シルクロード紀行(その4)

テヘラン ゴレスタン宮殿DSC_3572 (800x533)




4月24日(火)晴れ
 今日はトルクメニスタンからイランに陸路移動する。アッシガバードから標高1600mのバシギラン国境に行く。国境までの道のりは山の中なので鹿を見かける。トルクメニスタンの国境での出国手続きは簡単に終了、緩衝地帯を通過しイランの入国手続きをする。荷物検査は簡単であったが、両手の10本の指の指紋を採られる。スタンプインキが少ないのでなかなかうまくできない。担当官は苦笑いしながらOKという。あまり意味のない検査と思う。結局1時間以上かかった。空は碧空で気温も低く気持ちの良い国境越えだった。国境を越えて考えたら、今回の旅行は、東アジアから中央アジア、そして中東にやって来たことになる。これからはさらに欧州へと先は長い。

トルクメニスタンの山 DSC_3504 (800x533)

イランの山DSC_3505 (800x533)

イランの国境事務所DSC_3502 (800x533)

 1979年にイランはパーレビ国王を追放し、『イスラム革命』が起こった。アメリカとは敵対関係となり、以降経済封鎖を実施され現在まで苦しい状態が続いている。当時の人口は3500万人であったが、イラン・イラク戦争などあったにもかかわらず、現在は8000万人だ。従い、若い人が多い国だ。40年前の通貨の価値と比べ1/1000に下落したという。両替をしたところUS$50は2,100,000イラン・リアルであった。これからチップや買い物の換算は少々不便だ。

 現在のイランの悩みは経済制裁もさることながら、『水』が足らないことだ。昨年はいつもの30%しか雨が降らず、水不足に陥っている。原因は異常気候もあるが、農業用水の乱用らしい。水の消費の90%が農業用とか。効率の良い水資源の活用についてJAICAが頑張っているらしい。因みに新しく建設されるホテルはバスタブを禁止しているとか。
 インターネットの状況はやはり厳しく規制している。Facebookが使えない。Facebookの使えない国は経験で、中国、トルクメニスタン、イラン、キューバだ。北朝鮮の状況はどうか知らない。

 国境からイラン第二の都市マシャドに向かう。ハラメ・モタッハル広場にはエマーム・レザーの霊廟がある。ここはシーア派の総本山というべきところだ。イスラム暦の正月が終わったところなので多くの信者が訪れていた。宗教の敬虔な場所なので写真撮影はご法度である。至る所に監視の係員がおり、ハタキの様なものをもって眼を光らせている。ただ、スマホの持ち込みはOKで、良くわからない。
 霊廟からの帰り道、地元のバザールを覗いてみる。一般の生鮮食品はなく専らサフランやスパイス、偽ブランド品、衣料品などが中心。店先から「ニーハオ」と呼びかけられる。こちらも中国人の爆買いが浸透しているのかも。

バザールの入り口 何故かホメイニ氏とハメネイ氏の肖像画DSC_3511 (800x533)

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4月25日(水)晴れ
 今日はマシャドから740km先のテヘランに移動。移動手段は鉄道。マシャド駅を11時40分に出発し、19時50分着の予定。然し、到着は20時20分で、結果は8時間半の鉄道旅となった。このようなことは珍しいことでなく許容範囲。

マシャド駅DSC_3513 (800x533)

駅のコンコースDSC_3514 (800x533)

駅のコンコースにホログラフによる3Dの鉄道の宣伝DSC_3517 (800x533)

列車名は『パラダイス号』。ファーストクラスに乗車。車掌は美人DSC_3521 (800x533)

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 マシャドを出て1時間ほど経って、最初の駅に停車。お昼のお祈りの時間とかで、20分間停車。プラットフォームにはお祈りのための『Prayer Hall』があり、信者はそれぞれ男女別々のホールでお祈りをする。

男子用ホールDSC_3527 (800x533)

女子用ホールDSC_3531 (800x533)

