20.03.07-13 マグリブ紀行・アルジェリア編

20.03.07-03.13 マグリブ紀行・アルジェリア編

アルジェリア ジぇミラ遺跡
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【アルジェリア】は東にチュニジア、リビアと、南東にニジェールと、南西にマリ、モーリタニア、更に西にモロッコ、サハラ・アラブ民主共和国と国境を接し、北は地中海に面する。地中海を隔てて北に旧宗主国のフランスが存在する。
面積:238万㎢(日本の約6.3倍) 人口:3780万人 首都:アルジェ
外務省の海外安全情報では今回の中東地域で米・イラン対立における緊張の高まりに関する注意喚起(その2)が出ている。また、2013年1月に日本人10名(8か国計38名)が殺害された日揮事件は記憶に新しい。
アルジェリアは産油国として11番目であり、石油が国家の収入に占める割合は98%とか。


3月7日
 朝9時30分の便でチュニス・カルタゴ空港から空路アルジェリアのアルジェへ飛ぶ。アルジェには11時頃に到着。イミグレーションで入国カードを提出するが、更に別室で旅行の目的や日程表、更に宿泊するホテルのリストも提出を求められる。ガイドブックにもその様なことは載っていない。多分、コロナウイルスの関係で何かあった際にトレースできるようにということか。それとも日揮事件のようなことが起こらないように未然にチェックするのか不明。
  夕方、国内線でコンスタンティーヌへ移動する予定だが、それまで5時間程度余裕があり、市内に出かけてみる。空港からは早速、ツーリストポリスが先導してくれた。

 先ずは市内で『焼き鳥』ではないが、『焼き羊』で腹ごしらえ。羊の頭を焼いていたり脳みそやペニスがあったり、ワイルドな昼食だった。

羊の首から上を丸焼き
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羊肉に交じり脳みそも
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 腹ごしらえの後ほは定番の観光スポットであると『アルジェリア独立記念塔』を見学。この記念塔は1962年7月5日に独立し、20年後に建設されたものだ。高台にあるため、市内を一望できる。当日は土曜日であり大勢の家族連れの市民でにぎわっていた。余談だが、アルジェリアの休日は金曜日と土曜日である。チュニジアは西欧と同じ土日となっていた。

独立塔 
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独立塔のある丘から市内をのぞむ
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市内の庶民の住宅
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若い人は意外と外国人にフレンドリーDSC_9041 (2) (800x533)

 空港に向かう途中に『ノートルダム・アフリク大聖堂』(アフリカの聖母マリア教会)に立ち寄る。ここはローマ・カトリックの『アフリカの聖母マリア』を指す。聖母マリア像も銅製で黒く光って黒人の様に見えた。また、神父さんも黒人であった。アルジェリアがフランスの植民地であった、1858年から1872年にかけ、ネオビザンチン建築様式で建てられている。ここもキリスト教信者だけでなくイスラム教徒も見学していた。聖アウグスティン礼拝堂のフレスコ画には『ノートルダム、アフリックキリスト教徒、イスラム教徒に幸あれ』と記されていた。アルジェリアはイスラム教徒が99%、キリスト教徒が1パーセントといわれている。教会のテラスから下にユダヤ人墓地とクリスチャン墓地があった。

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 夕刻、アルジェリア機に乗り継ぎコンスタンティーヌヘ。驚いたことに国内線は指定されたシートでなく、全てが自由席であった。



3月8日
 深い渓谷の上、標高626m地点に位置するコンスタンティーヌは、アルジェリア第三の町で別名「橋の町」と呼ばれている。ローマ皇帝コンスタンティヌスから名前がついている通り、その歴史はローマ時代まで遡る。ローマ時代からオスマントルコ時代、さらにフランス植民地時代。フランス植民地時代に架けられた数々の橋は、この町の名物にもなっている。他にも町にはフランスの香りを色濃く残す街並みやオスマントルコ時代のモスク、さらに現代建築が混じり合ってうまく調和が取れている。

 朝食後、渓谷の町コンスタンティーヌを観光。断崖絶壁の渓谷に掛けられた『シディ・ムシド橋』に出かける。切り立った崖に大きな橋がかかり断崖の上にまで家が建ち並んでいる不思議な町だ。観光中は残念ながら雨に降られた。

