18.02.28長谷寺観梅

 天気予報では、今日は3月下旬の陽気、そして明日は南岸低気圧の影響で朝から大荒れになるという。そこで慌てて長谷寺へ観梅に出かける。

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 河津桜は今が見ごろ
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 長谷寺には様々な神様がいる。蛎殻大明神は絵馬が牡蠣殻でできている。場所柄、外国人が牡蠣殻の絵馬で願い事を書いている。
 
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 放生池には丸々と太った錦鯉が、全部合わせると、ン百万円か。
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 女性に人気があるお地蔵さん。
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 展望台から葉山方面を望めば、まさに『春の海』。
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18.02.19鎌倉歴史文化交流館

 昨年の5月15日に『鎌倉歴史文化交流館』がオープンした。交流館のある扇ガ谷の敷地は元「旺文社」の創設者である赤尾好夫氏の邸宅跡とのことだ。半世紀以上前になるが、受験生の時に「赤尾の豆単」のお世話になったことを思い出した。
 建物の設計は、イギリスの著名な建築家ノーマン・フォスターの設計とのこと、すごいのかどうかは、不案内なのでよくわからない。しかし、建物と庭園は素人目にもなかなかのものと思う。展示室を奥へと進むにつれて、外部風景を取り込み、「暗」から「明」へと移行する。また、別館には「考古展示室」や「交流室」があり、庭園内にある「やぐら」を望むこともできる。

 現在は「鎌倉の構造と境界」というテーマで、若宮大路周辺遺跡群や大倉幕府周辺遺跡群から発掘されたものが展示されていた。
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 交流館のエントランス
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 展示室内部は近くで実物を確認できる。
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 交流館は小高いところに立地し裏山からは相模湾が見渡せた。
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 庭園は梅が満開であった。
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 庭園にはやぐらがある。
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 帰路は近くの古我邸に立ち寄る。古我邸は1916年、三菱合資会社の専務理事だった荘清次郎の別荘として完成した。戦前は濱口雄幸、近衛文麿ら総理大臣が別荘として利用し、前田邸(鎌倉文学館)、華頂宮邸とともに「鎌倉三大洋館」の一つと言われる邸宅だ。現在はフレンチの店として営業中。テラスではコーヒーが飲める。

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18.01.28-02.03ロシア・タタールスタン共和国 雑感

18.01.28-02.03ロシア・タタールスタン共和国 雑感

 タタールスタン共和国はキリスト教文化とイスラム教分が融合している。
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【タタール人について】
 タタールスタン共和国の旅行を決めた時からタタールスタン関係の本を探し、3~40年前の本を取り出し読み直した。本は『韃靼疾風録上下巻』(司馬遼太郎)、『蒼き狼』(井上靖)。然し、韃靼疾風録はタタールとはあまり関係がなく、時代もずっと後の中国の明末に女真(満州族)が清国を建国する物語であった。内容は残念ながら失念していたが、ストーリーは面白く、上下巻千ページを超える大作だったが、ついつい再読してしまった。一方、『蒼き狼』は正にロシアのタタールスタンと関係のあるモンゴル人の話だ。

 モンゴル人がロシアや中部ヨーロッパで『タタールのくびき』として恐れられたのは、1233年にロシアに侵攻した時から始まる。成吉思汗によって滅ぼされたが、その名は遊牧騎馬民族の代名詞となり、ヨーロッパに広まってタタールと呼ばれるようになる。また、オングト部が「白韃靼」と呼ばれたのに対して「黒韃靼」とよばれた。同時にタタール部とも呼ばれた。
 
 タタール部が成吉思汗に滅ぼされた原因は、彼の父エスガイがタタール部の陰謀により毒殺されたためで、成吉思汗のモンゴル統一後に、その復讐を果たした。

 西欧でモンゴル人が恐れられたのは、彼らの戦い方によるのかもしれない。常に替馬を2,3頭引き連れ全速で休みなく機動的に襲撃する。そして男は服従の意思がなければ皆殺しにし、女は全員奴隷として連れ去る。一方、日本には世界史上、当時最大規模のモンゴルと高句麗の連合艦隊で日本侵攻を試みた。いわゆる元寇である。当時の鎌倉武士の戦いは、あくまでも個人の戦いであり、「やあ、やあ我こそは○○なり!」と名のり個人の功名をたてる闘いだったと思う。それに対してモンゴル軍は集団の機動部隊の戦いであり、結果はおのずと明らかだが、幸い日本は「神風」により助かった。

