15.12.22大船界隈

 年末で賑わっている大船に出かける。と言っても商店街ではなく、ガイドブックにも乗っていないところを重点的に訪れる。西友ストアーを過ぎたところに鎌倉市「景観重要建築物等」に指定されている昭和初期の住宅「小池邸」がある。現在も個人の住宅であり、小池という表札がかかっていた。小池邸から少し、イトーヨーカ堂の方向ら向かう途中にレストラン「ミカサ」がある。ここは松竹大船撮影所が全盛時代に俳優や監督が利用したことで有名。イトーヨーカ堂を過ぎると以前松竹の大船撮影所であったが、今は鎌倉女子大学となっている。

(鎌倉市景観重要建築物小・池邸)
小池邸

(元松竹大船撮影所・鎌倉女子大学)
釜倉女子大

 鎌倉女子大学から岩瀬の方向に20分ほど歩くと大長寺がある。かつては大頂寺と称し、玉縄城主北条綱成が、天文17年(1548)に主君北条氏綱の娘である亡き妻の供養と平和を祈願して創建した浄土宗の寺。小田原北条氏滅亡後、徳川将軍家の保護を受け高い格式を誇った。宝蔵には家康とその父松平秀忠の位牌、家康の像が安置されている。また、寺の石段は家康が駕籠に乗って登ったといわれている。道理で参道も階段も広く立派だった。

(大長寺の山門)
大長寺山門

(家康が駕籠で登ったといわれている石段)
階段

(大長寺の方丈)
方丈

(徳川家の保護を受けていたため葵の紋所)
葵の紋所

 大長寺から20分ほど東南方向に歩くと多門院がある。南介僧都が開山、甘粕氏が開基で天正815799開創といわれている。小さいがよく手入れされおり、静かでなかなか風情がある。境内には「とげぬき地蔵尊」の名で知られる地蔵尊がある。

(多門院方丈)
多門院

(とげぬき地蔵尊)
とげぬき地蔵

 多門院の隣は熊野神社がある。明治の神仏分離までは隣の多門院が別当を務めていたそうだ。寺の横の急な石段を登ると社殿があり、日本武尊を祀っている。神社の境内は無人で静寂そのもの。社殿の前をウロウロしていると突然メロディーが流れて驚く。防犯カメラが作動したようだ。

(熊野神社鳥居)
鳥居

(石段と社殿)
石段

 熊野神社から大船方向に10分ほど歩くと常楽寺がある。鎌倉幕府三代執権北条泰時が妻の母の菩提を弔うため、その基のある場所に建てた「粟船御堂」を前身として、仁治3年(1242)当地に泰時が葬られた時、常楽寺と改めたそうだ。寺号は泰時の法名「常楽寺殿」にちなんでつけられた。この辺りの地名は粟船といい、大船の地名もこれに由来しているそうだ。静寂な参道の先に茅葺の山門があり、境内も非常に良く手入れされている。大きな銀杏の木は途中で朽ち果てているが、そのひこばえが大木となっており、元の木の大きさを感じる。

(常楽寺山門)
常楽寺山門

(常楽寺山門にかかる扁額)
山門にかかる扁額

(常楽寺方丈)
常楽寺方丈

(北条泰時の墓)
北条氏の墓

 「水堰橋」(せいしくばし)は柏尾川の支流小袋谷川にかかる橋で橋柱には「せゐ志くはし」と描かれている。鎌倉幕府を開いた頼朝の軍勢が出入りするとき必ず当地で勢揃いし、隊伍を組んで進み始めたという。このため「勢揃い橋」と呼ばれ、いつしか「せいしく橋」になったとか。

(「せゐ志くはし」と描かれてい石碑)
せいしく橋の石碑

(チョット読みづらいが、「右とつか、左藤さわ」の石碑)
同じく石碑



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No title

身近な処に良いものがあるんですね。
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