6723 (800x533)


6月3日(月)
 かつての東清鉄道が分岐するウスリースクを通過し、ウスリー川最大の支流ホール川にかかる鉄橋を渡り、朝8時半にハバロフスクに到着。2015年3月にハバロフスクからウラジオストックまでシベリア鉄道で旅したことがあり、懐かしく感じた。
 アムール河畔に開かれたハバロフスクは、1649年に探検家のエロフェイ・ハバロフに因んで命名された。

ハバロフスク駅 
DSC_6732 (533x800)

駅前のハバロフ像
DSC_6733 (533x800)

 郷土博物館は1896年に設立された博物館。極東や沿海州に関する歴史、風俗、自然についての資料も多数展示されており、デルス・ウザーラの展示もあるはずだったが、残念ながら月曜日で休館。そのかわりにアムール川クルーズに乗る。
DSC_6734 (800x533)

 隣の施設には陸軍幼年学校の生徒が見学中。
DSC_6736 (800x533)

 アムール川展望台。アムール川の中国名は黒竜江、ロシアと中国の国境である。清国の時代1858年に国境を定めた璦琿条約は中国の黒河で結ばれた。

アムール川河畔
DSC_6738 (800x533)

DSC_6754 (800x533)

旧アムール鉄橋の記念館
DSC_6762 (800x533)

アムール川にかかるシベリア鉄道の橋、上段は自動車専用道。
DSC_6760 (800x533)

DSC_6758 (800x533)

 ウスペンスキー教会とスパソ・プレオ・ブレジンスキー教会はハバロフスクを代表する二大教会だ。どちらもカラフルで美しいロシア正教の教会。

ウスペンスキー教会
DSC_6743 (800x533)

スパソ・プレオ・ブレジンスキー教会
DSC_6765 (800x533)

スパソ・プレオ・ブレジンスキー教会付属の神学校
DSC_6769 (800x533)

 アムールスキー通りはハバロフスクに2本ある並木通りの一つで、文化と憩いの公園から駅へと続く美しい道だ。そこからハバロフスク市民の台所の市場を覗いてみる。物が豊富でソ連崩壊のころの状況は嘘のようだ。
DSC_6746 (800x533)

DSC_6747 (800x533)

DSC_6750 (800x533)


6月4日(火) 時差調整-1時間(日本とは0時間)
 朝の8時40分のシベリア鉄道でブリヤート共和国のウラン・ウデを目指す。ハバロフスク⇒ウラン・ウデ間は2884kmと距離も長いので2泊3日の鉄道旅だ。そもそもシベリア鉄道はウラジオストック⇒モスクワ間は9259kmで世界有数の長距離の鉄道である。この鉄道に乗り続ければ6泊7日(下りは時差の関係で7泊8日)でモスクワに到着する。ウラジオストックとモスクワ間の時差は7時間。昨年の8月まではシベリア鉄道の運行管理は全てモスクワ時間で行われていた。従い、ウラジオストックから出発する時間はモスクワ時間で表示、切符の販売も、走行中の車内も全てモスクワ時間。こんな不便なことが実施されていた。

アムール川を渡る 
DSC_6783 (800x533)

DSC_6772 (800x533)

線路わきにあるキロポストはモスクワまでの距離を表示している。
DSC_6788 (800x533)

 途中駅の停車時間は30分あり、駅の構外に出かける。乗客目当ての露天商がしきりに列車内で食べる軽食?を勧める。乗客も食堂車や車内販売より安価なのでこちらを選択。
DSC_6804 (800x533)

DSC_6807 (800x533)

DSC_6799 (533x800)
         
1等寝台の客車 さすがに静かだ 
DSC_6814 (800x533)

3等寝台の客車 プライバシーは無い
DSC_6816 (800x533)

DSC_6817 (800x533)

 車窓の風景は、小高い丘、林、草原、川とほとんど変化はない。ただ林に沈む夕日は非常に美しい。
DSC_6843 (800x533)

DSC_6795 (800x533)

DSC_6796 (800x533)

DSC_6793 (800x533)

DSC_6820 (800x533)

