19.11.27-12.01中国江南紀行

 11月27日から5日間かけて上海、鎮江の元仕事仲間との旧交を温めるため出かけた。折角なので近くの南京、揚州、無錫、蘇州にも足を延ばした。

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鎮江
 鎮江は2001年から1年間、毎週木曜と金曜日に現地法人に出かけ、上海の会社と兼務した。水曜の夜と金曜の夜に鉄道で3時間少々かけて通った。当時はまだ新幹線が走っておらずかなりシンドイ通勤だった。定宿にしていた鎮江国際飯店は取り壊されて今はない。しかし、駅前は再開発されシェラトンホテルが営業中。隔世の感あり。ここには鎮江三山(金山、焦山、北固山)がある。中でも北固山は三国時代の劉備玄徳が孫権の妹とお見合いをしたことでも有名。また、金山は唐の時代の僧が日本に味噌の製法を伝えそれが金山寺味噌であるとのこと。
 以前勤めていた工場は市庁舎等の移転再開発ですでになくなっていた。近くにあった黒酢で有名な『恒順』の工場はひっそりと残っていた。ホテルの部屋から眺めてみると今は全く別の都市のようだ。

 新幹線で上海虹橋駅から1時間少々で鎮江に 
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 鎮江市政府庁舎(右の建物)と公園
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 鎮江はアヘン戦争終結後、天津条約で開港させられ英国租界が置かれていたことは日本ではあまり知られていない。現在も元英国領事館跡として保存されている。

 東方見聞録を書いたマルコポーロも鎮江を訪れている。古西津渡街(宋街)という古い町並みを復元し、その当時の街並みがそのまま残っている。更に年代をさかのぼれば、遣唐使の阿倍仲麻呂との縁もある。またノーベル文学賞受賞作家のパールバックは宣教師の娘として生後6か月からこの地に住み、『大地』を執筆している。パールバックの寓居も記念館として保存されており一見の価値がある。

 英国領事館跡の記念館
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 古西津渡街
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南京
 南京は北京、西安、洛陽と並ぶ中国四大古都の一つでもある。第二次大戦中の一時期は蒋介石国民党政府の首都でもあった。古くから長江流域・華南の中心地で、14世紀から15世紀にかけて、世界最大の都市であった。

 陵墓中山陵は三民(民族、民権、民生)主義を唱えた革命の父孫文の陵墓である。
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  昔ながらの雰囲気が味わえる夫子廟がある。夫子廟は孔子を祭っている廟である。一般的には李香君故居、江南貢院、王導謝安紀念館など秦淮河周辺から建康路周辺の地域も夫子廟と呼ばれている。

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 明の大宗を祀った世界遺産明孝陵があり、世界遺産でもある。この一帯が山というか、緑に囲まれたエリアになっている。

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揚州
 揚州は江蘇省の中西部の温暖な河港都市である風光明媚な歴史のある町で、中国の中でも2500年に及ぶ長い歴史がある。古くから水運に恵まれ、北は准河、中部は京杭大運河、南は長江(揚子江)が悠久の流れを見せている。揚州に生まれ、日本の仏教の祖といわれる鑑真和尚など、日本との関わりも深く日本の遣唐使もこの街を通って長安に至ったとされている。余談だが、元中国国家主席の江沢民の故郷でもある。

 長江を『長江大橋』で渡り揚州に入る。やはり長江は大河で産業の大動脈だ。
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 痩西湖は清朝時代乾隆帝も数回訪れている。杭州の西湖に似ていて、形が細長いことから『痩せた西湖』と言われている。

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 痩西湖を背景に、たまたまTV局が時代劇の撮影中。中々のイケメン。
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  大明寺はあの鑑真和尚が唐代に住み、講義をしていた仏教寺院。そして住職を務めていた。現在の建物は清朝時代に再建されたものだ。奈良の唐招提寺金堂を参考にした鑑真紀念堂があり、鑑真を祀っている。唐招提寺によく似た建物や唐招提寺にある鑑真像のレプリカがあった。

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 栖霊塔は隋の時代に建てられた九層の塔。鑑真がこの寺の住職をしていたのもこの時代。しかしながら、その後、栖霊塔は唐代に火事で焼失した。宋の時代に再建された栖霊塔も明代の末期に戦乱で消失してしまうという歴史を辿った。このあたりが、交通の要衝で戦火に巻き込まれやすい揚州の地理的性格を現している。その後何百年にも渡り再建されなかった栖霊塔が再建されたのは1996年。現存する九層の栖霊塔は高さ70mあり、各階には日本から送られた国宝も含め、沢山の仏像が祭られている。
 余談だが、江沢民主席がリタイアーし、揚州に居を構えた。当時の揚州市の市長が江沢民のために急遽、塔の内部に7階までのエレベーターを設置したそうだ。おかげで20元を支払い7階の展望デックまで登り痩西湖や市内を一望することができた。  

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 栖霊塔から見た下界
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 弘法大師像
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 鑑真像
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 遣唐使船模型
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無錫
  無錫は長江下流の水郷都市だ。昔、錫が採掘されていたが、漢代には鉱脈が尽き、錫が取れなくなり地名が無錫なったという嘘のような話がある。南部は風光明媚な淡水湖・太湖が広がっている。市内には北京と杭州を結ぶ京杭運河をはじめ多くの運河が張り巡らされている。以前は公害で汚染された湖であったが、工場の強制移転や操業停止で近年は改善されたようだ。淡水真珠の養殖も盛んである。

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 無錫に『巡塘古鎮』がある。古い集落の事で、昔の集落を整備しテーマパークのようにしたものだ。雨に煙る水郷の集落を見ていると一服の水墨画の様な趣がある。

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蘇州
 蘇州は運河がめぐらされ物資の集積地として栄えた。宋代以降。退任役人らが築いた贅沢な庭園が残る。その内の9か所が蘇州古典園林として世界遺産に登録されている。中国四大刺繍に数えられる蘇州の刺繍は2000年以上の歴史がある。

 運河の向こうに虎丘を望む 
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 盤門の橋
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 蘇州は『東洋のベニス』と言われるとおり、水郷の美しい町だ。
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  蘇州最古の庭園『滄浪亭』は五代十国時の尊代、杭州に首都を置いた呉越国の役人の孫承祐が造園したとされている。その後、北宋の詩人・蘇舜欽が所有し1015年に改築し『滄浪亭』と命名。明・清時代にも再建が重ねられ、現在の姿になったとされている。

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 中国は改革開放政策で製造業、特に労働集約型産業が中心であったが、昨今はこれ等の産業も停滞を余儀なくされている。いわゆる経済学で言う『中進国の罠』である。そこで政府は産業の構造改革をはかり第二次産業から第三次産業にシフトチェンジの最中だ。
江南地方を訪れると以前に増して観光産業に力を入れている感じがする。特に環境インフラは10年前と比べ物にならないほどだ。今後は鎮江や揚州は日本でも脚光を浴びることができる観光資源の宝庫と思った。





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2011年秋に完全リタイアー。現在は毎日が日曜日の素浪人。そして地球の何処かを徘徊中。

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