16.05.26長寿の秘訣

 知人のMさんからのまた聞き。毎日、次の項目をクリアすれば長壽間違いなし。中国の諺とか。

一、一日一善。(良いことをすれば気持ちがいい)
十、一日十人と話をする。(現役をリタイアーするとチョット厳しい)
百、一日百字を書く。(日記をつけているから問題なし)
千、一日千字をよむ。(新聞を読むので問題なし)
万、一日一万歩く。(毎日散歩を欠かさないので問題なし)

 人生五十年と言われたのは、つい最近の話。今は人生百年も視野に入っている。このまま進めば、人生百五十年も夢ではない。そうなると、三十歳で結婚すれば、百二十年間は同じパートナーと暮らすこととなる。よほど相性がよければいいが、凡人は人生を何回かリセットしなければ、これはちょっときついと思う。

16.05北米大陸横断旅行 4

【フィラデルフィア~ニューヨーク160km】・・・フィラデルフィアからニュージャ―ジー州を経てニューヨークに至る。途中、フィラデルフィアを流れるサスケハナ川を渡る。この川はサスケハナ号として黒船来航時、旗艦としてマシュー・ペリー提督(実際には代将)が搭乗していたことで有名。そもそもサスケハナは、アメリカ原住民の言葉で「広く深い川」を意味する。 フィラデルフィアは今も造船工業の中心地であり、海軍の基地でもある。意外なところで日本と関係している。ニュージャージーからニューヨークのマンハッタンに入るリンカーントンネルはいつも渋滞するらしく、この日も1時間以上渋滞。おかげで立体交差の間から金色に輝くマンハッタンのビル群が眺められた。

マンハッタンに向かうリンカーントンネル手前の立体交差から眺めた夕陽に輝くマンハッタンのビル群
リンカーントンネル

ホテルから眺めたタイムズスクェア―方向
ホテルからの眺め

ホテルから眺めたタイムズスクェア―方向 昼間
昼間の眺め

タイムズスクェア― 大晦日にはカウントダウンが行われる
タイムズスクェア―1

タイムズスクェア―
タイムズスクェア―2

ウォール街
ウオールストリート

ウォール街付近
ウォールストリート2

ウォール街にある各付け会社「スタンダード&プアー」
S&P

地下鉄駅に入る階段
地下鉄駅

地下鉄は意外と安全な感じがした 前ジュリア―ノ市長の努力のたまものか
地下鉄


 ニューヨークの街中にあるセントラルパークは大都会にあるとは思えないほど緑が多い。訪れたときは土曜日早朝だったので、ジョギングする人や散歩する人など平和そのもの。ジョンレノンの住んでいたダコタハウスは今もオノ・ヨーコ氏が住んでいるそうだ。残念ながらここは改修中でシートがかかっていた。

ダコタハウスは改修中
ダコタハウス1

オノ。ヨーコ氏のストロベリーフィールド
ストロベリーフィールド

イマジンの記念プレートがセントラルパークにある。三々五々いろいろなジョン・レノンがやって来てパフォーマンスをするらしい
イマジン

公園内はリスや小鳥がたくさんいる
ニューヨークのりす


都会のオアシスというべき公園
セントラルパーク

公園から高層ビル群が見える
セントラルパークから高層ビル


 1989年10月、三菱地所がロックフェラーセンターを約2,200億円で買収した。これはバブル景気期の成金的な「ジャパンマネー」による海外資産買いあさりの象徴的な例であり、アメリカ国民とニューヨーク市民の大きな反感を買い、ジャパン・バッシングの火に油を注いだ。しかし、後に不動産不況で莫大な赤字を出すことになり、1995年5月に連邦倒産法第11章を申請し、運営会社は破産。三菱地所が買収した14棟のうち12棟は売却され、現在は「タイムライフ・ビル」と「マグロウ=ヒル・ビル」の2棟のみが三菱地所の所有となっている。そのロックフェラーセンターに登ってみた。67~70階が「トップ・オブ・ザ・ロック展望台」だ。ここからはエンパイア―・ステイトビルが眼下に望めた。入場料は通常$32、シニア料金は$30だ、黙っていてもシニア料金だった。