6月5日(水) 
 巨大な凍土、湿原、草原(ステップ)、森林(タイガ)がもう一つの青い天体のように広がっている。黒澤明監督の『デルス・ウザーラ』の世界を彷彿とさせる。目指すウラン・ウデは遊牧民の世界だ。清朝の時代はモンゴルの一大本拠地は当然、モンゴル高原だ。ここは中国の支配下に置かれ続けたが、ブリヤート・モンゴル人のみは境界より北方に遊牧していたため、その規範から免れていた。清朝の官民の悪質な収奪の及ばぬ地にいた。彼らはバイカル湖周辺の広大な草原を自分たちのOLOS(国家)と称していた。
  帝政ロシアの時代、キャフタに運びこまれた茶の中で、紅茶や緑茶といった高級茶は1年以上かけ、サンクトペテルブルグまで運ばれた。値段は茶2kgが馬1頭というほどまで跳ね上がった。
 1727年に結ばれたキャフタ条約により、清国とロシアには本格的なゲートが開き、活発な交易が始まった。ラクダや馬橇に乗せられて茶葉が冬の原野をシベリア、そして遠く、サンクトペテルブルグまで運ばれていった。シルクロードを彷彿とさせるロマンチックな風景を連想させるが、実際は過酷な雪原を行く命がけの旅。今でもモンゴル、新疆、チベットそしてシベリアで愛飲されている磚茶は『万里茶路』が開設された最大の産物だ。
  現代ロシアでは80%以上は紅茶が飲まれている。産地もインド、スリランカ、ケニア等世界中から集められている。日本でロシアンティーと言えば紅茶にジャムを入れて飲むといわれているが、ロシア人に聞けばジャムを入れて飲む習慣はない。ジャムをわきに添えて舐めながら飲む人はいるとのこと。

 途中駅で停車中に食料を調達する。別に買わなくても食堂車で済ますことができるが、節約と好奇心でつい現地の人と同じ行動をとる。買ったのはバナナとパン(ウズベキスタン風ナン)で300円程度であったが、大きすぎて、皆でシェアーする。

DSC_6832 (533x800)

DSC_6826 (800x533)

DSC_6834 (800x533)

列車でロシア人と親しくなる。まるで人形のような子供たちだった。
DSC_6854 (533x800)

DSC_6858 (800x533)

DSC_6859 (800x533)



6月6日(木) 時差調整-1時間(日本とは―2時間)
 朝の8時45分にウラン・ウデに到着。ウラン・ウデはブリヤート共和国の首都である。モンゴル経由で中国に向かう支線の起点でもある。バイカル湖以東のザバイカル地域では数世紀にわたり、チベット仏教が信仰されていたが、公式の宗教として認められたのは18世紀になってからのこと。街を行くモンゴル系の人を見ていると日本人と錯覚しそうである。因みにウラン・ウデからモンゴルまではバスで12時間、鉄道なら24時間かかる。

 ウラン・ウデの駅はブリヤート共和国の首都らしくモンゴル風の建物で、現在改装中であった。この町一番の広さを誇る『レーニン広場』は閑散としていた。また、レーニンの巨大な首の像が有名らしい。

ウラン・ウデ駅
DSC_6867 (800x533)

レーニン広場
DSC_6876 (800x533)

レーニンの首像
DSC_6873 (2) (800x533)

額から頭にかけて似ていると言われた
DSC_6874 (800x533)

ザバイカル民族博物館は、ブリヤート民族ばかりでなくシベリア地方の様々な民族伝統的住居移築した屋外博物館。ブリヤート民族のゲル(テント)、コサックの住居エヴェンキ族のテント、チベット族の寺院や教会などが展示されている。

鹿皮のテント 
DSC_6879 (800x533)

コサックの教会
DSC_6887 (800x533)

シベリア商人の住宅
DSC_6889 (800x533)

  ブリヤート人の聖地イボルギンスキー・タッアン寺はチベット府仏教の総本山である。タッアンとはロシア語でチベット仏教寺院という意味だ。境内には本堂や宿坊、書庫、マニ車などが立ち並んでいる。ブリヤート共和国内にはタッアンと称する寺院はここ以外にもあるらしい。
DSC_6908 (800x533)

DSC_6901 (800x533)

仏教大学の校舎
DSC_6904 (800x533)

  シャーマンセンターでシャーマニズムについて学ぶ。ブリヤート・モンゴル人の神話では祖先は、女シャーマンで3人の男の子を産み、その内の末子オリホンが聖なる湖バイカルのほとりに棲み、湖畔で白鳥が天女に化けて歌うのを見た。やがて天女は羽衣を脱いで水浴を始めたすきに、オリホンは羽衣を盗み彼女を妻とした。この羽衣説話(白鳥処女説話)は古朝鮮や日本の琵琶湖北岸の余呉湖や駿河の田子の浦などにもある。この天女はチンギス汗の孫娘の化身であったという。チンギス汗の孫娘の化身ならこの神話の時代は14世紀ぐらいで、ブリヤート人集団の成立は存外若い。
  シャーマンセンターは工事現場の様な土地に建てられていた。展示物もたいしたことがなく、説明してくれたシャーマンも若くて茶髪でピアスをしていた。チョット期待はずれでがっかりだった。
DSC_6891 (800x533)









コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

Whitedevil

Author:Whitedevil
FC2ブログへようこそ!
2011年秋に完全リタイアー。現在は毎日が日曜日の素浪人。そして地球の何処かを徘徊中。

最新記事
最新コメント
月別アーカイブ
カテゴリ
カレンダー
02 | 2020/03 | 04
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31 - - - -
天気予報

-天気予報コム- -FC2-
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる