17.05.15.-25ペルシャ旅日記

【初日】・・・成田発と違い羽田発なので、ゆっくり自宅を出発し深夜便で中継地のカタール、ドーハに向かう。

【2日目】・・・羽田からドーハ経由でテヘランに。約12時間の空の旅。ドーハは東京と比べ6時間の時差がある。午前5時50分に到着。8時発のテヘラン行きに搭乗し2時間で目的地テヘランに到着。テヘランは東京と比べ時差4時間半、再度時計を調整。

空港から『絨毯博物館』と『宝石博物館』に向かう途中に、イスラム革命の偉大な指導者でイスラム共和国樹立の立役者、ホメイニ師を称えるエマーム・ホメイニ霊廟を車窓から見る。葬儀の日には全国から大勢の人が詰めかけ1000万人を超えたといわれている。その人波のため聖なる遺体を乗せた霊柩車が立ち往生し、ヘリコプターが出動。また、イランでは19日(金)に大統領選挙が実施されるので道中、選挙ポスターが氾濫していた。

イマーム・ホメイニ霊廟は現在増築中。
ホメイニ廟

街頭は選挙ポスターが氾濫。
選挙

 絨毯博物館はイラン各地の有名な産地から100以上のアンティーク絨毯が展示されている。遊牧民たちが日常使うものを芸術品までに高めた民族の歴史を感じる。1枚"ン千万円"もするそうだ。

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 ホテルへの途上、『アーサーティー・タワー』に立ち寄る。ここはテヘランのランドマークだ。
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 「自撮り像」   イスラム教国は偶像崇拝禁止だが、イランは緩やかだ。
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 宝石博物館はイラン・メッリー銀行の地下金庫にある。革命前に王族が所有していた宝石コレクションがところ狭しと並べられている。入り口から展示場まで3回のセキュリティーチェックがあり、非常に厳重だった。勿論、バッグやカメラは持ち込み禁止で預けさせられる。従い写真は撮れない。国王の即位式に用いた王冠や1736年にインド遠征で戦利品として持ち帰った「孔雀の王冠」には26,000個の宝石がちりばめられていた。また、51,366個の宝石を使った宝石の地球儀、「光の海」という名で知られている世界最大のダイヤモンドなどが展示されていた。まさに栄光のペルシャ。

【3日目】・・・「イランの真珠」と称えられるイスファハンに向かう。途中のシーア派の聖地コムではハズラテ・マース―メ廟、オアシス都市のカシャーンでは世界遺産の『フィン庭園』に立ち寄る。

 コムに向かう途中の高速道路沿いにナマク塩湖を見るが、霞んでいてあまりよくわからない。高速道路も快適だ。
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 イスラム革命理論的指導者のホメイニ師はこのコムの学園で学び教鞭をとったそうだ。イラン・イスラム革命はこの町で起きた暴動をきっかけに始まった。イスラム共和制のもとでゴムは革命を主導してきた宗教保守派の牙城となっており,イラン国内政治における重要性は首都テヘランに並ぶ。

  イスラム革命理論的指導者のホメイニ師はこのコムの学園で学び教鞭をとったそうだ。イラン・イスラム革命はこの町で起きた暴動をきっかけに始まった。イスラム共和制のもとでゴムは革命を主導してきた宗教保守派の牙城となっており,イラン国内政治における重要性は首都テヘランに並ぶ。

ハズラテ・マース―メ廟
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 丁度、ハズラテ・マース―メ廟を訪れたとき、イスラム教による葬儀が行われていた。近親者と思われる人たちが台の上に置いた遺体を囲みお祈りをし、その後は遺体を担いでこの廟のモスクを回っていた。

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  オアシス都市のカシャーンは、オアシスの湧水を「カナート(カレーズ)」というトンネルを使い飲料水や農業用水として供給している。毛細血管のように張り巡らせた水路は総延長35万kmに達するという。この距離は地球から月までの距離だ。中国のウイグル自治区にあるトルファンのカナートはイランから伝わったとされており、トルファン地区だけでも1600本の井戸があり総延長は5千kmに達する。まさに古代のシルクロードの影響。

