17.05.15-25イラン雑感 

 かねてから『イラン』というより『ペルシャ』に行きたいと思っていた。この度、やっと実現したこととなる。イランに入国するには旅券に敵対国であるイスラエルに入国したスタンプが押印されていると入国ビザの発給が認められない。旅券には2013年にイスラエルに入国したスタンプの押印があり万事休す。今回はイラン入国のための一度きりの「限定旅券」を申請し、イランに出かけた。その間は従来の旅券を日本政府に預託し、イランから帰国後は限定旅券を返納の上、従来の旅券を返戻してもらう。

 イランという国はかつて、途方もなく巨大国家であった。古代アケメネス朝ペルシャ帝国(紀元前550~紀元前330)の時代は、現在のパキスタンからトルコ、ギリシャ、エジプト、中央アジアまで広がる大帝国であった。その後のササン朝以降で、自信を取り戻し、最も強大な力を発揮したのがサファビー朝である。サファビー朝とは16~18世紀に栄え、その領土は現在のイランからイラク、シリア、トルコ、アゼルバイジャン、アフガニスタン、パキスタンなどにまたがる広大な地域に及んでいる。

 そもそもイランの国土はアメリカのアラスカ州と同じぐらいの大きさである。世界第三位の埋蔵量を誇る産油国で、石油は世界の埋蔵量の11%。天然ガスは15%を占める。

 石油と天然ガスの収入がイラン政府の主な財源だが、サウジやカタール、ドバイなどのように国民が税金を払わずに済ませるほど甘くなく、人口が多い。イランはかなり早い時期に工業化が進み、農業もカナートにより盛んである。GDPの内訳も鉱工業、農林水産業、小売り卸売業、サービス業と石油一辺倒でなくバランスが取れている。しかし現在でも、経済制裁の影響で物価上昇に悩まされており、なかなか上手くいっていないようだ。

 イランの貿易依存度(2012年)は輸出で19.0%、輸入で11.2%と世界的に見てもかなり低い数字だ。食料から加工品まで幅広い分野で自給能力が高い。革命以降長期にわたり、「反グローバリズム」的な姿勢が国の体力維持につながっている。

 中東では人口規模でトルコ、イラン、エジプトはいずれも7~8000万人だ。3か国の1人当たりの購買力平価GDP(2015年)で比較するとお凡そ2万ドル、1万5000ドル、1万1000ドルとなる。イスラム革命以前の長い歴史を通じて、外国の搾取に苦しんできたイランは経済を解放することの難しさを痛感している。グローバリズムを簡単には信じない。

 イランのお札はインフレのためゼロが多く付いている。因みにUS$10を両替したら350.000リアルであった。ゼロを1つ間違ったり、計算が非常に面倒。お札のデザインはホメイニ師。イランでは聖徳太子のような存在。ホメイニ氏を批判したりすると罰せられるとか。

お札の表はペルシャ文字の数字。裏のアラビア数字で確認する。それにしてもゼロが多い、
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街にはホメイニ師やハメネイ師の写真が飾られている。さながら昔の御真影。
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 イランのモサデク首相は1951年「イランの富はイラン人の手に」との理念のもとに石油国有化法を断行した。当然石油メジャーは軍艦を派遣し威嚇した。そして海外にあるイランの資産は凍結された。1953年に出光興産が「日章丸2世」をアバダン港に差し向け、「石油国有化」を宣言したイランからガソリンと軽油を日本に持ち帰った。この話は「海賊と呼ばれた男」(著百田尚樹)で有名だ。従いイランは非常に親日的。

  インフレに悩むといっても日本と比べれば為替の関係もあるが、テヘランの地下鉄は全線同一料金で片道券は5000リアル、往復券は8000リアルで15~20円程度。ガソリン代はさすがに産油国1リッター30円程度だ。

テヘラン市内の地下鉄は庶民の足。
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  途上国と思われるのは著作権の意識が低いことが見られる。どこかで見たことのあるようなロゴだ。バザールに行けば中国製の偽物のブランド商品を多く見かけた。

