17.01.31長谷寺散策

 昨日は4月の陽気であったが、今日は一転真冬に逆戻り。そんな中、長谷寺まで出かける。長谷寺は別名『花の寺』といわれるだけあり、梅(蝋梅、紅梅、白梅)が見ごろ。また、河津桜も見ごろであった。久しぶりに『弁天洞窟』の中に入ってみる。

 山門のそばの白梅はいい香り
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 境内には河津桜が満開で春を感じさせる
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 境内の蝋梅も今が見ごろ
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万作の花も今が見ごろ>
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 2月3日の節分豆まきの準備が着々と進んでいる。ゲストは高砂部屋の力士、森田正光お天気キャスター、杉山愛、などの名前7

 阿弥陀堂には金色の阿弥陀如来が鎮座している。
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 久しぶりに弁天洞窟に入ってみる。
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 出口近くには馬酔木の花が満開。
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 帰路はいつものカメラスポットで富士山をパチリ。DSCN1841 (800x600)




17.01.24八幡宮のボタン苑と寿福寺、荏柄天神の梅

 今日は鶴岡八幡宮の『ボタン苑』に出かける。ボタンの株数はたくさんあったが、品種は驚くほど少ない。ざっと見渡しても6~7種程度と感じた。バラは世界で品種改良がなされ数えきれないほどの品種が存在するのに対し、ボタンはあきれるほど少ない。

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 寿福寺の参道は閑散としている。
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 寿福寺の鐘楼のそばにひっそりと梅が咲いていた。
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 荏柄天神は受験シーズンなので、今がかき入れ時。
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 荏柄天神のお社。
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17.01.03-10インド雑感

【インドの通貨改革】・・・ 昨年のトランプショックの最中にインドのモディ首相は高額紙幣の1000ルピー(≒2000円)と500ルピーの紙幣を12月9日より法定通貨でなくなると発言。
 両紙幣を持つ人は、翌10日から12月末までの間、銀行や郵便局に足を運び、10日より新たに発行された新紙幣と交換するか、預金するかでしか保有する現金の価値を維持できない事態となった。同国では決済に占めるクレジットカードの割合がわずか2%。現金決済が圧倒的で、国民預金比率も約5割と「タンス預金」の比率が高い。このため、貧困層を中心に大混乱となった。突然こうした決定がなされた理由として、(1)パキスタンに本拠を持ち、インド国内で活動するテロ組織が高額紙幣の偽札を使っていること、(2)資産隠しによる脱税や汚職に使われるブラックマネーを一掃したいこと――という2点が挙げられている。ウォール・ストリート・ジャーナルの記事によると、1000ルピー札は400枚に1枚が偽札だという。しかし今回廃止が決まった紙幣の流通量は230億枚にも上り、同国内で流通する紙幣の86%を占めるとされる。我々がデリーの空港で両替した時は2000ルピーの新紙幣を渡されたが小額紙幣に変えてもらえなかった。おかげでペットボトルの水を買えなく不自由した。インドの公用語は14言語あり紙幣にはそれぞれの言語でルピーと表示。

 インドの100ルピーと50ルピーの紙幣(表)
ルピー1

 紙幣の裏には14の公用語でルピー、ルピー、ルピー、ルピー・・・・・と14言語が続く。 (左の枠の中)
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 街の中で、どこからともなく闇ドル屋(闇ルピー屋)現れる。高額紙幣から小額紙幣への交換について勧められる。レートは1対1.2だ。暴利をむさぼるにも程がある。小額紙幣の束。
ルビー3

 デリーの空港で見た、1000ルピーと500ルピーが使えなくなる旨のポスター。
るぴー4

【カースト制度】・・・今から3000年ほど前に中央アジアからアーリア人がインドに侵入。先住民のドラビダ人は東と南に追いやられた。侵入したアーリヤ人は背が高く色が白い。一方、ドラビダ人は色が黒く背が低い。アーリア人は征服者として自分たちの優位性を維持するため色による階級制を必要とした。その『色』は最も地位の高いバラモン(宗教を司る僧侶)が白、次のクシャトリア(王族・武士)は赤、3番目のヴィシャ(農業や商業を営む庶民)は黄色、そして最下位のシュードラ(労働者)は黒と4つの色に分けられる。そしてカーストのさらに下に不可触賤民(アウトカースト)がある。因みにカーストという言葉はインドの言葉ではなく、ポルトガル語の種族・血縁をあらわす『カスタ』から来ているそうだ。
 1947年にインドはイギリスから独立したが、翌年に憲法によりカースト制度が廃止された。憲法ですべての公民は平等とうたわれているが、現実には3000年続いた制度が簡単になくなるはずがない。厳然と食堂や井戸の使用など差別があるそうだ。また、これを受け入れる “as is”の土壌が存在する気がする。

