17.09.19-28 バルト諸国旅日記・その2

【4日目】
 昨日、夕刻にリガから南へ約270kmのリトアニア共和国のカウナスに移動。カウナスは15世紀にハンザ同盟の代表部が設けられた都市でもある。両大戦間の22年間、ヴリニュスに代わり首都となった都市だ。

街のシンボルの旧市庁舎はバロック様式の建物で1542年に最初の礎石が置かれたとされている。その後は何度か立て直されたようだ。今は歴史博物館になっている。

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また、15世紀に建てられたバロック建築として「ベルクナースの家」がある。キリスト教以前には、この場所には雷神ペルクス―ナを祀る祭壇があったと伝えられている。

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17~18世紀にかけて建造された、イタリアバロック建築の傑作と称される、ベネディクト会の修道士によって築かれた「パジャイスリス修道院」は絶品。毎年夏に開催される国際音楽祭の会場の一つでもある。

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15世紀に建築された「聖ペテロ&パウロ大聖堂」もカウナスの人々の誇りでもある。

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旧市庁舎とパジャイスリス修道院

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聖ペテロ&パウロ大聖堂内の様子

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第二次大戦初期、ナチスの迫害を逃れ日本通過に活路を求めて来たユダヤ人に、本国の指示に背いてまでビザを発給し、多くのユダヤ人の命を救った杉原千畝氏の功績を顕彰している。先ず、旧日本領事館兼自宅が「杉原記念館」、領事館を閉鎖してからも7日間滞在しビザを発給し続けた「メトロ-ポリスホテル」、そして、リトアニアを去る列車の中で最後のビザを発給したそうだ。その間の約半月は昼夜を分かたず、ペンが折れ、腕が動かなくなるまでビザの発給を続けたそうだ。本当に頭が下がる外交官だ。然し本国での評価は低かった。

記念館を表す道路標識

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杉原記念館

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領事館内の執務室

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 領事館を閉鎖した後、7日間滞在し、ビザを発給したメトロポリスホテルと顕彰碑

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リトアニアを去りベルリンに向かう列車で最後のビザを発給した駅舎と顕彰碑。

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午後からリトアニアかの首都ヴリニュスに向かう。約100kmの行程だが、車窓は、バルト3国はほとんど同じような景色で代わり映えしないが、林の中を走っているようで非常に気持ちが良い。高速道路なのか一般道なのかわからないが、速度は時速120kmだ。

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【5日目】
 ヴェリニウスの旧市街は世界遺産である。タリンの城壁やリガの運河の様なはっきりと境界となるものはない。そして天を突くようなゴシック教会の塔は見当たらない。通りを曲がるごとに柔らかな線のカトリック教会が姿を現す。

ヴェリニウスの中心、大聖堂と鐘楼。鐘楼は珍しく別の建物となっている。

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聖堂の中はシンプルだが、よく見ると十字架の下に三角形の像がある。これは三位一体の象徴でもある。また友愛結社「フリーメイソン」の象徴として用いられ、1$札の裏面のデザインにも使われている。

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 17世紀初頭の聖ペテロ&パウロ教会、内部の装飾は豪華絢爛。

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ドームの内側の様子。聖ペテロが漁師だったため天井から船の形をしたオブジェがつるされている。

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聖カジミエル教会はリトアニア人の守護聖人を祀っている。帝政ロシア時代は建物の王冠が”タマネギ”に付け替えられロシア正教の教会に、第一次大戦後はドイツ占領下ではプロテスタントの教会に、ソ連時代は「無神論博物館」になり目まぐるしく変わった。

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三位一体協会はウクライナ・カトリック教会という珍しい宗派だそうだ。東方正教の儀礼を残し、ローマ法王に仕えるというもので、一種の宗教的妥協の産物。たまたま中に入ると幼児洗礼の儀式が行われていた。やはり宗教が人々に根差したものと感じた。

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三位一体教会の内部は豪華だ

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幼児洗礼の儀式

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ヴェリニウスには元来9つの城門があったそうだが、現在はただ一つ「夜明けの門」だけが残っている。そこは小さな礼拝所が残っており、聖母のイコンは奇跡を起こす力があると今も信じられているそうだ。

正面の夜明けの門の上が礼拝所

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夜明けの門の上から市街を望む 

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礼拝所にある奇跡を起こすイコン

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イコンに祈りを捧げる人々

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午後から30kmほど離れたトゥラカイに向かう。ここは以前リトアニアの首都がおかれていたそうだ。トゥラカイは赤レンガの古城が水面に映え、おとぎの国のような風景だ。

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 城の中の広場 

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城の内部

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城門にかかる橋

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城門の外で白鳥?に餌を与える少女
   
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【6日目】
 ヴィリニュスを出発し、約220km先のラトビア国境近くのシャウレイに向かう。ここは有名な「十字架の丘」がある。大小無数の十字架が立ち並ぶさまは壮絶という言葉に尽きる。ただ、ここは墓地ではないので、死体は埋められていない。最初の十字架は1831年のロシア蜂起の後、処刑や流刑にされた人々の鎮魂のために建てられたという。その後は抑圧された民族、宗教の象徴として扱われてきた。ソ連時代はこの丘は禁域とされ、KGBと軍によりブルドーザを使い何度もなぎ倒され焼き払われたが、その都度、人々は夜陰に紛れて、新たな十字架を立てたそうだ。現在十字架の数は5万とも6万ともいわれている。しかし、毎日観光客が十字架を何百も建てたり吊り下げたりしているのでもっと多いかもしれない。

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ユダヤ人のものと思われるダビデの星

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丘のふもとの土産物店には様々な十字架を売っている。

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午後、シャウレイの丘から国境を越えて130km先のラトビアのリガを目指す。夕刻、リガに到着。リガは旅行の3日目に来たところだ。効率の悪い行程だが仕方がない。前回見逃したところを見学する。

リガの旧市街は世界遺産だ 

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聖ヤコブ教会

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「三人兄弟」と呼ばれている建物は3棟が肩を寄せ合って立っている中世の建物だ。外観は建てられた当時の姿をほぼ保っている。3棟それぞれ、その時代を反映した特徴を備えている。一番右は長男で15世紀の建物であるが、年を経るごとにだんだん小さくなっている。

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三人兄弟の建物の近くにはラトビアの大統領官邸や一院制の国会議事堂がある

ラトビアの大統領官邸 警備員は1人だけでただの低層マンションのようだ。

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国会議事堂も小国らしく、いかめしい警備もなく好ましく感じた。

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多くの十字架、まるで願い事が書いてある神社に奉納の絵馬のようですね。
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2011年秋に完全リタイアー。現在は毎日が日曜日の素浪人。そして地球の何処かを徘徊中。

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