19.01.10-21台湾旅日記・その1

 最初に台湾に行ったのは1967年3月だ。当時は蒋介石総統の統治時代で戒厳令下(87年解除)であった。街には「大陸反攻」、「三民主義統一中国」「母忘在莒(故郷を取り戻すことを忘れるな)」というスローガンが至るところに掲げられていた。街を歩いていると突然、防空演習が始まりビルの中に退避させられたこともあった。台湾の金門島では大陸から偶数日に砲弾が撃ち込まれ、台湾からは奇数日に大陸に砲弾を撃ち込む、一種のゲームのような戦いが繰り広げられていた。その後は何度か台湾を訪れたが、直近は2014年4月であった。この年に「ひまわり学生運動」が起こり、民主化の要求が広がった。そして2016年に総統選挙で国民党の馬英九から民主党の蔡英文に政権が変わった。台湾も激動の世紀だ。
 
 東アジアの日本を取り巻く国の中で、台湾は東日本大震災に正式な外交関係のない日本に対し、とびぬけて多い200憶円もの義援金を送ってくれた。それにもかかわらず、日本政府は中国に遠慮したためか、2012年に行われた東日本大震災の追悼式典で、外交関係がないとして台湾を除外した。政府及び外務省の役人のセンスを疑う。


1月10日
台北の松山空港からすぐ近くの新北投温泉到着。ここは半世紀前に訪れたことがある。その時はチャイナドレスの若い女性を各旅館に配達?するバイクがにぎやかに走っていた記憶がある。当時はタイと台湾が行儀の悪い日本男子のユートピアであった所だ。さぞ台湾の人は複雑な気分で眺めていたことと思う。今は全く当時とは異なり、立派な温泉保養地である。ミシュランの三ツ星の観光地だ。あの和倉温泉の加賀谷が支店?を出している。

松山空港、今はほとんどが桃園空港発着
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新北投では大勢の人が足湯を楽しんでいる
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中国人に対し日本のおもてなしを楽しんでもらうことが売り
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日本で言うところの『地獄谷』かDSC_5796 (800x533)

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大正12年、昭和天皇が皇太子の時代にこの地を訪れている
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温泉博物館の畳部屋
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パワーストーンの『北投石』 日本には同様のものとして秋田県の玉川温泉で産出される。
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1月11日
総督府 台北市の中心部にそびえる様に建つ中華民国総統府。竣工は1919年(大正8)3月。今年で丁度100年を迎える。以来、台湾の最高統治機関として君臨。終戦後も機能はそのままで、現在も台湾の最高統治機関として現役の行政庁舎だ。庁舎のシンボルである中央塔は60mの高さがある。建物内部の見学は、日本語ボランティアによる説明を受ける。
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建物の中庭から中央塔を眺める。総統府の建物は上から見ると『日』の字になっているそうだ。中庭から見るとライトが付いている部屋がある。多分、蔡英文総統の部屋か。
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総統の執務机 
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元製薬メーカーのエーザイに勤めていたというボランティアの日本語ガイドによる説明
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 蒋介石が1975年に死去した際に全国民の哀悼の意を表すことを目的とする紀念堂の建設を決定。蒋介石生誕90年に当たる1976年10月31日に起工式が催され、1980年3月31日に完成。蒋介石逝去5周忌の4月4日に併せて落成式が盛大に行われ翌4月5日に一般公開されたたそうだ。当時は大陸の毛沢東(1976年死去)に対し、台湾は蒋介石の時代であった。そして毛沢東の死去に伴い一時代が終焉した。

 毎日午前6時30分に儀仗隊が中正紀念堂に進駐し、午前9時より警護及び毎時交代儀式が行われている。儀仗隊交代式は台湾観光の名物となっている。なお、儀仗隊の交代儀式は、水曜日は午前10時から午後6時まで、それ以外の日は午前10時から午後4時まで、1時間ごとに行われている。何か観光目的以外に感じない。

