シルクロード紀行(その7)

アドリア海に浮かぶステファン島
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5月15日(火)晴れ
 今日は一日中、クロアチアのドブロクニクで過ごす。この町の旧市街は1979年に世界遺産として登録され、『アドリア海の真珠』とも称せられた美しい町。この町の起源も古くはローマ時代から、ビザンチン帝国時代に保護領となり、その後ベネチアの保護領となった。小国のため、オスマン帝国やオーストリア・ハンガリー帝国の支配をうけた。また、ユーゴスラビア時代を経て独立後にセルビアのユーゴスラビア人民軍によって攻撃された。旧市街は、内戦前は5500人いた住民は現在1500人と言われている。旧市街にはミサイルが当たったが幸い不発弾で事なきを得たこともあったらしい

旧市街は城壁に囲まれている。城壁は上に登り一周できる。約20ユーロ也、高い!DSC_4639 (800x533)

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 とりあえずホテルからロープウェイに乗り高さ415mのスルジュ山頂に登る。頂上には石で造られた十字架がある。内戦時には破壊されたが、現在は修復されている。

山頂から旧市街が一望DSC_4653 (800x533)

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山頂に建てられた十字架
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聖ブレイズ、フランシスコ会修道院とその内部DSC_4683 (800x533)

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旧市街のメインロード プラッツア通りDSC_4681 (800x533)

マリン・ドウㇽジッチ広場DSC_4684 (800x533)

ドブロクニク・カテドラルDSC_4691 (800x533)

内戦時にミサイルが命中、幸い不発弾だったDSC_4667 (800x533)

ドブロクニクの旧市街は路地の街でもある、そこには生活の匂いがする
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クロアチアはネクタイ発祥の地である。ネクタイの博物館があったDSC_4687 (800x533)

 ドブロクニクは日本と異なり石の街だ。従い耐用年数が長く、1000年経っても変わらないところがある。木と石とどちらがいいか、難しい。





5月16日(水)晴れ
 今日は480km北西のクロアチアの国立公園で世界自然遺産のブリトビチェを目指す。左に美しいアドリア海を眺眼ながら進む。
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 1時間ほど走ったところでクロアチアとボスニアヘルツェゴビナの国境に着く。ここの国境通過は日本人ということで簡単に通過。ボスニアヘルツェゴビナはアドリア海に面した領土は9kmばかり、ここがなければ内陸国だ。

クロアチア側DSC_4711 (800x533) (2)

ボスニアヘルツェゴビナ側DSC_4712 (800x533) (2)

 あっという間にボスニアの領土は終了。再びクロアチアに入国。今度は通過にパスポートのチェックもなかった。随分いい加減なものだ。しかし、クロアチアはシェンゲン条約に加盟していないのに・・・。元はどちらもユーゴスラビアの国、しかし20年前には内戦があり、お互いなんかわだかまりがあるかもと心配する。以前、旧ユーゴスラビアの国々に旅行したことがあるが、民族、人種、宗教がそれぞれ異なり、様々な組み合わせの人々を一つにまとめた、故チトーは偉大だったと、旧ユーゴの人達も思っているだろう。

再びクロアチアに入国
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再びクロアチアを走ると、今度は湖や、運河のような風景に出会う。絶景!
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 昼前にスプリットの町に着く。ここはギリシャ時代から栄えた町だが、4世紀ローマ時代のデオクレアヌス帝が引退し隠居した町である。彼はいろいろな改革をしたにもかかわらず、キリスト教徒を弾圧したことでヨーロッパの人(特にキリスト教徒)にとっては、あまり評判は良くない。彼の跡を継いだコンスタンチヌㇲ帝はキリスト教の国教化を図ったことで逆に賢帝と称えられる。皮肉なものだ。
 スプリプトの町は世界遺産である。デオクレアニス帝の宮殿や街が往時を偲ばせてくれる。宮殿の地下(当時は1階)は元は倉庫になっていたようだ。海から直接、食料やワインなど運び貯蔵した。また、オリーブ油の製造もしていたようだ。

