シルクロード紀行(その2)

トルファン駅の中国新幹線
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4月8日(日)晴れ
 今日は新疆ウイグル族自治区に向けて出発。先ず、敦煌から130km北にある高速鉄道の柳園南駅に向かう。敦煌の街のシンボルである「反弾琵琶」のモニュメントを後にする、敦煌の街はオアシス都市なので緑が豊かだ。然し、街を出るといつものゴビ砂漠が続く。

反弾琵琶」のモニュメント
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ポプラの並木道が続く
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 柳園南駅の前は全く何もない。スーツケースをプラットホームに運ぶにはエスカレーターやエレベーターがない。急きょポーターを探すが、そのような人はいない。然し、駅の清掃員がポーターの上着を着こみポーターに変身。一つの荷物をプラットホームに運ぶチップは15元なり。中国的で面白い。事前の荷物検査は非常に厳しい。列車は満席で荷物棚も満杯の状態。

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 トルファンに向かう列車から見える景色はゴビ砂漠だ。700kmの道中は、たまに在来線で貨物列車が通るのが見える。新疆のエリアに入ると石油の採掘している油井が見える。今までの景色とは一変。

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在来線の貨物列車
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石油を掘削
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 トルファンに着いたら駅の公安局の詰め所に連れて行かれ、スマホでパスポートの写真を撮り、さらに本人の写真を撮り、重ね合わせて本人と確認する。その後、初めて自由の身となる。 

トルファン北駅
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 やっと、ホテルに到着するとホテルのフロントでも同じようにスマホで写真を撮られる。本当に厳重な警戒態勢だ。ガソリンスタンドで給油する場合も身分証明書が必要とか、もし好ましからざる人物なら通報され拘束されるそうだ。新疆ウイグル自治区の入出境管理は厳戒を極めている。ウイグル人の人達は、さぞ息苦しく、不愉快に感じているだろう。



4月9日(月)
 トルファンは古来より『火州』と呼ばれていた。さすがに暑い。先週いた甘粛省はダウンの上着をはおるほど寒かったのに、まさに別世界だ。今日は1日トルファンの観光で過ごす。世界遺産の高昌故城、アスタナ古墳群、ベゼクリク千仏洞、カレーズ、火炎山、世界遺産の交河故城、バザールなどである。
 9時前にホテルを出発すると近くの広場でウイグル人が100人ほど集まっていた。何かと思ったら、毎週月曜日は、中国の国旗掲揚と国歌斉唱をするらしい、参加しなければ陰に陽に不利益を被るらしい。また、漢民族に対し蔑称?のカタイ(キッタイ)等というと拘束されるとか。ウイグル人にとっては甚だ住みにくい世界だ。

 ホテルから1時間ほど行ったところに高昌故城がある。以前は駐車場から直ぐに高昌故城に入れたが、今は随分離れたところに駐車場があり、そこからカートで入場する。高昌故城の入場料は70元、カートの費用は35元、合わせて105元である。ほとんどの観光地はこのようなシステムで、観光客からお金を巻き上げる。
 高昌故城は玄奘三蔵が訪れ滞在したことがある。高昌国の王様に引き留められたが、インドから帰国する時に再訪すると約束したが、再訪した時はすでに高昌国は滅んで亡くなっ

チョット若めの三蔵法師像
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全て砂の残骸が残るのみ
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 高昌故城からアスタナ古墳群までは15分程度の距離にある。アスタナとはトルコ語で『都市』という意味らしい。中央アジアのカザフスタンの首都もアスタナである。古墳群は盛唐時代に高級官吏や豪商の共同墓地である。見学できる墓地は3か所あり中に入ると壁画が描かれている。そのうちの一つには夫婦のミイラを見ることができた。ただし、墓の中の撮影はNGである。ミイラは意外と大柄の夫婦であった。

広い砂漠に共同墓地がある
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階段を下りて墓の中に入る
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 ベゼクリク千仏洞もアスタナ古墳群から20分程度の場所にある。ベゼクリクとは突厥(チベット)の言葉で『装飾された部屋』という意味らしい。莫高窟や楡林窟のように壁に穴を掘り、仏像を祀ったり、壁画を描いた洞窟である。めぼしいものは、ほとんど英、米、独、露、瑞や日本によって持ち去られ、今は見る影もない。残っているのは単なる洞窟のみという感じだ。

観光地に行くには公安の検問が必ずある  
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カレーズを見学する道すがら西遊記で有名な火炎山に立ち寄る。真夏には50度近くなるそうだ。周りは砂漠でまさに炎熱地獄。

