16.01.21~27ラオス紀行 その2

 ワットシェントンはメコン川とその支流のカン川の合流するところに建つ、ルアンプラバンを代表する寺院。
ワットシェントン寺院ワットシェントン寺院
涅槃像涅槃像

 ルアンプラバンの南へ30km行くと、クワンシーの滝がある。木々に囲まれ高さ30mほどだが、コバルトブルーの美しい滝つぼがある。
クワンシーの滝

 ルアンプラバンの街の中心部にあるプーシーの丘は王宮博物館の正面から、328段の階段を経て頂上にたどり着く。ルアンプラバンの街の全容が一望できる。
プーシ―の丘の上から見たメコン川
プーシーの丘から見たメコン川
プーシーの丘の上から見たルアンプラバンの街並み
プー氏―の岡から見たルアンプラバンの街並み

 ルアンプラバン市街からメコン川を船で30kmほど上るとタム・ティンとタム・プランチャイという名の2つの洞窟(パクオウ洞窟)がある。内部には5000体の仏像が並んでいる。
タム・ティンの仏像
タム・ティンの仏像
タム・ブラチャイの仏像
タム・ブラチャイの仏像

 ルアンプラバンの街の脇道に入ると地元民用の自由市場となっている。赤米、黒米、もち米、インディカ米は1kg、大体100円だ。野菜や果物かなり安そうだ。
自由市場風景1
自由市場1
自由市場風景2
自由市場2

 ルアンプラバンは毎払暁、僧たちは托鉢に出る。見学した日は異常寒波で気温は5℃、非常に寒かった。そんな中での托鉢であった。一般の人は托鉢中の僧侶たちよりも高い位置にいてはならないし、目を合わせてはいけない。従い、道に座り恭しく下から差し出す。僧侶たちは寺院単位で列をなし裸足でひたひたと歩く。列の先頭は高僧でしんがりは小学生くらいの小坊主。一切口をきかないので、すべてシーンとしている。チャラチャラしたおしゃべりはなし。スマホをチェックしながら歩く僧侶もいない。托鉢については、する方も受ける方も皆真剣だ。
托鉢風景1
托鉢風景1
托鉢風景2
托鉢風景2

 ビエンチャン郊外のサンハイ村ではもち米を原料に焼酎を作っていた。すべて手作り、食品衛生法や酒税はどうなっているのか、難しいことは気にしない。
密造❓焼酎製造設備
焼酎製造
焼酎製品サンプル
焼酎サンプル

16.01.21~27ラオス紀行 その1

 ラオスは東南アジアで唯一の内陸国である。国土の面積は約23万7000k㎡で日本の約三分の一。ただ、大半は峻険な山地と密林。そして中国のチベットを源流とする母なる川メコン川が国を縦断している。人口は約677万人で日本の二十分の一。GDPは鳥取県の経済規模の三分の一。通貨はキープ(K)で1000K≒15円というレートであった。観光客は年間450万人程度訪れる。内訳は中国、タイ、韓国、フランス、アメリカ、日本の順で、まだ日本とは馴染みが少ない。首都はビエンチャンで正式国名は「ラオス人民民主共和国」で社会主義国であり、公共の建物は必ずと言っていいほど国旗の横には赤字に鎌とハンマーを黄色で染め抜いた旗を掲揚。国民の大半が敬虔な仏教徒で治安もよく、物乞いも見かけなかった。きっと社会主義の良さなのだろう。日本からの援助も活発で小学校はすでに300校を越えている。また、メコン川にかかる友好橋は4橋あるが、うち2橋は日本の援助、その他は中国とオーストラリアの援助で建設。
【ビエンチャンにて】・・・メコン川を挟んでタイと国境を接する。
 タートルアン寺院は仏教国ラオスの国家的シンボルというべき黄金の仏塔。3世紀ごろにインドからブッダの胸骨を納めるために建立したと伝えられる。
タートルアン寺院
タートルアン

 ワットシーサケット寺院はビエンチャン随一の歴史建造物と知られている。
ワットシーサケット寺院
ワットシーサケット
ワットシーサケットの仏像
仏像群

 パトゥーサイ(凱旋門)は街の中心部にある戦没者記念塔である。1962年にパテトラオによる内戦の終結を記念し建設された。パリの凱旋門を模しているが最上部はストゥーパ(仏塔)があり、内部の階段を登るとメコン川に沿って広がるビエンチャンの街並みが一望出来る。すぐそばには首相官邸があり、街路樹として国の花であるプルメリアが一年中咲いている。この花は隣国ミャンマーのアウンサンスーチさんがよく髪飾りとして付けている。
ビエンチャンのパトゥーサイ(凱旋門)
凱旋門
凱旋門の上から見た首相官邸
凱旋門の上から見た首相官邸
凱旋門の上から見た街並み
凱旋門の上から見た街並み
ラオスの国の花プルメリア
プルメリア