 イランのイスラム教徒は大きく分けると3タイプがある。Aタイプはイスラムの戒律を厳格に守り、女性の場合は黒づくめのチャドルを着ている人。Bタイプはイスラム教徒と自覚しているがその時々で守ったり、守らなかったりする人。Cタイプは宗教警察がうるさいため、女性の場合は形だけスカーフをするが、信仰はしていない人。車内で見ているとお祈りに行かない人がいる。よく見ると結構化粧をしていて髪の毛も半分以上スカーフからはみ出している。Cタイプの人は美人が多いと感じた。因みに、日本人は99%がCタイプと思う。お寺の坊さんもBタイプまたはCタイプだろう。Aタイプはオウム真理教の信者くらいだろう。

 お祈りタイムが終了し列車が出発すると。ランチが配られる。あまり、うまいと思わないが、ごはんに鶏のケバブと焼きトマト、それにヨーグルトとナンとコカ・コーラ。米国と敵対関係にあるがなぜかコーラだった。ご飯は長粒種なのでぱさぱさして食べにくい。

飲み物はランチの後でコーヒイや紅茶が出る。全てサービスで航空会社のサービスに似ていると思う。
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 列車からの眺めは延々と砂漠が続く。日本なら山や海、都会の風景等飽きないと思うが、良く眺めていると、ただの砂漠だけでなく、遠くに冠雪した山が見えたり、中国で今売り出し中の『丹霞地形』のように色がきれいな山もある。

砂漠というより土漠DSC_3533 (800x533)

遥か彼方の山は冠雪しているDSC_3542 (800x533)

『丹霞地形』の様な山々DSC_3544 (800x533)

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  風景に飽きるとシートに持たれて口を開けて爆睡。やはり長距離の移動で結構疲れが抜けない。今日はホテルでゆっくり寝よう。

テヘラン駅に到着 DSC_3562 (800x533)

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4月26日(木)晴れ
 今日はテヘランを夕方まで観光し、イランに来た以上は世界遺産のペルセポリスなどを見るため、シルクロードからは外れるが、寄り道をする。先ず、16時5分発の国内線で南に位置するシラーズを目指す。到着は19時15分だ。

 テヘラン観光はゴレンスタン宮殿と考古学博物館、そしてガラス博物館だ。
 ゴレンスタン宮殿はガージャ―ル朝の王宮として使われていた豪華絢爛なものだ。庭園はペルシャ式庭園で美しい。イランの休日は一般的な国と異なり、木、金曜日であるため今日は多くの人が街で休日を楽しんでいる。街角にはキャンディやナツメヤシのドライフルーツなどを食べろといわれる。これはイスラム教の施しの習慣らしい。意地汚く行為に甘える。街を走る路線バスは男性と女性の席が分かれており、乗り降りの扉も異なる。米国の公民権運動以前のバスの『ホワイトオンリー』を思い出す。ここは差別でなく宗教だ。

男性は右の扉から乗り降りし前方座席、女性は左の扉から乗り降し後方座席。DSC_3570 (800x533)

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 ゴレンスタン宮殿は非常に豪華で美しい。ペルシャ帝国を彷彿とさせる。特に鏡を多用しているためキラキラと輝き豪華な感じだ。

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 考古学博物館はイランの歴史のすべてを見せてくれる。紀元前6000年から19世紀に至るまでの考古学的、歴史的に重要な美術品を集めたイラン最大の博物館だ。本館はイスラム化以前、別館はイスラム化以降のものを展示している。残念ながら本物や価値のある物は大英博物館やル―ブルにあるようだ。

考古学博物館 DSC_3591 (800x533)

いろいろな展示品が豊富DSC_3593 (800x533)

ペルセポリスのレリーフを展示DSC_3596 (800x533)

塩漬けになっていたミイラDSC_3601 (800x533)

 博物館に来ていた女子学生の一行から記念写真を撮ろうと誘われる。悪い気はしない。自然と頬の筋肉が緩む。イラン人はアーリア系の人種なので日本人の美的基準ではみんな美人に感じる。日本に連れてきて『イラン48』というグループで売り出せばヒット間違いなしと思うが。

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 ガラス博物館の建物の由来は、イスラム革命以前は総理大臣の私邸であったり、貿易銀行の建物であったり、エジプト大使館であったこともあるらしい。今はイランのガラスについての博物館だ。日本の正倉院御物もイランのガラス製品がある。

博物館の建物は大きくないが素敵DSC_3610 (800x533)

 内部もかなり凝っているDSC_3609 (800x533)

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 夕刻にテヘラン空港に行く。シラーズはテヘランと比べるとかなり小さな街だ。