カシャーン郊外にあるフィン庭園はアッバース1世の命によりつくられたペルシャ式庭園。日本の庭園は縁側に座って眺め、深山幽谷などを思い描くわびさびの世界だが、ペルシャ式庭園は、西はスペイン・アンダルシアから、東はインドまで影響を与えた庭園の様式。アルハンブラ宮殿やタージマハルが代表的なもの。シンメトリーなつくりと回遊することが特徴と思う。

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 イスファハンには夜に到着。食後はズ―ル・ハーネといわれるイラン古来の体操を見学する。専用のレスリングジムのような処で独特の太鼓や鉦と節回しに合わせマッチョな男たちが「腕立て伏せ」や10~40kg程度の「こん棒」を両手に持ち振り回す。できる限り手首を使い体には付けない。これは圧巻。その他、片足で回転を続ける運動など、古来より男たちが体を鍛え、ペルシャの栄光を支えた。それにしても汗臭い風景。

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【4日目】・・・イスファハンのザーヤンデ川にはサファビー朝時代に造られた長さ300m幅14mの『33アーチ橋』がある。市民の憩いの場なのか、デートスポットなのか大勢の人が詰めかけている。水面に映るアーチが美しい。

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夜には同じザーヤンデ川にかかるハージュ橋に出かけるライトアップされていて美しい。
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  イスラファンにはモスクだけでなくアルメニア教会がある。これまでと少し雰囲気の違う場所に来たようだ。今まではペルシア語のアラビア文字ばかりが目についたが、キリル文字が書かれているのを見て、ここはホントにイラン?と思う。ここは、イスファハンの街を西から東に流れるザーヤンデ川の南側、アルメニア人が多く住むジョルファー地区。

よく見るとドームの上は十字架がある
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教会付属の博物館
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教会の内部はフレスコ画でキリストの物語がかかれている、イスラム世界とは違う
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中東で最初の印刷機
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その印刷機で印刷した聖書など
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  イスファハンの金曜モスクはバザールの隣にある。イラン・イラク戦争当時はバザールにロケット砲が撃ち込まれたそうで、今でもその傷跡が残っていた。金曜モスクも同様の被害にあっていた。 
 
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  イマーム広場の南側に佇むイマーム・モスク。これは、イランのイスラム建築の最高峰とも言える、サファヴィー朝時代を代表する建造物。当時の為政者アッバース1世の命により、1612年に着工し、26年をかけて建築。4本のミナレットが立つこのモスクは、遠くからでも非常に目立つ。まずはそのアーチ型の入り口の天井に施されている、スカイブルーを基調とした細かいタイル装飾が幾何学的に幾重にも連なっている部分が目を引く。まるで、蜂の巣の内部のように、幾何学的なくぼみが規則正しく連なっている中にタイル装飾が施されており、とにかく見事の一言。

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  イマーム広場は中国の天安門広場に次いで大きな広場といわれている。ドーム天井の美しいマスジェデ・シェイフ・ロトフォッラーはアッバースⅠ世の命により造られた王族専用のモスクだ。それにしてもアッバースⅠ世は建築好きの王様だ。ドームの内部もモザイクタイルの装飾で精緻である。

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40柱宮殿は現在改修中であった。実際の柱の数は20本だが、水面に映る柱も20本、合わせて40本となり、40柱宮殿となった。
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アーリーガーフ宮殿は広場を隔ててマスジェデ・シェイフ・ロトフォッラーの対面に位置する。この宮殿の2階に登るとイマーム広場全体が見渡せる。広場の池では子供たちが水遊びに興じていた。夜は広場全体と噴水がライトアップされる。
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【5日目】・・・ゾロアスター教の聖地やヤズドに向かう。この町を訪れた最初の西洋の旅行者、マルコポーロは「学識が高く優秀な人々が住む美しい町」と称えた。旧市街は迷路のように小路が入り組んでいる。建物の地下にカナートを利用した水を蓄えて風の塔から部屋に空気を送り込み気化熱を利用する天然のクーラーが面白い。ホテルもこの装置があった。水を貯える建物の地下は涼しく足を冷やす人もいる。