 ブッダパークはビエンチャンの市街からメコン川に沿って下流方向へ約24キロ、友好橋の近くにある。ワット(寺院)という名前がついているが、実際にはコンクリート製の様々な仏像等がある。その他にも天上界、地上、地獄を表現した3層の建物がある。摩訶不思議な感じのする空間だ。バラモン教、ヒンズー教、仏教などの石像がある。
ブッダパークの涅槃像
ブッダパークの涅槃像
ブッダパークのヒンズー教の像ヒンズー教の像

【パクセーにて】・・・ビエンチャンから約400km南の都市で、緯度的にはタイのバンコクに近い。訪れた日は熱帯の暑さで気温は32℃であった。
 ワットプーは世界遺産である。聖なる山と称えられたカオ山の麓には、5世紀頃から千年以上にわたって古代都市が栄えていた。宗主国はたびたび変わり、宗教もヒンドゥー教から上座部仏教へと変化したものの、カオ山とワットプーは聖地としてあり続け、多くの人々の信仰を集めてきた。山頂に登ってみたが、石段の勾配がきつい。また、今にも崩れそうで崩壊が進んでいる。洞窟の奥には湧水があり地元の人が聖なる水としてペットボトルに入れて持ち帰る。
ワットプー遺跡1
遺跡1
ワットプー遺跡2遺跡2
ワットプー遺跡3
遺跡3
ワットプー遺跡の洞窟にある聖なる水
聖なる水

 パクセーを流れるメコン川には2000年に日本が援助し建設した友好橋(全長1380m)がある。10000キープ札の裏にはこの橋がデザインされている。
友好橋建設記念碑
日本の援助碑
友好橋1友好橋1
友好橋2
友好橋2
10000キープ札の裏側にデザインされている友好橋
10000キープ札

 【コーン島&デッド島にて】・・・メコン川にある大きな島で巨大な滝があり、この滝の存在がメコン川を利用した水運を妨げている。
 コーン島に滝があり、船はこれ以上メコン川を遡上できないため、フランスは1893年にコーン島に線路を敷設し鉄道車両に船を載せて陸上を移動させ物資を輸送。現在は残骸が残るのみ。因みにラオス国内は鉄道がない。現在は中国の援助で新幹線を計画中。コーンパペンの滝はメコン川で最大。幅300m、高さ15m。また、ソムパットの滝は流れがいく筋にも分かれ岩に激突して落ちている。今は乾期でそれほどでもないが雨季の季節は大迫力と思う。
メコン随一のコーンパペンの滝
コーンペパンの滝
ソムパットの滝
ソムパットの滝
コーン島にある機関車の残骸
コーン島のある機関車の残骸

【ルアンプラバンにて】・・・パクセーから約800km北に位置する。現在のラオスの基礎となるランサーン王国の都として栄えた。現在は街全体が世界遺産。ちょうど奈良の様な感じ。
 1909年に建てられた宮殿を、1975年の王制廃止に伴い、博物館として使用。各国からの贈り物の美術品などが展示されている。日本からは陶器、アメリカからは1969年の月面着陸したアポロ計画の宇宙船の模型が贈答品として展示されていた。贅を尽くした王家の暮らしぶりを知ることができる。
王宮博物館
王宮博物館
王様の車
王様の車

ワットマイ寺院はルアンプラバンで最も美しい寺院の一つである。1788年から建設が始まり70年かけて完成した。屋根は五重に折り重なっている典型的なルアンプラバン様式といわれている。
ワットマイ寺院
ワットマイ寺院
ワットマイ寺院の仏像
ワットマイ寺院の仏像






















16.01.20御所五郎丸公園など気になるところを散歩

 以前から気になっていた「御所五郎丸公園」という公園や「鎌倉山神社」にでかける。
 御所五郎丸公園は、1193年(建久4年)、源頼朝が催した富士裾野の巻狩りで、曾我兄弟による仇討ち事件が起こっている。この事件は、曾我十郎祐成と五郎時致の兄弟が、巻狩りの夜、長年の仇工藤祐経を討ち果たしたもの。『吾妻鏡』には、兄十郎祐成は仁田忠常に討ち取られ、頼朝の寝所に迫った弟五郎時致は、小舎人童五郎丸(御所五郎丸)に捕らえられたことが記されている。 横浜市西区の御所山町には、御所五郎丸の墓と伝わる五輪塔がある。御所山という地名は五郎丸にちなんで付けられたという
 この公園は御所五郎丸の館があった所と伝えられている。近くにかかる橋は【五郎丸橋】で昭和47年にかけられたもの。