 物乞いなどは生まれて死ぬまでアウトカーストか。なんとなく貧しい人は色が黒く小柄でドラビダ人の末裔の様な気がする。
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 洗濯は今でもアウトカーストの仕事のようだ。
洗濯

【インド人と動物】・・・インド人は宗教上から殺生はしないため基本はベジタリアンだ。ただ、チキンは食べるようだが、現地ガイドのナンダモンド氏は生まれてからチキンを始め動物性たんぱく質は食べたことがないと言っていた。
 街の至る所に野良犬、野良ヤギ、野良サル、野良牛が大手を振って生活している。野良牛に至っては交差点の真ん中で寝そべっている牛もいた。また、牛は至る所で排泄するので注意しないとウンチを踏みつけることになる。まさしく地雷を踏む感じだ。
 日本と比べて犬は吠えず、おとなしい気がする。牛はミルクが出なくなったり、農作業等ができなくなればお払い箱になり、街を徘徊する。尻尾にウンチをつけて尻尾を振りながら狭い道をやって来れば恐怖を感じ、思わず逃げ出す。スペインの牛追い祭りで逃げ出すのと同じだ。

 デリー駅のそばにいた犬。
いぬ

 タージ・マハ―ルにいた猿。
さる

  商店の軒下で夜を過ごす牛
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【インドの子供たち】・・・インドにいると昼の日中に大勢の子供たちを見る。当然、学校には行っていないと思われる。やはりカースト制や貧しさのためか。しかし学校に行っている子供たちは制服を着ていて豊かな感じがする。21世紀の問題である『格差』がここにも存在する。貧しい子供は裸足で動物の排泄物で汚れた道を歩いている。寄生虫や様々な病気にかかるのではと心配だ。日本と違い圧倒的に若者があふれている社会だ。うまくテイクオフできれば、世界最大の民主主義国家なので21世紀はインドの時代になるかもしれない。

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【おまけ】・・・最後にインドのカレンダーには驚いた。通常カレンダーは横に日、月、火、・・・と並び数字も曜日に従い横に並ぶものだと思っていたが、インドは縦に日、月、火、となり数字も縦に並ぶ。インド以外の人は慣れるのは大変だと思う。

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17.01.03-10悠久のインド紀行

 インドに行ったことのある人は、二度と行きたくないという人と機会があれば何度も行きたいと思う人がいるそうだ。自分は後者に属する。前回は2012年12月に行ったので、約4年ぶりだ。この度は高校時代の友人O君と一緒である。関西空港で待ち合わせ、エアーインディアで香港経由デリーに向かう。インド航空は国内線を含め都合5回搭乗したが、全て1~2時間程度遅延した。日本のように定刻出発とはいかない。これがインドだ。

 関空に行く機内から富士山がよく見えた。下から眺めるのではなく上空から眺めると火口までよく見える。
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 搭乗と同時に機内でなんとなくカレーのにおいを感じる。まあ、こちらも加齢臭を発散しているので偉そうなことは言えない。カレー臭と加齢臭が合体すると華麗な香りが・・・そんなことはあり得ない。 
 今回は玄奘三蔵や大谷探検隊が訪ねた仏教遺跡を巡る。テーマは『宗教の聖地と自分探しのインド路』というところか。

 デリーからがディマン・エクスプレスでアグラに向かう。定刻に出発したが到着は予定より、1時間程度遅れた。

 駅の近くでお客を待つ輪タク
輪タク

 列車を待つ人々
列車を待つ人

 列車は広軌なのででかく頑丈そうだ
列車1

列車2

 車内のサービスはなかなかのもの
サービス

【タージ・マハール】・・・インド観光の定番タージ・マハールはお墓である。「私のために世界一美しいお墓を作ってください」と、ぬけぬけ言った女も女なら、「よしよし」と本当に作った男も男と思う。男はムガール帝国の5代目の皇帝シャー・ジャハーンである。相手の女性は彼に狂わんばかり愛された後宮のムムターズ・マハ―ルである。素人が見ても遠近感をうまく取り入れシンメトリーになっている白大理石の建物は非常に美しい。べらぼうに巨大な建物の割には威圧感を感じない。さすが世界遺産、お見事の一言。しかし建築の完成には22年の歳月を必要とした。