【タタールスタン共和国について】
 ロシア連邦地域管轄区分のひとつ沿ヴォルガ連邦管区の中央に位置する共和国である。公用語はロシア語とタタール語。1992年には主権宣言を行った。タタール人が50%強を占める。人口は約380万人、首都はカザン。面積は約68千㎢で九州と四国を合わせた程度。
 古くはフィン・ウゴル系のアナニノ文化(紀元前8世紀-紀元前3世紀)があったことで知られる。紀元前4世紀頃からインド・ヨーロッパ語のスキタイ系のブルガール・カガン国があったが、モンゴルのヴォルガ・ブルガール侵攻でモンゴル帝国に滅ぼされ、ジンギスカンの長子ジョチ・ウルスに編入された。ジョチ・ウルスが分裂するとカザン・ハン国として独立したが、1552年のカザン包囲戦で滅亡し、ロシア帝国に併合され、1708年からカザン県となった。

【観光客として感じたこと】
 ロシアの人口は1億4千万人程度であり、広大な国土から考えると非常に人口密度が希薄だ。そのため、季節が冬ということもあるがモスクワ以外でほとんど人を見かけなかった。国道沿いには、たまにガソリンスタンドがある程度でドライブインなど見かけない。
 カザン市内のスーパーマーケットに入ったが、人も少なく、商品も種類が少ない。物価は高くもなく安くもない感じがした。イスラム教徒がいるためか、酒類の販売が夜間禁止となるためか酒類の販売はスーパーの隣で販売。ここは酒類専門でさすがにウォッカが多い様だった。
一方、たばこについては公共の場所や室内(個人住宅も)での喫煙も厳しく禁止されているそうだ。意外と禁煙は守られていた。 
 地下鉄の料金は55カベイカ≒110円であるが、ほとんどの人は回数券を利用するので30カペイカ≒60円程度だ。ガソリンスタンドの看板を見るとハイオクガソリンはリッター40.3カペイカ≒80円、レギュラーは38.1カペイカ≒76円程度だ。

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 ロシアは寒いと覚悟して出かけたが、気温は最低が-15℃、最高が-5℃程度で風が吹かなければ何とか過ごせる温度と思う。風が吹くと体感温度はぐっと下がる。冬季に中国のハルピンには仕事で何度か出かけたが、ハルピンの松花江は結氷し大型のトラックが遠くの橋を渡らず河川敷から氷の上を通過する光景を見たことがあるが、ヴォルガ川は結氷しているが、それほどでもない感じがした。          
  
 ヴォルガ川は結氷していて対岸は荒涼としていて何もない。
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 カザン市の繁華街の「歩行者天国」だが、人は少ない。風が吹くと「歩行者地獄」に一変。
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 ビルの上では雪かきする人がいる。ウッカリすると雪が落ちてくる。
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 今回のロシア旅行は比較的短い旅行だった。往復2日必要なので7日間で中5日が実際の旅行日だ。家人は何もわざわざ寒いときにロシアなんて行かなくてもとあきれ顔であったが、それなりに普通では味わえない旅行だった。とにかく寒かった。
 ロシアは1991年にロシア連邦として成立した。以前のソビエト連邦は解体し、中央アジアを中心に独立国が誕生。然し、独立でなくロシア連邦内で自治共和国となった国も多くチェチェンなどは今でもロシアからの独立運動を行っている。
 ロシアのGDPはブラジルや韓国よりも下の12位に甘んじている。人口も1億4千万人程度で、日本より2千万人多いだけである。ソ連時代のイメージが残っているのか、軍事大国だからか、国連の常任理事国であるためか、多くの日本人は過大評価しすぎているのかもしれない。
 ロシア人が住んでいる地域とタタール人が住んている地域を比較すると明らかにタタール人居住地域は貧しい感じがする。此処にも格差を感じる。モスクワのホテルの駐車場には高級車がずらりと並んでいる。一般庶民とかけ離れた感じだ。こんな格差が広がれば、国家が混乱するのではと余計な心配をする。ロシア人はプーチンを熱狂的に支持しているが、反面、西側諸国と比べゴルバチョフの評価は最低である。何とも不思議な国である。


