シルクロード紀行(その6)

ボスポラス海峡から見たガラタ橋DSC_4251 (800x533)


5月8日(火)曇
 折角のイスタンブール、今日は一日観光する。先ず、フェリーに乗りヨーロッパ側に移動。ホテルはフェリー乗り場までは徒歩ですぐの位置にある。フェリーに乗るとものの10分くらいでヨーロッパ側に到着。天気の加減でデッキに出ていると少々寒い。ヨーロッパ側の景色はアヤソフィアやブルーモスク、トプカプ宮殿などがよく見える。

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4本のミナレットのアヤソフィア DSC_4240 (800x533)

6本のミナレットのブルーモスク 
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 港の近くには『オリエント急行殺人事件』の舞台となった、オリエントエキスプレスの終着駅であるイスタンブール駅がある。少々ミーハーだが、レストランに入り雰囲気を楽しむ。アガサクリスティーの肖像写真などが展示されている。古き良き時代。
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 イスタンブールはボスポラス海峡を挟んでヨーロッパとアジアにまたがるトルコの大都市だ。午前中はボイポラス海峡のクルージング。アジア側にも、ヨーロッパ側にも素晴らしい光景が広がる。都合、3本の橋をくぐり黒海近くまで進む。DSC_4270 (800x533)

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橋の架かっている所は海峡の狭いところなので嘗ての砦がったDSC_4275 (800x533)

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 ヨーロッパ側でクルーズ船を降りる。東ローマ帝国時代の要塞と城壁が残っているので車窓より見学。1453年にオスマントルコのメフメト2世によりコンスタンチノープルが陥落した。その時の城塞や城壁が残っている。城壁は400年代と600年代のものらしい。然し、度重なる地震などで痛みが激しい。

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 この城壁の中にかつての『イグナチオ街道』の出発の『金の門』があるということで探す。件の門は、お掘りの中側にあり、掘りを渡る橋は既になかった。そして橋を渡ったところは墓地になっていた。罰当たりなことだが、墓の上を土足で歩き写真スポットを探す。

 特に標識もないので『イグナチオ街道』の出発の門ということはわかりにくい。お墓の向こうは金網でシャットアウト。DSC_4308 (800x533)

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 市内に戻った所で『エジプトバザール』を覗いてみる。『グランドバザール』と比べここは観光用でなく庶民の生活用だ。東京のアメ横の様な気がした。DSC_4319 (800x533)

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バザールの入り口は今でもコンスタンチノープル時代の銅板の扉が健在DSC_4322 (533x800)

 バザールから路面電車に乗ってアヤソフィアに向かう。アヤソフィアは、かつて東ローマ帝国時代の西暦360年に建設された。キリスト教の総主教座が置かれ、オスマン帝国時代には帝国内で最も高い格式を誇るイスラムモスクとして利用された歴史ある建造物 の一つ。世界遺産「イスタンブールの歴史地区」として登録されている。

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 このモスクも修復中であった。さらに最大のモスクであるブルーモスクも改装中で見学はかなわなかった。帰り道に『ガラタ橋』の「サバサンド」を食べる。DSC_4344 (800x533)

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 ガラタ橋からイスタンブールの歴史地区を眺めるとイスタンブールの活気を感じる。帰路はボスポラス海峡の海底トンネルを走る地下鉄を利用する。DSC_4347 (800x533)

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 モスクの全容DSC_4368 (800x533)

モスクの入り口DSC_4367 (800x533)

モスクに至る門DSC_4363 (800x533)

モスクの内部DSC_4370 (800x533)

オスマントルコ時代の水道橋DSC_4357 (800x533)

至る所にオスマン時代の遺跡があるDSC_4360 (800x533)

国境の町イプサラまでは延々と穀倉地帯を走るDSC_4373 (800x533)

トルコの食料自給率は問題なしDSC_4375 (800x533)

 国境の出入国手続きは特に面倒なことはない。トルコ側で同行の人が荷物を検査されたが、これもおざなりで、ポーズだけ。国境の警備もいい加減。一方、入国するギリシャ側はもっといい加減な感じがした。トルコとギリシャの国境に川が流れている。この橋が両国の緩衝地帯となっている。面白いのは、橋の欄干が国旗の色でよくわかる。トルコ側は赤色、ギリシャ側は青色だ。