タージマハール1

タージマハール2

タージマハール3

タージマハール4

タージマハール5

【アグラ城】・・・16世紀から19世紀にかけてインドを支配した、ムガール帝国の栄光と強大な権力の象徴といえる城である。勿論、世界遺産。ムガール帝国でただ一人「大帝」と呼ばれた第3代皇帝アクバル帝が建築を始め、その後シャー・ジャハーン帝などにより建築が続けられた。道理でアグラ城からはタージ・マハ―ルを見ることができる。シャージャ・ハーンは7年間タージ・マハールを日夜眺め続けて暮らしたそうである。アグラ城から実際に眺めてみるとヤムナー河畔のタージ・マハール真珠のように輝いていた。
 
アグラ城1

アグラ城2

アグラ城3

アグラ城4

 王様の謁見の間
アグラ城5

アグラ城8

アグラ城6

 遠くにタージ・マハ―ルを見ることができる
アグラ城7

 アグラからデリーに戻り、国内線でガヤに向かう。着後ブッダ修行の地であり、晩年長く滞在したラジギールへ。そして翌朝、聖地山の『霊鷲山』へ。かつてブッダも登り通ったといわれる道を登り、ご来光を望む。

【ラジキール】・・・ラジギールの村はインドでは珍しく温泉が湧く。といっても冷泉と思う。そして正直,生活は非常に貧しい。温泉には一般の村人が入り、その下には使用後の湯を溜めアウトカーストの人が体を洗ったり洗濯したりしていた。間違って中に入り写真を撮ろうとしたら係りの人から偉い剣幕で叱られた。半世紀前に憲法上はカースト制度が廃止されているが、3千年以上の歴史がある制度なので差別は一朝一夕には無くならない。カースト制度が憲法で廃止されたことも知らないのではと思うことがある。

 一般の村人の脱衣場。温泉の入場を勧められる。
ラジギール1

 アウトカースト用と思われる浴場。
ラジギール2

 日が暮れると村の至る所にホームレスらしき人が目につく
ラジギール3

ラジギール4

 壁には牛糞が張り付けられている。乾けば燃料となるが、煮炊き物にはチョット抵抗がある。
ラジギール5

牛糞

 家族の移動はロバ車。
炉馬車

 トラックの代わりに牛車。
牛車

  翌早朝の日の出前にブッダが2500年前に無量寿経や法華経を説いたとされる山として知られる霊鷲山に出かける。残念ながら霧でよく見えない。インドは12月~2月の冬季は霧の季節だそうだ。この霊鷲山のあるビハール州は禁酒令が布かれており、ホテルでもアルコール類は一切ない。グジャラート州やミゾラム州も同じだ。ロシアなどと違い暑い国はもともとアルコールを必要としないのかも。

  ご来光は残念ながら霧のため、見ることができなかった。
霊鷲寺

霊鷲寺2

 頂上では祭壇があり、僧侶が祈祷してくれる。
霊鷲寺3

 釈迦が瞑想した洞窟。
 霊鷲寺4

 山から下りてくると物乞いの子供が集まってくる。チョット複雑な気になる。お金をあげるのには抵抗があり、日本から持ってきたボールペンをあげる。しかしボールペンなど使わないかも・・・。
霊鷲寺5

【ナーランダー仏教大学】・・・紀元427年に建てられた世界最古の大学の一つだ。「ナーランダ」は " 蓮のある場所 " という意味だそうだ。1万人までの人が滞在した(最古で、それまでの歴史で最大の居住型の学校、最多で1万人の生徒と、1,500人の教員がいた。高い塀と、1つの門、図書館は9階建ての建物にあり、多様な分野の教科が行われていたという。勿論、ここは世界遺産だ。
 ここで学んだ玄奘三蔵は645年(唐朝時代)に657部の経典を中国に持ち帰っている。1193年にイスラム教徒侵入により大学は破壊され衰退した。