五郎丸
五郎丸橋

 鎌倉山に「鎌倉山神社」が存在すると聞いていたが、場所が良くわからなかったので、鎌倉山交番で聞いてみる。誰も行かないようなところにポツンと存在していた。

鎌倉山神社説明
参道
社

 鎌倉山神社から七里ヶ浜に降り、富士山を眺める。今日は風がきつく富士山頂辺りは雪が舞っているようだ。最後に最近、外国人観光客(主として台湾人)の隠れた人気スポットになっている、江ノ電「鎌倉高校前」駅の踏切で写真を撮る。ここは「スラムダンク」とかいうアニメに出て来るシーンのモデルになっている踏切らしい。しかしどこがいいのかわからない。

富士山
鎌高前

鎌倉山界隈

 灯台下暗し、あまり興味がなかった自宅近くの鎌倉山を見直してみる。そもそも鎌倉山とは石碑によると鎌倉山開発の経緯が記されている。鎌倉山は、ドイツ人マイスナーの助言をもとに、わが国最初の丘陵式住宅地として造成され、昭和3年に分譲が始まった。同年8月には、大船と江の島を結ぶ世界初(殆どの人は知らないと思う)の有料自動車道が開通した。どの程度の交通量があったかは不明。当地周辺一帯は眺めの良い場所で、「散歩するのによい鎌倉の山道」を略して「鎌倉山」と命名されたという。春は桜の名所として知られる。

鎌倉山ロータリーの石柱
鎌倉山ロータリーの石柱
鎌倉山の記
鎌倉山の記

 鎌倉山ロータリーから少し山側に登ると佐々木信綱の歌碑がある。佐々木信綱とは不勉強でどのような人か知らなかったが、ネットで調べてみると、万葉集の研究家であり歌人で国文学者である。全く同姓同名の鎌倉時代の武将もいたことがわかったが、この歌碑とは無関係と思う。

佐々木信綱の歌碑
佐々木信綱の歌碑

 鎌倉山の石碑からすぐに「夫婦池公園」の入り口がある。池の小魚を食べるカワセミやアオサギなど、色々な野鳥を見ることのできる観察スポットだ。小鳥でない大きな鳥が木に止まっていたが、名前はわからない。公園の奥には戦争中に作られた巨大な防空壕があったが、崩落の恐れがあるので立ち入り禁止。

夫婦池公園
夫婦池
名前のわからない渡り鳥
渡り鳥

 夫婦池から少し下ると「三島神社」がある、ここは笛田地区の鎮守で樹木に囲まれて建っている。ここも道からは急な階段を登る必要がある。無人の社である。祭神は大山祇神。

三島神社参道
三島神社の参道
三島神社社殿
三島神社社殿

 三島神社から少し下った所に日蓮宗のお寺「仏行寺」がある。ここには源太塚があり、梶原景時の子景季の片腕が葬られていると伝えられている。源太塚へは墓地の横の200段程度の階段を登る必要がある。登りつめると笛田の谷戸が一望できる。お寺はその山を借景に見事な庭があり、ツツジのシーズンは一見の価値がありそうだ。 

仏行寺山門  本殿は修復中
仏行寺山門
源太塚
源太塚
源太塚に至る山道
源太塚への道
仏行寺庭園
仏行寺庭園
 
 仏行寺から10分ほど下ると深沢小学校がある。校舎裏庭にやぐらがあり、梶原景時とその一族の墓とされる五輪塔四基がある。景時は石橋山の合戦で平家方の総大将大庭景親について、頼朝を椙山に追い詰めた。しかし密かに頼朝に傾倒していたので、杉の穴の中に頼朝が潜んでいるのを知りながら、「何もない、有るのは蜘蛛の巣ばかり」と言って、景親から匿った。そのため、後に源氏に従うと頼朝に重用された。景時は政治の才にたけ、頼朝の懐刀として千葉介広常の謀殺・義経の失脚など良くも悪しくも大きな役割をはたした。景時は讒言など多く暗い印象で好きになれない男だ。現場を見学するために事前に小学校に連絡し教頭先生の許可を取って校内に入り写真を撮った。

