19.03.02-04若狭小浜の『お水送り』と東大寺『お水取り』

 春を告げる東大寺のお水取り(修二会)は有名だが、その水を送る若狭のお水送りはあまり脚光を浴びないようだ。そもそも『若狭』は古代より大陸・朝鮮半島との交流が盛んな場所であった。若狭の地名は新羅の朝鮮語のワショ(Welcomeの意)とカショ(Good-byeの意)が合体し、ワカサとなったといわれている。現代の日本でも祭で神輿を担ぎ神を迎えるときは『ワッショイ、ワッショイ!』といい、踊りで合いの手を入れるときに『ヤッショウ、マカショ・・・』と言いながら掌を前に突き出す所作をする。これらのことを考えるとワカサの語源はあながち荒唐無稽とは言い難い。

 今回はお水送りの神事が行われる小浜の神宮寺とお水取り(修二会)の行われる東大寺二月堂に出かけた。神宮寺と東大寺の神事はどちらも夜に実施されるため、取りあえず明るいうちは、日頃訪れることのないところを訪問する。

若狭神宮寺のお水送り神事 
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東大寺二月堂のお水送り神事
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 初日は、午後から若狭明通寺、若狭彦神社を訪ねてみる。明通寺の本堂と三重塔は、福井県唯一の国宝重要文化財である。深山幽谷の中にあり、それなりの威厳を感じる。

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 若狭彦神社には上社と下社があり上社を若狭彦神社、下社を若狭姫神社と云う。戦後すぐに大相撲の地方巡業が上社で開催され、その時の番付表が下社に奉納されていた。当時の横綱は双葉山、大関には前田山や東富士の名がある。また、前頭の次の蘭に(左側二段目の7番目)にプロレスに転向した力道山の名もあった。

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 当地の伝承では若狭彦神社の神事としては「お水送り」が知られる。ある年、奈良の東大寺二月堂の修二会で神名帳を読んで全国の神を招いたが、遠敷明神は漁で忙しかったため遅刻してしまった。そのお詫びとして、遠敷明神は二月堂の本尊である十一面観音にお供えの閼伽水を送ると約束したという。白石から下った所にある鵜ノ瀬と呼ばれる淵は、二月堂の若狭井に通じているとされている。旧暦2月には、鵜の瀬で二月堂に水を送る「お水送り神事」が行われる。その水を受けとる祭事が東大寺二月堂の「お水取り」である。 ただし、今日では、元は当社の神宮寺であった若狭神宮寺が主体となって行われている。言い伝えによると閼伽水は12日半ほどかかり東大寺に到着するらしい。
 
  当日のクライマックスは「鵜の瀬」で夜に行われる大護摩焚。その鵜の瀬を下見。鵜の瀬は若狭井といわれる湧水がありここから地下を潜り東大寺へ。

大御法要が行われる鵜の瀬
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第護摩法要用の杉の木
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  夕刻に神宮寺境内に続々と山伏(修験者?)が集まり法螺貝を吹く。そして堂内では修二会が行われる。その後、境内では大護摩法要となる。

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  午後7時半ころから1.8km先の鵜の瀬に向かって松明行列が始まる。先ず6人で担がれた大籠松明を先頭に様々な神職が続く。そして氏子による中松明、一般参加による手松明と続く。野次馬気分で手松明に参加。手松明は藁縄に杉の葉をきつく巻き、幅5cm、長さ1mほどの板4枚を針金できつく結わえた棒状のもの。これをかざしながら鵜の瀬まで行列。火の粉がどこからともなく飛んでくる。ナイロン状の衣服はすぐに穴が開く。やはり木綿の衣服がベスト。

護摩の火
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護摩の火で手松明に火をつける
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手松明にはそれぞれ願い事を記入。そして一列になり鵜の瀬へ
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鵜の瀬で護摩法要があり、手松明の残骸をここで燃す。水師の送水文奉上後神事が終了
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  二日目は三方五湖を通り、『若狭鯖街道』最大の宿場町である熊川宿を訪れる。福井県三方上中郡若狭町にある 若狭と京都を結ぶ旧鯖街道の宿場。若狭町熊川宿伝統的建造物群保存地区の名称で国の重要伝統的建造物群保存地区として選定されている。 昔は若狭小浜で上がった鯖を若狭街道を走り、琵琶湖の水運を利用し大津を経由し京都に至ったといわれ

三方五湖の風景。さながら水墨画の世界
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熊川宿はひっそりとしていた。昔はそれなりににぎやかだったんだろう。
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石の道標には「京へ十五里 今津へ四里」と読める
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奈良に到着後、お水取りの行われるまで時間があるので、事前に東大寺二月堂を下見をする。
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此処が若狭から水が送られる閼伽井屋(あかいや 別名・若狭井)
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  夜の7時ごろから二月堂の境内の照明が消され、いよいよ修二会の『お松明』が始まる。先ず大鐘がつかれ、それを合図に二月堂の下にある戒壇院から火のついた松明(約40kg)を持って舞台に駆け上がり、松明を振り回す。

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  修二会のシンボルのような行事に二月堂の舞台で火のついた松明を振り回す「お松明」は、この日は10本行われた。意外と時間は短く半時間ほどで終了した。少々あっけない感じ。



  東大寺の修二会の翌日は折角の奈良なので、平城宮跡歴史公園と昨年10月に再建された興福寺中金堂を訪れる。

  平城宮跡公園は広大な敷地で何もかが再建されたものであり、新しく美しい。特に、朱雀門は当時の雰囲気が味わえる。博物館などいろいろな施設がそろっており、修学旅行にはうってつけの場所だろう。

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  興福寺の中金堂はさすがに新しく美しい。中金堂内に安置されている釈迦如来、薬上菩薩、薬王菩薩を始め大黒天、広目天、増長天、多聞天、吉祥人等重要文化財をじっくり拝見する。

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  天気があまりすぐれない中の旅行だったが、充実した3日間であった。東大寺の『お水取り』が終わればいよいよ春が来る。待ち遠しいものだ。















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2011年秋に完全リタイアー。現在は毎日が日曜日の素浪人。そして地球の何処かを徘徊中。

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