ロックフェラーセンター
ロックフェラーセンター

眼下にエンパイアステートビルを眺める
エンパイア

眼下のビル群
眼下のエンパイア

眼下のビル群
ビル群

セントラルパーク方面
ビル群2


 マンハッタンクルーズでイーストリバー、ハドソンリバー付近を周遊。船上から見る光景はやはり美しい。ニューヨーク見物では必ず「自由の女神」は定番だ。エリアカザンの映画「アメリカアメリカ」に出てくる移民の人を検査した検疫所は今は使われていない。

自由の女神像
 自由の女神

移民の人達を検査した検疫所 今は使用していない
検疫所

ブルックリン橋で向こうに見える橋はマンハッタン橋、さらにその先はウイリアムズ橋 この3橋でBMW
ブルックリン橋

マンハッタンのビル群
マンハッタンのビル群


ニューヨークは旅行の最終地点だ。2泊するので1日は徒歩で歩きまわる。疲れたのでセントパトリック大聖堂で休憩していると礼服を着た人が三々五々集まって来る。そうこうしているうちに結婚式が始まり、野次馬参列をする。セレモニーは約1時間で、神父さんの話や賛美歌などで、その都度立ったり座ったり。カトリックのセレモニーを堪能。

アイルランド移民の心のよりどころ セントパトリック寺院 ビルの谷間にうずもれるようだ
セントパトリック大聖堂

聖堂内部
聖堂内

花嫁と父
父と花嫁

セレモニー
セレモニー

新郎新婦
新郎新婦



******【その他 雑感等】******


【エルビスプレスリーについて】・・・エルビス・プレスリーはアメリカ、いや全世界で一世を風靡したエンターテイナーだ。ビートルズにも多大な影響を与えた。彼はジョージア州アトランタの生まれだ。13歳までの生家を見ると、決して豊かとは思えない。ショットガン・ハウスいわれる住宅(玄関にショットガンを発射すると弾は次の部屋を通り外に出るというほど小さい)でバストイレなどはなく、寝室と居間のみだった。従いトイレは屋外の小屋。ところがメンフィスに引っ越して10年の間にブレイクし23歳で購入した家は大邸宅。まさしくアメリカンドリームだ。

エルビスの生家である場所に記念館がある
生誕の地

生家は小さく貧弱だ
生誕の家

生家
家

部屋は二室で玄関を入りベッドルーム、そしてもう一室は居間兼食堂
室内

13歳の時の銅像がある
13歳の像


 メンフィスで23歳の時に買った20年間住んだ住宅はグレイスランド博物館として見学ができる。入場する際にタブレットパソコンとイヤホンを渡され、タブレットを見ながら指示に従い見学する。もちろん日本語。

グレイスランド博物館として保存されている
エルビス博物館

玄関
玄関

庭園から見た住宅
庭園側

居間
室内1

ベッドルーム
室内2

テレビ室 なぜかテレビが3台
室内3

各賞の展示スペース
展示スペース

エルビスの墓
墓

自家用飛行機 もう一機小型機がある
自家用機




【マーチン・ルーサー・キング牧師について】・・・キング牧師は1929年アトランタで牧師の子として生まれた。生家を見ると周りの黒人の住宅と比べ明らかに裕福な家庭だった思われる。十分な教育を受け、ボストン大学で博士号も取得している。

生家を示す記念プレート
記念碑

立派な生家
生家

近くの黒人の住宅はいわゆる"ショットガンハウス"
ショットガン

黒人の住宅
黒人住宅

 インドのガンジーを尊敬し非暴力主義で人種差別の撤廃を掲げた。アメリカ各地で公民権運動が盛り上がりを見せる中で、キング牧師たちは首都ワシントンにおいて、リンカーンの奴隷解放宣言100年を記念する大集会を企画。1963年8月28日に行われたワシントン大行進は参加者が20万人を超える大規模なものとなり、公民権運動家や芸能人など多くの著名人も参加した。この集会においてキング牧師は、リンカーン記念堂の前で有名な“I Have a Dream”を含む演説を行い、人種差別の撤廃と各人種の協和という高邁な理想を簡潔な文体で訴え広く共感を呼んだ。
 1968年4月4日メンフィス市内のロレイン・モーテルのバルコニーでその夜の集会での演奏音楽の曲目を打ち合わせ中に、白人男性ジェームズ・アール・レイに撃たれる。弾丸は喉から脊髄に達し病院に搬送されたが、間もなく死亡した。墓標には「ついに自由を得た」と穿たれている。

