16.08.28-29出羽三山紀行

 30日に東北地方に観測史上初という台風10号が上陸する。間一髪というところで29日に東北地方の出羽三山から帰宅した。そもそも出羽三山とは月山、羽黒山、湯殿山の三山の総称。登ってみると今も多くの修験者に出会う。修験道を中心とした山岳信仰の場でもある。
 三山それぞれの山頂に神社がある。宗教法人としての名称は「月山神社出羽神社湯殿山神社(出羽三山神社)」である。三山のうち、羽黒山には3社の神を併せて祀る三神合祭殿と、宗教法人の社務所がある。三社とも神仏混合の宗教施設でもある。

【羽黒山出羽神社】・・・一山を寂光寺と称して天台宗の寺院(輪王寺の末寺)であった。羽黒山全山は、江戸期には山の至る所に寺院や宿坊が存在した。羽黒山に羽黒山五重塔(国宝)が、鳥居前に手向宿坊街が残っているのはその名残。
 羽黒山の「随神門」は邪悪なものが神域に侵入するのを防ぐ門とのこと。ここから先は神域となる。そして奈落の底へ落ちる「継子坂」がある。そこを過ぎて「神橋」を渡る。この橋の下は三途の川を意味する禊川、ここで禊をして山頂を目指した。

国宝の五重塔 彩色を施していないので非常にシンプル。また、深山幽谷によくマッチしている
五重塔2

随神門、これより神域 不浄なものは入れない
随神門

神橋の下は禊川が流れる
禊川

山頂まで巨木の杉並木がある。中には樹齢千年のものも
杉並木


 羽黒山の山頂付近には「三社合祭殿」があり、月山、羽黒山、湯殿山の三社を祠る。茅葺の木造の建築物としては日本最大の厚み2.1mとのこと。そもそも月山や湯殿山は冬季ら雪に覆われるため一か所に合祀し済ますためだそうだ。チョット安直な感じ。

出羽三山神社三神合祭殿の茅葺屋根
 三神合祭殿

右から羽黒山、月山、湯殿山が祀られており、右から参拝するそうだ
三神合祭殿2

出羽三山の案内図
案内図

羽黒山から月山を望む
月山を望む

羽黒山から光る日本海が望める 
日本海を望む


【月山神社】・・・本地仏を阿弥陀如来とし、岩根沢に天台宗日月寺という別当寺がある。山としては出羽丘陵の南部に位置する標高1,984mの火山。山域は磐梯朝日国立公園の特別区域に指定され、日本百名山、新日本百名山、花の百名山及び新・花の百名山に選定されている。

月山案内図
月山案内図

月山八合目
八合目

月山頂上を望む
月山頂上

至る所に湿原がある
湿原

路傍に咲いているリンドウ
リンドウ


【湯殿山】・・・月山南西山腹にある山。標高1,500m。古来より山岳信仰の対象とされており、同山の薬師岳の北の中腹の川沿いにある湯殿山神社は、五穀豊穣や家内安全の御神徳があるとされている。この神社は、社殿も拝殿もないという点が大きな特徴である。なお、湯殿山神社の御神体は、温泉水が湧出する場所にある茶褐色の巨岩で、この巨岩には、温泉水の影響により生じた水酸化鉄がウロコ状の塊となって付着している。御神体であるこの巨岩は、「三山奥ノ院」とされる。岩の写真を撮ろうとしたところ御神体であり写真はNGであった。また、湯殿山神社とその周辺の詳細については、「語るなかれ、聞くなかれ」とされており、松尾芭蕉も「おくのほそ道」における湯殿山の部分については、「総じてこの山中の微細、行者の法式として他言することを禁ず。よって筆をとどめてしるさず」と記し、「語られぬ湯殿にぬらす袂かな 」と句を詠むのみにとどめている。
 湯殿山に参拝するには裸足になり、岩から湧き出る温泉に足をつけながら参拝する。そして参拝後は神社のサービスか、足湯の設備がありゆっくりと過ごす。誠に「ゴクラク、ゴクラク」という感じ。写真を撮れないのが唯一の欠点。