シディ・ムシド橋は自殺の名所と言われている
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 シディ・ムシドの展望台には凱旋門がある。この凱旋門は第一次世界大戦の戦死者を慰霊する目的で建てられたものだ。展望台からの眺めは素晴らしい。

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 コンスタンチーヌの観光後、セティフに向かう。途中、美しい丘陵地帯に広がる『ジュミラ遺跡』を観光。ジェミラは、アルジェリアの北東の海岸に近い山村である。村の名前はアラビア語で「美しいもの」を指す。それ以前のラテン語での名称はクイクルム (Cuiculum) だった。古代ローマ時代の遺跡が良好な保存状態で現存していることから、1982年にユネスコの世界遺産に登録されている。特に、山の地形に合わせてローマ建築が持ち込まれた点に特色があり、劇場、2つの集会場、寺院、バシリカ、アーチ、街路、住居群などが現存している。道中は昨夜に雪が降ったようで、周りの丘には冠雪が確認できた。アフリカの地中海沿岸ということで、少々侮っていたが、寒さには閉口した。

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 ジュミラ遺跡に入場するためには、カラカラ帝の凱旋門を模した道路上の門をくぐり、その後に入場。
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博物館の入り口
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先ず、博物館に入場する。ここはローマ時代のモザイク画や彫刻が多く展示されている。
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カラカラ帝の肖像 
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カラカラの母の肖像
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 屋外は紀元1世紀から5世紀までのローマ時代と東ローマ時代の神殿や円形劇場、凱旋門、浴場、商店などが古い時代の物から新しい時代の物へ、丘の麓から年代を経るごとに上の方へと残されている。

セブテミゥス・セウェルス帝神殿  
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カラカラ帝凱旋門
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 チュニジアのドッガ遺跡にもあったが、石造りの公衆トイレは、水を流せば現在も使えそうなほど。
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売春宿の看板もあった。
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円形劇場
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円錐形の噴水址
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巨大な梨の木は花が満開
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 遺跡を後にセティフに向かう。アルジェリアに来て以来ホテルからツーリストポリスが、目的地まで先導してくれる。当然、警察の管轄地が変わるごとにツーリストポリスも変わる。どうも『日揮』の事件以来、欧米人と日本人の誘拐を未然に防ぐためらしい。おかげで渋滞の時は赤色灯と警告音で前を進む車を蹴散らし優先的に進む。とても快適だが、こんなこと許されるのかと思う。そして宿泊先のセティフに無事到着。

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3月9日
 考古学博物館の開館が10時なので、セティフの街を探検する。先ず、ホテル近くの泉に出かける。ここはローマ時代から泉が湧き出て、今でも水を汲みに来る人がいる。そして近くにはトラムが走っており市民の足となっている。

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ホテル近くのモスクに出かける。非ムスリムなので外から写真を撮るキリスト教会をイスラム教のモスクに転用しているようだ。
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 モスクの広場には、この地方特有のねずみ男の様な民俗衣装を着た老人がたむろし談笑していた。中々暖かそうな頭巾付き外套。
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モスク近くの市場では足元に牛の頭が転がっていた。非常にダイナミックな光景。市場は精肉、野菜、果物、魚などが売られていた。非常に安価な感じだ。中には初めて目にする野菜ものもある。

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『考古学博物館』を見学する。ここもローマ時代からのモザイク画が展示されている。千数百年を経て発掘されたものが多い。この辺りは工事中に遺跡が発掘されるケースが多いそうだ。改めてローマ帝国の強大さを感じる。

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  午後15時10分発のアルジェ航空で空路でアルジェに戻り、さらに18時35分発の同航空で空路ムザブの谷の町ガルダイアへ。セティフは1945年5月8日、フランス軍の支配に対してアルジェリア人がセティフ及び近隣のGuelmaとKherrataで蜂起し、104人のピエ・ノワール(欧州系移民)が死亡した。アルジェリア人の死者は推定で20,000人から40,000人に登るとされる。これはのちにセティフの虐殺と呼ばれる。そのため、セティフの空港は『1945年5月8日空港』と呼ばれているそうだ。アルジェリアの対仏独立戦争もあり、アルジェリア人のフランス人に対する感情は。フランス文化に対する憧憬と苛烈な植民地支配のため複雑だ。しいて言えば love & hate ということか。セティフへの航空機はボーイングであったが、コロナのためか乗客数は18名であった。