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建設当時の様子
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地下倉庫(元は地上の倉庫)の様子
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オリーブ油を搾る石臼DSC_4738 (800x533)

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油は上から流れてくるDSC_4733 (800x533)

中世になると教会を中心に大きな町となった
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 街は17世紀にオスマントルコから防衛するための城塞がある。現在はその城壁を利用し住宅や民泊用の施設になっている。港にはクルーズの船が停泊しており、ドブロクニクほどではないが、観光地として賑わっていた。街から少し離れたところには円形劇場や水道橋が今も残っている。
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街の中心に教会の鐘楼がある。中世の街の道路は狭く、軒を連ねている。
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 鐘楼(入場料約3ユーロ)に登ると街を一望できた。クロアチアに来て思うが、鎌倉市のお寺と比較すると入場料が高く感じられる。最も現地通貨のクーネで要求されるが、両替をしていないため、ユーロで支払う。公共トイレも1ユーロ要求された。

鐘楼からの眺めは抜群
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 ユーゴスラビアの解体で、ユーゴを構成していた国や民族の特徴をスロベニア人に聞いたところ、ムスリムは頭が固く融通が利かない。セルビア人は民族浄化を掲げて内戦を始めたミロシェビッチの印象が強い。クロアチア人はセコイ。モンテネグロ人は怠け者。マケドニア人はヒトがいい。という感想であった。
 スプリットの町から北のプリトビチェを目指す。約3時間で到着。5400mの長いトンネルを通過したあたりから明らかに気温は下がった。道路標識も「鹿に注意」や「熊に注意」とあった。途中の風景も素晴らしい。

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5月17日(木)晴れ
 今日の午前中は世界遺産『プリトヴィツェ湖群国立公園』のトレッキングである。ここは1979年に世界遺産に指定された。16の湖と92の滝がエメラルドグリーンの幻想的な景観を作り出している。一帯の地質は主に白雲岩と石灰岩のカルストからなり、このことが際立って特徴的な景観が生まれる素因となっているそうだ。丁度、中国の世界遺産『九寨溝』によく似ている。今回の旅行ではシルクロードやイグナチオ街道など『道』にこだわった史跡巡りが中心で、トレッキングの様なものがなかったので良い気分転換になった。と言っても高々4時間半であったが。

 プリトヴィツェ湖群国立公園は秋の紅葉のシーズンは最高だろうと思う、春の新緑も美しい。水量は十分だった。2度ばかり渡し船の様な船に乗り、対岸に渡る。野鳥の鳴き声を聞きながら整備された木道を歩く。

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落差78mの滝
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国立公園のボラティアガイドと
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 午後からクロアチアの国境を越えスロベニアの首都リュブリャナを目指す。スロベニアとの国境も比較的簡単。しかし、我々の前には大型観光バスのアジア人団体の入国で時間を取られ、結局30分ほど待たされた。
 
 スロベニアはヨーロッパアルプスの南端に位置する国で、1991年にユーゴスラビアからいち早く独立を果たしている。人口はおよそ200万人。首都はリュブリャナ。首都と言っても人口30万人程度の小さな町。オーストリア・ハンガリー帝国の支配下にあったため、ミニ・ウイーンのような町。泊まったホテルのティールームにオーストリア・ハンガリー帝国のフランツ・ヨーゼフ1世の皇后エリザベートの肖像画があった。勿論本物。オーストリア政府から返還して欲しいとの要請があるらしい。ホテルの宿泊者には、秋篠宮夫妻、エリザベス女王、クリントン大統領夫妻と娘のチェルシー等が泊まったという。夕食はホテルの近くの『スシママ』という店で寿司と刺身を食べる。2か月ぶりの日本食、感激!