テヘランの空港DSC_3615 (800x533)

シラーズの空港DSC_3618 (800x533)

この数日は長距離の移動が多く、目まぐるしい感じだ。





4月27日(金)曇
 今日はシラーズ市内のナスィー・アル・モルク・モスクと郊外50km先にある世界遺産のペルセポリス遺跡などを一日中見学する。
 シラーズは、ザグロス山脈の中腹にある標高約1500mの位置にある。比較的涼しい。
まず市内のナスィー・アル・モルク・モスクに出かける、ここは別名『ピンクモスク』と言われ、規模はあまり大きくないが、非常に美しいモスク。1876年から1888年にかけて建造されたモスクは、ステンドグラスを多用し、ピンクのタイルを使って伝統的な様式でデザインされている。

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モスからすぐそばにある喫茶店でチャイを飲んで休憩DSC_3632 (533x800)

 今日は金曜日なのでバザールも休み、敬虔なイスラム教徒はモスクに出かけお祈りをしているのだろう。しかし、普通の人は休日をエンジョイしているようだ。郊外に向かう車は多い。家庭サービスなのか家族連れを多く感じる。郊外のペルセポリス遺跡には約1時間で到着。ペルセポリスはアケメネス朝ペルシア帝国時代の紀元前518年、ダレイオス1世によって建設された約450mx300mの長方形の基盤の上に築かれた神殿跡。ペルセポリスはギリシア語で、「ペルシアの都市」という意味で、西アジアの3P遺跡(ヨルダンのペトラ遺跡、シリアのパルミラ遺跡)の一つとして知られている。

 ペルセポリスを陥落させたアレクサンダー大王は、その財宝を運び出さすために、1万頭のロバと5千頭のラクダを使ったと言われている。謁見の間は一段高い基壇にあり、レリーフが彫られた壁に囲まれている。レリーフには諸外国からの貢物が克明に彫られ、当時の王の権力が広範囲に及んでいたことを示している。

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 広い遺跡の敷地を回っていると2500年も前によくこんなものを建てたと感心する。日本なら苔むし、朽ち果てているだろう。ここはやはり砂漠の中にある。それにしても圧巻で見終えた後は満腹の感じ。

  ペルセポリスの近くのナグシェ・ロスタムにはアケメネス朝の王墓が並んでいる。クセルクセス1世、ダレイオス1世、アルタクセルクセス1世、ダレイオス2世の墓がある。ここは山肌の岩を彫り墓にしている。アケメネス朝時代は西のローマ帝国とペルシャ帝国は700年間対峙し、戦争を繰り返していた。我々が習った世界史はギリシャやローマ帝国の立場から見た歴史感であり、今回はペルシャ側から歴史を見ている。

岩を彫って造った墓DSC_3666 (800x533)

ダリウス1世にローマ皇帝が降伏しているレリーフDSC_3667 (800x533)

ローマとの闘いのレリーフ DSC_3670 (800x533)

講和のレリーフDSC_3672 (800x533)
 
 シラーズ市内に入る道路には『コーランの門』があった。いわゆる関所であり、旅の安全を祈願したそうだ。現在の門はパーレビ朝時代に建て替えたもの。

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 最後に市内にある、『エラム庭園』に立ち寄る。シラーズの大学の植物園が『エラム庭園』として世界遺産に登録されている。図書館も美しい建物で噴水のある池もあり、典型的なペルシャ式庭園だ。ペルシャ人にとって最高の贅沢は常に『水』の音が聞こえること、『緑』がふんだんにあること、いつも『花』が咲いていることらしい。この庭園はこれら3点を満たしている理想の庭園だ。翻って日本の庭園の究極は『枯山水』ではないだろうか。環境が変わるとこうも違う。

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4月28日(土)晴れ
 今日は早朝にモスクのミナレットから流れるアザーン(イスラム教の礼拝の刻限を知らせる)で目が覚める。イスラム教の国に来ていると実感する。ホテルから出てみるとすぐ隣にちいさいが、こさっぱりしたモスクがあった。