湯殿山の鳥居 ここから神域となる
湯殿山鳥居

至る所に温泉が湧きだし流れている
温泉の流れ

麓の雰囲気はまがまがしさがある
湯殿山麓

ミイラとなった即身仏で本物ではなく作り物が展示されている
即身仏

16.08.18認知症予防

 今日は某証券会社主催の「認知症予防と基礎知識」というテーマのセミナーがあり、出かけてみた。

 そもそも認知症とは様々な原因により、脳の細胞が死んでしまったり、働きが悪くなってしまったために、色々な障害が起こり、日常生活を送る上で支障が出る状態(およそ6か月以上継続)を指す。と定義されている。2025年には700万人が出現するといわれている。65歳以上の5人に1人だ。5人のうちの4人になりたいものである。

 認知症の原因は脳の変性疾患(アルツハイマー病、ㇾビー小体病等)と脳血管性疾患(脳梗塞、脳出血、脳動脈硬化等)の2つが認知症の80%を占める。その他としてAIDSやアルコール中毒なども原因の一因となるそうだ。

 認知症の主な症状として中核症状と行動・心理症状(BPSD)に大別されるという。

【中核症状】とは
①記憶障害・・・新しいことを記憶できない(しずらくなる)、先ほど聞いたことさえ思い出せない、進行すると覚えていたはずの記憶も失われるといった障害となる。
②見当識障害・・・時間や日時・季節の認識や、自分が今いる場所の認識が困難になる障害。近所で迷子になったり、季節感のない服装をしたりする。
③理解・判断力の低下・・・思考スピードの低下や情報処理能力の低下、変化への対応力低下等、同時並行で処理できなかったり、日常生活で混乱することになる。
④実行機能障害・・・自分自身で計画を立て実行することができなくなる。想定外の事柄が起きると計画の修正ができず思考停止となる。
⑤コミュニケーションの障害・・・いわゆるK・Y(空気が詠めない)状態になり、周囲の人とのコミュニケーションが困難になる。

【行動・心理症状(BPSD)】とは中核症状を元とし、本人の性格や素質、置かれている環境や心理状態により、不安、焦燥、うつ状態、幻覚・幻想、徘徊、興奮、不潔行為等である。

 認知症の診断・受診の主な内容はCT・MRI・脳血流検査等の画像検査や記憶・知能に関する心理検査などがある。治療法としては、アルツハイマー病の場合、早期であればある程、薬で進行を遅らせることができる。初期から服用開始すると健康な時間を長くすることも可能。

 一番気になる予防だが、脳血管認知症の予防は高血圧症・高脂血症・肥満等への対策が有効。アルツハイマー病の予防には生活習慣病対策で発症を送らせる。そして脳の病気の加速因子を防ぐ、つまりうつ・うつ状態による、「脳の廃用」を防ぐことだ。そして脳の活性化を促すことが大事。気持ちよい刺激・笑い。友人や家族と楽しいコミュニケーションをとる機会を持つ。「他者の役に立つ」日課や役割で認知機能をアップする。さらに褒めても、褒められても「ドーパミン」が脳内で大量に放出される。これが大事だ。

 最後に加齢による物忘れと認知症の違い

  <<加齢によるもの忘れ>> <<認知症の記憶障害>>
経験したことが部分的に思い出せない  ⇔ 経験したことを全部忘れている
目の前の人の名前が思い出せない    ⇔ 目の前の人が誰なのかわからない
物の置き場を思い出せないことがある  ⇔ 置き忘れ・紛失が頻繁になる
何を食べたか思い出せないことがある  ⇔ 食べたこと自体を忘れている
約束をうっかり忘れてしまった       ⇔ 約束したこと自体を忘れている
物覚えが悪くなったように感じる      ⇔ 数分前の記憶が残らない
曜日や日付を間違えることがある     ⇔ 月や季節を間違えることがある

このレポートをまとめることは認知症予防のつもりでまとめた。

16.08.09東海道・藤沢宿

 今日はNPO法人鎌倉ガイド協会の佐藤さんのレクチャーを受けながら、藤沢宿を巡る。藤沢は東海道の宿場町であり、ここから大山街道や江の島道に分岐する重要な街道であった。江戸の日本橋からちょうど約50kmの位置にあり、普通の人の足なら手前(江戸より)の戸塚の宿で一泊したそうだ。その後は平塚の宿。しかし、必ずしも野暮な「お江戸日本橋七つ立ち」ではなく、品川あたりでドンチャン騒ぎの後に出発となった人も多かったそうだ。

