シルクロード紀行(その1)

 以前よりシルクロードに興味があり、中国勤務中は西安から河西回廊や新疆に何度か訪れたことがある。退職後も中央アジアの国々をつまみ食いのように旅行したが、長年の夢でシルクロードを一気通貫の旅をしてみたいと思っていた。気力・体力もそろそろ限界と思い、この度、西安からローマまでを陸路、バスと列車で旅行する一大決心をした。約2か月で15か国を訪れる、約15,000kmの旅である。きっと今までと異なる旅で生涯の思い出となると思う。 

敦煌 鳴砂山月牙泉
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3月30日(金)晴れ
 今日からシルクロードの旅が始まる。先ず羽田空港から北京へ、そして北京から乗り継ぎで西安に向かう。北京・西安間は危惧した通り、遅延となる。ホテルに着いたのは、PM11:50、かろうじて当日に到着した。中国でいつも感じるのは、ハードは立派だが、ソフトはまだまだと。
 西安は事前にインターネットで気温を調べていたが、大外れで到着した時は18℃。ホテルで明日の予報の気温を見ると11℃から23℃ということらしい。

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 明日の予定は一日中、西安で観光だ。ただ、半年前に西安に来たばかりなので、余り感動はしない。夜中にメールのチェックをしているとfacebookにアップされているとの情報を見るが肝心のfacebookは情報統制で中国では見ることができない。


3月31日(土)曇
 今日は西安を見学、半年前に西安・洛陽の旅をしたところなので、新鮮味がないが、取りあえず兵馬俑坑に出かける。土曜日なので大勢の観光客で大混雑の状態だ。とりあえず1号坑、2号坑、3号坑と見学する。やはりスケールの大きさに圧倒される。第1号坑は巨大な体育館のような建物の内部にある。

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1号坑の中の埴輪、どれ一つとして同じものがないのは驚きだ。
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3号坑は軍隊の司令部であったといわれている。おのずと普通の兵隊と異なり、高級、中級の武人の像がある。
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 兵馬俑の一号坑から三号坑の建物とは別に『総合陳列楼』ある。そこには銅で作られた二分の一のサイズの銅馬車の1号車と2号車(副車)がある。どちらも御者がいて、非常に精巧だ。1号車の後ろを2号車が隊列を組んで行進したのだろう。

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兵馬俑博物館を後にして、陝西歴史博物館を訪れる。こちらは入館が無料の日に当たり、大勢の観光客であふれ、見物どころではなく、早々に退散する。

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 前回(昨年九月)は雨が降っていて登れなかった『大雁塔』に登る。玄奘三蔵がインドから経典を持ち帰り、それらを収蔵した建物だ。一番上の窓から東西南北を見渡せる。さすがに西の方角を観ればはるかシルクロードへの道が延びている。

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 本日の最後は『清真寺』に出かける。西安のイスラム教徒が多く住んでいる地区にある。一見すると中国のお寺のようで、モスクのようには見えない。

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本堂にはメッカの方向に祈祷段があった。
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清真寺の周りはイスラム教徒のためにハラルの羊肉をダイナミックに解体していた。
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イスラム教徒の街からホテルまで歩いたが、西安の城壁がライトアップされていて非常に美しく感じた。
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4月1日(日)晴れ
 今日から4月だ。こちらに来てよかったことは花粉症から解放されたことだ。まず、西安からシルクロードで西に行くために、古来よりのしきたり?でとりあえず西門(安定門)に出かける。市内を取り囲んでいる城壁に登ると、幅16mとのことで、かなり立派な城壁であった。毎年11月に城壁の上を走り1周するマラソンがあるそうだ。

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 安定門は明・清の時代の城壁であり、唐の時代の城壁と比べるとかなり小さなものらしい。ここから唐の時代の西門(開園門)に行きシルクロードへの出発式を行う。現在、開園門はなく公園とシルクロードのモニュメントがあるだけだった。我々のために、わざわざ、西安市旅遊局の主任と通訳や職員を連ねて待っていた。歓迎の祝辞と王維の『渭城朝雨浥軽塵・・・・』の詩を朗々とうたい、その後は白酒の乾杯となり、記念写真を撮る。現地ガイドの気配りか、サプライズな出発だった。

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旅游局の人達との記念撮影
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 開園門を過ぎて1時間近く走ると渭川を渡り咸陽に着くが、ここには多くの王墓がある。その中でも漢の武帝の茂陵は別格の大きさだった。そばには霍去病や衛青の墓もある。一般人のお墓もこの近くにあり、来週の5日に清明節がやって来るので日曜日ということもあり、大勢の人々で賑わっていた。

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併設されている博物館
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茂陵の頂上から望む風景 
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茂陵には霍去病らか匈奴を制圧した記念に漢の馬に押しつぶされている石の彫刻があった。国宝とのこと。
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 大仏寺の門前には、約20cm ~2mの長さの線香を売っているが、買った人が、境内で線香を炊こうとしたところ、寺院内は火災の恐れがあり、NGとのこと。寺の外の駐車場ならOKらしいが、それを知りつつ門前で黙って販売するのはチョット詐欺商法の感がある。