エリザベートの肖像画DSC_4859 (800x533)

 旧ユーゴスラビアから独立した国の中では一番ヨーロッパ的と感じた。また、独立に際しても10日間だけの戦闘で済んだようだ。従い、町そのものが美しい。





5月18日(金)晴れ
 午前中はリュブリャナの街を散策。この町は緯度的には北海道の稚内あたりに相当する。北にはアルプスがそびえる。1時間程度でウイーンに着くという。オーストリア・ハンガリー帝国の面影があり、歩いて回れるサイズの街。また、建物はアールヌーボ調のものが多い。丘の上に目を向ければリュブリャナ城が目につく。お城まではケーブルカーがあるようだ。

リュブリャナ城
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泊まったホテル
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街のシンボル3本橋
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川沿いにある魚市場は大きくはないが商品は豊富で清潔
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広場のバザール サクランボやネクタリンが旬のようだ
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アールヌーボ調の建物、高い建物がなく統一されて美しい、もちろん電柱などはない
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 アメリカのトランプ大統領のファーストレディ、メラニヤさんはスロベニアの出身。母親が縫子さんをしていた時に、メラニヤさんが子供服のモデルになったそうだ。その後はシンデレラストーリーのような人生。しかし、トランプ大統領はスロベニアでは人気がない。従い、メラニヤさんに対してもいい印象はないらしい。
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 1946年にチトーはこの建物(現在はリュブリャナ大学)のバルコニーでユーゴスラビア社会主義連邦共和国の建国を宣言した。
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 リュブリャナ市内観光の後、ヨーロッパ最大の『ボスイトナ鍾乳洞』の見学に向かう。市内から1時間ほどの距離だ。 鍾乳洞はピウカ川の透明な水が何百万年もの歳月をかけて石灰岩を削り、不思議な色と形をした全長21kmにも及ぶ鍾乳洞を形成して出来上がった。見学は地下の洞窟中心まで約2kmをトロッコ列車に乗って進む。そこからは徒歩で1.5km、その後は往路とは違った道を約2kmトロッコ列車で戻る。洞窟内は摂氏10度ということで、1時間以上洞内にいると体の芯まで冷える。

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 ボスイトナ鍾乳洞の見学を終え、スロベニアの国境を越え、イタリアへ。かつての西ローマ帝国の首都ラヴェンナを目指す。380kmの行程。






5月19日(土)晴れ
 今日は折角のラヴェンナなので一日観光する。元々ラヴェンナはローマ帝国崩壊後、6世紀に東ローマ帝国のユスティアヌス皇帝が外征でローマ帝国時代の旧領を取り戻し、都をローマからラヴェンナに移し、西ローマ帝国の首都とした。そのためラヴェンナの街はビザンチンの影響を受けた建物や文化が多く残っている。

ホテルから歩いたところに『ポポロ広場』がある。ここはベネチアが支配していた時代の広場でポポロとはpeopleの意味。ギリシャ・ローマの時代からヨーロッパは「市民」というべき意識があり民主主義の根幹をなしていると思う。ポポロ広場の隣に6世紀前半に建設されたサンビターレ教会がある。ここのモザイク画は一見の価値がある。

ポポロ広場 奥の建物は市役所
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サンビターレ教会
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 サンビターレ教会は、外見は簡素な建物だが、内部のモザイクが素晴らしい。教会がキリスト教を布教する際、当時は識字率が低かったため、絵による説明が必要だった。そのためモザイク画が発達したのだろう。

 八角形の建物の中は見事なモザイク画がある。『8』はキリスト教では縁起のいい数字らしい。8を横向けると無限大(∞)となり、永遠の意味を持つ。
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 サンビターレ教会の敷地内に『ガッラ・ブラキディア霊廟』がある。ガッラ・ブラキディア霊廟は5世紀に既に建設された。こちらは霊廟で墓である。こちらも外見は簡素だが、中は豪華なモザイク画で装飾されている。
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 ラヴェンナのサン・フランチェスコ聖堂は、9世紀後期ローマ時代のスタイルで建てられた。モザイクの床を持つ水没した暗渠のために聖壇の下は池のようである。
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 サンタポリナーレ・ヌオヴォ聖堂は、美しいモザイク画が残ることで有名。信者の洗礼に使われた洗礼盤と洗礼を施す台が残っている。大きな洗礼盤は、さながら日本の初詣の神社の賽銭箱のような気がした。