ハンバーグのファーストフード店
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バザールの様子
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  たまたま旅行中に大統領選挙があり、親欧米の保守穏健派のロウハ二大統領が再選された。オバマ大統領時代に経済制裁解除にこぎつけた外交を国民が支持したのだろう。今年、アメリカがトランプ政権になり、また経済制裁を云々しているが、イラン国民は明らかにロウハ二大統領の自由化路線を支持している。イランで感じるのはイスラム法学者のハメネイ師がイスラム法をの下に政策の是非を判断する政治の二重構造だ。これは1979年のイスラム革命でホメイニ師が亡命先のフランスから帰国して以来このような方式だ。中国も李克強首相の上に共産党の習近平総書記がいるのとよく似ている感じがする。

街頭の選挙ポスター
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  イランはイスラム教国家だが、他のイスラム教国家と違い少数派であるシーア派を国教とする。イスラム教徒は「アッラー」、「天使」、「経典」、「預言者」、「来世」、「天命」の6つを信じ、「信仰告白」、「礼拝」、「喜捨」、「断食」、「巡礼」の5つをする。これをまとめて「六信五行」という。イスラム教は宗教というより「生活規範」に近い。

 今年は5月28日から断食が始まる。断食の存在意義は断食により、食べられる幸せを再確認。満足に食べられない人のことを考える。煩悩を抑えるための忍耐を養う。

喜捨をするのが宗教的な義務なので、街中には至る所、喜捨用のドネイションボックスがある。
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 イランの街には大小さまざまなモスクがあるが、その町の一番大きなモスクを『金曜モスク』と呼ぶそうだ。革命以降のイランはイスラム教が生活の中心となっているような感じがするが、実際は随分緩やかだと感じる。イスラム国に行けば、モスクから必ず大音量でアザーン(コーランの一節やお祈り)が1日5回聞こえてくるが、イランではほとんど気が付かなかった。シーア派は1日5回のお祈りも3回でも構わないそうである。スンニ派の国ではドライバーはモスクがなければ道路沿いでマットを敷いて、お祈りをする人を見かけたが、イランでは一度も見かけなかった。

  厳格なサウジの様なイスラム国では結婚は不平等。男は4人まで妻を持つことが認められる。離婚も男は一方的に宣言すればよい。その逆は存在しない。男性は異教徒の女性と結婚できるが逆はできない。また、シャリア法でイスラムの5大義務を定めているが、同様に犯罪の刑罰も定められている。殺人、レイプ、麻薬、政治犯、同性愛者に対しては死刑。窃盗、痴漢などは手首切断。ラマダン中の飲食や不法な集会はむち打ち刑や罰金。未成年でもシャリア法では男性は15歳、女性は9歳から死刑を執行することが可能。基本的には「ハムラビ法典」からきており、「目には目を、歯には歯を」が原則。

  イランは宗教でも徹底した男女分離が行われている。地下鉄は女性専用車があり、バスは前後で席が分かれる。スキー場や水泳場は分離されている。病院や学校も分離されている。そして男性には男性の教師、女性には女性の教師が教える。しかし、公園などではデートと思しき若者をみかけることもあった。

  一般的にアラブの国は男性のアラブの服装(上からすっぽり被り足首まである)がトイレで不便なため小便器に比べ個室が多いが、イランは空港や博物館、レストラン、ホテル、モスクなどの公共の男性トイレは小便器がなく全て個室だった。最初、空港で入った時、女性用トイレに間違って入ったかと、慌てて外に出て確認した。表示はペルシャ語と絵文字だけ。男性が入ったので安心した。どうもイランは服装が原因でないらしい。

イスファハンの金曜モスクの男性用トイレ
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 歴史的にイラン人はコーカサス地方から南を目指しやってきた白人(コーカソイド)である。西に行ったのがゲルマン人、東南に向かったのがインドとパキスタン人だ。イランという国名はペルシャ語で「アーリア人の国」で1935年に国名を「ペルシャ」から「イラン」に変更した。当時のドイツはナチス政権下で「優れたアーリア人」を主張していた。ドイツは多くの専門家を派遣しイランの近代化に貢献している。

  7~8世紀の中国唐時代に国際都市であった長安(西安)には多くのソグド人(イラン人)が住んでいた。有名な「安史の乱」の首謀者で玄宗皇帝に反旗を翻した安禄山はソグド人であった。長安城外の酒場には紅毛碧眼(へきがん)の<胡姫>がいたという。今で言えば東京のバーに金髪の外人ホステスがいるようなものである。