セティフの『1945年5月8日空港』
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飛行機の中はがらすき空き
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3月10日
 ムザブのあるガルダイアはアルジェリア中部に広がるムザブ地方だ。首都アルジェの南方600約キロに位置し、標高300メートルから800メートルの場所にある岩だらけの高原地帯。新石器時代以降、洞穴に暮らす人々がいたといわれている。それから長い歴史の中で、ムザブには25もの町が現れては消えていった。現在のムザブは5つのオアシス都市(ガルダイア、メリカ、エル・アティフ、ベニ・イスゲン、ブースーラ)の集合体に、後から2つの町が加わった合計7つの町の総称となっている。「ムザブの谷」という名称で5つの村が世界遺産に登録されている。

 ホテルからツーリストポリスに先導してもらい先ず、ムザブの丘から全体の光景を眺める。オアシスのある場所以外は砂漠である。川は水がなく干上がり、臨時の駐車場状態。

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 シディ・アイサの墓は奇妙な曲線で、漆喰で白く塗られていた。彼は町が造られた時、人々を率いた指導者(イマーム)だ、高貴な人物なので立派な墓だ。ミニチュアのミナレット付き、外には一般の人々の墓、顔をメッカに向けて埋葬されている。建築家のル・コルビュジェはムザブにある墓から影響を受けたといわれている。

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 ムザブの町は独特のイスラム文化を持っている。スンニ派やシーア派でもなく、別の宗派?といわれている。女性は白い衣装で既婚者は片目のみ頭巾から出している。未婚者は頭巾をかぶるが、両目を出している。女性の写真を撮ることはきつく禁じられている。従い写真は後姿をこっそり撮ることとなる。街は傾斜のある狭い路地が入り組み、見知らぬ男性と出会うと引き返すか、路地に逃げ込む。非常に奥ゆかしい。

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 村の中は勝手に入れず、村で決められたガイドが案内してくれる。勝手に路地に入ると地元の人とトラブルになる。また、ツーリストポリスが、少し離れたところから監視している。

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井戸にはロバが繋がれていた。村中はロバが重要な運搬手段。
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観光客の服装や、写真撮影、ビデオ撮影の制限が表示されている。
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 ガルダイアの市場はマーケット広場にある。様々なものが販売されているが、土地柄か絨毯用の毛糸などあり、興味深い。肉屋で買物をするのは男性ばかりであった。また、水の汲み置き用のツボが売られていたが、よく見ると壺の外側は紐のようなので巻かれている。夏の暑いときは外側に水をかけ、気化熱で冷たくするそうだ。

市場の風景
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絨毯用の毛糸をあつかう扱う
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肉屋に並ぶ男性  
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水用の壺
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 エル・アディフのシディ・ブラヒムの墓を見学する。こちらもシディ・アイサの墓と同じく、ル・コルビュジェが影響を受けたと言われている。
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 ムザブ族の聖都ベニ・イスゲンの町を散策する。ベニ・イスゲン。5つの町の中でも最も戒律が厳しく、聖なる町とも呼ばれている。夜間に外国人が入ることが許されたのは近年になってからだそう。土壁の家が建ち並ぶベニ・イスゲンの街並みは、世界遺産のムザブの谷を象徴するような美しい景観。蚊避けのために屋上が青く塗られた家々も特徴的だ。

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ベニ・イスゲンのガイド75歳。非常に元気でお茶目
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街の広場ではオークション市が開催されていた。オークションというよりガラクタ市。
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 アルジェリアでもコロナウイルスは大きな話題のようで、東洋人を見れば『コロナ!コロナ!』と小学生の悪ガキどもがはやし立てる。写真を撮ろうとすると一目散で逃げてゆく。苦笑せざるを得ない。60数年前の自分を見るようだ。

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3月11日
 朝の8時15分アルジェ行のフライトなので、早朝ホテルを発つ。昨日訪れたベニ・イスゲンの街を通過する。昼間と違い各家々が夜明けの祈りのために起き出した感じだ。

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ツーリストポリスの車は4駆 
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アルジェ行きは珍しくon time で出発
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空港ではコロナウイルスに対する注意喚起
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アルジェでは別のツーリストポリスが先導
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 アルジェに着いて、先ず、『マウレタニア王家の墓』を目指す。途中、アルジェの町の発展を象徴するような、モスクの建設やイスラム大学を車窓から眺める。