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 カレーズに行く前にウイグル人の農家で食事をとる。ぶどう棚の下に台があり、車座になって食事をする。ブドウを栽培し裏庭の乾燥用の建物で干しブドウを作っている。

ぶどう棚の下で食事 
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干しブドウを作る乾燥小屋
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 カレーズはイラン発祥の水道というべきものだ。山の雪解け水の伏流水の水脈を見つけ、生活や灌漑用に利用。地下に降り、水の流れに手をつければ冷たくて気持ちがいい。
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 交河故城は二つの河に挟まれた地形を堀として利用し、土地を掘って築いた街であるとともに城壁の無い街でもある。こちらの遺跡に入る場合も同じく駐車場からカートに乗って入る。勿論、見学するには身分証明書の検査がある。外国人はパスポートをチェックされる。ここは中国でただ一つ残る漢代からの都市遺跡でもある。遺跡は柳葉形の台地上に位置し周囲は約30メートルの断崖に囲まれ自然の要害をなしている。遺跡の全長は約1650メートル、幅は最大で約300メートル、総面積は約38万平方メートル。紀元前2世紀に建設され14世紀に元に滅ぼされた。ユネスコの世界遺産でもある。

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 交河故城の見学を終え市内に戻る。市内では庶民のバザールを見学する。然し、バザールに入るにも身分証明書と手荷物検査がある。これでは庶民が市場に買い物に行くにも非常にプレッシャーを感じるのではと危惧する。当然、自警団の様な見回りもある。これは強制的にやらされているのか、あまりやる気を感じなかった。

バザールにはこの柵に沿って入る
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荷物検査、身分証検査を済ませここからバザールに入る
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自警団?の巡回
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自警団の休憩DSC_2708 (800x533)

 中国政府が採っている政策は、テロを危惧しているのだと思うが、むしろ逆効果のように感じる。これでは、『新疆ウイグル族自治区』ではなく、中国の『新疆ウイグル族自治区』のように思う。街の至る所に「民族融和」、「団結」などのスローガンがあふれている。もし、自分がウイグル人なら反発するのは必至だろう。




4月10日(火)晴れ
 今日はトルファンからウルムチに移動。距離は220km。20年ほど前に世界銀行から融資を受けて、新疆で最初に造られた高速道路を行く。現在は並行して新しい高速道路を建設中。
万里の長城建設以来、中国は本当に様々な構造物を建設するのが好きだ。これば中国のGDPを押し上げる源泉だ。

現在2本目の高速道路を建設中
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 高速道路に入る場合は身分証明書(パスポート)をチェックされる。しばらく走ると右手に冠雪した天山山脈を望む。美しい光景だ。

 最高峰5445mのボゴタ山が見える。また、風の通り道か多くの風力発電機が稼働中。
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 高速道路からインターチェンジを出る場合も同様に厳格なチェックがある。市内は自動車が多く渋滞がはなはだしい。やっとのことで、新疆ウイグル自治区博物館に到着。ここでも博物館の敷地に入る前に荷物と本人チェック。そして建物に入る場合も同じだ。本当にチョット異常な感じがする。この博物館は少数民族の風俗や、歴史を展示している。また、2階には多数のミイラも展示されている。たまたま、中学生の団体が入館しており、そのやかましいこと、マナーの悪さに辟易する。愛国教育の一環だそうだが、まず、マナー教育というか道徳教育をしてほしい。

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4月11日(水)霙
 ウルムチは霙が降っていた。今日はウルムチ駅からカザフスタン国境近くのイーニンに向かう。距離は620kmあり鉄道を利用し6時間乗車。列車は軟臥でコンパートメント4人部屋。ウルムチ駅そのものは空港と見間違えるほど立派。因みにウルムチの鉄道駅はウルムチ駅以外に北駅、南駅、西駅の4か所がある。先ずウルムチ駅に入るために荷物検査とパスポートチェックを受ける。そして構内に入ると、もう一度検査を受ける。この検査でシェービングムースを没収される。周りでもライターを没収されている人がいた。テロとは関係ないと思うが、不愉快極まりない。

