17.12.17-19中国地方旅行

 世間では師走で忙しい季節、ならば観光地はガラ空きと思い、旅行に出かける。以前から雪の足立美術館の庭園を見たいと思っていた。ということで今回は足立美術館と倉敷在住の友人のI君に会うことが主たる目的だ。それ以外は付録というか、おまけの様なもの。

 朝8時の羽田発で岡山空港へ、その後は倉敷に向かう。滞在は10時半頃から1時まで、わずか2時間半のため、定番の大原美術館でエル・グレコの『受胎告知』鑑賞はパスし、市内の散策と会食で過ごす。

大原美術館
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美術館前のロダンの彫刻『カレーの人』
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同じくロダンの彫刻『洗礼者ヨハネ』
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 倉敷の街並みは江戸時代天領であったこともあり、豊かな感じがする。

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  倉敷は何度か訪れたことがあるが、だんだん洗練された街になってきた感じ。街を歩いている若い女の子は”アンアン”や”ノンノン”(ちょっと古いか❓)の雑誌から抜け出したような雰囲気だが、おしゃべりをし、クレープかなんかを食べながら歩いているのは頂けない。そして気が付いたが、『星野仙一記念館』や『加計美術館』などが新たにできていた。中でも加計美術館については、ついつい私学助成金の流用か、とか加計孝多郎氏の税金対策かと、小市民はネガティブな勘繰りをしてしまう。

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  倉敷から一気に日本海側に移動。途中の中国山脈越えは蒜山で雪景色となった。中国地方の最高峰大山は残念ながら雲の中で見えなかった。そして米子から西に向かい、玉造温泉で宿泊。昔の温泉街の風情でなかなかよろしい。小雪がちらつく旅館の露天風呂は素晴らしい。しかし首から上は非常に寒い。翌日は少し西にある縁結びで有名な『出雲大社』に出かける。伊勢神宮と比べると遥かに小ぶりな神社。子供のころに読んだ『大国主と因幡の白兎』の物語のモニュメントがあった。

因幡の白兎
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拝殿の大しめ縄
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奥の建物は本殿
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参道
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  案内してくれた人が、出雲大社では「二拝四拍手(二拍手でない)一拝」ですと強制。一般的な作法とは異なるそうだ。そんなことはどうでもいいと思っていたが、チョット強制されるのもどうかと思う。最近の週刊誌の見出しで読んだのだが、高円宮典子さんと出雲大社の宮司千家国麿氏が3年前に結婚されたが、現在別居中で離婚の危機にあるとか、もし事実なら縁結びの神社が、縁切り寺ならぬ縁切り神社になるのではと思うのは私だけか。

渦中の千家氏の住宅 
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 出雲大社は過去から言い伝えで「天空の社」があったとのこと。それを証明する柱が見つかった。その柱は杉の木を3本束ねたものであった。その柱が存在した場所にモニュメントとして地面に表示されている。

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  出雲大社を出て、今度は東に向かって玉造温泉を通り過ぎ安来節で有名な安来に向かう。足立美術館は安来の山村というべきところにあった。足立美術館の庭園は日本庭園900か所以上を対象に実施したアメリカの雑誌でランキングは14年連続1位となっている。因みに2016年度の2位は庭園は桂離宮であった。雪の中の庭園を期待していたが、残念ながら雪景色ではなかった。

  美術館の展示品はあくまでも絵画や工芸品、陶器であるが写真撮影はNG。庭園はOKだ。
  庭園が借景としている近くの山は、変な建物や構造物が建たないようにと足立美術館が購入したそうだ。また、庭園の松の木は20年程度で大きくなりすぎるので、植え替えるべき松を準備圃場で育てているとのこと。チョットその辺の庭園とはスケールが違う。

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  美術館では室内から壁の一部を取り除き、窓枠として庭園を一幅の絵画として楽しめるような工夫がある。和室の場合は掛け軸の感じだ。

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  島根県の安来地方は雪景色ではなかったが、さらに東に進み、鳥取県に入ったところ状況は一変。鳥取砂丘に立ち寄ったら、鳥取砂丘は鳥取雪原であった。空はどんよりと、海まで歩く人の跡は確認できたが、海まで歩く気が起こらなかった。
 
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  日も暮れかけて、さらに寒さも増してくるので宿泊地の神鍋高原のホテルに急ぐ。神鍋高原は大阪に住んでいたころ、よくスキーに出かけた。当時はホテル等なく民宿が中心であった。今は、温泉付きのしゃれたロッジ風リゾートホテルだ。ここにも露天風呂があり、温泉に入る。「ア―ッ、ウーッ、ゴクラク、ゴクラク」と奇声を発しながら堪能。
 
  翌日は天橋立に出かける。日本三景の一つだ。昔は人気があった気がするが、今はこの程度の観光地は賑わいを感じない。今の人はデズニ―ランドやユニバーサルスタジオ・ジャパンのような所がいいのだろう。天橋立ではあまり若い人を見かけなかった。
  天気の様子も芳しくなく、今にも雨が降りそうな感じで橋立の見える展望台はリフトを利用し大急ぎで登る。さすがに展望台の眺めは素晴らしかった。青空なら海の青のコラボが素晴らしいと思うが・・・

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「股覗き」で見た光景はこんな感じか。
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  天橋立駅のすぐ側にある知恩寺は臨済宗妙心寺派の寺である。「三人寄れば文殊の知恵」で知られ、今も受験生に人気のあるお寺。このお寺の多宝塔は重要文化財だ。