トルコ側の国境検問所DSC_4381 (800x533)

パスポートのチェック後スタンプを押されるDSC_4380 (800x533)
 
トルコ側DSC_4383 (800x533)

ギリシャ側DSC_4384 (800x533)

ギリシャ側のパスポートチェックDSC_4385 (800x533)

ギリシャ側の税関DSC_4386 (800x533)

 国境を無事通過し、200km先のカヴァラに向けてしばらく走ると左側にマルマラ海が見える。2時間近く走るとエーゲ海に浮かぶサモトラケ島が良く見える。この島で現在ルーブル美術館に収蔵されている勝利の神『ニケ』の像が1863年に発見された。いうまでもなく、スポーツ用品メーカー『ナイキ』のロゴになっている。夕刻ホテルに到着したが、ホテルの前は海で、眼前に似た名前のサモサス島が良く見える。この島にある城壁はすべて大理石でできているそうだ。言い換えれば島には普通の岩がなくすべて大理石ということ。

 カヴァラの町はオスマン帝国時代の水道橋がある。その行き着くところは高台の城塞。この城塞はホテルの窓から良く見えた。風景だけで少しリッチな気分らなる。DSC_4388 (800x533)

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 今日から本格的にヨーロッパの世界に入った。






5月10日(木)曇時々雨
 カブァラから260km西のギリシャ第二の都市テッサロニキに向かう。ギリシャの中央マケドニアの首都である。ギリシャの隣国にもマケドニア共和国があるが、ギリシャは名称を使うことを認めていない。日本は国連と同様にFVROM(マケドニア旧ユーゴスラビア共和国)で国家承認を行っており、行政公文書における日本語の表記は「マケドニア旧ユーゴスラビア共和国」となる。バルカン半島は昔からなかなか難しい。
  途中、フィリペ遺跡に立ち寄る。オリンピア遺跡にあるイオニア式の円形建築物(トロス)であり、古代において最も優美な建築物のひとつである。紀元前338年にカイロネイアの戦いに勝利したフィリッポス2世(アレキサンダー大王の父)が、その記念にゼウスの聖域の中で唯一の円形建築物を作る。これはマケドニア王国がギリシヤの覇権を握ったことを示す意味もあった。しかし、フィリッポス2世の治世では完成させることができなかった。フィリペイオンという名称もフィリッポス2世に由来している。
また、ここは聖パウロがヨーロッパで最初に布教を始めたところでもある。そのため巡礼者が多く、ホテルにはアメリカから来た老人信者で満員であった。街のはずれにはローマ時代の城壁が残っており、それなりの雰囲気のある町だった。

遺跡は世界遺産DSC_4395 (800x533)

円形劇場の跡DSC_4399 (800x533)

聖パウロ教会の跡DSC_4400 (800x533)

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VIA EGNATIA とラテン文字が読めるDSC_4411 (800x533)

イグナティア街道の跡DSC_4410 (800x533)

 4世紀ごろに建設された劇場跡の真ん中で手をたたくと反響することがわかる。音響効果を考えて作られている。劇場はその後、剣闘士の会場としても使用されたという。
 聖パウロの教会は5~6世紀のものらしい。パウロがユダヤ教徒たちに迫害され閉じ込められた牢獄があった。こんなものは後から適当に作ったのかもしれないと、ひねくれて考えてしまう。鎌倉にも日蓮受難の牢屋とかいろいろ、うさん臭い旧跡がある。

聖パウロの牢獄DSC_4405 (800x533)

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 今日はギリシャのホテルの朝食ビュッフェで久しぶりにベーコンを見た。4月12日に中国からカザフスタンに入国して以来と思う。イスラム圏から自由になったとつくづく思う。漢字からキリル文字、ペルシャ文字、ドイツ語の様なトルコ文字と変わってきたが、今はまたキリル文字となった。読めそうで読めないのが残念だ。





5月11日(金)晴れ
 今日は一日、テッサロニキで過ごす。先ず、25km郊外のペラの遺跡に行く。かの有名なアレクサンダー大王の生誕の地でもある、古代マケドニアの首都。現在は小さな村だが、そのはずれに素晴らしいモザイク画や発掘品を保存する博物館が建っている。

遺跡の発掘場所DSC_4424 (800x533)

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2300年前のモザイク画の床が残されているDSC_4428 (800x533)