 杉山検校が江の島弁財天を深く信仰し、江の島神社に参詣する人のために藤沢宿から江の島までの道案内に道標を寄進。道標は道の分岐点を表示するためのもので、彫りが深く盲人への配慮がうかがわれる。48基建てらえたが、14基が現存し、そのうち12基が藤沢市の重要文化財となっている。道路上にある広重の東海道五十三次図(藤沢宿)をよく見ると右下には江の島詣でと思われる盲人が描かれている。

広重の東海道五十三次 藤沢宿図
広重

 道中には庚申堂がある。創立年代は不詳、現在の堂は大正9年(1920)に建てられた。中には江戸時代前期の作といわれる青面金剛立像が祀られている。60年に一度開帳されるので、次回は24年後の2040年だ。

庚申堂
庚申堂1

庚申堂2

庚申堂3


 宿場町であった藤沢は遊行寺の門前町でもあった。歩道には街道の分岐点であることや門前町でもあることがわかる。また、当時は裕福な商人の家の蔵の様子が偲ばれる。

歩道には分岐点であることを示す表示がある
歩道の上

蔵があり以前は豊かであったと思われる商家 今はギャラリーとして使用されている
商家


 遊行寺は宗祖一遍上人が遊行の僧であったために俗称「遊行寺」で親しまれている。正式には清浄光寺という。開山は呑海。本尊は阿弥陀如来とのこと。惣門の冠木門は小さな屋根がつけられ黒く塗られている。天下の三黒門の一つだそうだ。惣門の手前には「榜示」の石碑がある。これはここから寺領であり、一種の治外法権であることを示している。惣門から山門跡までの石畳の坂道は阿弥陀の四十八願に因み「いろは坂」と言われているそうだ。惣門をくぐった左側にある塔頭真徳寺には国定忠治の子分の板割朝太郎の墓があり、笑ってしまった。

清浄光寺の惣門
惣門

惣門のそばにある「榜示」の石碑
「榜示」の石碑

いろは坂
いろは坂

本尊の阿弥陀如来像
阿弥陀如来像

板割朝太郎の墓
板割朝太郎


 遊行寺には福貴長寿の神として信仰されている宇賀神か祀られている。これは鎌倉の銭洗弁天として有名な宇賀神社と同じく湧水でお金を洗うとお金が増えるという言い伝えがある。

遊行寺にある宇賀神神社
宇賀神神社

銭洗弁天を小さくしたような弁天様 ここで鎌倉の銭洗い弁天と同じくお金を洗う
弁天像


 江戸時代に諸大名、公家、幕府の重臣などの宿泊施設である蒔田本陣があった。しかし今は道路整備でなくなったのか跡形もない。一方、将軍が泊まるところは藤沢御殿と言われ家康から三代続いて利用されたそうだ。ここは当然、外堀がある豪壮なものだったようだ。しかしここも跡形もなく、今は公民館が立っており標識のみである。

藤沢御殿の説明書
藤沢御殿

藤沢御殿の見取り図
御殿の配置図


  妙善寺は東海道から少し入ったところにある。日蓮聖人が龍ノ口の法難の翌日、佐渡へ向かう途中に当寺に立ち寄り法華経を唱えた。当初は真言宗の寺であったが、日蓮宗に改宗した。ここには本陣職を務めた蒔田家の墓があった。

妙善寺
妙善寺

蒔田家の説明書
蒔田家


 英勝寺も東海道から少しは行ったところにある。境内には東坂戸町で飯盛旅籠を営んでいた「小松屋」の墓がある。ここに働いていた飯盛女(私娼)の小さな墓碑39基が建立されている。墓石には彼女たちの名と施主小松屋源蔵の名が刻まれている。当時、手厚く供養してもらえた飯盛女は少なく、死んでも無縁仏として処理されるのが普通だった。なお、文政三年(1820)頃、藤沢宿には飯盛旅籠が22軒あり飯盛女は100人近くいたという。

英勝寺山門
英勝寺

飯盛女の墓
飯盛り女の墓

英勝寺飯盛女の説明書
説明書


 藤沢市が2014年に制定した「街並み百年条例」に基づきいろいろ手を加えて歴史を共有財産として次世代に引き継ごうとしている。素晴らしいことだ。そのために市の施設として「ふじさわ宿交流館」があり、当時を再現した100分の1のジオラマなどあり、非常にためになった。