公民権博物館
公民権博物館

花輪のあるところで打たれた、今でもバルコニーは血痕があるという 駐車中の車は当時のまま
狙撃場所

道を隔てた住宅から犯人は狙撃した 黒いタイルは弾道を著している
犯人

弾道
弾道




【アメリカの明と暗】・・・アメリカの都市は豊かな人と貧しい人の格差が大きいと感じる。至る所にホームレスがいる。日本もいるが物乞いはしない。ホームレスを見るとできるだけ視線を合わさず通り過ぎることがベスト。しかし施しをする人がいるのはキリスト教徒が多いためか。 失業者の問題について、ヨーロッパは国が面倒を見る、日本は会社が面倒を見る、アメリカは刑務所が面倒を見る。というジョークがあるが、先進国としてはあまりにもセーフティーネットがお粗末な感じがする。これも自己責任か。

ニューオリンズの街頭
ニューオリンズ

ニューヨークの街頭
ニューヨーク




【アメリカの肥満について】・・・アメリカでは歩くたびに布団を背負ったように、背中じゅうの肉を、ゆさゆさと波のようにゆすりながら歩く人がいる。まるで小錦だ。ジャストフィーリングで10%の人が病的な肥満、70%の人が肥満、残りの20%の人が正常といったところだ。日本のやせ細った老人は、まるでアウシュビッツの収容所から救出されたユダヤ人のようだ。

アトランタで
ワシントン

ワシントンで
同じくアトランタ

メンフィスで
メンフィス

ヒューストンで
アトランタ

ニューオリンズで
ニューオリンズ



16.05北米大陸横断旅行 3

【ヒューストン~レイクチャールズ250km】・・・テキサス州から州境のサビーン川を渡りルイジアナ州へ移動。ルイジアナ州はいわゆる「ディープサウス」だ。やはり、ワーカーはヒスパニック系やアジア系から黒人が目立つようになる。風景も砂漠から湿潤な湖沼地帯となる。特産品は綿花とザリガニだそうだ。州の鳥は湖沼地帯に棲むペリカン。

レイクチャールズの付近は湿潤な湖沼地帯だ ペリカンが多く棲んでいるそうだ 国鳥の白頭鷲の巣も見かけた
湿地帯バイユ

ホテルから眺めたレイクチャールズ アメリカで一番大きいミシシッピ川は物流の大動脈だ
ホテルから見たレイクチャールズ


【レイクチャールズ~ニューオリンズ400km】・・・ニューオリンズに行く途中にオークアレーのプランテーションに立ち寄る。ここは奴隷を使った大規模農園だ。場所は異なるがマーガレット・ミッチャムの「風と共に去りぬ」を彷彿とさせる。いわゆるアメリカ南部の白人貴族社会。


玄関から邸宅に至る道
邸宅までの道

庭から見た邸宅
邸宅裏側

奴隷小屋
奴隷小屋

奴隷小屋内部の様子
奴隷小屋内部

大きな樫の木が歴史を物語っている
樫の木

当時の衣装で邸宅を案内してくれたオバサン
説明員

玄関前のミシシッピ川には丁度、蒸気船が停泊中 オークアレーの邸宅を見学するため大勢の観光客が下船
蒸気船


 ニューオリンズはアメリカでもフランス植民地当時の独特の雰囲気を持つ都市として有名である。ルイジアナはルイ14世、ニューオリンズはオルレアン公が、その名の由来である。この都市は映画「欲望という名の電車」の舞台でもあった。今でもこの電車は立派に現役であった。フレンチクオーターはジャズ発祥の街らしく公園前ではチップ目当てに演奏している人がいる。ジャクソン広場正面に立つセントルイス大聖堂は壮観。勿論、広場には馬上のアンドリュー・ジャクソン第7代大統領の像もある。彼は「黒人は私有財産」と発言。また、彼は書類にサインする場合、”All Correct”とサインすべきところ、”All Korrect”とサインした。これが”OK”として浸透。この程度の大統領もいたということだ。20世紀には大量破壊兵器があるとイラクに侵攻した大統領もいた。