 ナーランダ大学の入り口。
ナーランダ1

 大学のキャンパス。
ナーランダ2

 学生寮のトイレ跡。
ナーランダ3

 瞑想のための洞穴。
ナーランダ4

 昔の階段教室。
ナーランダ5

 釈迦像の装飾のある建物跡。
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ナーランダ6
 
 大学の建物配置図。
 ナーランダ7

 学校を出ると土産物の屋台がある。
ナーランダ8
 
 ナーランダ大学のあるところは牧歌的な感じがする。トラックの代わりに牛車が活躍。
ナーランダ9

 ラジギールからブッダが悟りを開いた地ブッダガヤへ向かう。

【日本寺で座禅】・・・インドがイギリス植民地からの独立を成し遂げて間もない1956年、インド政府は仏教紀元2500年を祝いブッダガヤを仏教による世界平和の本拠地とする宣言をする。日本の仏教徒が賛同し、宗派や寺派の違いを超えてこのブッダガヤの地に日本の寺を建てた。木造のお寺に親しみがあるが、ここは鉄筋コンクリ―製であまりありがたみを感じなかった。隣はブータンの煌びやかなお寺で、少々見劣りがする。

 日本寺の正門(山門?)。
日本寺1

日本寺2

 日本寺の本堂。
日本寺3

 本堂の中の仏像。
日本寺4

 日本寺の隣にあるブータンのお寺。
日本寺5

【マハボディ寺院】・・・ブッダガヤにある寺院。かつて釈迦が悟りを開いたといわれる有名な菩提樹がある、紀元前3世紀にアショカ王により建造された古い煉瓦構造建築の一つである。勿論、 ユネスコにより世界遺産に登録されている。ビハール州パトナーからおよそ96km離れたところに位置している。    
 紀元前530年、僧として放浪している釈迦牟尼がガンジス川支流の森の岸に着いたその位置を示すために造られた。ここは長らくヒンドゥー教の管理下にあり、寺院が整備されず荒廃していたが、1949年にヒンドゥー教徒と仏教徒の各4名と政府要員1名による管理となった。さらに1992年には佐々井秀嶺などによるブッダガヤ奪還運動が行われ、近年では仏教徒のみによる管理へと移行しつつある。2013年7月7日爆弾テロ事件が発生し2名のビルマ人、チベット人仏教僧侶をふくむ5名が負傷した。宗教の原理主義者には困ったものだ。我々が訪問した1月6日と7日はダライラマが滞在していたので殊の外、警備が厳重であった。
  
 マハボディ寺院に入るには厳重なチェックが必要。
マハボディ1

 ダライラマの来訪を知らせる大弾幕。マハボディ2

 夜間はライトアップされて美しい。
マハボディ3

マハボディ4

 熱心なラマ教の信者が五体投地を行っている。
マハボディ5

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 厳重な警戒。
マハボディ7

 夜間も大勢の仏教徒が詰めかけている。ダライラマ訪問の影響かチベットの仏教徒が一番多く、引き続いてミャンマーやスリランカ、タイ、ラオス、中国、韓国の仏教徒が目についた。日本の仏教徒は見かけなかった。日本の仏教界はあまり国際的ではないのかな。
 翌朝もマハボディ寺院に出かけたが、芋の子を洗うような混雑ぶりであった。当然、セキュリティも厳しい。
 
 セキュリティーの関係上、入場は男女別々に並らぶ。
翌日1

 セキュリティが厳しく、宗教施設のような感じがしない。
翌日2

 熱心な信者たち。
翌日3

信者

しんじゃ2

翌日4
 
 菩提樹の下で釈迦が悟りを開いた。この聖なる菩提樹は何代目になるのか…。
菩提樹1

菩提樹2

 仏足跡。
佛足跡

 ブッダガヤのそばにあるスジャータ村に出かける。ここは釈迦が悟る直前にミルク粥を供養し命を救ったという娘がいたところである。今は立派なストゥーパとその上には菩提樹の樹があった。その傍には「恵英山学校」という中国人の寄付で建てられた学校がある。我々が着いたら、全児童と教師がドネーションBOXをもってやって来た。チョット興ざめ。
 
 スジャータの説明板。
スジャータ1

 ストゥーパ。
スジャータ2

 中国人の寄付で建てられた学校と生徒と教師。
スジャータ3

スジャータ4

 ブッダガヤからヒンズー教最大の聖地ベナレスに向かう。ヒンズー教徒は死ぬ時はここで荼毘に付され、灰をガンジス川に流されることを無上の喜びとしている。お金のある人はガート(火葬場であり沐浴場)近くの旅館で死期を待つ。貧乏な人は火葬のマキ代をもって路上で死期を待つ。かつて暗殺されたインディラ・ガンジー首相もここで荼毘に付され、灰はガンジス川に流された。従いヒンズー教徒は墓を持たない。
 遠藤周作の小説「深い河」でもおなじみだ。灰を流された、あまり綺麗と思えない河で沐浴する人がいる。また、牛やハンセン病など障害を持った物乞いなどがいてカオスの世界でもある。夜にはガートでヒンズー教徒の祈りの儀式「プージャ」も行われる。