空港の様なウルムチ駅  
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面倒な荷物検査と本人確認
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ウルムチを過ぎて天山山脈と並行して走る。暖房が効いており車内は快適
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 約6時間乗車しイーニンに到着。想像以上に立派な駅だった。イーニンは北新疆で一番豊かな街で別名は「新疆の江南」という。そもそもイーニンの意味はカザフ語で「マルコポーロの鹿」という意味らしい。ラベンダーやリンゴ、梨の産地だ。ここはカザフ人やウイグル人が多く、人民元の呼称を「テンゲ」と呼んでいる。カザフスタンの通貨の呼称と同じだ。
 清朝時代にアヘン戦争を指揮し、敗れた林則徐は西太后により責任を取らされ、この地に左遷させられた。気の毒な話である。
 少し時間が有ったのでイリ大橋とイリ河を見学する。イリ河は全長1500kmでその内、新疆には200km流れている。残りはカザフスタンであり、最後はバルカシ湖に流れ、海には流れない。以前見たNHKの「シルクロード」はこの橋で終わっていたと思う。その当時、カザフスタンはソ連であったため、外国人の取材はここまでだったのだろう。

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 橋のたもとには公安が検問を行っていた。市内のモスクのミナレットやドームの上に新月のモニュメントをつけるのだが、民族を意識しないようにと先のとがったものに替えることを強制していた。

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 明日はいよいよ、中国から出国だ。なんとなく新疆では厳重な検問が多く重苦しい雰囲気だ。出国でなく出獄かなと思う。




4月12日(木)晴れ イーニンは風が強く寒かった
 いよいよ中国から出国しカザフスタンに向かう。先ずは100km先の国境の町ホルゴスを目指す。鉄道なら更に北のアラカンコだが、鉄道のレールの幅が、中国は標準軌、旧ソ連の国は広軌なので車両をクレーンで釣り上げ台車を変更する必要があり、時間がかかるそうだ。ビザの関係で、これ以上の中国滞在は無理。
  国境のホルゴスまではポプラの並木道を走る。所々で公安や武装警察の検問があり、チェックされる。要注意人物が逃亡しないようにということか、ご苦労なことだ。中でも国境ま近の検問所では日本の自宅の電話番号や昨日泊まったホテルの部屋番号まで書かされる。おかげで、10時半ごろに国境に到着。それから手続きや荷物検査に時間がかかる。そして最終的に、そこからバスでイミグレの事務所に到着し、再度、同じような検査が行われる。こんな厳しい国境は初めてだ。パキスタンから中国の新疆に入国した時はスーツケースの隅々まで検査されたが、今回ほどでは無かった。

 国境に向かう道路  
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天山山脈
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高速道路の検問は厳しい
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検問所には武装警察が警備している
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国境の町ホルゴスは意外と立派な街
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此処でイミグレ行のバスに乗り換える
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中国側の国境(イミグレ)
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カザフスタンの国境
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 カザフスタンの入国管理は一般的な国と同じだった。特にスーツケースを開けられることもなし。結局、中国の国境からカザフスタンの入国まで6時間を要した。入国と同時に2時間時差の修正で時計を遅らせる。イミグレのトイレに行くと中国との国力の差を感じる。カザフスタンは粗末で汚い。気を取り直し、ここから以前の首都アルマトイまで350km走る。高速道路はコンクリートでアスファルトではなかった。真夏の気温が40度を超すのでアスファルトは不向きだそうだ。

中国との国境のイリ河
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冠雪の天山山脈
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4973mのタウガル山DSC_2792 (800x533)
 
 道路沿いのリンゴの花はもうすぐ開花DSC_2793 (800x533)

 道中は漢字の看板はなく、キリル文字である。旧ソ連圏に入ったと感じる。ガソリンスタンドの表示では1ℓ 180スム≒60円程度か、産油国の強みだ。カザフスタンのナザルバエフ大統領はソ連時代から大統領を続けており、独裁政権気味なのが心配だ。しかし選挙で選ばれているので、我々がとやかく言うべきでないのかも。
 中国から出国しなんとなく自由な国に来たと実感した。しかし、以前は旧ソ連で厳しかったと思う。




4月13日(金)晴れ
 今日は一日、アルマトイに滞在。ホテルの前のバンフィロフ公園に出かける。ソ連が第二次世界大戦(大祖国戦争)の時に戦死したバンフィロフ将軍率いる28名の戦死を記念して造られた公園だ。戦勝記念碑や無名戦士の墓がある。

バンフィロフ将軍像  DSC_2807 (800x533)

記念の大砲DSC_2808 (800x533)

戦死者の慰霊碑には花が手向けられており、永遠に天然ガスの炎がある。
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 公園内には木造のゼンコフ正教会がある。ソ連時代は、宗教はアヘンということで博物館であったそうだ。今は改修中で全貌が見えない。しかし、今日はロシア正教のイースターに当たり、教会の鐘が鳴り響き善男善女の信者が集まっていた。中国は若者の信者が多いが、ここの信者は老人が多いと感じた。ミサが始まったので信者とともに「ナンチャッテ信者」のふりをし、教会内に入る。やはり真剣でおごそか。顰蹙を買わないうちに早々に教会から立ち去る。