ニューオリンズからメキシコ湾にそそぐミシシッピ川はアメリカで一番大きな川だ、そして物流の大動脈
ミシシッピ川

映画「欲望という名の電車」のモデルとなった電車は今も現役
欲望という名の電車

奥はセントルイス大聖堂、手前はアンドリュー・ジャクソン大統領の銅像が立つジャクソン広場
ジャクソン広場とセントルイス大聖堂

フレンチクオーターの街並み スペインからフランスの支配を受けた独特の雰囲気
フレンチクオーター

フレンチクオーターでジャズを演奏
ジャズ演奏

フレンチクオーターを走る馬車
馬車

バーボンストリートのジャズ演奏
ジャズの演奏

バーボンストリート
バーボンストリート


【ニューオリンズ~メンフィス630km】・・・ミシシッピ川に並行しながら北上しルイジアナ州からミシシッピ州を通過しテネシー州に移動。途中のミシシッピ州で日産のキャントン工場を通過する。日産の工場としては最大とのこと。メンフィスはエルビスプレスリーが愛した街、そしてマーチン・ルーサー・キング牧師が暗殺された街として有名。1940年代に若いアマチュア・ミュージシャンが集まっては、ライブを催していたブルースのメッカでもある。夜になると何処からともなく、オートライダーが現われビール・ストリートはバイクの展示場と化す。

車窓から日産のキャントン工場を眺める
日産工場

ビールストリートに集まるバイクライダーバイク3

自慢の改造バイクを展示
バイク2

本田の3輪バイク 日本で見たことがない
本田バイク

イージーライダーを彷彿とさせる
バイク1

ビール・ストリートにあるB.B.kings でリズム&ブルースの演奏を聞く
BBキング


【メンフィス~アトランタ600km】・・・テネシー州のメンフィスからまた、ミシシッピ州に戻り、さらにアラバマ州を経てジョージア州アトランタに移動。ジョージア州は東部時間のため1時間早める。これでロスから3度時差を調整した。本当にアメリカは広大だ。本土以外にアラスカ、ハワイも時差の調整が必要。ジョージア州は州民の30%を黒人が占める「黒人の州」でもある。これら南部の諸州は人種差別がひどいことでも有名だ。公民権法成立後(1964年)も露骨に人種差別がまかり通っている。盲目のソウルシンガー、レイ・チャールズの大ヒット作「わが心のジョージア」は1979年に州歌として採用された。州都アトランタは南北戦争当時、南軍連合の首都であったため、戦火に会い焼き尽くされた。アトランタが生んだ英雄はキング牧師だろう。また、アトランタには「コカ・コーラ」やCNNなどの世界的な企業もあり、南部の経済的な中心地でもある。1996年に開催されたアトランタオリンピックは84年に開催されたロサンゼルスオリンピックと同様、政府の資金を一切使わず民間資金のみで開催し黒字となった。東京オリンピックも巨額な国費を投入せず、爪の垢でも煎じてほしいものだ。
 
コカ・コーラの本社は博物館も併設している
コカ・コーラ

車窓からCNNの本社を見る
CNN


【アトランタ~ワシントン1010km】・・・アトランタからサウスカロライナ、ノースカロライナ、バージニアの3州を通過しワシントンまで約14時間アムトラックの「クレセント号」に乗車。クレセント とは三日月という意味。 この列車の終点(または始発駅)のニューオリンズは クレセント・シティ とも呼ばれている。 ニューヨークからワシントンDCを通り、アパラチア山脈に沿って走り、ニューオリンズまで結んでいる。長距離列車のため荷物車両は別にあり、日本の新幹線とは異なる。座席のピッチもかなり広く、座席の下から膝下ふくらはぎを支えるボードが出る仕組みだ。また、リクライニングもかなり倒せるのでフルフラットとはいかないものの、かなり楽な姿勢で過ごせる。出発も到着もアナウンスはない。従い、乗客は乗り過ごさないようにしなければ。この国は何事も自己責任だ。