中正紀念堂(記念堂)
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正門
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蒋介石像
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衛兵が交替し建物に戻る
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丁度、台北市で昼食時となり、『鼎泰豊』の本店で昼食をとる。店の前は席の空くのを待つ人で渋滞。隣の席には日本から修学旅行で台湾にやって来たという高校生の集団。自分の高校生時代と比べ時代は変わったと痛感する。

鼎泰豊の本社ビル
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鼎泰豊前からは『101ビル』が見える
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 食後は台湾の東西南北のほぼ中心の『東埔温泉』に向かう。途中、桃園にある桃園市忠烈祠に立ち寄る。桃園は台北から半時間の距離にある。近くには空の玄関・中山国際空港がある。台北と新竹の中間に位置している。この街には台湾で唯一、本殿と拝殿を擁した神社の遺跡が残っている。勿論、現在は神社としてではなく、桃園忠烈祠と改められている。
 忠烈祠は国民党政府が造営したもので、国軍兵士の英霊を祀る場所として定義されている。さながら台湾版の靖国神社だ。ここは外来政権である国民党が人々に『国民』精神を強要し、国家への忠誠を誓わせた場所。1938年に台湾の人々を日本人に替えようとした『皇民化運動』が推進されていた。その意味からも複雑な歴史を持っている。たまたま、工事改修中で神社の中には入れなかった。

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 桃園から国道1号線と3号線をひたすら南へ。新竹市、苗栗市、台中市、彰化市を過ぎ、東に方向を転じ阿里山系の麓の東埔温泉へ。ここはガイドブックには載っていないと思うが、ひなびた温泉のホテルが数件ある。温泉につく途中に『集集駅』があり、日本の統治時代そのままに保存されている。台湾中部地震で大きな被害を受けたが、ほとんど元の状態に復元されたそうだ。今もレトロ調の駅を見るために大勢の台湾人が訪れる。目をつむると「紙芝居」の拍子木の音が聞こえてきそうな感じだ。

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1月12日
昨日は東埔温泉で久しぶりに日本風の温泉を満喫。ブヌン族の集落はトンボ社と呼ばれていたが、清国統治時代に『東埔』と表記が与えられた。日本統治時代に、甲状腺腫に罹った者が、この湯を飲用するうちに全治したということで、名湯の称号を得た。早朝に温泉街を散歩する。日本のひなびた温泉街そのもの。

温泉街の光景  
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桜が咲いている
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ブーゲンビリアは満開
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 東埔温泉から日月潭に向かう。日月潭は台湾南投県魚池郷に位置する湖。台湾で最も大きな湖である(ダム湖を除く)。湖の北側が太陽(日)の形、南側が月の形をしていることからこう呼ばれる。略称は明潭(みんたん、日と月の合字で明)。途中の路傍に新高山の登山口にあたる道標があり、思わず写真を撮る。新高山は現在、玉山と称する。戦後は国民党政権になり、日本の統治時代のものは極力なくす方針だったが、なぜか残った。

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 そして日月潭にある九族文化村博物館というテーマパークを訪れる。南投県魚池郷に位置する九族文化村は、創立者が台湾の先住民文化を保存し、観光事業の発展と、先祖の張達京氏が先住民たちを慰撫し豊原を開発したことを記念して建設された。1986年7月27日より正式に「九族文化村」の名で、台湾先住民をテーマとした。米国のディズニーランドに匹敵する大・中・小型のアトラクションで毎年百万人以上の来園者数を数え、最高で一年間200万人という歴史的記録も達成している。

日月潭
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少数民族の住居の様子
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少数民族の家の周りには猪の顎の骨が飾られているDSC_5869 (800x533)