18.01.28-02.03ロシア・タタールスタン共和国旅日記

 ロシアのタタールスタン共和国を旅行。タタールスタン共和国は名前の通り、ユーラシア大陸の東からモンゴル族のジンギスカンの長子ジュチ・ウルスがキプチャク平原を平定した国である。井上靖の小説『蒼き狼』にも登場する。以前から一度訪ねてみたいと思っていた。


1月28日
 成田よりモスクワに向かう、10時間15分の旅。さらに空路でタタールスタン共和国の首都カザンへ1時間半の旅。カザンはモスクワの東方に約1000kmに位置する。時差は6時間だ。

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1月29日(ヴォルガ―ル)
 タタールスタン共和国の首都カザンから約200km離れたヴォルガ川とカマ川の合流点付近にかつて栄えたヴォルガ・ブルガール王国の首都にブルガールの遺跡がある。ヴォルガ・ブルガールは中世にイスラムを国教とした国家の中で最北にあたり、ボルガル遺跡は今も地域のムスリムの巡礼地となっている。ここはユーラシア大陸交易の中心であり、歴史的・宗教的シンボルであるだけでなく、現在のタタールスタン共和国がアピールしている民族的・宗教的多様性の共存のシンボルとしてこの遺跡群が位置付けられている。

 ヴォルガ川は結氷していてどこが川で、どこが陸か判別不能。
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 博物館の入り口。
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 博物館の建物はヴォルガ川の船着き場から入場する場合は地下6階となる。地上からは6階に入館することとなる。
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 博物館の展示品には勇ましい騎士像があった。また、ここにはギネス認定の世界一大きなコーランがある。縦3m、横2mのもので、残念ながら修復中で見ることができなかった。
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 ヴォルガール博物館そばのカテドラルモスクは荒涼とした中で佇んでいた。冬の季節を除くとモスク前に立派な噴水があり、きっと信者を楽しませるのだろう。
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 モスク内にはムハンマドの髪の毛『メモリサイン』が緑色のガラスケースに保管され祀られている。仏教のお寺なら、さしづめ『仏舎利』に相当するのだろう。
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 ケースの中にアルファベットの"C"の時の様に見えるものが、ムハンマドの髪の毛。
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 モスクの中で、イスラムの坊さんが、コーランを唱えている。これは交代制で、毎日24時間休みなく続けられ、モスクのミナレットからスピーカーで流されている。
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 モスクの見学を終わり外に出てみると、日が暮れそうな感じであった。北国の冬の一日は短い。モスクの隣の教会も人影はなかった。
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1月30日(カザン市内)
 カザンに最初の『クレムリン』(城塞を意味する)が建設されたのは11世紀初めのころ。15世紀にはカザンハン国の首都となる。ヴォルガ川とカザンカ川の合流地点にあり水上交通と陸上交通の要衝であった。また、イスラム文化とロシア文化が融合した街でもある。クレムリンの歴史遺跡群(クールシャリフモスク、スンピケ塔、ブラゴヴェンスキー聖堂等)は現在世界遺産に登録されている。また、カザン大学などの教育機関が集積しており、ロシアにおける一大文化都市でもある。カザン大学はかつてレーニンやトルストイも学んだことがあるそうだ、しかしどちらも卒業はしていない。カザン市の人口は120万人程度だが、ロシアでは6番目の都市だ。勿論、憲法もあり、大統領もいる共和国の首都。