モスクを建設中 
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イスラム大学
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 『マウレタニア王家の墓』は地中海に沿ったアルジェ近郊にある。プトレマイオス王朝のクレオパトラの娘(ユパⅡ世の妃)のものといわれているが、年代がそれ以前なので事実ではない。しかし、未だに真実は不明らしい。日本人にとってはあまり馴染みの歴史だ。扉は東西南北に4か所あるが、全て扉ではない。実際の扉は地下入口のようだ。しかし何回も盗掘され歴史を証明するものは残っていない。ここはティパサと共に世界遺産だ。

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地下への入り口
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入り口から”の”の字のように進む
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マウレタニア王家の墓から30分ほど車で移動し、ティパサの遺跡を訪れる。ここには、ローマ時代の『バシリカ神殿跡』、カルタゴ時代の『ネクロポリス』、『円形闘技場』がある。全て世界遺産だ。地中海をバックにした遺跡群の規模はそれほどではないが、地中海が眺められ素晴らしい。平日にもかかわらずアルジェから多くのカップルが見学に来ていた。また、フランスの作家アルベール・カミュがこの遺跡を愛したといわれている。

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ここでは魚醤を発酵させる工場があったという.なぜそんな昔のことが魚醤と判ったのか?瓶の底の沈殿物をクロマトグラフィーなどで現代の手法を駆使し分析した結果らしい。現在大豆の醤油こそ世界的に普及しているが,魚醤はまだそれほどでもないと思う、これから広まるかも知れない、期待したい。

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 丘に上り富裕層エリアを眺めた.確かに地中海を望む斜面に展開され,現代でも高級住宅地であろう.
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井戸の跡
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遺跡の市境を示す市壁
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 遺跡のはずれにアルジェリア出身のフランス人作家のアルベール・カミュの記念碑がある。カミュの友人たちが死後2年後に建てたもの。カミュはこの地を愛し,幾度となく訪れた、また、新婚旅行でも訪れている。そして若くして1957年にノーベル文学賞を受賞し,1960年にこの世を去った。享年46歳。記念碑には『結婚』の一文『ここには限りない愛と正義と栄光がある』と刻まれている。
 帰国後、コロナウイルス騒動で思い出し、カミュの『ペスト』を書籍店で探したが、品切れになっていた。同じことを考える人が多いのか、全国の書店で在庫切れらしい。

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 遺跡の市境を示す市壁の後ろは墓地になっている。さぞ高貴な人か裕福な人の墓だったと思われる。
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 遺跡かの出口から駐車場に行くまで間口の小さな商店があった。販売しているものは外から見えにくい。何を売っているのかを覗くと酒類の販売だ。イスラムの国なのでおおっぴらにはいかない。買った人は黒いビニール袋で中身は見えなかった。
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3月12~13日
 アルジェでは映画『望郷』の舞台となった旧市街を見学。旧市街のカスバといえば、映画『カスバの女』や『望郷』が思い浮かぶ。ジャン・ギャバンのペペ・ル・モコのシーンは何処かとガイドに尋ねると、全てフランスのセットで撮影したとそっけない回答。『アルジェの戦い』はこのカスバで撮影されたと言っていた。
120mの丘の起伏に富んだ地形に作られた町は、まるで巨大な迷路に迷い込んだような感覚に陥る。目の前に突如開ける地中海、どこを見ても絵になる風景だ。そういえば、青江三奈の歌で、♪ここは地の果てアルジェリア~どぉーせカスバの夜に咲く~♪ と言うなんとなく投げやりでアナーキーな歌を思い出す。

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ユダヤ人の人家
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イスラム系の人家
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カスバのごみ収集はロバの役目
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カスバの猫は人懐こい
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カスバの中のモスク   
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水飲み場
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フランスのマルセーユ行きのフェリー
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 アルジェリアはチュニジアと比べ少し暗い感じがする。国は石油で潤っているのでいいが、国民は貧しそうな様子だ。富の配分がうまくいっていない感じだ。ジャスミン革命でチュニジアは民主化がアフリカ諸国で一番進んでいるようだが、アルジェリアはツーリストポリスの行動(こっそり監視)等かなり制限を感じる。そんなことを感じながら今回の旅を終える。

 12日の午後、空路中東のドバイ乗り継ぎ、帰国の途に
アルジェpm15:20⇒ドバイam0:50   ドバイam2:55⇒成田pm17:20

 旅行中にコロナウイルスが改善しているかと期待したが、大きな間違いだった。それにしても成田の検疫はチョット緩すぎる感じがした。『健康カード』の様なもので入国前の滞在先や入国後の滞在先などの記載の義務もない。こんなことではトレースのしようがない。大いに心配だ。