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香港の国花『バウヒニア』が咲いていた
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悍な顔の少数民族の土産物店の親父
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ロープウェーから見た日月潭
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 日月潭の南畔の山裾に玄奘寺がある。1965年に建立された唐代風様式の建物。寺院の中には、西遊記で有名な三蔵法師こと玄奘の霊骨が祀られている。玄奘は、長い歳月をかけインドよりたくさんの教典を持ち帰り、仏教の発展に貢献した人物で、インドでの様子を記した石碑も置かれている。寺院の前には、土産物店が軒を連ねる。余談だが、戦前の南京の慈恩寺にあった遺骨を日本軍が持ち去り、埼玉県の慈恩寺に安置した。戦後は中国に返却すべしということで、国交のあった台湾の仏教界に返還した。そのため台湾に遺骨の一部が残る。

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1月13日
 2泊した東埔温泉から阿里山に向かう…阿里山は、鉄道、森林、雲海、日の出と夕霞の五大奇観で有名な山。一帯は国家風景区になっていて、特に阿里山駅から祝山線に乗って見に行く山頂のご来光は、睡眠を犠牲にしてでも見る価値のある絶景だそうだ。「世界三大登山鉄道」のひとつとされる阿里山森林鉄道と阿里山の自然環境は、世界遺産でもおかしくない。残念ながら台湾は国連の加盟国ではないためユネスコに参加できず、阿里山は世界遺産ではない。台湾の悲しいところだ。阿里山系の最高峰が玉山は、戦前は新高山と言われていた。そして当時日本最高峰で富士山より高い3952m。太平洋戦争の発端となった『真珠湾攻撃』の暗号が、『ニイタカヤマノボレ』であったことも有名。新高山は緯度的にハワイ諸島と同じなのでこの暗号が使われたという説がある。写真で見ると富士山と異なり連峰である。

道中は彼岸桜の様な桜が満開だ
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途中、玉山は見えなかったが、それに連なる山が見えた。阿里山や玉山の観光道路が整備されているが、土砂崩れのため交通規制されていた。
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 途中、『夫婦樹』という大木があったが、台風のため夫の大木が倒壊していた。夫人の方の大木は健在であり、現実の社会のようだ。東埔温泉から玉山の登山口に向かう。登山口には国家公園管理局の事務所があり、入山には届け出が必要。管理事務所で玉山のビデオを鑑賞する。これで登った気になり、阿里山に向かう。

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 阿里山にはクマやシカそれに猿が生息している。そして紅檜の大木が鬱蒼と茂っている。阿里山の鉄道駅はさすがに豊かな木材を活用していた。
 阿里山の開発に貢献した『琴山河合博士旌功碑』がある。阿里山の檜は密度が高く、樹齢600~700年の老大樹が多い。切り出された木材は主に日本に運ばれ、東大寺大仏殿の垂木や橿原神宮の拝殿、靖国神社の神門、東福寺の拝殿、三島大社の総門などにも用いられた。

野生の猿
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阿里山駅
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駅舎は木材がふんだんに使用されている
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阿里山の山中
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河合博士の顕彰碑
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神木駅から阿里山駅まで森林鉄道に乗る
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 阿里山から本日の宿泊先の関子嶺温泉に向かう。ここは台湾嘉義市近郊にあって、台南市白河区に位置する温泉。日本統治時代には、草山温泉(現在の陽明山温泉)、北投温泉、四重渓温泉と並び、台湾四大名湯に挙げられた。珍しい泥湯の温泉としても有名。美肌効果もあると言われる温泉はドロドロではなくさらっとした浴感。泥状の沈殿物を顔や体に塗ってパックを楽しむことも可能。おかげで疲れが取れたような気がした。



1月14日
 今日は烏山頭水庫に立ち寄り、その後、一路南の屏東東港を目指す。先ずその前に関子嶺温泉の近くにある『水火同源』という珍しい場所に寄り道。其処は天然ガスが噴出し、おまけに水がわき出ているところだ。

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右奥には天燃ガスが燃えている
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 そして烏山頭水庫へ。台湾南部には広大な平野が広がっている。日本統治以前は、この地は不毛の地であった。降雨に極端な偏りがあり、水利を得にくく、荒野が広がっていたそうだ。日本統治時代に八田與一技師が台湾中部を流れる濁水渓から水を引き、これによって斗六、西螺、虎尾、北港などの地を灌漑した。残りについては、官田渓からの上流に烏山頭ダムを設け、更に曾文渓から2123mの地下水道を設け、1億5千万㎥の貯水をする。これによって、平原の南側に給水した。と資料に記載されている。
 この一大事業は1920年(大正9)に始まり10年の歳月を要した。この『嘉南大圳』によって台湾南部は一大農業地帯となった。