「ふじさわ宿交流館」の建物
ふじさわ宿交流館

「ふじさわ宿交流館」内にあるジオラマ
ジオラマ

街角にはいたるところ「藤沢宿」が目につく
街角


 今日の関東地方は40度近くまで気温が上がり今年一番の暑さとなった。日中トボトボ歩きながら、いろんな所を巡ったが、本当に暑かった。鎌倉ガイド協会の佐藤さんに感謝。




蜀紀行2

【成都大熊猫繁育研究基地】・・・成都市内に広大なパンダの生育基地がある。できるだけ自然に近い環境で育て野生に戻すそうだ。ここには生後15日から7歳程度までのパンダが150頭ほどいるそうだ。因みに今年生まれたパンダは15頭とのこと。日本の和歌山白浜動物園や名古屋動物園で生まれた赤ちゃんパンダもこの研究基地にいる。さながら帰国子女のようだ。

悪戯パンダ

パンダ基地入り口
入り口

広大な基地内の道
竹の道

保育器内のパンダ 生後半月 ハツカネズミのようだ
パンダ保育箱半月

同じく保育器内のパンダ 生後1か月 ようやくパンダらしくなってきた
保育箱1か月

生後2か月のパンダ
2か月のパンダ

生後3か月のパンダ
3か月のパンダ

母親パンダからミルクを飲む双子のパンダ
母親パンダと2頭のミルクを飲むパンダ

餌を食べるレッサーパンダ
レッサーパンダ1

中国語でいわゆるパンダは大熊猫、レッサーパンダは小熊猫。この基地にはレッサーパンダも同様に育てられている。
レッサーパンダ2


【楽山大仏】・・・成都から南西に150kmの凌雲山の西岸壁に彫られた楽山大仏は世界最大級の石彫大仏である。唐の時代に713年から90年の歳月をかけて足元を流れる岷江の氾濫を鎮めるために造られた弥勒菩薩である。完成当時は全身金色であったが、今は所々彩色の名残を感じるのみ。日本の東大寺の大仏は752年開眼なので同時代と言っていいだろう。しかし、表情は随分違うように感じる。

大仏1

大仏2

大仏3

大仏4


【峨眉山】・・・道教や仏教でいうところの聖地である。中国四大仏教聖地(五台山、九華山、普陀山、峨眉山)の一つである。1996年12月6日には文化面、環境面両方が考慮され、楽山大仏と共に「峨眉山と楽山大仏」としてユネスコの世界遺産(複合遺産)に登録された。普賢菩薩の霊場とされる。頂上にある金頂は標高3077mである。当日は麓では問題がなかったが、山頂近くで雨に降られ往生する。

峨眉山の石碑
峨眉山2

峨眉山入り口
峨眉山1

登山の途中で雨が降る
峨眉山3

山頂の金頂にある華厳寺
峨眉山4

華厳寺

野生の猿
野生の猿

16.07.23-08.03蜀(四川省)紀行

 7月27日~8月3日まで中国の四川省に行く。古来より四川省は「蜀」と呼ばれ、蜀に行くことを入蜀といった。わざわざこのような熟語があることは行路に難があったために相違ない。盆地で湿潤な気候のため、曇天が多い。犬も太陽が珍しく、「蜀犬、日に吠ゆ」と言われる。多分、蜀人がいったのではなく他の地域の人がいったのだろう。四川省の面積は485千㎢でスペインの506千千㎢に近い。人口は87百万人である。

 四川省には何度か訪れたが、今回は世界遺産の九寨溝、黄龍、楽山大仏、峨眉山、都江堰が主たる目的として出かけた。

【九寨溝】・・・四川省の省都である成都から約450km北に位置し標高は2000m~3100mである。九寨溝に行く途中に2008年5月12日に発生し、行方不明者を含め約9万人の死者を出した「四川大地震」の震源地、汶川県を通る。現地は渓谷が迫り山崩れが大災害の原因と思われる。



8年経っても現場の復興は遅々として進んでいないようだ。
汶川県1

同じく未完了の工事
汶川県2

未だ道路は完成していない
汶川県3

街道沿いではしたたかな農民は木の実やキノコ、果物を売っている
松藩5

 汶川県から少し北上すると松藩がある。ここは明清時代の城壁に囲まれた街並みを残す「松藩古城」がある。しかし街の中の商店は現代的な土産物店や携帯電話の通信会社等でさながらテーマパークの趣で興ざめである。