アトランタ駅は驚くほど小さい 
アトランタ駅

アムトラックの「クレセント号」
アムトラック「クレセント号」

アムトラックは人と大きな荷物は別べつに運ぶ、飛行機の移動と同じ 荷物車にスーツケースを積み込む
荷物車

ワシントン駅で飛行場にあるようなバゲッジテーブルで預けた荷物を受け取る
荷物受取

ワシントンの連邦議会議事堂は秋の「新大統領」の就任式のためか改装中
連邦議会

ワシントン観光の定番、ホワイトハウス セキュリティが厳しくあまり近くに行けない
ホワイトハウス

こちらも定番のリンカーン記念堂
リンカーン記念堂

リンカーン記念堂から見たワシントン記念塔 ベトナム反戦集会やキング牧師の大行進などで有名
ワシントン記念塔

リンカーン像 いつも思うが、どうしてこんなに厳しい表情なのか
リンカーン像

リンカーンのゲティスバーグの演説で有名な部分 下から3行目
演説

<リンカーン記念堂の前にはキング牧師の有名な演説の一部 "I have a dream" の一説が刻み込まれていた
キング牧師の演説

ポトマック河畔の桜はすでに散ってしまい、青々とした葉が茂っていた
ポトマック川

車窓から国防総省(ペンタゴン)を眺める
ペンタゴン


【ワシントン~フィラデルフィア250km】・・・ワシントンDCからメリーランド、デラウエアの2州を通過しペンシルバニア州のフィラデルフィアに向かう。フィラデルフィアはアメリカ憲法の礎である自由、平等、博愛の精神を揚げ、イギリスの圧政から独立したアメリカ合衆国誕生の地だ。トーマス・ジェファーソンが起草した「独立宣言」が採択され国会が開催された。また1787年の憲法制定会議もここで行われた。現在は世界遺産で独立記念館として公開している。

独立記念館 
独立記念館

第一回国会が開催された
第一回議会が開かれた

自由の鐘  今はひびが入り鳴らすことができない
自由の鐘


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16.05北米大陸横断旅行 2

【メサベルデ~サンタフェ430km】・・・コロラド州からニューメキシコ州の州都サンタフェに向かう。サンタフェはプエブロ・インディアンと侵攻したメキシコ人の文化が融合した街だ。日干し煉瓦で造った建物が並ぶ景観は独特の乾いた雰囲気がある。なんとなくマカロニウエスタンの映画の一シーンのようだ。今はお洒落てアートな街として全米で有名らしい。


聖ミゲール伝道所礼拝堂 北米で一番古い伝道所
聖ミゲール伝道所

ロレッタチャペル この教会の螺旋階段には支える柱がないので有名 サンタフェの奇跡といわれる 
ロレッタチャペル

聖フランシス大聖堂
聖フランシス大聖堂

1610年完成の総督邸内部 
総督邸

この辺りも旧ルート66が通じていたようだ
サンタフェのルート66

 テキサス州やカリフォルニア州と並びニューメキシコ州は石油を産出している。従いガソリンスタンドの価格を見ると1ガロン(3.785ℓ)当たり$1.89である。リッター換算すれば49.93¢/ℓとなる。因みにニューヨークでは$2.19であり、57.85¢/ℓとなっている。日本と比べ産油国であるアメリカのガソリンは安い。サンタフェの街にある石油くみ上げ井戸のレプリカ。
石油井戸


【サンタフェ~カールスバッドキャバーンズ460km】・・・カールスバッドキャバーンズは世界遺産で且つ国立公園である。ここは巨大な鍾乳洞がある。2億年ほど前に海底のサンゴ礁が隆起してできたそうだ、グアダルーペ山脈の標高1343mのところに入り口がある。通常は地下230mのところまでエレベータで降りて観光するが、生憎エレベータの定期検査で利用できず、徒歩で地底まで降りる。なかなかキツイ行程であった。意外にも荒涼とした風景の中で入り口付近にはサボテンの花が咲いていた。陽が落ちると一斉に鍾乳洞の入り口から何万という蝙蝠が夜空目掛けて出て来るそうで、その光景を見るための観客席があった。