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 今日はシラーズから北方のイランの真珠と呼ばれるイスファハンに移動。距離にして凡そ500km。ザグロブ山脈の間を縫って走る。テヘラン、マシャドに次ぐ3番目の都市だ。標高は1600m程度。イランは50%強が山地、25%が砂漠、残りが耕地等である。道路を走ると山と砂漠だが、たまにオアシスのあるところは緑の耕地になっている。ザブログ山脈の麓で柘榴(ザクロ)が採れる。柘榴が日本に入ってザクロという名称が付いたそうだ、正倉院の御物もザクロも遠くイランからやって来た。
 イスファハンはイランのほぼ中心に位置している。過去に二度首都となった。やはり外敵から守るには都合の良い場所なのか。

オアシスの菜の花畑はもうすぐ収穫期を迎えるDSC_3690 (800x533)

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何もない砂漠でも遠くの山が冠雪しているのがわかる。DSC_3696 (800x533)

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 イスファハンの町まで100km程度のところにキャラバンサライがあり、立ち寄ってみる。サファビー朝時代のものとか、今は当然、トラックや鉄道が物流の主役、キャラバンサライなど必要はない。従い、朽ち果てた状態で残っていた。近くにはかつて都市であった思われる遺跡もあった。そこはヤギを放牧している農民がいて外国人観光客が珍しいのか、傍にやって来た。イランを見ていると、結構観光資源があるのに活用されていない。政府があまり外国人観光客を歓迎していないのかと勘ぐってしまう。これが中国なら一大観光地になっているだろう。

かつての町は廃墟DSC_3703 (800x533)

遠くには見張台と思われる建物DSC_3701 (800x533)

かつてのキャラバンサライ、今は廃墟同然DSC_3704 (800x533)

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観光資源になるように思うが・・・  中を覗いてみるDSC_3706 (800x533)

ヤギの放牧 DSC_3712 (800x533) (2)

牧童はロバに乗り、ヤギは水場で一休みDSC_3714 (800x533)

珍しいのか少年が興味津々でやって来るDSC_3717 (800x533)

ロシア製のバイクに乗り我々を観察DSC_3705 (800x533)


 イランに入国して4日目となるが、気になっていたこと(駅やレストラン等公共のトイレの男子用トイレが全て個室である)があり、現地ガイドに尋ねてみる。答えはイスラム教では大小を問わず用を足したら必ず不浄なところを左手で水使い洗い流すとのこと。道理でトイレ内は水浸しであることが多い。これは清潔なのかちょっと気になる。
 鼻に絆創膏を張っている女性を見かけ、美容整形の話が話題になった。イラン女性はかなりの割合で美容整形をしているらしい。鼻を低くすること、唇を厚くすること、胸を小さくすることが主な美容整形。日本とは真逆で面白い。
 ホテルでエレベーターに乗って気が付いたことだが、女性が乗っていればスペースがあっても、男性は乗らない。当然その逆もある。あまり意識せずつい乗ってしまうと少し違和感を感じる。西欧のマナーとは違う。





4月29日(日)晴れ
 今日も朝からさわやかな天気だ、スケジュールは1日中、イスファハンを観光。先ずホテルから『33アーチ橋』を眺めるが、川の水は見えず干上がっていた。

ホテルからの33アーチ橋の眺めDSC_3720 (800x533)

 昨年5月の状態DSC_6880 (800x533)

気を取り直し世界遺産・ペルシャ庭園の一つ『40柱宮殿』に行く。実際の柱の数は20本だが、水面に映る柱も20本、合わせて40本となり、40柱宮殿となった。40という数字はイスラム世界では特別の意味を持つ数字らしい。サファビー朝のアッバースⅠ世の時代のもので、建物の中は様々な戦争の絵が描かれていた。

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 40柱宮殿から少し離れたところにある世界遺産の『金曜モスク』に出かける。金曜モスクとはその地域のメインモスクとのこと。このモスクは2000年以上前のゾロアスター教の神殿の上に造られた。ここは1000年以上の国の中心でもあった。イラン・イラク戦争時の1987年にミサイルがこのモスクに着弾し被害を受けた。

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 33アーチ橋の近くの『ハージュ橋』に立ち寄ると、当然こちらも水は流れておらず干上がっている。去年からイランは旱魃が続いているそうだ。33アーチ橋が見える。