梶原景時と一族の五輪塔
梶原景時と一族の五輪塔

 深沢小学校の隣には「御霊神社」がある。私の知る限り御霊神社と称する神社は鎌倉地区には、ここ以外二社(藤沢村岡、坂の下)ある。いずれも鎌倉権五郎景政を祀っている。ここは梶原影時が建立し、御霊社としたことがはじまりとか。「梶原御霊神社」と刻字された石柱から長い参道が続き、さらに石段の奥に社殿があった。鎌倉は三方山に囲まれているため、神社は何処も石段を登る必要がある。

御霊神社の参道
御霊神社の参道
御霊神社の社殿
御霊神社階段

16.01.12鎌倉七福神めぐり

 「福」を求めて七福神めぐりに出かける。先ず北鎌倉の浄智寺(布袋尊)からスタートし、鶴岡八幡宮(弁財天)、宝戒寺(毘沙門天)、妙隆寺(寿老人)、本覚寺(夷尊神)、御霊神社(福禄寿)、そして最後は長谷寺(大黒天)で終了。
 七福神とは仁王般若波羅蜜経に「七難即滅、七福即生」という言葉があるという。これは仏の教えを守っていると、「七つの大難」(太陽・星の異変、火災、水害、風害、旱害、盗難)は消滅し、「七つの福徳」(長寿、裕福、人望、清廉、敬愛、威光、大量)が得られるそうだ。七福神が乗りこみ、種々の宝物を積み込んだ帆掛け船は縁起物である。「永き世の 遠の眠りの みな目覚め 波乗り船の 音の良きかな」(なかきよの とおのねむりの みなめさめ なみのりふねの おとのよきかな)という回文歌がある。


【浄智寺・布袋尊】・・・鎌倉五山の第四位の格式ある寺。弥勒菩薩の化身といわれる福徳円満、無病息災の神。鎌倉の寺らしくやぐらに安置されている。一般の布袋尊像と異なり、右手の人差し指で何やら指差している。

二階は鐘楼になっている浄智寺の山門
浄智寺山門

布袋尊は右人差し指で何かを指さしている
浄智寺布袋尊

【鶴岡八幡宮・弁財天】・・・鎌倉のシンボル鶴岡八幡宮の境内にある源氏池の中島に位置する旗上弁財天社に。芸能、開運、財運の神。弁財天像は残念ながら、この社には存在せず、鎌倉国宝館に安置されている。今日は休館日なので残念ながら見ることはできなかった。しかし社の裏には北条政子の。安産を祈願した「政子(姫)石」がある。

旗上弁財天社
旗上げ神社

北条政子の「政子(姫)石」
政子石

【宝戒寺・毘沙門天】・・・萩の寺の別名で知られる寺。後醍醐天皇が足利尊氏に命じて北条一族の霊を弔うために建てた。仏教を守護する四天王の一人で蓄財、勝運、病魔退散の神。本堂左脇陣でスポットライトを浴びている。

宝戒寺の石碑
宝戒寺の石碑

宝戒寺の国宝木造地蔵菩薩像
宝戒寺の故魔法地蔵菩薩坐像

【妙隆寺・寿老人】・・・日蓮宗の寺。第二世の「日親」は室町時代に拷問(焼けた鍋をかむせた)に耐えた「鍋かむりの日親」で有名。小町大路に面しているが、うっかり見過ごしてしまいそうな地味なお寺。本堂の手前にあるお堂の中にケヤキの一本彫の白髪の老人で鹿を従えた寿老人像がある。健康、長寿、幸福の神。

妙隆寺
妙隆寺

欅の一本彫の白髪の老人で鹿を従えた寿老人像
欅の一本彫の白髪の老人で鹿を従えた寿老人像 

【本覚寺・戎尊神】・・・日蓮が佐渡に配流されたのち、鎌倉に帰り、滞在したところで、ここから身延山に旅だったそうだ。第二代日朝が日蓮の遺骨を本覚寺に分骨、「東身延」と呼ばれる夷堂は鎌倉幕府の裏鬼門の守り神。商売繁盛、除災招福の神。七福神で唯一、日本由来の神様。

本覚寺夷堂
夷堂

夷堂内にある夷像
夷像

【御霊神社・福禄寿】・・・鎌倉権五郎景正を祀る社。江ノ電極楽寺トンネルのそばに位置し、アジサイのシーズンは大勢のカメラ小僧が集まる江ノ電とアジサイの写真スポット。この神社の福禄寿は、9月18日に行われる「面掛行列」の十面の一つで、宝物館に祀られている。幸福、財宝、長寿の神。