さすがにソグド人の末裔は美人ぞろいだ
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  イランは紀元前の偉大な遺産、ペルシャ帝国という文明があり世界遺産に認定されている。一方アラブはエジプトのピラミッドとスフインクス程度と小ばかにする。イラン・イラク戦争はシーア派とスンニ派の戦いであった。スンニ派の国はイラクのフセインを支持し、その後の湾岸戦争はイラクでなくアメリカを支持した。さらに2002年のアフガニスタン紛争や2003年のイラク戦争ではアメリカを非難しながら何もしなかったのみならずサウジは軍事支援すら行った。そのサウジアラビアは工業化の水準、教育水準、労働力の構成、国民のアイデンティティの強さなどを考慮したらサウジアラビアは到底国家と言えないと思う。イラン人がバカにするはずだ。

  1979年に親米国家であったイランのパーレビ王朝が倒れ、「イスラム共和国」が設立された。この革命の騒擾を見た隣国のイラクは隣国イランに侵攻し、「イラン・イラク戦争」が8年にわたり結局勝敗が付かずに終結した。イランという国家や民族を理解する際に被害者意識と同様に独特のプライドの高さを感じる。近世のサファビー朝以降はロシア、英国に侵略され領土が縮小した。イラン・イラク戦争でもイラクの後ろに付く諸外国を敵に回し、孤独な戦いを強いられた。

  イランはペルシャ語でペルシャ文字の国だ。従い、あまりアラビア数字を見かけない。車のナンバープレートもペルシャ文字だ。バザールの商品価格もペルシュ文字表示。日本人にはチョットつらい。然し旅行中にはなんとなく数字が分かるようになった。

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  イランは世界の標準から離れている。イラン人は西暦でなくイラン暦で生きている。イラン暦とは預言者ムハンマドが聖地メッカからメディナに遷都(ヒジュラ)した西暦622年を起点としたものである。それとイスラム暦も広く使われラマダンなどはこの暦に依っている。国際的には西暦なのかよくわからない。

新聞の赤字の新聞社名の下の細かい字にはイラン暦、イスラム暦、西暦の順で日にちが書いてある。
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  2016年1月に核開発問題協議での合意を受け、欧米諸国による対イラン経済制裁が解除された。海外に凍結されていた資産1500億ドルといわれる資金がイランに戻る。その一部がパレスチナやシリア難民等、周辺国の支援に回ればイランの存在感は増していく。サファビー朝を想起させる「大シーア派圏」が現実味を帯びてくる。そうなればいいのに。

 イラン人にとってイスラエルは不倶戴天の敵である。イスラエル人も同様だ。しかし歴史的にみると、古代アケメネス朝ペルシャのキュロス大王は、紀元前538年のバビロン攻略の際、とらわれていたユダヤ人を解放。彼らのエルサレムへの帰郷を許したことが、『旧約聖書』にも記述されている。しかし今のユダヤ人は感謝しているとは思えない。
イランはイスラエルとスポーツの国際試合で対戦する場合は一般的に辞退する。試合に出ることはイスラエルを国として認めることに他ならない。2004年のアテネオリンピック大会で柔道のアラシュ・ミレスマイリはイスラエル選手との試合を辞退した。帰国後は最高指導者のハメネイ師から「10個の金メダルより尊い決断」として称賛された。

 イランで男女が結婚する場合は男女間で「メフェリエ」と呼ばれる契約を交わす。これは男性が女性に払うことを約束する「結納金」の様なもので離婚の際は完全に履行することを義務付けられている。若しものために高額のメフェリエを要求する傾向が強い。因みに1990年前後に日本に出稼ぎに来ていたイラン人男性と結婚した日本人女性は、このメフェリエの理解しておらず夫が勝手にメフェリエを設定し、「聖典(コーラン)1冊」や「バラの花1輪」等役所に届けるケースが多かったそうだ。

  旅行中に会った人達を見ているとイラン人は素敵な人ばかりと感じる。一般的な日本人のイランに対する印象は、怖い国、危険な国と思いがちだが、決してそうではなく、若い人が多いこれからの国と感じた。




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2011年秋に完全リタイアー。現在は毎日が日曜日の素浪人。そして地球の何処かを徘徊中。

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