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 ペラはアレキサンダー大王が生まれ育った都だが,大王が死に,主権が大王の将軍だったカッサンドロスに移ると,カッサンドロスはテッサロニキを造って都を移した。BC4世紀のことだ。テッサロニキはビザンチン帝国の時代にはコンスタンチノープルに次ぐ帝国第2の都市として栄えた。オスマントルコの時代を経て,ギリシャ独立に至り,現在もギリシャ第2の都市として北部ギリシャの中心となっている。

 ペラ遺跡の北に博物館がある。こちらもペラ遺跡から発掘されたモザイク画などが展示されていた。当時の鎧や兜を見ていると随分小柄な体型と思われた。
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 ペラから西にあるヴェルキナ遺跡に向かう。ここには紀元前400年前後のアレキサンダー大王の父、フェリッブ2世の墓があり博物館になっている。そして世界遺産でもある。外から眺めると日本の古墳のようだ。古代の王たちの墓は、ほとんどが盗掘されているが、ここは無事だったようだ。博物館内の写真撮影はNG。

世界遺産の表示DSC_4452 (800x533)
 
日本の古墳のようだDSC_4449 (800x533)

 古墳の下に博物館があり、その中にフェリッブ2世の墓がある。そして前室の扉が展示されている。勿論空調は別でガラスで仕切られ、発掘当時の状態(温度、湿度)が保たれている。扉の上には鮮やかな色彩で様々な神が描かれている。模型で見ると全室の奥に棺室がある。副葬品は金や銀で細工されたものが多く、当時が偲ばれる。展示品のフェリッブ2世の脛あてや兜、衣装など見ていると足が不自由だったことや身長が150cm程度であったことがわかる。さすが世界遺産と思った。

 時間があったのでテッサロニキに戻り、市内を見学。市内の海に面したところにローマ時代の見張塔・ホワイトタワーがあった。また、その塔には山から続く城塞の一部つながっているようだった。

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 海辺にはこの地の英雄アレキサンダー大王の馬上の銅像があった。同じような銅像はペラの町にもあった。銅像を見てわかるが、ギリシャ時代には鞍や鐙がなく裸馬の状態で乗っていた。片手で手綱を持ちもう一方の手で剣を持って戦った。道理で剣は短い。

海辺の像DSC_4459 (800x533)

ペラの像DSC_4448 (800x533)

 最後に、「アギオス・ディミトリオス教会」を見学。ギリシャでは最大級の教会とか。ガリウス帝に処刑された聖ディミトリオスが祭られている教会。中に入ると天井の高さと聖人たちの絵画の荘厳な雰囲気で心が洗われるよう。この教会は1917年に街全体が大火災に合い、一度全焼をしたと言われている。それから信心深い人々の力で1926年から1948年の長い年月をかけて再建された。

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 テッサロニキに昨日、今日と2泊するのでYシャツをクリーニングしようとホテルの価格表を見ると1枚9ユーロだ。中東からヨーロッパに来るとホテル価格なのか随分物価が高いと感じる。ローマに近づくともっと高くなるだろう。これからは節約し自分で洗濯、そしてアイロンを借りるようにしよう。





5月12日(土)晴れ
 テッサロニキを出発し一路西北にマケドニアとの国境の町二キに向かう。180kmの距離。途中はギリシャの穀倉地帯を走る。国境近くになるとマケドニアの冠雪した山が見える。標高が高いことがわかる。道中、ワインロードや考古学ロードとの表示もあった。

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 ギリシャからマケドニアの出入国は簡単だった。パスポートのチェックのみで荷物検査はない。マケドニアは1991年ユーゴスラビアから独立した際にアレキサンダー大王ゆかりの古代王国から『マケドニア』を国名とした。隣国ギリシャは『マケドニア』の国名使用に異議を唱えて、マケドニアの悲願NATOとEUの加盟を阻止している。国連ではFVROM(マケドニア旧ユーゴスラビア共和国)で国家承認を行っている。今年中にマケドニアは国民投票を実施し、国名と国旗の変更を行い、ギリシャとの問題を解決し、悲願のNATOとEUの加盟を達成しようとしている。

ギリシャとマケドニアのイミグレーション ほとんど人はいなかったDSC_4477 (800x533)