20.03.01-06 マグリブ紀行・チュニジア編

 エジプトよりも西の北アフリカ地中海岸の一帯をマグリブと言う、アラビア語で『日の没する地』、つまり西方の意味。そこに住む人々はベルベル人で、7世紀以降イスラム化した。現在のモロッコ、アルジェリア、チュニジア、リビアの4国 だ。2014年にモロッコとチュニジアの一部を旅したことがあるが、今回はチュニジアとアルジェリアを訪れた。

【チュニジア】は西にアルジェリア、南東にリビアと国境を接し、北と東は地中海に面する。地中海対岸の北東にはイタリアが存在する。
面積:16万3600k㎡(日本の約2/5) 人口:1157万人 首都:チュニス
外務省の海外安全情報ではレベル3(渡航中止勧告)が出ている地区もあるが、今回の旅行地域はレベル2(不要不急の旅行は中止)だ。

チュニジア  ローマ時代のドゥッガ遺跡(円形劇場)
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3月1日~2日
 空路チュニジアに向かう。直行便はないので一旦、中東のドバイで乗り継ぎチュニスへ。
成田pm23:00⇒ドバイam6:00 ドバイam9:00⇒pm12:55チュニス 東京とドバイの時差は5時間、ドバイとチュニスの時差は3時間。所要時間は 成田⇒ドバイ 12時間、ドバイ⇒チュニス 3時間55分 計15時間55分の長旅。

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 チュニスの到着後、そのまま空港から聖地ケロアンに向かう。途中、2000年前から続く世界遺産『ザグーアンの水道橋』に立ち寄る。水源のザグーアンから地中海に面したカルタゴまで132kmの水道橋だ。現在残る部分だけでも20kmある。ポンプの無い時代に、わずかな高低差を利用して自然に流れるように設計されている。ローマ時代の高度な測量と土木技術は驚きである。高地ではトンネルで地中を通し、低地では水道橋で高低差3%の確保している。


水道橋の遺跡は道路沿いにあり、別に柵があるわけでなく単なる遺構としか見えない。
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 ケロアンはチュニスの南165kmに位置する。オリーブ畑に囲まれたチュニジア第4の都市だ。また、カーペットの産地でもある。途中、右側にジュベル山(鉛の山の意)が見えた。現在は鉛は産出していない。

車窓から見たジュベル山
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同じく車窓から見たコウノトリの巣
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3月3日
 ケロアンのホテル近くに9世紀に造られた中世世界では最高技術の貯水池がある。現在は大小4つが残されている。当時は14個の貯水池があったそうだ。ケロアンの西36km離れた丘から水道によって運ばれ、最初に小型の浄水用貯水池へ、それから直径128m、深さ5m、容積5万㎥の大型貯水池に流れる仕組みだ。世界遺産に登録されている。

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観光局の屋上
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観光局の屋上からの眺め
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 シディ・サバブ霊廟は7世紀に建てられたムハンマドの同志で聖者のアブ・ザマ・エル・ベラウイが眠る霊廟だ。彼はムハンマドの床屋でムハンマドの髭3本と共に埋葬されている。後の17世紀のオスマン帝国時代には巡礼者のための宿、モスクとミナレット、神学校などが付け加えられ、現在の姿となった。因みにサハブとはアラビア語で『友人』という意味らしい。霊廟の建築材料はローマ時代の建造物から拝借しているので柱はそれぞれ太さも異なっている。

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 ケロアンには670年に創建されたアフリカ最古の『グランド・モスク』(シディ・ウクバ・モスク)がある。その後は何度も改修されたが、四方を土色の煉瓦で強化され要塞の様な外壁。内部への門は9つある。我々のような非ムスリムはメインゲートのみ入場を許される。

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 左の方の建材はローマ時代のもので、ラテン語でカエサルと読める石が上下逆に使用されている。右の石は同様にアントニウスと判読できる。
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礼拝の時間を確認するための日時計、階段を上り上の盤で時刻を確認
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モスクの内部は係員に袖の下を渡し写真を撮ってもらう。撮り慣れているのか中々の腕
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 ケロアンの旧市街(メディナ)はアラブ特有の混沌としたカオスの世界だ。間違って路地に入ると迷路に迷い込む恐れがある。この旧市街も世界遺産だ。

