17.09.19-28バルト諸国旅日記・その1

【1日目】
成田に向かうため、早朝6時過ぎに横浜シティーターミナルに到着。然し、関東自動車道で死亡事故があり通行止め。仕方なくJRの成田エクスプレスに乗り換えやっとのことで出発時間に間に合った。

最初の目的地ヘルシンキまでは10時間20分のフライト。日本とは時差が6時間あり現地へは14時50分に無事到着。ヘルシンキは北緯60度に位置するため、気温は9℃であった。

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機内食が2度出たが、2度目の機内食は吉野屋の牛丼が出た。紙箱に入ったもので、並盛の2/3程度の量。下真はランチョンボックスの開き方が書いてあった。チョット手ぬきの感じがした。下のチケットはヘルシンキからタリンの国際フェレリーの乗船券。

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初日の予定は、ヘルシンキからエストニアの首都タリンに向かう予定だが、フェリーの出向が19時30分なので暫しヘルシンキを観光する。フィンランドの首都ヘルシンキは港町だ。鉄道の駅も港近くにあり地下鉄や路面電車等インフラは整備されている。フィンランドの人口は530万人程度でアジア諸国と比較すると非常に少なく感じる。国連で発表される、教育レベルの順位では、いつも世界トップである。やはり、暗記や詰め込み教育ではなく”考える”ことに重点を置いた教育の成果だろう。

港近くの『ヘルシンキ大聖堂』は街のシンボル的教会だろう。1852年に完成したドームを中心とした左右対称のデザイン。大聖堂の前は『元老院広場』でアレクサンダー2世の銅像があり、市民の憩いの場だ。この近くにはロシア正教の『ウスペンスキー寺院』があり、中に入ってみると豪華絢爛。北欧最大のロシア正教会だと納得。

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フェリー乗り場の近くは路面電車が走っており交通の便が良い。フェリーの波止場近くではテントが並び、土産物屋、食品、ファーストフードを扱う露店があった。然し、人口が少ないためか、少々寂しい感じがする。

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露店ではキノコやベリー系の果物が
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いよいよエストニアのタリンに向け出発。緑色の船がタリン行きのフェリー。港にはたくさんのクルーズ船が停泊していた。

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【2日目】
 昨夜遅くラトビアの首都タリンのホテルに到着したが、時差の関係か体のスイッチが入らない感じだ。タリンの観光は後回しにし、約200km離れたロシアの国境近くのタルトゥに向かう。ここは11世紀からハンザ同盟で栄えた街だ。1632年にスエーデン王がグスタフィアナ学院(後のタルトゥ大学)を創設した地でもある。人口は14万人だが、エストニア第2の都市である。学園都市だからか、落ち着いた少々アカデミックな感じがする。

 タルトゥ大学の校舎はギリシャ建築の様な重厚な感じの建物だが、建物の外壁や窓のイラストは堅苦しくなく自由な感じがする。そしてキャンパス内の歩道の周りにも十分な緑地があり、散策しても気持ちがいい。少し小高い場所からは聖ヨハネ教会が望める。

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歴史がある街なので、市庁舎前のラエコヤ広場はカフェが立ち並びヨーロッパらしさを感じる。タルトゥ美術館は地盤の弱いところに建っているためか、肉眼でも傾いているのがよくわかる。

ラエコヤ広場  
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タルトゥ美術館
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歴史がある街なのでマンホールの蓋もそれなり
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タルトゥの街から南下しラトビア共和国に入る。国境を越えるという実感がない。注意していると道路表示板で国境であることがわかる。ちょうど日本の県境を越える感じだ。タルトゥから約250kmでラトビアの首都リガに至る。やはり到着は夜となった。


【3日目】
 ラトビアのリガはバルト3国の中でも抜きん出た大都市だ。タリンの様な古風さはない。より開放的な都会の空気を感じる。そして13世紀にはハンザ同盟に加盟していた街でもある。教会や商家はこの当時のものが多い。16世紀から19世紀にかけてポーランド・リトアニア連合国、スエ―デン、帝政ロシアの支配下に入り、特にロシア時代は「ヨーロッパの窓」としてロシア第3の大都市に成長。そして新市街には『ユーゲントシュテール(アールヌーボウ)』様式の建物群がある。

 リガの第一日目は朝から中央市場に出かける。この市場は東ヨーロッパ最大の市場といわれる。建物は1998年に世界遺産となったもので、元は1930年にツェッペリンの飛行船の格納庫4棟を移築したものだ。

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市場には季節のためか、ブルーベリー、キノコやハロウィン用のかぼちゃが目についた。

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市場から少し行けば世界遺産のユーゲントシュテール建築群がある。かつては「バルトのパリ」と呼ばれた街並みもソ連時代は手荒く扱われたため、「零落した貴婦人」と皮肉を込めて呼ばれたそうだ。サンクトペテルブルクの建築家ミハエル・エイゼンシュティンの建築した建物がお多く残っている。彼の息子は映画監督のセルゲイ・エイゼンシュティンで、作品の『戦艦ポチョムキン』は完璧なモンタージュ方式を確立したとしたものとして有名だが、ラトビアではソ連のプロパガンダの手先としての評判はあまりよくない。
米国の投資家ジョージ・ソロス氏が建物2棟を買い取り、リノベーションの後、ラトビアに寄付をしたという。彼はハンガリー生まれのユダヤ人だが、何か思うところがあったのかどうかは不明。

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建物の内部の螺旋階段は非常に優雅であるが、エレベーターがないので住民は少し不便では。

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建物には建築家ミハエル・エイゼンシュティンのレリーフが飾られていた。

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旧市街は中世からの建物も多く存在している。中でもリガ大聖堂、外観は少し質素な感じだが、中は非常に豪華だ。そして大聖堂の時計の機械の一部が展示されていた。

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国立オペラ座

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自由記念塔

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リガ市は神戸市と姉妹都市らしい。神戸から送られた時計が道路わきに建てられていた。

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スーパー内には寿司が販売されている。 

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リガの街を取り囲んでいた堀の名残である運河が流れ、それに沿って緑豊かな公園が広い帯のように続いている。 

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ブラックヘッドの会館の時計の下には旧ハンザ都市リガ、ハンブルク、リューベック、ブレーメンの紋章がある。この会館前の市庁舎広場は中世には市場が開かれ、魔女の火あぶり、市の条例発布等が行われただろう。

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2011年秋に完全リタイアー。現在は毎日が日曜日の素浪人。そして地球の何処かを徘徊中。

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