 『カザン』という名の地名は「鍋」という意味だそうだ。従い、パルク・ティシャチェレチヤも鍋の形をイメージしたデザインだった。パルク・ティシャチェレチヤの周りには伝説上の動物がジラシドやホワイト・レオパードの像が鎮座していた。 
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 カザン市は2013年にユニバーシアード大会が開催された。2018年のサッカー・ワールドカップの試合も一部このカザンで行われるそうだ。サッカー場の外壁に設置されているスクリーンはヨーロッパ一の大きさを誇るとか。
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 文化的な施設としてはオペラ劇場や人形劇を中心の劇場がある。日本の文楽の様なものか。

 オペラ劇場
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 人形劇場
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 市内中心部には旧タタール移住区を再現した『タタール村』というべきテーマパークのようなものがあったが、なにぶん大雪をかき分け往生しながら見学。
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 いよいよ、歴史建築群であるが、イスラム教のモスクとロシア正教の教会が美しい。

 クールシェリフモスクはディズニーのシンデレラ城を彷彿とさせる。
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 モスクの中は美しく清潔な感じがする。イスラム教の坊さんがコーランを唱えている・
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 クレムリン(城塞)の街は壁に覆われている。あまり人を見かけない。
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 スンピケ塔
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 スンピケ塔は少し傾いている
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 大統領官邸
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 タタールスタン共和国国立博物館には石器時代からタタール時代、ブルガ―ル時代、ロシア時代と様々な物品が展示されていた。どの国でもそうだが、石器時代はシャーマン、そして宗教が発達すれば一神教へ変化する。

 石器時代の道具
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 ヴルガール時代の墓標
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 ヴルガール時代の服装
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 タタール時代の鎧兜は日本のそれとよく似ている。
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 エカテリーナ二世の肖像画
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 エカテリーナ二世の馬車
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 夜はレストランでタタール民族舞踏を見ながら食事。タタール人は東洋系で親しみがわく。
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1月31日(スベイヤズスク島、そしてモスクワへ)
 スブイヤズスク島16世紀にイワン雷帝がカザン攻略の兵站基地として作った島の要塞。かつては陸つながりの山だが今ではヴォルガ川、スヴィヤガ川、シュチュカ川の3つの川に囲まれた島になっている。スヴィヤズスク島は聖母マリアを祀るキリスト教布教の拠点となった島で、被昇天大聖堂(ウスペンスキー寺院)にある馬頭の聖クリストファーのイコンは宗教的にとても価値があるといわれている。世界遺産だが写真はNG。

 ボルガ川の橋の上から眺めた様子 川なのか陸なのか判別不明
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 この島にある被昇天大聖堂と修道院、セントセルギゥス教会、トロツキー教会は世界遺産だ。
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 スベイヤズスク島からカザン市内に戻り、カザンクレムリンから街の中心部まで伸びる繁華街は歩行者天国となっている。道の両サイドには、しかるべき店が並んでいる。然し、風が吹けば歩行者天国から歩行者地獄に一変。頭上には屋上から雪落としをする人が。

 市内に戻る途中、列車を見かけた。
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 市内の歩行者天国
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 屋根から雪落としをする人
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 夕刻、空港に向かいモスクワを目指す。しかし、降雪のためか機材の到着が遅れ、モスクワには1時間程度遅れて到着。 
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 中国からメールでこの日は152年ぶりの、スーパームーンで月食との連絡があり、車窓から写真を撮るがあまりうまくゆかなかった。
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2月1日(モスクワ市内観光)
 モスクワ市内は雪に覆われていた。2日前は天候が荒れ模様でフライトの欠航が相次いだそうだ。当日の市内観光は好天でラッキーといった感じだった。観光は定番の「赤の広場」、「モスクワクレムリン」、「グム百貨店」、「レーニン廟」、「聖ワシリー寺院」、「プーシキン美術館」などである。夜はモスクワ川のナイトクルーズだ。
 