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ヤズドはゾロアスター教の聖地であり、ほんの70年ほど前まで鳥葬(風葬)が行われていた。イラン政府は衛生面から鳥葬を禁止しゾロアスター教徒にもイスラム教徒と同じように土葬を指導。今でも町はずれに、以前利用していた鳥葬場がある。この鳥葬場は『沈黙の塔』といわれる。鳥葬は男女別々の場所で行われていた。鳥葬はチベットとインド、パキスタンの一部で今でも行われている。

沈黙の塔   右側が女性用、左側が男性用
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男性用鳥葬場
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女性用鳥葬場
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風の塔の下でカナートの水で遺体を洗う
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遺体を洗うための地下入口
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沈黙の塔の鳥葬場にある遺体の衣服などを置く穴
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鳥葬場の出入り口 遺体は直接見えない仕組み
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遺族が鳥葬の終わるのを待つ場所 
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  ヤズドの金曜モスクはヤズドのシンボル的寺院。イスラム教徒がお祈りの際に地面に額をつけるが、直接地面に額をつけないように「モッフル」という陶器でできたものを使う場合もある。

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入り口の上の装飾
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敬虔な女性信者が黙々と祈っていた
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ドーム内部の装飾
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額を地面につける際に間に挟むモッフル
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【6日目】・・・ヤズドからシラーズに向かう途中にゾロアスター教の拝火神殿を見学。ここの火は1500年以上燃え続けている聖なる火を見る。

ゾロアスター教神殿
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神殿内で燃え続ける聖なる火
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  シラーズのパサルガダエは紀元前546年にキュロス大王(2世)のもとで建設が開始されたアケメネス朝の最初の首都である。パサルガダエとは「ペルシャの本営」という意味。

奥にあるキュロス二世のお墓に行くまでの道
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キュロス二世の墓
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  シラーズの大学の植物園が『エラム庭園』として世界遺産に登録されている。図書館も美しい建物で噴水のある池もあり、典型的なペルシャ式庭園だ。訪れた時は丁度バラのシーズンであった。  

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  6日目(5月20日)の前日19日に大統領選挙が行われた。イランの大統領選挙には4人が立候補、再選を目指す保守穏健派のロウハニ大統領と、反米の保守強硬派のライシ前検事総長による、事実上2人の争いとなっていた。結果はロウハニ大統領が57%の票を獲得したのに対し、ライシ師は38.5%にとどまり、ロウハニ大統領が再選を果たした。旅行業に携わり外国人相手のガイドは大喜びであった。 

 【7日目】・・・シラーズは、ザグロス山脈の中腹にある標高約1500mの位置にある。このシラーズは、その昔、このエリアの首都だったこともあり、歴史的な意義を持つ建造物が多い。この中に、極彩色に彩られる美しいモスクがある。マスジェデ・ナスィーロル・モスクだ。1876年から1888年にかけて建造されたモスクは、ステンドグラスを多用し、ピンクのタイルを使って伝統的な様式でデザインされている。マスジェデ・ナスィーロル・モスクという正式な名前よりも、通称の「ピンクモスク」、または「ローズモスク」と呼ばれており、その方がピッタリの感じだ。

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  シラーズからペルセポリスに移動する。ペルセポリスはアケメネス朝ペルシア帝国時代の紀元前518年、ダレイオス1世によって建設された約450mx300mの長方形の基盤の上に築かれた神殿跡。ペルセポリスはギリシア語で、「ペルシアの都市」という意味で、西アジアの3P遺跡の一つとして知られている。(ヨルダンのペトラ遺跡、シリアのパルミラ遺跡)  ペルセポリスを陥落させたアレクサンダー大王は、その財宝を運び出さすために、1万頭のロバと5千頭のラクダを使ったと言われている。宮殿、王座殿、謁見殿、宝物庫、ハレムなどが配置されていて、門を入ると、幸福を意味する伝説の鳥ホマや、牝牛の像などが並んでいる。翼を持った牡牛の身体に人間の頭がついた有翼人頭像は、偶像崇拝を禁止するイスラム教徒によって頭が落とされている。謁見の間は一段高い基壇にあり、レリーフが彫られた壁に囲まれている。レリーフには諸外国からの貢物が克明に彫られ、当時の王の権力が広範囲に及んでいたことを示している。王座殿には100本の柱が立っていたと言われているが、今は残っていない。周囲に居住跡がないことから、ペルセポリスはアケメネス朝の首都ではなく、諸王を迎える場として使われていたのではないかと、考えられている。それにしても圧巻で見終えた後は満腹の感じ。