サンタポリナーレ・ヌオヴォ聖堂
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聖母マリアの絵
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キリストの絵
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洗礼盤は巨大な賽銭箱の様、殆ど10、5、1セント
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洗礼を施す台
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 ダンテは政治信条によりフィレンツェから追われ、ラヴェンナで晩年を過ごした。ラヴェンナもダンテを保護したことも有名な話。そして有名な『新曲』をこのラヴェンナで書き上げた。今でも、イタリアは国語の時間に必ずダンテの新曲を学ぶそうだ。ダンテの墓はラヴェンナの聖フランチェスコ聖堂のすぐ横にある。余談だが、当時のラテン語は小文字がなかった。従い全て大文字、さぞかし読みづらかったと思う。

ダンテ(1265年- 1321年9月14日)の墓
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ランプの油は生地フィレンツェから毎年贈られる。また、フィレンツェから遺体の返還を求められているそうだ。
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ラヴェンナの街を歩いていると有名人の名前を通りの名前にしているものがある

ダンテ通り
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ボッカチオ(デカメロンの作家)通り
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 後3年で『ダンテ没後700年』を迎えるラヴェンナの町は今ダンテの関係のイベントが目白押しのようで。ポスターを多く見かけた。
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ラヴェンナも今日一日限り、明日はいよいよ最終ゴール地点のローマを目指す。







5月20日(日)晴れ
 今日はラヴェンナからシルクロードの旅の最終ゴール地点であるローマを目指す。370kmの行程。とりあえず2時間ばかり走ったところにルビコン川がある。

 カエサルは紀元前49年にローマの辺境の地、ガリアへ総督として赴く。これは、次々と改革を行なうカエサルを、ローマの支配層が疎んじた結果の左遷だったという話もある。 それでもカエサルはきっちり仕事をしてガリアを平定。 名指導者の勢いは止めることができない。勝利したカエサルは軍を伴ってローマを目指す。ローマに入るには武装解除をすることが習わしで、それを無視すれば、すなわち共和国に対する反逆とみなされた。しかしカエサルはポンペゥスのクーデターの噂に接し、武装解除せず、ルビコン川を渡ってローマに凱旋した。その際、賽は投げられたといったと伝えられている。後年、『ルビコン川を渡る』と『賽は投げられた』という言葉は、その後の運命を決め後戻りのできないような重大な決断・行動の表現として使われている。ルビコン川の実物を見てチッポケ過ぎてチョットがっかりだった。多分2000年前は大河だったと思う。

ルビコン川にかかる橋
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ルビコン川はこんなに小さい
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橋のたもとにある標識
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橋を渡ったところの標識
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 橋の標識にaC49となっているが、一般的には紀元前はBC、紀元後はADと表示される。aCとはイタリア語で「アバンテ クリスト」というらしい。遺蹟などがどうして紀元前の年代がわかるのか疑問に思っていたが、当時の煉瓦はローマ人2名の執政官の名前が刻印されているからだということらしい。

ルビコン川にかかる橋
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川のそばにある掲示板にはかつての資料が掲示されていた
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カエサルの銅像
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 ルビコン川から再び、フラミ二ア街道を走りローマを目指す。フラミ二ア街道の終点はローマのポポロ門(people gate)である。そこにはポポロ広場が広がっている。都市の門や広場の名前からもギリシャ・ローマ時代から普遍的な価値として民主主義が存在していたような気がする。

 夕刻無事にポポロ門に到着。同行者と無事にシルクロードを走破したことを祝い、シャンパンで乾杯となる。いつもならアルコールは飲まないが、今日ばかりは勢いで乾杯した。

ポポロ門
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内側から見たポポロ門
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ポポロ門の先は立派な教会があった
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5月21日(火)晴れ
 今日は一日、ローマ観光で過ごす。先ず、定番のバチカン観光。バチカンを国と理解すればシルクロードの旅では16番目の国になる。博物館とシステナ礼拝堂の入場券は17ユーロ、それに予約料4ユーロを加えれば21ユーロとなる。非常に高い。ローマはそれ以外にコロッセオとフォロロマーナの入場料も必要だ。つくづくヨーロッパは物価が高い。