御霊神社
御霊神社

御霊神社の福禄寿説明書
御霊神社説明

【長谷寺・大黒天】・・・長谷観音の名で知られる。十一面観音9.18mある像高は木造では日本最大級。浄土宗の寺だからか境内は極楽浄土を連想させるための様々な花が年中、咲いている。今日も白梅と紅梅や木瓜の花が咲いていた。五穀豊穣、出世開運の神。

大黒堂にある大黒像
長谷寺大黒像

立ち大黒像
立ち大黒

境内の白梅と紅梅
白梅紅梅




16.01.10本覚寺初戎

 今日は本覚寺の初戎なので出かけてみる。本覚寺は日蓮宗のれっきとした由緒あるお寺であるが、神様も同居している。関西の西宮戎や今宮戎と比べれば規模は一桁以上小さい感じだ。関西は「商売繁盛ササ持ってこい!」と威勢のいい掛け声で、ササを売り、参拝客が買っていくが、こちらはいたっておとなしい。そのかわり本覚寺の初戎では愛、健、財、学、福の五つを握りこんだ「握り福」が売られ、昔からこの地方の人に愛されているそうだ。

小町大路に面した本覚寺山門
本覚寺山門

本覚寺東門
本覚寺東門

福ササを売る巫女さん
巫女
巫女2

青い目をした巫女さん 二年前にもいたがこの人かどうか
青い目の巫女

本覚寺の名物「にぎり福」
握り福

 本覚寺から5分程度歩いた所の妙本寺にも寄ってみた。ここも歴史あるお寺で、比企一族の墓がある。夏場は鬱蒼とした森の中の様な感じで、頼朝も避暑のためによく訪れたようだ。今年は異常気象のためか、モミジが散らず秋の終わりのような感じ、その一方でいつもなら二月に開花する紅梅が見ごろであった。秋と春が同居している感じであった。

本覚寺山門近くにある紅葉
妙本寺

境内の紅梅
妙本寺紅梅

16.01.05上町屋界隈

 湘南モノレールの町屋駅近くで昨年10月~12月にかけて埋蔵文化財の発掘調査が行われ、地表面下30~40cmで、黒褐色土の堆積土から40㎡ほどの竪穴式住居跡1軒が確認された。出土した土師器、須恵器などから8世紀前半のものと考えられている。さらに堀進めたところ地表から150cmのところで縄文土器、石器38点が出土。縄文時代前期(約4000年~5000年前)の諸磯式土器が主体の遺跡と確認されたそうだ。残念だが、これらの現場はまだ、見学ができない。しかし、今日はこれらの遺跡を除いた、上町屋界隈を散策することにした。

【北野神社】・・・・歴応年間(1338~1342)夢想国師が円覚寺の南西にあたる天神山に京都の北野天満宮を勧進したのが始まりとされている。拝殿の左手には応永12年(1405)に建てたられた「利生塔」と呼ばれる宝篋印塔がある。本来はありがたい物だろうが、残念ながら柵の中でよくわからない。神社そのものが急な階段を凡そ300段ほど登る必要があり、参拝客は勿論、社務所も無人である。

北野神社
石段を登り切ると鳥居と社殿がある

利生塔
宝篋印塔は哀れな状態

【鎌倉中央公園】・・・・鎌倉でも有数な自然を残した公園。農業体験などの体験もできる緑化推進拠点である。入り口近くには獅子石といわれる巨大な石が鎮座している。鎌倉で暮らして40年以上たつが、この公園出かけたのは初めて。NPO法人が、田んぼ斑、畑斑、雑木林管理斑、農芸斑、自然遊び斑、生態系保存斑、植物育成斑などを組織し、小学生から大人までが活躍中。面積は23.7ヘクタールの広さとか、今日は散歩の老人しか見かけなかった。

中央公園入口
中央公園入口(山崎口)にある石碑

獅子石
中央公園入り口にある巨大な獅子石

【江の島道道標】・・・・江戸時代、江の島参りの人々が利用した古道で、戸塚を経て小袋谷、台とたどった参拝者達が、当地から山越えし上町屋へ出、さらに手広の鎖太師を経て目的地を目指した。