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ペルセポリス宮殿の入り口にあるクセルクセス門
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ナグシェ・ロスタムにはアケメネス朝の王墓が並んでいる。クセルクセス1世、ダレイオス1世、アルタクセルクセス1世、ダレイオス2世の墓がある。ダレイオス1世以外は諸説がある。

日影がないのでラクダもグッタリ
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捕虜となったローマ皇帝の手首をつかむシャープル1世のレリーフ
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ダレイオス2世の墓の向いはゾロアスター教の神殿
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  ハムゼ廟はタマネギ型のドームと鏡張りのキラキラな内装が特徴。モスクの中に入るには女性はスカーフはもちろんだが、チャドルの着用が必要。しかし、厳格な割にはモスク内で寝そべって昼寝をしている人もいた。祈りの場であると同時にコミュニティの場でもあるようだ。墓石の上を土足で踏みながら歩くのは少々、抵抗感があるが、ここはいたって平気だ。墓参りに訪れた証か。

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モスクの外はバザールにつながっているというか、バザールの人達がモスクを寄進した。
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【8日目】・・・シラーズから陸路600km北上し、ペルシャ湾岸の町アフワーズへ。途中、イランの背骨に当たるザグロス山脈を横断する。アレキサンダー大王の遠征はこのザグロス山脈を越えてきたそうで、この峻厳な谷を通過したという。

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  シラーズから120km程度のビーシャープールに入る少し手前で岩場に彫られたレリーフを2つ見た。どちらも、3世紀、ササン朝ペルシアがローマ帝国との戦いで勝利したことを記念するものだ。こちらも、シャープール1世の対ローマ戦勝記念レリーフである。ナグシェ・ロスタムのレリーフが有名だが、敵方の皇帝をも捕虜とした歴史的勝利は、レリーフに繰り返し彫られる題材となっている。

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  遺跡のそばの川では夏休中の少年が水泳を楽しんでいた。そしてアフワーズの町に近かづくとペルシャ湾岸の油田地帯となり、畑の中で石油の副産物の有毒ガスを燃やしている。ここはペルシャ人だけでなく油田で働くアラブ人や中国人も多く目につく。

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【9日目】・・・アフアーズのホテルの新聞でトランプ大統領の中東訪問のニュースを見る。ガイドに新聞の大まかな内容を聞くと、サウジの国王がイランの選挙でローハニ大統領が再選されたことを「茶番劇」と非難しているそうだ。イランは男女とも選挙権と被選挙権があり、民主的に選挙で選ばれたわけだから、他国からとやかく言われる筋合いはないと思う。一方、サウジは憲法もないし、建国以来今まで選挙を実施したこともない。何をかいわんやである。イランはシーア派の国であり、中東のシリア、レバノン、イエメン以外はスンニ派の国で、周りを反イラン国に包囲されている。いつも臨戦態勢なので気が抜けない。

トランプ大統領の中東訪問を伝える新聞
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ホテルや公共の場では至る所にホメイニ師とハメネイ師の写真が飾ってある。御真影か?
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  古代メソポタミアを代表するチョガサンビルに出かける。この遺跡は1935年に油田調査中に偶然発見されたそうだ。105m四方のジッグラト(階段状ピラミッド)は3段目まではっきりと残っている。紀元前13世紀の中頃、エラム国の行政の中心地としてにぎわったようだ。紀元前640年頃にアッシリアによって破壊された。もともとこの建造物の頂上部分には、エラム人の最高神を祀る寺院であったそうだ。高さは当時としては驚異的な50mにも及んだ。