教会は修復中。教会の正面DSC_2810 (800x533)

教会の裏面DSC_2816 (800x533)

ロシア正教の司祭と信者 イースターの宗教行事を行っていた
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公園の風景は平和そのもの
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 バンフィロフ戦士公園の東側に『カザフ民族楽器博物館』があり、入館してみる。代表的な楽器、ドンブラやコブズを始めとする60以上の民族楽器が展示されている。その中に他民族の楽器を集めたコーナーがあり、日本の大正琴が展示されていた。これには苦笑い。

カザフ民族楽器博物館  
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カザフの民俗楽器DSC_2829 (800x533)

 楽器博物館から少し離れた『国立中央博物館』に出かける。歴史資料が豊富な博物館で恐竜の化石からスキタイ人の黄金人間(実はレプリカ)などがあり、スキタイ時代の展示物は見答えがある。館内の写真撮影はNG。

国立中央博物館
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庶民の生活はいかがなものかとバザールを覗く。バザールの中は物資が豊富だ。
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 少し時間が有ったのでカザフスタン・ホテルそばのロープウェイで1070mのコクトベに登ってみる。展望台には小さな遊園地もあり、休日にはさぞ親子で楽しむのだろう。展望台からはアルマトイ市内や天山山脈が見渡せる。
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 昨日まで中国に2週間滞在していたことになるが、カザフスタンに来て感じることは高層ビルがないことと、ソ連時代のどちらか言えばヨーロッパ的な建物が多いこと。それに民族的にロシア人が20%いることなどである。漢字の看板は全く見かけない。基本的にはキリル文字だ。しかし、カザフスタン政府は脱ロシアなのか、カザフ語は国家語とし、公用語はロシア語としている。徐々にロシア語をなくす方針なのか、キリル文字からローマ字表記になりつつある。若い人はローマ字表記に抵抗はないそうだ。

 中国は火葬であったが、カザフスタンは土葬の国だ。道路沿には立派なお墓がある。見ていると、ここも階層社会か。立派なお墓とそうでないお墓が一目瞭然。

モスクではなく墓地
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4月14日(土)晴れ
 今日はカザフスタンからキルギスに移動する。国境までは210km、所要時間3時間。道中は草原を走り、標高1200mのコルダイ峠を越える。途中でチューリップの原種を鑑賞。チューリップの原産地はトルコでなく中央アジアだそうだ。

真っすぐの道を行くDSC_2850 (800x533)

草原では家畜を放牧
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チューリップの原種は球根までの根が深く30cm掘っても球根に届かない
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カザフスタンは産油国だが、草原は風がよく通るため風力発電を行っている
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中国と異なりカザフスタンとキルギスの国境での出入国の手続きは約40分で終わった。中国での6時間とは大違い。
パスポートチェクの様子。基本的に国境での撮影はNG。 国境の緩衝地帯もNG。
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金網の向こうは国境を流れるチュー川   
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キルギス側から見た国境検問所DSC_2869 (800x533)

 キルギスはカザフスタンと異なり国土は日本の約半分(カザフスタンは日本の7.2倍)で、資源も少なく貧しい感じがする。日本人とわかると『おしん、おしん』、『こんにちは』と声をかけてくる。ここでは『おしん』が日本人の代表。

キルギスは若い人が多く、人懐っこい。写真を撮れと要求される。
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 首都ビシュケクまでは国境から20kmの距離。市の中心部には『アラ・トー広場』がある。この付近には大統領府、科学アカデミー、国会議事堂、国立博物館などがある。また近くにはカザフスタンと同じく英雄の冠した『パンフィロフ公園』がある。非常に緑の豊富な街と感じた。

国立歴史博物館は改修中
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広場の立つ衛兵
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国会議事堂DSC_2884 (800x533)

キルギスの英雄叙事詩『マナス王』像DSC_2879 (800x533)

 時間が有ったのでバザールを覗いてみる。カザフスタンと異なり、バザール内の撮影はOKである。ただ、カメラを向けると嫌がる人もおり、イスラム国であると認識する。

靴の修理屋DSC_2886 (800x533)

主食のナンを売っている 1個20スム≒35円DSC_2887 (800x533)

コメは1kg 40スム≒70円DSC_2889 (800x533)

ドライフルーツDSC_2895 (800x533)

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豊富な香辛料DSC_2894 (800x533)