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 アルメニア教会へ。第一次世界大戦でオスマントルコはアル隣国のメニア人を虐殺した。そのため、大勢のアルメニア人はイランに逃れ、住みついた。アルメニア人はアルメニア教会という独自のキリスト教会を持つ民族だ。世界で最初にキリスト教を国教にしたことでも有名。因みに、2番はローマ帝国、3番はジョージアだ。教会自身は17世紀に建設されたもの。アルメニア人の人口は600万人で、そのうち海外に300万人が暮らすという。トルコがEUに入ろうとしたとき、海外にいるアルメニア人はEU各国政府に対しロビー活動をした。フランスはトルコに虐殺の事実を認めることと謝罪を条件としたため。トルコのEU入りは頓挫した。

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 イスファハンの最後は世界遺産の『イマーム広場』だ。イスラム革命以前は『王の広場』と言われていたそうだ。中国の天安門、ロシアの赤の広場に次ぐ広さ。南北500m×東西160mの広さだ。天安門も赤の広場は政治に関する広場である。イマーム広場は政治だけでなく宗教(モスクがある)や経済(バザールを抱えている)、スポーツ(ポロの競技をする)の広場でもある。

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 周りを囲む建物は、以前はメドレッセ(神学校)であったが今は土産物店になっている。建物の裏にはバザールがあり、ウロウロしていると迷子になりそうだった。芝生には家族連れがピクニックを楽しんでいた。

 イランに来てわかったことは数字もアラビア数字でなくペルシャ語表記である。商品の価格表記は勿論、車のナンバープレートもそうだ。特に買い物の場合はアラビア数字に
読み替え、さらに為替換算をしなければいけない。インフレによる計算でゼロを数え間違うことがある。ドルで払う場合はなんとなく感覚でわかるが、リアルでおつりが出て来るので
いちいち計算が面倒で信用するしかない。

車のナンバープレート DSC_3792 (800x533)

ホテルにあった卓上カレンダーDSC_3791 (800x533)






4月30日(月)晴れ
 4月も今日で終わりだ。3月30日に日本を出発して1か月が経ったことになる。本当に月日が経つのが速く感じる。
 今日の行程はイスファハンから空路テヘランに向かい、ペルセポリスなどの寄り道から元のシルクロードに戻る。イスファハン・テヘラン間の距離は450km。9時30分発、10時10分着の短距離飛行。その後はテヘランから西に330km離れたサンジャンに向かう。
 サンジャンへの道はアジアハイウェー1号線を走る。このアジアハイウェーは国連の提唱によりできたもので、東京日本橋から東名、名神、中国自動車道を経て下関から釜山に行き、その後は北朝鮮を経由(実現していない)、し東南アジアや南アジアを通り最終的にブルガリア国境まで結ぶ国際ハイウェー。

イスファハンの飛行場 DSC_3793 (800x533)

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 サンジャンの手前50kmのところにスルタニエという町がある。1302年にモンゴルのウルジャイトがここを都とした。この町は標高1800mに位置し、イランにあっては珍しく草原が広がり涼しい、というより少し寒い。ここは緑が多く葡萄の産地でもある。

 スルタニエは世界遺産である。ウルジャイトはモンゴル人であったが、イスラム教に改宗(以前はシャーマニズム)しマシャドのエマーム・レザーの霊廟を見て自分も同じような霊廟を造りたいと思い、この地に霊廟を建てた。霊廟は八角形で外壁と内壁の厚さは10mある。八角形の角にはミナレットが8本あり、そのミナレットに登るための螺旋階段がある。その螺旋階段が建築構造学的に建物やドームを支える役目を果しているとか。その建築の独自性から世界遺産になったそうだ。螺旋階段を登ると建物の内側にバルコニーがあり、さらに登ると外側にもバルコニーがあった。

パンフレットによる霊廟の全貌DSC_3799 (800x533)

パンフレットと異なりかなり傷んでいるDSC_3795 (800x533)

内部は補修中、然し一向に修復工事をしている感じはしなかった。DSC_3798 (800x533)

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 イランは遺跡をあまり大事にしていないと感じる、これはペルシャ帝国の遺跡が多すぎて手が回らないのか、それとも、あまり観光客に来てほしくないのか、首をかしげる。

内部は修復中
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1階のバルコニー
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二階のバルコニーから眺めた風景   山が迫り緑が多い
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