 ホテルのそばの風景 ホテルの窓を開けると寒さを実感する。本当に寒い。
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 クレムリンにある『聖ワシリー寺院』、いつもソフトクリームのようなと、表現される。
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 『赤の広場』は想像より小さい感じがした。
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 レーニン廟はよく見ないと分からない。
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 レーニン廟には厳格なセキュリティチェックの後、クレムリンの壁伝いに進む。途中にスターリンやブレジネフの墓もある。片山潜の墓碑に相当するプレートがクレムリンの壁に貼り付けてある。墓でないのは火葬のためか。レーニン廟は30分ほど並んで入場。中には白黒写真で見たことのあるレーニンがガラスケースの中に横たわっている。こちらも想像より小柄な感じがした。それにしても実際の死体が蝋人形のように横たわっている。鼻の穴や耳の穴までよく確認できる。とても不思議な感じがした。

 レーニン廟はこの道を進んで入る。
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 レーニン廟の向いはグム百貨店
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 赤の広場の奥には国立歴史博物館がある。
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 広場には特設スケートリンクもある。
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 赤の広場はまだクリスマスマーケットが開かれている。因みにロシア正教のクリスマスは1月7日で、ロシア人はクリスマスより新年の方を大事にするようだ。

 クリスマスマーケットの様子、しかし平日なので人出はまばらだ。
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 赤の広場を出ると『マネージ広場』となる。ここにはモスクワを起点とする、いわゆる『原点』がある。日本橋のようなところか。

 マネージ広場
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 ロシアの原点
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 地下鉄の駅は日本とかなり印象が違う。
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 ボリショイ劇場
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 救世主キリスト大聖堂 
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 プーシキン記念美術館とヨーロッパコレクション館に立ち寄る。プーシキン美術館の彫刻は大半がレプリカらしい。画学生や彫刻を学ぶ学生の教材としてヨーロッパにレプリカを発注したそうだ。

 プーシキン美術館
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 美術館内部の立派な赤大理石の階段
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 ペルセポリスの勝利門等のレプリカ
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 館内には小学生と思われる児童たちが教師に引率され課外授業中。
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 本館の隣にあるヨーロッパコレクション館は印象派の作品を中心に展示されていた。なんとなく見たことのある絵が多かったような気がする。こんな時に教養の無さを実感。

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 夜は、モスクワ川でナイトクルーズを楽しむ。川は凍っているのでチョットした砕氷船か。

 クルーズの出発点はラディソンホテル、ソ連時代はウクライナホテルと呼ばれ一般のロシア人は泊まれなかったそうだ。
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 白い建物はロシア連邦政府建物。エリツィン時代に起きたクーデターで建物の半分が黒焦げとなった。
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 オリンピックスタジアム
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 クレムリンの城壁他
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 モスクワ大学
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 2月2日(モスクワ出発日)
 午後のフライトまで時間があるので、モスクワのニューシテーに立ち寄る。ここは金融に特化した街であり、未来都市の雰囲気がある。ロシア政府も力を入れているが、正直なところ閑散とした感じがした。経済制裁の結果か。

 金融街の前を流れる川は結氷している。外は寒そうだ。
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 飛行場の近くには世界初の宇宙飛行士ガガーリンの銅像があった。ロシアでは英雄。
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 モスクワ空港は見慣れない飛行機が多い。 
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 東京行はやはり危惧した通り遅延。
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2月3日(日本帰国)
 今回のロシア旅行は比較的短い旅行だった。往復2日必要なので7日間で中5日が実際の旅行日だ。家人は何もわざわざ寒いときにロシアなんて行かなくてもとあきれ顔であったが、それなりに普通では味わえない旅行だった。とにかく寒かった。
 ロシアは1991年にロシア連邦として成立した。以前のソビエト連邦は解体し、中央アジアを中心に独立国が誕生。然し、独立でなくロシア連邦内で自治共和国となった国も多くチェチェンなどは今でもロシアからの独立運動を行っている。
 ロシアのGDPはブラジルや韓国よりも下の12位に甘んじている。人口も1億4千万人程度で、日本より2千万人多いだけである。ソ連時代のイメージが残っているのか、軍事大国だからか、国連の常任理事国であるためか、多くの日本人は過大評価しすぎているのかもしれない。ロシア人はプーチンを熱狂的に支持しているが、反面、西側諸国と比べゴルバチョフの評価は最低である。何とも不思議な国である。



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