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4月2日(月)晴れ
 今日は平涼から蘭州まで370kmの移動だ。高度高原を走り六盤山を突き抜けるルートだ。今はトンネルがあるので困難な旅にはならない。例年、雪が残っているとのことだが、今年は暖かくその心配は無用だった。
 かつては成吉思汗が西夏王朝を倒した後、モンゴルに帰国する途上で、この六盤山のどこかで亡くなったという。また、毛沢東をリーダーとした中国共産党は江西省から国民党に追われ、延安に行く長征でもこの山をほうほうの体で多くの落後者を出しながら通過している。
 日本を出てから4日目だが、お腹の調子が悪くバスの中ではほとんど居眠りをしていた。長旅なので健康に留意しなければと思っていたが、こんなに早く調子が悪くなるなんて、これからは注意をしなければ。

高度高原の六盤山は荒涼としている、然し山麓は様々な花が咲いていた。
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蘭州を流れる黄河は名前の通り黄色く濁っていた。
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濡れた羊皮筏子を干している
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西遊記のモニュメント
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生きている孫悟空
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4月3日(火)晴れ
 おなかの調子はいまいちだが、甘粛省博物館と世界遺産の炳霊寺に向けて出発。今日の気温は2℃~20℃とのこと。朝は少々寒い。

甘粛省博物館はさすがにシルクロードに位置する博物館だ。収蔵品や展示方法など中々だと思う。
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 前漢時代の馬のブロンズ像、これは中国営の中国青年旅行社のマークにもなっている。また、壁画には郵便配達者の像が描かれている。これも中国郵政局のマークとなっている。
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シルクロードなので仏教関係のものも多く、また、恐竜の展示もあった。
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 博物館から劉家峡ダムに出かける。ここは、前胡錦涛主席が数年間ダム建設で働いていたところでもある。このダムは黄河にあり、容量57億立方メートルと、黄河流域で最大の規模をもつダムで、発電能力も116万キロワットと水力では最大。劉家峡ダムから1時間ボートに乗って世界遺産の炳霊寺へ。

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炳霊寺の石窟には大仏像もあり西秦、北魏、唐、明の時代に造られたものがほとんどで、その数は169にのぼる。
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4月4日(水)曇
 今日は蘭州から張液を目指す。そして途中に武威に立ち寄る。570kmの行程だ。蘭州を出ると左に祁連山脈、右に北山山脈にはさまれた回廊を走る。途中、海抜3000mクラスのの烏鞘嶺を越える。以前は山越えの難所であったが、今は5本のトンネル(3km,7,km,1km,7km,3km)があり、随分楽になったようだ。以前観たNHKの番組「シルクロード」では、確か重連の蒸気機関車が山を越えるシーンが有った記憶がある。
 武威の街は古くから栄えており、マルコポーロが立ち寄った際に元の都である大都と間違ったとか。街の郊外に曹操の娘の墓『雷台漢墓』がある。ここから有名な『馬踏飛燕』のブロンズ像が発見された。実物は甘粛省博物館で見学済み。また、武威は唐の時代に鳩摩羅什が17年間インドから持ち帰った仏典の翻訳のため強制的に足止めされた街でもある。 

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 この雷台漢墓は非常に狭いが、墓の中に入ることができる。そして棺室に入ると副葬品のブロンズ製のレプリカの装飾品を見ることができる。本物は同じく甘粛省博物館に収められている。
 
墓の入口
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棺室の副葬品のレプリカ
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馬踏飛燕のブロンズ。本物は40cm程度 副葬品を拡大したブロンズ像
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 武威から張液を目指す。途中は小雪が舞うあいにくの天気だ、明の時代に造られた長城跡がバスの窓から見える。雪を頂いた山麓には土でできた長城があり2.5kmごとに烽火台がのこっている。
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長城を道路が突き抜けている 
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街にはマルコポールの像かある
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4月4日(木)曇りのち晴れ 気温は-8℃~4℃
 今日は張液からゴビ砂漠を走り嘉峪関に至る240kmの行程。ただ、気温が低く震え上がる。中国では砂漠は「沙漠」と「砂漠」があり、沙は細かい粉のような砂、砂は石ころの意味だそうで、ゴビ砂漠は石ころだらけの砂漠。

 ホテルを出発して先ず、昨日寄れなかった張液の大仏寺に立ち寄る。ここはマルコポーロも立ち寄り、巨大な涅槃物を見学したと見聞録に記載している。門前は柳の並木道で中国的清明節にもかかわらず早朝なので人がいない

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 大仏寺から嘉峪関手前にある「魏晋壁画墓」に行く。棺室に入るには10名程度の人数に制限されているため、先客のオーストラリアの観光客が見終わるまで約半時間待機する。中に入ると陶板の上に彩色された絵を鑑賞する。絵の題材は日常生活の模様が描かれており、当時の貴族の生活ぶりがわかり非常に面白い。残念ながら墓の中は、写真はNG。