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旧市街の建物の中にある井戸から水をくみ上げるため、ラクダに歯車を回させる。

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 その後、北アフリカの先住民であるベルベル人の地下住居で有名なマトマタに向かう。洞窟住宅を利用したバックパッカー用のシディ・イドリス・ホテルだ。シディ・イドリスが映画『スター・ウォーズ』の「エピソード4」と「エピソード2」に使われ、一躍有名になった。地下穴の中は乾燥地帯の急激な気候変化と強い日差しを避けるのに都合がよく、夏はひんやり、冬は温度が下がらず暖かいそうだ。ジョージ・ルーカスの撮影シーンの写真等が展示されていた。本日はその近くにある別の洞窟ホテルに宿泊する。なんとなく、トルコのカッパドキアのようだ。

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ホテルの手前にあるベルベル人KENZAさんの洞窟住居も見学させていただく。5人家族(夫婦と3人の子供)とのことで、石臼を挽く実演までしてくれた。

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3月4日
 朝からチュニジアの真珠と呼ばれるスースに出向く。途中、エル・ジェムに立ち寄る。エル・ジェムはローマ帝国アフリカ領の中でも最も豊かな都市の一つに数えられる。 
 エル・ジェム博物館は、1971年創設。発掘は19世紀末からフランス人考古学者によりエル・ジェムから発掘されている。外見はしょぼく見えるが展示物は素晴らしい。特にモザイク画と近郊から移築したローマ時代の住宅(アフリカの家)は秀逸である。

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 エル・ジェムのコロセウムは2世紀ローマ帝国のゴルディアン皇帝のもと、工事が着工された。チュニジアに25ほどあるコロセウムのうち最も保存状態が良く、本家のローマよりも良いと言われている。規模はローマ、ベローナに次ぐ第3番目ということらしい。3500人収容、高さ35m、アレーナは65m×40m。階級により席は3層に別れている。毎年7,8月にフェスティバルが行われる。

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スースの町はサヘル(沿岸地方)の真珠と呼ばれるチュニジア第3の都市で人口24万人。メディナ考古学博物館は要塞に囲まれたもっとも見晴らしのよい高台、元軍事施設カスバ(砦)を利用した建物にある。灯台は今も使用。ここも、キリスト教を中心にしたモザイク画が展示されている。また、キリスト教洗礼水盤は宗教的にも価値があるそうだ。そして建物自体が高台にあるため、建物上部からは市内と港が眺められた。

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 メディナの旧市街は世界遺産である。城壁に囲まれびっしりと商店が並んでいる。まさにアラブの町を感じる。城塞に沿ってグランド・モスクがあり、城塞の外には8世紀に建てられたリバトがある。リバトはグランド・モスクと同様に侵攻の前線基地として、町を外敵から保護する機能を果たしていた。グランド・モスクは非ムスリムの人は中に入れない決まりになっている。
 
城塞に付属しているグラン・ドモスク
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リバトの塔の上から見たグランド・モスク
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リバトの内部
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リバトから考古学博物館をのぞむ
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 市内をのぞむ
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3月5日
 スースのエンフィダ空港(ベンアリ大統領)からチュニスに戻る。途中チュニジア最大規模のローマ遺跡『ドゥッガ』を観光する。ドゥッガは紀元前2000年にヌメディア人がここに住み始め、カルタゴからフェニキア人がやって来る紀元前4世紀にヌメディア王国として栄えた場所だ。カルタゴ滅亡後、紀元46年にヌメディア王国もローマに滅ぼされる。

 ドゥッガ遺跡の円形劇場や神殿などは世界遺産である。チュニジアには数多くのローマ都市遺跡があるが、このドゥッガ遺跡は規模、保存状態は非常に優れていると思う。

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古代ローマ都市の中心はフォルムとそれに隣接するキャピトルだ。神殿はジュピター、ジュノー、ミネルバの3神を祀っている。マルクス・アウレリウスとルキウス・ヴェルスの2人の皇帝に捧げられたもの。

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神殿近くには浴場の遺跡や公衆トイレの遺跡もあった。まるでポンペイ遺跡のようだ。