カールスバッドキャバーンズ国立公園の入り口
国立公園石碑

洞窟の入り口から蝙蝠が出て来るところを見学する観客席
観客席

巨大な洞窟の入り口
入り口
内部の鍾乳石
鍾乳洞1

同じく内部の鍾乳石
鍾乳石2

巨大な地底ホール 
地底ホール

鍾乳洞入り口近くのサボテンに花が咲いていた
サボテンの花3

黄色いサボテンの花はよく見かけた
サボテン2


【カールルズバッドキャバーンズ~フォークストックトン250km】・・・ニューメキシコ州からテキサス州に入る手前のローズウエルは1947年にUFOが墜落した。この処理のために、ローズウェル陸軍飛行場から軍関係者が出動し、墜落した航空機の残骸と、4体か5体の遺体 を回収したとして一躍脚光を集めた場所だ。街を通過するときは街灯など様々なものがUFOのデザインがされている。さながらUFOによる町興し。少し走ってテキサス州に入る。中部時間なので1時間時計を早める。あたりの風景はいわゆる砂漠地帯。ペコスの街を通過するが、大きなロデオ会場があった。ここは全米で最初にロデオ大会が開かれた場所だそうだ。

【フォークストックトン~サンアントニオ500km】・・・ここは映画でも有名な「アラモ砦」があったところだ。イメージでは荒野の真ん中にあるのかと思っていたら、街の真ん中に位置しており、当初は伝道院として建造された砦。 デイビー・クロケットを始め、テキサス義勇軍がメキシコ軍によって全滅し、「リメンバーアラモ」の舞台となったことで知られる。 そのため、この砦はテキサスの自由の象徴と考えられ、州内で最も有名な歴史遺産となっている。この辺りに来るとさすがテキサスでテンガロンハットを被った男を見かける。

現在、アラモ砦は荒野ではなく街の中にあった
アラモ砦1

もとは伝道院で教会であったアラモ砦
アラモ砦2


 サンアントニオは運河の街である。当初、リバークルーズの予定をしていたが、雨が降っており運行中止。従い、リバーサイドを散歩する。ショッピングモールと運河を組み合わせ、なかなか趣がある。マクドナルドで雨宿りをかねて休憩する。コーヒーのスモールサイズは59¢、州の付加価値税4¢、計63¢と日本より安い。それにスモールサイズと言っても日本のラージサイズの様なテキサスサイズ。

あいにくの雨だったが、リバーサイドを散策
リバーサイド1

リバーサイド2

こんな街中にもリスがいる
りす1




【サンアントニオ~ヒューストン320km】・・・ヒューストンはメキシコ湾に面した都市だ。人口は6百万人を超え全米第4位の都市である。アメリカNASAのジョンソン宇宙センターがある。アポロ計画は13号をもって予算削減で終了した。このアポロ13号は宇宙で爆発事故が発生し、月には着陸できず奇跡的に地球に生還した。トム・ハンクス主演の「アポロ13号」として映画化されている。ジョンソン宇宙センターでは実際の宇宙ロケットやスペースシャトルの実物、それに「月の石」が展示されている。月の石は実際に触ってみると大勢の人が触ったためかつるつるした感触だった。ミッション・コントロールセンタ―の見学席に入場すると、傍にはVIPルームもあり、大統領も見学したそうだ。勿論、「アポロ13号」の映画撮影もここでされた。

ジョンソン宇宙センターの屋外にはスペ―シャトルを載せたジャンボジェットが展示されている
スペースシャトル

「こちらヒューストン」と宇宙船と交信した実際のコントロールセンター 
コントロールセンター

巨大なロケットを間近で見ると迫力に圧倒される
ロケット1

それにしても宇宙船のエンジンは大きい
ロケット2

巨大なロケットはカメラに収めるのに苦労する
ロケット3

巨大なロケットエンジンの噴射口
巨大なエンジン

月の石の展示コーナー
月の石1

月の石は触ることができる 大勢の人が触ったためか、つるつるしていた
月の石2

宇宙船のトイレは強制的に汚物を船外に排出
宇宙船内のトイレ




16.05.07安国論寺界隈

 今日も日課のように朝から徘徊。材木座の安国論寺に行く。宗祖謂れの深い事跡を競って誇るのは別に日蓮宗に限ったことではない。歴史は遠く、どの寺の言い分が真偽であるかはわからない。日蓮が鎌倉で最初に構えた松葉ヶ谷の草庵は妙法寺、材木座の長勝寺、そしてここ安国論寺も手を挙げている。実際は何が真実か不明だ。
安国論寺には御草庵、日蓮に仕えた熊王丸を祀る熊王大善神尊殿がある。そこから山の方に登れば日蓮が「立正安国論」を起草したという「御法窟」の岩屋がある。さらに少し上の富士見台に立てば、晴れた日には稲村ケ崎越しに富士山を見ることができるという。残念ながら天候の加減で富士山は見えなかった。
本堂裏にある墓地を歩くと、偶然「土光」という墓標が目についた。墓誌を確認すると元経団連会長で東芝の社長、会長を務めた土光敏夫とあった。今の東芝の体たらくを考えれば、きっと草葉の陰で嘆いていると思う。