 余談だが、八田は昭和17年に同様の土木工事で、フィリピンへ向かう途中、船が米軍の魚雷攻撃により沈没、絶命。現在、烏山頭ダムを見渡せる高台に八田技師の銅像が置かれている。これは戦後、国民党政府による破壊を免れるため、30年にもわたって倉庫に隠されていたそうだ。彼の奥さんも、彼の死を悲しみ、烏山頭ダムで入水している。残念な話しだ。

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記念館横のダム湖
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八田與一の社宅が復元されている
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庭は夫人の像
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庭のバナナ
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官舎の茶の間
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官舎の書斎
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八田與一の像は作業着姿で座り込み烏山頭水庫を眺めている。正装していないのが彼らしい感じがし好もしい。
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八田の目の先には鵜山東ダムが広がる
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ダム建設で使用した機関車
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 ダムの湖畔にはこの工事でなくなった人たちの慰霊碑がある。130数名の名が死亡した順に名が刻まれている。台湾人や高砂族、日本人の区別なく公平なのが好ましい。毎年5月の竣工式のあった日に慰霊祭が行われる。八田與一が台湾人から愛されているのはこのようなことか。

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 烏山頭水庫から台南市の鎮安堂に立ち寄る。鎮安堂は飛虎将軍廟(正式名称:鎮安堂飛虎将軍廟)と呼ばれ、台湾台南市安南区同安路127号にある民間信仰の廟で日本軍人が神として祀られている。日本の軍人がこのように祀られているのはちょっとした驚きだった。大陸の中国では考えられない。

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 さらに南下し、NHKのグレートネイチャーで放送された『月世界』というところに立ち寄る。其処は台南市の南部にある田寮というところにある。台湾人に聞いても知らないという答えが返ってきた。来て見て分かったことだが、この程度の山岳地形は中央アジアに行けば、万とあると思う。チョットがっかりだ。

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 月世界から屏東市の竹田に寄り道。ここは日本統治時代の鉄道駅があり、今もレトロな駅舎が残っている。また、すぐそばには池上文庫という図書館がある。ここは戦前池上博士が軍医として駐在していたところで、戦後も足しげく通われ日台の文化交流に尽くされた人。建物には『亜細亜最南端の日文図書館』と記されていた。

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 今日の最終目的地の屏東東港だが、そもそも屏東は『帝国最南端の都市』と言われた。南国情緒あふれる都市で、ヤシが街路樹として植えられた。随所にガジュマルやマンゴー、龍眼などがみられる。
 かつて東港は中国大陸と交易で栄えたが、高雄港の整備で衰退した街でもある。夕刻に到着したので、東港の魚市場に立ち寄る。これまでは山の中の温泉地であったので、新鮮な魚介類を満喫した。



1月15日
 今日は東港から小琉球に向かう。東港の沖合15kmの位置にある孤島。航海上の要衝で欧米人はランベイ島の呼称を用いていた。美しい隆起サンゴ礁の島で『琉球龍宮』などという美称も存在した。島全体がサンゴ礁でできている。
 何よりも素晴らしいのは望海亭から崖下を見るとアオウミガメが悠々と泳いでいるのが望見できる。

このようなチッポケなフェリーで向かう
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有名な花瓶岩
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ウミガメが泳いでいるのが見える
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島の中には無理やり作ったと思われる観光名所がある
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さすがに南国なので、ガジュマルの大木が至る所に生えている
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多分漁業を生業にしている人が多いのか、お寺には若い熱心な信者を多く見かけた。
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2011年秋に完全リタイアー。現在は毎日が日曜日の素浪人。そして地球の何処かを徘徊中。

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