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  天橋立から伊丹空港をめざし南に向かう。途中の朝来市の竹田城跡に立ち寄る。ここは最近、「日本のマチュピチュ」とか「天空の城址」などと売り出し中だ。城址に行くには駐車場から専用のマイクロバスに乗り、さらに徒歩で20分ほど歩く必要がある。結構、急坂で息が弾む。おかげで体が温まる。築城の由来を見ると1431年に「応仁の乱」で有名な山名宗全が着手したそうだ。城そのものは小ぶりな山城だが、京都にも近く交通の要所でもあったので、それなりに重要な城なのかもしれない。2006年には日本名城100選にも選ばれている。ポスターなどでは雲海に浮かぶ城跡だが、季節限定なのだろう。気温差があり水蒸気が立ち上る晩秋がベストか。

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  竹田城跡から伊丹空港まで約2時間。空港に到着したのは5時。飛行機の便は19時30分なので空港で食事をとり休憩。結局帰宅は10時はであった。

17.12.03-04

 秩父夜祭に出かける。夜祭なので夕方到着。北関東は底冷えの寒さ。12月4日がスーパームーンということもあり、祭りの行われた3日夜はほぼ満月であった。

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 京都の祇園祭、飛騨の高山祭とともに日本三大曳山祭に数えられる秩父夜祭は、秩父の総社、秩父神社の例大祭で300有余年の歴史があるとパンフレットに記されていた。また、昨年、ユネスコの世界文化遺産として登録されている。

  巧みな技を極めた極彩色の彫刻や金糸をあしらった後幕の刺繍などに彩られた、豪華絢爛な笠鉾・屋台が秩父屋台囃子の調べに乗り、冬の夜空を焦がす花火をバックに引き廻される勇壮な祭りだ。京都や高山と比べるとチト優雅さには劣るが、そこは坂東の祭、田舎らしい素朴さがいい。秩父神社の女神妙見様と武甲山の男神龍神様が年に一度、御旅所で出逢うというロマンスが意外だった。

  所謂、山車のことを屋台・笠鉾というようで、どう違うか不明。屋台は上町屋台、中町屋台、本町屋台、宮地屋台の4屋台。そして笠鉾は中近笠鉾、下郷笠鉾の2笠鉾があり計6つの山車。これらの山車が秩父神社から西に向かい本町通り、中町通り、を通過し左折、そして聖人通りを直進し、我々が見学する桟敷前で90度左折し、最終の御旅所に至る。

  屋台や笠鉾の方向転換を『ぎり廻し』と言い、梃子の応用で持ち上げて回転させる。重さ数十トンの屋台・笠鉾が大きく傾き、『玉入れ』と呼ばれる小太鼓のリズムに合わせ方向を転換させる。これが行列のクライマックスだ。何らかの連絡が行くのか、クライマックスで花火の援護射撃があり、観客は一段と熱気を帯びる。

  最初は神官達による神事が粛々と行われた。神官も静かに神輿を御旅所に移動する。
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  昨年の夜祭で神馬がカメラのフラッシュに驚き暴走、トンダコトになったらしい。今年は、くどいほどフラッシュを使用しないように注意をスピーカーから呼びかけていた。
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  大勢の氏子が山車を引いている。そして周りは人、人、人であふれる。
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 交差点で『ぎり廻し』を行う。ぎり廻しを行うタイミングで花火が打ち上げられ、いやがうえにも祭は盛り上がる。山車の上には『ぎり廻し』を指図する人が提灯を振り回す。交差点を左折するため大きな材木の梃子を利用し『ぎり廻し』を行う。
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  祭の主人公は見物の観客ではなく、あくまでも参加する人が楽しんでいる。
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  横丁を入ると太鼓会の面々が祭囃子を奏でる。
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   10時頃に祭の会場から引き揚げたが、渋滞のため、ホテルに着いたのは日が改まってからだった。翌日はゆっくり起きて小江戸と呼ばれている川越に立ち寄る。元は川越城の城下町であるが、今は東京のベットタウンだ。戦災に遭わなかったため古い町並みが残っている。しかし、こちらも京町屋と比べると繊細な感じがしなかった。やたらと観光客が名物のサツマイモを使った『焼き芋』や『大学芋』、『サツマイモチップ』などを食べながらウロウロしている風景は頂けない。

  元の川越城は、今は川越市役所だ。
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   由緒ありげな登録有形文化財の『埼玉りそな銀行』。
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   江戸時代、川越藩主の酒井忠勝によって建てられた現存の鐘楼。今でも1日4回(6時、正午、15時、18時)鐘がつかれる。正午に近くで鐘がつかれるのを見ていたが、残念ながらオートマチックの機械式。 
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   関東大震災で被害の少なかった川越に当時の東京の菓子屋が引っ越してきて、一時は70軒ほどあったそうだ。今も20軒ほどが軒を連ねて営業している。
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   川越を出てから、まだ時間に余裕が有り、都内で紅葉した銀杏を見るために神宮外苑まで寄ってみる。昨日まで『いちょう祭り』を開催していたが、残念ながら終了していた。然し、名残の銀杏はまだ、健在だった。
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   近代日本の曙の神宮外苑『絵画館』
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2011年秋に完全リタイアー。現在は毎日が日曜日の素浪人。そして地球の何処かを徘徊中。

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