安国論寺の山門 9時開門のため到着した時は少し早くて閉門中 寺男の人が清掃中
安国論寺山門

日蓮が鎌倉で最初に構えた松葉ヶ谷草庵の石碑
草庵の石碑

日蓮が「立正安国論」を執筆した南面窟
御法窟

御法窟に至る山道
御法窟に至る山道

安国論寺の富士見台からの眺め
富士見台

境内にあるガンダーラ風の仏像
ガンダーラ

境内の梅の木は実がなっていた、その向こうにはウツギの花が満開
梅とウツギ

境内にある正岡子規の句碑 「鎌倉の松葉か谷道の辺に法を説きたる日蓮大菩薩」(子規)
正岡子規

土光家の墓標
土光家

 安国論寺からすぐ近くに上行寺がある、道に面していて、手作りと思われる看板や貼札の多いにぎやかな寺と思ったら、それは境内の西角に鎮座する瘡守稲荷神社で、当社は癌除けに効験があるという。肝心の上行寺であるが、1313年(正和2年)の創建となっていた。山門の裏側の欄干は左甚五郎作「除災の龍」と表示されていた。如何にも手作りの説明書でほほえましく感じるが、本物か疑わしい気になる。全体に鎌倉にはそぐわない気がする。

上行寺と思っていたら実は瘡守稲荷神社
道路越しに瘡守稲荷神社

瘡守稲荷神社の本殿
瘡守稲荷神社

上行寺本殿
上行寺

上行寺山門
山門

山門欄干の彫刻
山門の彫刻

 上行寺の前に別願寺がある、ガイドブックによると立木仕立ての藤が見応えがあると書かれていたのでついでに立ち寄ってみたが、残念ながら藤はすでに終わっていた。寺の入り口には「フラダンス教えます」と看板があり親しみやすい感じのする寺であった。境内には鎌倉最大級の供養塔があり、これは室町幕府に対して永享の乱を起こした第4代鎌倉公方、足利持氏のもの。持氏の怒りを鎮めるために鳥居の浮き彫りが施されている。ほとんどの供養塔は梵字がかかれていると思うが、鳥居の浮彫は初めてお目にかかった。

鳥居の浮彫のある供養塔
供養塔









16.05.05江の島界隈

 ゴールデンウイーク最後の休日で天候も申し分なし。久しぶりに江の島に出かけてみる。いつものコースでなく、奥の院や稚児ヶ淵へ行く。風がきつく波浪注意報でも出ているのかヨットハーバーは出廷禁止のようだった。しかし帰路につく頃には禁止が解除されたのか、ヨットの出廷を見かけた。

江の島の石碑
江の島石碑

風と波に流されるカヌー風と波に流されるカヌー

 江の島神社の中津宮は八坂神社の瑞心門の東側を少し登ったところにある。江戸歌舞伎の中村座、市村座から寄進された石灯籠などがあり、当時の江ノ島詣での盛況さがわかる気がする。

中津宮の朱色は鮮やか
中津宮

中津宮を登り切ると海が見える
山から見た海

 中津宮をさらに登り切ると、奥津宮の入り口がある。ここの鳥居は頼朝が寄進したものと伝えられている。そばには重さ八十貫(320kg)の力石がある。これは江戸時代日本一の力持ちの卯之助が奉納したものといわれている。

伝頼朝寄進の鳥居
頼朝寄進の鳥居

奥津宮社殿
奥津宮1
奥津宮2

力石
力石

 奥津宮を過ぎて左に行けば「龍恋の鐘」というものがある。この鐘は江の島縁起「天女と五頭龍伝説」の恋物語にちなんで建てられたものだそうだ。なんとなく若者に迎合した商業主義を感じる。五頭龍は手広の地で子供をさらっては食べていたが、江の島の天女(弁財天)に恋をし、改心したそうだ。子供をさらって食べたという伝説で「子死越え」が地名の腰越となったという。