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この建物の中から墓の中に入る
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 魏晋壁画墓からいよいよ嘉峪関に向かう。さすがに休日のせいもあり、観光客でにぎわっている。この地は明代の最西の長城がある。

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嘉峪関の城内に入る
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明代の長城が祁連山脈まで伸びている
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砂漠にはラクダが休憩中。
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街の長見かけたシーン、スクータに羊を乗せて走っている。DSC_2451 (800x533)

 日本を出てから丁度1週間がたつ。つくづく、日本の気候は穏やかで住みやすいかがよくわかる。今回の旅行での発見は観光地のトイレが見違えるほど快適(日本ほどでないが)に改善していることだ。以前の中国のトイレのイメージはネガティブなものばかりであったが、5星や4星のトイレができている。習近平の鶴の一声による『トイレ革命』の結果だろう。何はともあれ一党独裁のおかげだ。


4月6日(金)晴れ -5℃~15℃
 朝はさすがに震える寒さ。今日は嘉峪関から敦煌へ570kmを移動。途中、瓜州に立ち寄り、敦煌の莫高窟の姉妹窟といわれる楡林窟を見学。道中は左に祁連山脈を見ながら進む。瓜州は風が強いことでも有名だそうだ。ゴビ砂漠の中に何百もの風力発電機のプロペラが回っている。砂漠のため、太陽光線も不自由しないので、ソーラ発電までやっている。このように再生可能なエネルギーを積極的に活用している中国は正直素晴らしいと思う。それに引き換え、日本のエネルギー政策は、いまだに原発は安全で廉価なエネルギー源と言っている。これは利権構造の最たるもの。

冠雪している祁連山脈  
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ゴビ砂漠を列車が行く
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1基、約2千万円の風力発電機
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風力発電機の下にはソーラ発電機
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烽火台が見える
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 瓜州の楡林窟はかなり辺鄙なところに位置しているため、観光客は少ない。唐、宋、明、清の時代の石窟で今回は7個の窟を見学。カメラや荷物は預けるシステムだ。ただし案内係りがしっかり説明してくれる。

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 瓜州から敦煌に向かう。敦煌は河西回廊の最西に当たるところだ。古来よりシルクロードの交易の中心地でもある。時間の関係で今日は鳴沙山に立ち寄る。10年ほど前に来たときと比べると月牙泉のオアシスの水量は明らかに増えていた。

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 体調もかなり良くなった。今日は敦煌に連泊するため、たまった洗濯をしなければ。


4月7日(土)晴れ 
 今日は朝から敦煌の莫高窟を見学。以前と異なり莫高窟から車で10分程度のところの劇場に連れて行かれる。先ず、敦煌の歴史について30分程度の映画を見せられる。その後は隣の360度、3D画像の莫高窟内の様子の映画をみせられる。これも30分程度。この2本の映画を観なければ莫高窟の見学はできないそうだ。その後はシャトルバスで莫高窟に向かう。中国政府が、見学者に上から目線で教育している感じだ。チョット不愉快な感じだ。

 莫高窟は、以前はカメラの持ち込みは禁止されていたが、窟内の写真を撮らなければOKとなっていた。莫高窟は45窟、57窟の見学は特別料金400元(約7200円)を請求される。その後は329、323、234、325、251、249、148窟を見学する。中でも井上靖氏の恋人といわれる菩薩像は豊満で優しそうな感じで、保存状態も素晴らしかった。
 井上靖の小説『敦煌』は、井上氏自身がまだ敦煌を訪れたことがなく小説を上梓している。また、NHKの『シルクロード』の音楽を担当したキタローもシルクロードを訪れたことがなく作曲したそうだ。二人の想像力は天才的と思う。

窟内の写真はNGなので外から撮影する
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甘粛省では楡の花を小麦粉と和えて蒸し韮を加えた料理がある、中々乙な味。
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 午前中に莫高窟の見学を終え、玉門関、漢の長城、河倉城に向かう。道中は100km程度の距離があり、ゴビ砂漠を行く。砂漠に生えているのは、ラクダ草、セキセキ草、タマリスク程度だ。途中に蜃気楼を見る。

蜃気楼がかすかに見える
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玉門間は2千年前のもので、風化により土の塊となっていた。
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 若い中国人の観光客が多い。観光地の熱気を見ていると約半世紀前の大阪万博を思いだす。あの頃の日本人の熱気によく似ていると思う。   
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ラクダ草
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漢の長城も2千年以上前のもので、かつては高さ8mあったそうだ。
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烽火台
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こちらにも烽火台があった
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 今日で漢民族の支配していた世界は最後となった。明日は、いよいよ西域に入る。シルクロードの世界である。

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2011年秋に完全リタイアー。現在は毎日が日曜日の素浪人。そして地球の何処かを徘徊中。

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