 バチカンに予約をしているが、予約者の列が延々と並んでいる。これだけでも30分以上並ばされた。もし予約をしていなくてチケットを購入しようとすれば2時間近く並ばないといけないのではと思う。

バチカンの博物館に入場するため、延々と並ばされる 
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 博物館の展示品は、時の権力者(勿論、教会関係者も含む)が所有しているものを自慢のために展示したのが始まり。その後はだんだん増築し、展示スペースを増やしていった。

展示品は主にギリシャ時代の彫刻やエジプトからの戦利品が多く見られた
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 ギリシャの八百万の神も展示品としては多くみられた。キリスト教の一神教では都合が悪いのではと思うが、ギリシャの神々ではなく単なる美術彫刻として理解したのだろう。

ソクラテスの像、チョット醜男 
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博物館内は、人、人、人でいっぱい
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聖ペテロの逆さ吊りのレリーフ
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キリストの死を嘆くマリア像
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システナ礼拝堂のドームの部分 
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色大理石をふんだんに使った彫刻
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 システナ礼拝堂を出れば中世そのままのスイス人の傭兵が警護している。広場には魔法使いの様な老婆の物乞いがいた。
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 宗教は神の前では平等とか、愛とかきれいごとを言う。そして、こんなに高い入場料を取っている。観光産業と宗教は別なのか、この老婆を何とかしてやれないのかと疑問に感じる。

システナ礼拝堂
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法皇を選ぶ『コンクラーベ』で決定した時、三角形の屋根に臨時の煙突を立て黒煙で知らせる
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テロの警戒のため警備は厳重 
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凱旋門前は人が大勢
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 コロッセオは人が大勢いる。ここも予約しているが、かなり並ばされる。土日ならいざ知らず、今日は月曜日。イタリアは世界遺産が最多の国なので仕方がないのかも。

コロッセオ 
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 ローマのマンホールや排水溝には『SPQR』の標示がある。これは「Senatus Populus que Romanus」(ローマの元老院と人民)という意味らしい。凱旋門の上にも表示がある。
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 コロッセオの隣はフォロロマーナの丘がある。ここは宮殿や元老院の建物があった遺跡だ。カエサルが火葬された遺跡もある。
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 今までは比較的マイナーな遺跡ばかりを巡っていたが、今日は人が多くいつもと違い非常に疲れた。
 明日は日本に向けて出発だ。





5月22日(火)晴れ
 朝7時に食事、7時半にホテルを出発する。約1時間でレオナルド・ダビンチ空港に到着。10時20分発のKLM1598便アムステルダム行きに、ひと先ず搭乗、2時間40分のフライト。アムステルダムのスキポール空港で乗り継ぎ14時40分発のKLM861便東京成田行きに登場する。スキポール空港は成田や関空のように一方通行になっていないため、搭乗口に行くのがわかりづらい。乗り換え時間が少なければチョット焦るかもしれない。

 同行の一人のYさんはローマでもう1泊しナポリから帆船クルーズで更に10日ほど旅行を続けるそうだ。気力、体力、資金力に脱帽。昨夜はローマ最後の晩で遅くまで皆で盛り上がっていたので、旅の疲れと睡眠不足でアムステルダムまでは爆睡。

ローマのホテル
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共和国広場前の喫茶スペース
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ローマ⇒アムステルダム
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アムステルダム⇒東京成田
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5月23日(水)曇
 アムステルダムから11時間のフライト午前9時に成田に到着。自宅に電話して昼食にうどんを所望。元気で帰国できたのが何より。 自宅近くのアジサイが見ごろとなっていたのに驚く。出発したころは桜が満開だったのに。



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