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観光客用か遺跡で働いている人用か不明だが簡易モスクがある。中は意外と涼しい。
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  アフワーズ近くの遺跡は基本的に日影がなく非常に暑い。やはりペルシャ湾岸に来たと実感。外気温は優に40℃を越えていただろう。ただ、湿気がないので助かる。この辺りはサトウキビの産地で、以前は製糖産業も盛んであったそうだ。

  チョガサンビルの近くに紀元前2000年頃のエラム王国時代の遺跡ハフト・タッベがある。王族の宮殿や墓、寺院などが残っている。遺跡の入り口には小さな博物館があり、発掘品やジッグラトの模型などが展示されていた。今から3000年以上とは驚く。

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  ハフト・タッベの近くにはシューシュという遺跡がある。ここはペルセポリスに匹敵する都だったそうで、1852年にイギリスの考古学者により発掘が始められ、その後フランスの考古学調査隊に引き継がれた。ただ、保存状態は良くない。また、めぼしい遺品は英仏両国の博物館所蔵。城のような建物はフランスの考古学調査隊によって築かれたもので遺跡とは関係がない。この城の手前には小さな博物館があった。この建物がある高台は、アクロポリスとして、アケメネス朝の城塞があった場所。ここからシューシュの町が一望できる。

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  遺跡から5分ほど歩くと、町のもう一つの顔、聖ダニエル廟がある。旧約聖書に登場する預言者ダニエルの墓とされている。イスラム教徒からも敬愛されているという。

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モスクの中は涼しいので休息をとる人も多い
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この中に棺が納められているという。この隙間から喜捨(お賽銭)を入れるようだ。
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  アフワーズの見学終了後、テヘランに向かうため。飛行場に向かう。アフワーズ発21:40
のフライトが、約2時間遅れとなり、テヘランのホテルについたのは午前1時であった。航空機の遅延はイランでは当たり前で定刻通りに出発するのは珍しいそうだ。

【10日目】・・・テヘランでサラリーマンの出勤風景を見たく、ホテル近くの地下鉄駅(イマーム・ホメイニ駅)に出かける。地下鉄は全線同一料金で片道券は5000リアル、往復券は8000リアルで15~20円程度。ガソリン代はさすがに産油国1リッター30円程度だ。この価格でもかなり値上がりした価格とのこと。
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  ガラス博物館に出かける。いわくありげの建物は元貴族の建物でエジプト大使館でもあった。展示品は古代から近現代までのガラスと陶器が中心だ。中には正倉院の御物に似たものもある。右下のガラスのパイプは紀元前2000年頃のものだ。4000年も昔にガラスが、と思う。
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4000年前のガラスのパイプ。驚きである。
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涙ツボ。出征する兵士の妻が流した涙をためる。
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東洋的なデザインはシルクロードの影響
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  ガラス博物館を出てゴレスターン宮殿に出かける。以前はガージャ―ル朝の王宮として使われていた豪華絢爛なものだ。内部の写真撮影はNG。庭園はペルシャ式庭園で美しい。建物では民族衣装を着た女性の写真撮影をしていた。

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  最後はイラン考古学博物館締め括り。紀元前6000年から19世紀に至るまでの考古学的、歴史的に重要な美術品を集めたイラン最大の博物館だ。本館はイスラム化以前、別館はイスラム化以降のものを展示している。残念ながら本物や価値のある物は大英博物館やル―ブルにあるようだ。

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メソポタミア時代の楔型文字
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  テヘラン空港へ向かい、空港で夕食を取る、テヘラン発ドーハ行きは23:35の予定だったが、案の定1時間の遅れ。

【11日目】・・・ドーハ着が1時間遅れたが、乗り換え時間を2時間とっていたため、何とか間に合った。帰路は偏西風の関係で往路より1時間少ない10時間だ。成田に定刻(18:40)通りに到着。日本に着いて感じたのは、適度に湿度があり、快適だと思った。それにゴミも落ちておらず清潔。やはり日本はいい。

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