松藩古城の入り口
松藩1

松藩を流れる川
松藩2

松藩の街並み
松藩3

市民は将棋に熱中
松藩4

この辺りまで来ると冠雪した山を見ることができる
松藩6

 九寨溝とはチベット族の9つの集落(寨)があった谷という意味だそうだ。そこには100以上の大小の湖沼が連なり、湖底が見通せる澄んだ水、エメラルドグリーン、マリンブルー等、色合いが異なる美しさが特徴だ。当日は天候にも恵まれに日光の強弱で色調が変化する、まさに自然の神秘を感じる。

樹正溝
九寨溝1

真珠灘瀑布
九寨溝2

犀牛海 
九寨溝3

長海(3150m)
九寨溝4

熊猫海
九寨溝5

諾日朗瀑布
九寨溝6


【黄龍】・・・九寨溝で2泊したのち、黄龍に向かう。途中、雪宝頂(5588m)を左に見ながら雪山梁(4007m)の峠を越える。近くの展望台から素晴らしい景色を堪能。しかし富士山より標高が高いので息苦しい。展望台ではチベット族が小動物の干物?を売っていた。何の干物か不明。純白のヤクもいて意味不明な場所だった。腕時計の高度計は3905mを表示していた。

展望台風景
展望台1

展望台にある雪山梁4007mの記念碑
展望台2

同じく雪宝県5588mの表示
展望台3

チベット族が売っている小動物の干物らしきもの
展望台4

腕時計の高度計では3905mの表示
時計

チベット族が記念写真用につないでいるヤク
ヤク

  玉翆山麓の渓谷に黄龍はある。渓谷に沿って大小3000を超す湖沼が棚田状に連なっている。差し込む太陽光線の強弱などにより湖沼は青色や黄緑色に輝く。黄色い石灰岩盤上を下り落ちる水の流れが黄色い龍のように見えたから「黄龍」と名付けられたそうだ。
  黄龍一帯は紀元前1万年頃に地上に出現したと推測されている。長い年月を通して石灰分が溶け込んだ水が流れ続け、次第に水分中の石灰分が枯れ葉や枯れ枝に石灰分が付着し、石灰華となって水をせき止め、さながら棚田の様な光景となった。黄龍は標高が高く入り口でも3100m以上あり、黄龍寺は3500mに達する。従い歩く時は急がず「ゆっくり」を心がける。しかし、当日は、にわかに雷鳴とともに雨が降り出し、少々きつい観光となった。

黄龍の石碑
黄龍1

黄龍の地図
黄龍2

だんだん天候が怪しくなる黄龍の周りの山
黄龍3

登山道の途中にある「酸素バー」
黄龍4

黄龍寺の上にある五彩池
黄龍寺の上にある五彩池

同じく五彩池1

同じく五彩池2

同じく五彩池3

黄龍5

黄龍6

黄龍7

黄龍8

標高3500mの道教のお寺「黄龍寺」
黄龍9


【都江堰】・・・都江堰は成都の北西60kmに位置する。長江上流の最大水量の支川、岷江の中流に位置する古代の水利工事。秦の始皇帝が蜀都の太守「李冰」に命じ造らせた。李冰は民衆を率いて親子二代にわたり完成した。基本的には川上の流れを外江と内江分離し、内江を成都の灌漑用水や生活用水とし、余分な水は外江に流した。内江は深水が深く、外江は深水が浅く幅が広い。干ばつの時は自然に内江に水が流れ、大水の場合は外江に流れる仕組。都江堰を眼前に見ると諸葛孔明と同様にこの土を踏み、周りの風景を見ていると、不思議なことに孔明がつい最近の人の様な気がした。

手前が内江 
都江堰1

李冰親子を祀った「二王廟」
都江堰2

中洲に渡る「安瀾橋」
都江堰3

二王廟にある絵馬の様なもの
都江堰4


【武候祠】・・・武侯祠の「武侯」とは「忠武侯」と諡号された諸葛亮を指し、彼を祀る霊廟を意味する。しかし、後世に「三国志」や「三国志演義」などで、諸葛亮以外の蜀漢の武将や家臣、さらに主君である蜀の先主・劉備や後主・劉禅なども祀っている。このように主君と部下が一つのところで祀られる廟は珍しい。

武候祠入り口
武候祠

劉備玄徳の像
劉備像

劉備玄徳の墓に至る道 京都の嵯峨野に似ている
御墓までの道

劉備の墓は質素でシンプル
劉備の墓







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Whitedevil

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2011年秋に完全リタイアー。現在は毎日が日曜日の素浪人。そして地球の何処かを徘徊中。

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