 ガートの階段。
ガート1

 沐浴を見学するためのボート。
ガート2

 沐浴風景。
ガート3

沐浴1

沐浴2

 立派な建物は元マハラジャの宮殿。
ガート4

ガート5


 日本人経営のバックパッカー向けゲストハウス。
久美子ハウス

 ガートで行われる火葬。赤い火が目印。火葬が済めばガンジス河に灰を流す。興味本位で写真を撮るのはマナー違反なので遠くからそれとなく雰囲気を撮る。
火葬1

火葬2

 火葬用のマキが積み上げられている。
火葬用のマキ

 沐浴風景を見る観光客。
ボート

 ボートから花と燈明を流す。さながら精霊流しのようだ。
精霊流し

 日の出風景。
日の出

  路地を歩くと突然、牛がやって来てすれ違うのに往生する。野良犬、野良サル、野良ヤギ、野良牛のてんこ盛りである。インドは基本的にベジタリアンであり殺生をしない国なので動物が街中にあふれている。子供のころに捨て犬を拾ってきて内緒で縁の下で飼おうと思ったが、即親に見つかり泣く泣く元のところに戻した記憶があるが、インドの子供は野良牛をかわいいと思って内緒で飼おうとするのかと思ったが、それはないだろう。
牛1

牛1

牛2

 ガートでは夜になるとヒンズー教の儀式「プージャ」が行われる。
プージャ2

フ゜ージャ

バスからガートまではリキシャ(輪タク)に乗る。片道20分程度走るが、往復で二人分20ルピー(≒40円)。気の毒な感じだ。ただ乗り心地は快適とは言えないが。
リキシャ1

リキシャから眺めた風景。
リキシャ2

リキシャ

 ガンガーのそばの酒屋は鉄格子が付いていた。
酒屋

【バーラト・マ―タ寺院】・・・ヒンズー教のバーラト・マーター寺院のご本尊は、大理石でできたインドの地図だ。結構精巧にできていてヒマラヤ山脈などもあり、半地下室のような場所から見ると臨場感が増す。

 なんでこんなものがご本尊なのかチョット疑問。
バーラト・マ―タ寺院1

 半地下から眺めた地図。
バーラト・マ―タ寺院2

 ベナレスからブッダが初めて説法した初転法輪の地サルナートへ。仏教遺跡はインド北東部に集中している。ブッダガヤ、ナーランダ、ラージギル等々。これ等の地域は生誕地ルンビニを含め、釈迦が生まれ育ち、悟りを開いてから後、亡くなるまでの80年間を過ごした場所だ。

【ダメーク・ストゥーパ】・・・二重円筒形の巨大な塔で、6世紀頃に増広された。 インドには仏教信者は少ないので、ここにも現地の人はほとんどいない。 ストゥーパの下を色々な国の巡礼者が念仏を唱えながら周回していた。

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【ムルガンドゥ・クティ寺院】・・・内壁一杯に日本の画家野生司香雪 (のうす こうせつ,1885 - 1973) 奉納の釈迦の壁画 (1936) ブッダの誕生から涅槃まで生涯を描いた壁画がある。

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【考古学博物館】・・・この博物館には、仏教美術の最高傑作のひとつと言われるサールナートブッダ、初転法輪仏像が安置されている。博物館自体はそれ程大きくない、他にもアショーカ王柱の塔頂部分に乗せられていた柱頭四頭獅子像など見応え十分の展示内容。写真撮影は一切禁止。 従い写真のアップはできなかった。





16.12.31長谷寺『万灯祈願』

 今年も例年通り大晦日から長谷寺に出かけ『万灯祈願』を見学。除夜の鐘をききながら帰路につく。途中の八雲神社で氏子さんの振舞う甘酒をご馳走になる。

先日の長谷寺のライトアップは竜宮城の様な奇妙なものであったが、大晦日は自然なライトでよかった
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帰路に立ち寄った『八雲神社』はまだお参りの人はおらず、氏子や神社の関係者は手持無沙汰であった。氏子の人から甘酒を勧められ
、ありがたくいただく。
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プロフィール

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2011年秋に完全リタイアー。現在は毎日が日曜日の素浪人。そして地球の何処かを徘徊中。

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