冬の浴場(熱い蒸気)跡 
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公衆トイレ跡
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遺跡の中にヒツジやヤギが草やオリーブの葉を食べに侵入。日本では考えられない。
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 ドゥッガ遺跡の見学を後にして、チュニスに戻る。道中で羊の群れを管理している親子や電柱に巣を作っているコウノトリの番いを見る。日本ではまず目にしない光景。

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チュニス市内の独立記念塔  
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大統領官邸は非常に厳しい警戒だった。
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チュニスの旧市街地(メディナ)を散策、ここも世界遺産である。旧市街は城壁に囲まれて、グラン・ドモスクや各種商店が立ち並び、アラブ独特の雰囲気がある。

メディナの壁に世界遺産の証明 
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昔は奴隷市場であったが今は宝飾市場
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昔はメドレッセ(神学校)  
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元は図書館の扉
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グランドモスクの外壁  
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メディナの通り道
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メディナの外には大聖堂やオペラ座があり、かつてはフランスの植民地であった。
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イギリスのエリザベスホテル
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3月6日
 チュニス観光の後、ローマ・ビザンチン時代のモザイクが展示されているバルドー博物館を見学する。なお、この博物館は2015年3月に銃の乱射事件があり、22名が死亡(内3名が日本人)した。同6月にポート・エル・カンタウィのリゾートホテルでも銃の乱射事件があり、観光客38名が死亡した。外務省はチュニスに渡航する人に対し注意喚起している。

 バルドー博物館の建物の一部はオスマン帝国時代にチュニジアを統治していたベイ(地方長官)の宮殿であった。その後、1881年、フランス保護領となったバルドー条約が調印されたのもこの宮殿だ。1956年にフランスから独立したのを機に『バルドー博物館』となった。チュニジアのルーブルとも呼ばれ、先史時代から今日までの歴史を学べる随一の考古学博物館である。また、ジャスミン革命で市民が民主化推進行動に対し果たした平和行動に対して、2015年のノーベル平和賞を受賞している。

博物館正門
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ノーベル平和賞のメダル
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洗礼盤 
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博物館の建物はオスマントルコの地方庁官邸
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神話やキリスト教に因んだモザイク画や彫刻
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 2015年のテロ乱射事件の跡は至る所に生々して銃痕があった。玄関を入ったところに被害に遭った人と、国旗が飾られている。また、敷地内には被害者のモザイク画もある。

被害者名と国名
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屋外では被害者のモザイク画DSC_8909 (800x533)

ショーケースには銃痕が
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扉の横の柱にも銃痕
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 チュニス郊外12kmほどのカルタゴに向かう。この町はフェニキアの王女エリッサによって紀元前814年に建設された。途中、ODAで大成建設が施工したチュニス湖運河の北側に位置するラグレット橋を渡る。チュニジアの人が日本を評価しているのはうれしい。

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   シチリアの権益をめぐりカルタゴはローマと3度のポエニ戦争を戦った。名将ハンニバルは第2次ポエニ戦争で歴史的な象によるアルプス越えを行いイタリアに進軍している。第3次ポエニ戦争では3年間の籠城戦の後、ローマのスキピオ将軍によりカルタゴは陥落した(前146年)。カルタゴの遺跡は地中海沿岸にある。かつての港は軍港が丸く、商業港工は四角く造くられている。しかし、年月とともに変形し、今は単なる池のようだ。

軍港 
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商業工
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 ローマによって破壊され焼き尽くされたカルタゴは遺跡としてはほとんど残っていない。ローマ以前の数少ないものとしてトフェ(タニト神の聖域)くらいだろう。

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  ローマ時代の社交場としてアントニウスの共同浴場がある。当時の建物は二階建てで、更衣室、温浴風呂、水風呂、サウナ、プールなどが完備していた。ローマ人はつくづく風呂の好きな民族と思う。今はただ、円柱やモザイクが配された床が残る程度だ。

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  シディ・ブ・サイドを散策しダール・エル・アンナビを見学する。18世紀から20世紀の暮らしぶりがよくわかった。街全体が白の壁に青の窓で地中海を感じる街だ。

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 ビュルサの丘にサン・ルイ教会がある。1890年にフランスによって建てられた。1270年の第8回十字軍遠征に参加したフランス国王ルイ9世に捧げられたものだ。

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旅行の前半は今日まで、いよいよ明日からは後半のアルジェリアだ。




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2011年秋に完全リタイアー。現在は毎日が日曜日の素浪人。そして地球の何処かを徘徊中。

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