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 国境から90km先のマケドニアのオフリドを目指す。オフリドはバルカン半島の大湖、オフリド湖のほとりにあり、かつては市内に365もの教会があり、マケドニアのエルサレムと呼ばれた時代があったそうだ。10世紀末から11世紀にかけて、ブルガリア 帝国の首都であった。現在でもマケドニア正教会の大主教座が置かれている。1979年から1980年にかけて、オフリドとオフリド湖はともに『オフリド地域の自然・文化遺産』の名でユネスコの世界遺産リストに登録された。

湖畔には白鳥がDSC_4483 (800x533)

山の上には要塞が見えるDSC_4486 (800x533)

湖から『聖ヨハン・カネヨ教会』が見える。DSC_4488 (800x533)

山から見た聖ヨハン・カネヨ教会DSC_4521 (800x533)

山の上には『クレメンス教会』DSC_4490 (800x533)

『聖パンテレイモン教会』DSC_4516 (800x533)

山に登ればフィリップ2世が築いた要塞の跡が良くわかるDSC_4506 (800x533)

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 旧市街には出窓が大きく道路側にはみ出しているのが、オフリドの伝統的建築物の特徴。
そのような形の建物を博物館として開放している。街灯も建物を模したものだ。
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市街地を抜けたあたりにフィリップ2世が造った円形劇場があった。3000人収容とかで今も観光シーズンにはコンサートなどが開かれる 。DSC_4503 (800x533)

 マケドニアはアルバニアと共にヨーロッパの最貧国といわれてきた。しかし、日本の暮らしと比べると日本の方が実は貧しいと感じる。





5月13日(日)晴れ
 今日はマケドニアの隣国アルバニアに向かう。アルバニアの国境の町までたった30km。そしてアルバニアの国境の町キャバサンから150kmのデュラスを目指す。アルバニアに入り1時間時計を遅らせる。日本との時差は7時間となった。
 アルバニアは1946年に王制を廃止し、ソ連の庇護のもと共産主義国家となった。その後、ソ連の修正主義を批判し袂を分かち、中国の援助を受けるようになる。近隣諸国とは鎖国状態で、国内の武装強化を図った。従い武器は全国民に行き渡り、70万以上のトーチカも造られた。中国の改革開放政策で中国とも袂を分かち、完全な鎖国政策をとる。当然経済は疲弊し、ヨーロッパの最貧国やバルカンの北朝鮮と揶揄された。最高指導者ホッジの死により、1990年から開放政策が採られ現在に至っている。
 マケドニアからアルバニアの国境超えは簡単と思っていたが、アルバニア側で車をガレージのようなところに誘導され、麻薬がないか荷物検査をされそうになった。時間を取られるのは嫌だと思っていたら運転手が気をきかせ、パスポートリストの下に幾ばくかのユーロ紙幣を挟み、手渡し事なきを得た。現実に賄賂を公然と送るのを目撃したが、あまり気持ちのいいものではない。一遍にアルバニアの印象が悪くなった。国境は標高1000mで涼しく感じる。

ギリシャ側で国境に行く途中に馬喰とすれ違うDSC_4532 (800x533)

国境で民族楽器を売りに来た親父DSC_4536 (800x533)

ギリシャ側のパスポートチェックDSC_4533 (800x533)

アルバニア側のパスポートチェックDSC_4535 (800x533)

このガレージで麻薬云々と賄賂を要求されるDSC_4538 (800x533)

同じ被害にあったと思われる人たちDSC_4540 (800x533)

ホッジ時代のトーチカ、日露戦争時代ならいざ知らず、こんなものが役に立つか疑問DSC_4545 (800x533)

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 アルバニアのデュラスの町に行く途中、数日前の大雨で土砂崩れ、然し、片側車線通行で、影響なし。もともと交通量が知れている。DSC_4550 (800x533)

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 マケドニアは元々ユーゴスラビアの国の一部であったが、アルバニアは最初から、独立国家であった。人種的にも民族的にも異なる。マケドニア人はスラブ系、アルバニア人はインド・ヨーロッパ語族のイリリア人と言われている。言語も全く違うそうで隣国同士でも双方のコミュニュケーションは専ら英語となるそうだ。
 目的地デュラスの町はアドリア海に面しオシャレな感じがした。ただ、観光地だからか、大人や子供のロマ(ジプシー)の物乞いが多いのには閉口。ルーマニヤ、ブルガリア、ギリシャなども同じ。