 市場の物資は豊富だ、日本と比べればすべてが安価な感じがする。然し、このバザールの近くには高価なブランド品を売っているショッピングモールもあり、格差を感じる。

 カザフスタンとキルギスの天山北路を見ていると、地政学的にここは、かつてモンゴルの成吉思汗が疾風のごとく東から西に向け蹂躙したことがわかるような気がした。

 ホテルの前にはドイツからバスでシルクロードを旅する人たちがいた。バスも長距離の旅行が可能のようになっていた。後部はベッドルームのようだ。DSC_2902 (800x533)

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 ディナーは市内のレストランでキルギスの民俗音楽を聴きながら食事だ。日本のアイヌ人の民俗楽器?の様に唇に当てて震わせながら音を出すのが珍しい。
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ホテルで現地の人の結婚式に出くわした。みんな人懐っこい
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4月15日(日)晴れ
 今日は首都ビシュケクから郊外の『中央アジアの真珠』と呼ばれるイシククル湖に向かう。途中、玄奘三蔵も訪れたという世界遺産の『アク・ベシム遺跡』と同じく世界遺産の『ブラナの塔』に立ち寄る。行程は往復460kmなり。
  キルギスは国土の半分は山といわれている。首都のビシュケクも標高800mに位置している。イシククル湖の標高は1600m、北側にはアラ・トー山脈、南側には天山山脈がそびえている。まさにスイスのような感じだ。途中の道路にはキルギスならではの光景がある。

馬、羊、牛などの家畜の放牧が盛んで人間の数より家畜の数の方が多いのではと思う。DSC_2913 (800x533)

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 先ず、アク・ベシム遺跡に立ち寄る。ここにはシルクロードに関する6世紀から12世紀の遺跡がある。然し、素人目には単なる草原の中の土饅頭としか思えない。629年に玄奘三蔵がインドに向かう途中、イシククル湖を通り、ここで突厥の王に歓待を受けたと、『大唐西域記』に書いている。7世紀から9世紀の広大な遺跡に、長さ11mの涅槃像が出て、いくつかに切ってエルミタージュ美術館に送られている。1996年、97年にキルギスと日本との共同で発掘調査が行われている。残念なことに世界遺産にもかかわらず、保存の状態が良くない。世界遺産の遺跡には放牧の家畜の糞があちこちに見られた。

世界遺産の表示DSC_2914 (800x533)

何の表示もなくただ陥没した地面DSC_2917 (800x533)

ポプラの生えている辺りまで城壁があったそうだが・・・DSC_2918 (800x533)

農民が遺跡を犬と散歩中DSC_2921 (800x533)

 シルクロードにかかわる世界遺産は33か所あり、内、キルギスに3か所ある。中国での遺跡がほとんどだが、国力の差か、キルギスはお粗末だった。

 アク・ベシム遺跡から20分ほど走ったところの荒野の真ん中にポツンと11世紀に造られたブラナの塔が建っている。高さは24mだが、かつては45mあったそうだ。16世紀の地震で崩壊、1974年に現在の状態に修復。真ん中の階段から塔に登ることができる。

世界遺産であると表示DSC_2928 (800x533)

 塔は中ほどでDSC_2929 (800x533)

 塔の上からの景色は素晴らしい。昔は塔の上から西や東に向かうキャラバン隊が塔のそばを通るのが見えたことだろう。約1000年前の風景とあまり変わっていないかもしれない。ここで発見された石にはアラビア文字やネストリウス派のキリスト教徒の十字架が刻まれている。
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 塔の周りからは人の形をかたどった石人の墓標が並べられている。アンパンマンに似ている。故人の顔がわかる気がする。DSC_2937 (800x533)

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塔の上から眺めた風景は当時とそんなに変わっていないのではと感じた。
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 イシククル湖は東西180km、南北30~70kmで周囲は約700kmである。琵琶湖の9倍も大きい。また、世界でも有数の高山湖で標高は1600m、深さ300m。不思議なことに不凍湖だ。イシククルとはキリギス語で『熱い湖』という意味らしい。周囲の山から118の川が流れつき、ここから流れ出る川はない。シベリヤのバイカル湖に次ぎ透明度が高い。

 残念ながら北側と南側の万年雪をかぶった山脈は靄って見えなかった。見えれば最高なのにと残念。
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イシククル湖に行くには峻険な渓谷を通るが、今は快適な道がある。
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 途中で立ち寄ったドライブインはハラールの店でお祈りもできる。そのため、トイレの洗面所にはイスラム教徒が足を洗う設備もあった。  DSC_2955 (800x533)

洗面台の右下が足を洗う洗足設備DSC_2953 (800x533)

夕刻、食事のために立ち寄った食堂で羊のケバブがうまかった。DSC_2961 (800x533)





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