「龍恋の鐘」 は海を眺めながら恋人同士が鐘を鳴らす。アホラシ・・・・・
龍恋の鐘

「龍恋の鐘」のそばにある柵に恋人同士が鍵を取り付ける。パリのセーヌ川にかかる橋のパクリか・・・「お知らせ」としてこの鍵(南京錠)は毎年撤去するとのこと、ただし恋人同士の恋が成就するように江の島神社にて祈祷するとのこと
鍵


 ここからさらに下に降りると「稚児ヶ淵」の海岸に出る。鎌倉相承院の稚児白菊と建長寺広徳院の自休蔵主との悲恋物語が残る稚児ヶ淵は幅50mにわたり隆起した波食台地は壮観だ。特に日没のころにここから望む富士は「かながわ景勝50選」の一つ。ここには松尾芭蕉の句碑 「疑ふな 潮の花も 浦の春」がある。これは二見が浦で歌った句なのに・・・・

芭蕉の句碑で「潮噴きの碑」といわれている。真ん中の自然石がその句碑
芭蕉の句碑

岩にあたる波は荒々しい、さながら東映のオープニングシーンのようだ
岩と波1
岩と波2

 杉山検校、本名杉山和一という江戸時代の鍼師は五代将軍徳川綱吉の病気を治して関東総検校の地位を獲得した。その時使った管鍼術は江の島弁財天から授かったと伝えられている。もともと江の島信仰のあつかった和一は江の島詣での際に、石に躓き転んだ時に偶然拾った竹筒に松葉が入っていたことから管鍼術を考案したといわれている。また、彼は鍼・按摩技術の取得教育を主眼とした世界初の視覚障害者教育施設とされる「杉山流鍼治導引稽古所」を開設した。彼の墓は江の島神社のそばの海に面したところにある。彼は全部で48基の江の島弁才天道標を江の島道沿いに建てたといわれており、腰越行政センターの前にもある。

杉山検校の墓杉山検校の墓1
杉山検校の墓2

腰越行政センターの玄関前にある「江の島弁財天道標」
江の島道標


16.05.02佐助稲荷と長谷寺

  天気がいいので、今日もふらふらと出かけてみる。さながら季節遅れの「啓蟄」の地虫のような瘋癲老人だ。久しく行かなかった佐助稲荷を訪ねる。この神社の由来は、平治の乱後に伊豆に配流された源頼朝の夢枕に、「隠里の稲荷」という翁が現れ、平家討伐の挙兵を勧めた。後に幕府を開いた頼朝は隠里に祠を探し当て、稲荷神社を建てたと伝えられている。幼少のころ佐殿(すけどの)と呼ばれていた頼朝を助けたので佐助という名が付けられたという。建立時期は建久年間(1190~1199年)と考えられているが詳細は不明。1909年(明治42年)までは鶴岡八幡宮の末社に加えられていた。大仏から錢洗い弁天に至るハイキングコースの途中に位置するため、山の中にあり、それなりの雰囲気がある。

神社そのものが大きくないので鳥居は小ぶりな感じがする
鳥居1

祠と思われる建物には狐の置物がいっぱい。近くの社務所では冷たい麦茶を振舞われる。
本殿

住宅地にも近いが、山の中なので参道に苔だらけ
祠1

ミニチュアの祠にも苔むしている
祠2

銭洗い弁天はここから近い
道標

 佐助稲荷からの帰り道、長谷寺のボタンはどうなったかと思い、立寄ってみる。残念ながらボタンの季節はほぼ終了したようで、ほとんどの花は切り取られていた。しかし、さすがに5月で、目に青葉の季節だ。新緑が美しい。あと1か月経つとアジサイの季節となる。それまではチョット小休止といったところか。

長谷寺の山門は大きな提灯が"名物?"
長谷寺山門

長谷寺観音堂
本堂

目に青葉、といった感じの「放生池」
放生池

残り少ないボタンの花
ボタン

珍しい「なんじゃもんじゃ」の木
なんじゃもんじゃの木


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2011年秋に完全リタイアー。現在は毎日が日曜日の素浪人。そして地球の何処かを徘徊中。

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