 デュラスの町はギリシャの植民地であったが、ローマ時代は帝国の一部となった。紀元2世紀にアナスタシア皇帝時代に造られた半円形の劇場を見学する。ただ、この劇場は2度の地中海地震による津波で大部分が崩壊していた。元は収容数17000~20000という。
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 市内にはビザンチン帝国時代の城壁跡があり、歴史の長さを感じる。また、オスマン帝国に支配された時代が500年間も続いたので、大部分のアルバニア人はイスラム教徒となった。ただ、1967年から『無神国家』の宣言し、全ての宗教を否定した。解放されてからはあまり熱心な信者はいない『ナンチャッテ・イスラム教徒』ようだ。なぜならスカーフをまとった女性をあまり見かけない。

 イスタンブールからの『イグナチオ街道』はこのデュオの街が終着点であり出発点でもある。現在はイスタンブールと同様に『門』が残っていた。ただ、門はワインバーの一部の装飾として残されていた。そのバーの名は『Portiku』という。アルバニア語の意味はメインドア、つまりイスタンブールの『金の門』に対し『主門』とでも言うのか。

ビザンチン時代の城壁と見張り台DSC_4556 (800x533)

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『イグナチオ街道』の主門はバーの中 DSC_4570 (800x533)

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デュラスの街は港町。ホテルのプライベートビーチ、この向こうはイタリアのバーリ辺りかDSC_4574 (800x533)

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 アルバニアはマケドニアと同様EUのメンバーではない。しかし、加盟を希望しているようだ。300万人の人口のうち150万人が海外に出稼ぎに出かけている。仕事は観光産業程度で経済的には厳しい。






5月14日(月)晴れ
 今日の行程は、アルバニアのデュラスから120km離れたモンテネグロの国境に行き、国境通過後、100km先のコトルの町に行く。そこから更に50km先のクロアチアとの国境に行き、国境を通過し40km先のドブロクニクに行く。計310kmの行程。

 アルバニアとモンテネグロの国境の出入国手続きは非常に簡単。左側の窓口がアルバニア、右側の窓口がモンテネグロだ。こんな国境はみたことがない。DSC_4584 (800x533)

 アルバニアはガソリンスタンドが多かったが、理由はマネーロンダリングとか、どのような方法でマネーロンダリングをするのか不明。もともと、解放前のアルバニアは自動車が1000台ほどしかなかったそうだ。国が混乱すれば闇屋の様な奴がぼろもうけ。これは真実。

 モンテネグロのコトルの町に入る前にアドリア海に浮かぶステファン島を見る、絵葉書のよう。コトルに入っても絵葉書の風景は続く。

ステファン島DSC_4587 (800x533)

コトルの街の城壁DSC_4588 (800x533)

 コトルの町は古代ローマ時代から始まる。町が大きく成長したのは10世紀にベネチアの保護領になってからだ。地中海貿易の中継地点として発展した。

 街の丘の上には1518年建設の聖母教会DSC_4589 (800x533)

街の中心は1602年建設『時計広場』DSC_4596 (800x533)

1166年聖トリファン大聖堂
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1909年聖ニコラス教会
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1732年グルグリナ宮殿(海洋博物館)DSC_4606 (800x533)

1195年聖ルーカ教会
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 コトルの街全体が博物館のようだ。丘の上の聖母教会までゆく。少々きつい上り坂。入山料は8ユーロ也、高い!  しかし丘の上からの眺めは最高。丁度、フランスのクルーズ船が入港していた。道理で欧米人の観光客が多かった。

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 コトルからクロアチアに行くのにコトル湾を浜沿いに回ってもよいが、フェリーを使ってショートカットする。ものの10分ほどだった。フェリーは次から次に出ている。風景はフィヨルド海岸で美しい。DSC_4628 (800x533)

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モンテネグロの出国手続きDSC_4629 (800x533)
 
クロアチアの入国手続きDSC_4630 (800x533)

 モンテネグロは福島県ほどの大きさ。クロアチアは北海道と同じくらい。どちらもあっという間に隣国に至る。どちらもよく似た風景なのは共にベネチアの保護領だったからか。

 モンテネグロはまだEUに加盟しておらず現在交渉中。しかし通貨はユーロを使用。  一方クロアチアはEU加盟を果たしたが、通貨はクーネという独自通貨。バルカン半島はややこしい。



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