江の島道の道標
ここを右に回れば旧江の島道に通じる

【富士塚】・・・・住宅地の奥の小山を覆う木立の中に富士浅間神社を祀った石碑がある。江戸時代中期には、街道宿場制度や施設が整い、庶民も信仰を重ねて遠くに旅することが可能となった。富士講、江の島講や伊勢講などに出かける講中も少なくなかったようだ。この石碑もその名残だろう。藤塚の頂には、嘉永2年(1849)に建立された釈迦像がある。しかし残念ながら首から上は無くなっている。人が来ないと思われるような環境だが正月のためかお供えがあった。この小山を下から眺めると富士山に似せて築かれた塚と考えることができる。

富士塚
鬱蒼とした藪の中にポツンと像がある

【泉光院】・・・・寺号は高音寺。本堂には阿弥陀三尊像、不道明王像が安置されている。本堂はかつて木造であったが、関東大震災を機に建て替えられ、現在はコンクリート造り。住宅地の中にポツリと存在している。裏の方は大きな墓地となっていた。

泉光寺
泉光院の山門

泉光寺境内
泉光院の境内 弘法大師像がある

【上町屋天満宮】・・・・上町屋の鎮守。平安時代藤沢村岡の平良文が夢のお告げに従い天神を祀ったのが始まりとされている。祭神は菅原道真公。社殿は天明元年(1781)に建てられたようだ。拝殿前に正徳2年(1712)に作られた菅原道真の半肉彫の石碑がある。神像を刻んだ石碑は鎌倉でも珍しいそうだ。

鳥居と境内、社殿 
鳥居と境内、社殿 

【洲崎古戦場の碑】・・・・当地はかつて洲崎郷と呼ばれていた。新田義貞の鎌倉攻めに際し、元弘3年(1333)に幕府軍は赤橋守時を大将とする6万の兵で戦った。太平記によると一昼夜の間に60数回の戦闘が行われ、赤橋守時の率いる6万の軍勢はわずか300に討ち減らされたという。守時は、足利尊氏の妻の兄であるため、「もしここで降伏すれば、新田軍に内通したと思われる、それこそ武士の恥」と言って洲崎の千代塚で自刃した。守時の死を知った幕府軍は葛原岡へ壊走。それを追って新田軍は一気に鎌倉に攻め込んで幕府崩壊。この石碑には「洲崎古戦場」と刻まれている。戦死者の追悼のため建てられた。

洲崎の古戦場石碑

 この洲崎古戦場の石碑がある市道大船西鎌倉線の上に湘南モノレールが通っている。実は江ノ電が、江の島と大船を結ぶ鉄道を計画していたルートにあたり、これと競合したのが日本自動車(株)の自動車専用道路計画があった。そこで両者の調整を行ったのが菅原通済氏であった。そして鉄道計画が廃止され大船-片瀬間の「賃取り自動車専用道路」が昭和5年に開通したそうだ。日本で最初の有料自動車専用道路である。20年ほど前まで集金のオジサンが片瀬付近でカバンを首からぶら下げて気まぐれに料金を徴収していたと記憶している。

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16.01.02日光世界遺産

 1月2日、正月早々に日光山内二社一寺(東照宮、二荒山神社、輪王寺)の世界遺産へ。大阪出身の私は、なんとなくアンチ家康的な気持ちがあり、どちらか言えば信長や秀吉の新しがり屋で開明的なところが好きだ。それと比べると家康は地味で鎖国などする閉鎖的、内向き的な考え方を敬遠。しかし、この鎖国が日本独特な文化を育んだことも事実である。「日光を見ずして結構と言うなかれ」という言葉もあり、生まれて初めて日光に出かけた。余談だが、スペイン語の"Quien no ha visto Sevilla, no ha visto maravilla."(セビリアを見ずしてマラビリア<素晴らしい>というなかれ)という諺を思い出す。

日光東照宮は言わずと知れた徳川家康を神格化し大権現とし祀った日本東照宮の総本社的存在である。現在400年式年祭を実施中。ただし陽明門などは修復中でカバーに覆われていた。第一印象はシンプルな鎌倉の寺社を見慣れた者にとっては何とデコレーションが多くゴテゴテしていると感じる。それと総天然色と金ピカも一大特徴だ。金ピカな金閣寺や平泉金色堂はもっとシンプルな美しさがあると思う。とはいうものの、やはり「見ざる、言わざる、聞かざる」の三猿、「眠り猫」、眠り猫の裏面にいる「雀」など有名な彫刻を見学。

定番の「見ざる、聞かざる、言わざる」の三猿
見ざる言わざる聞かざる

同じく定番の「眠り猫」眠り猫

東照宮鐘楼
東照宮鐘楼

拝殿
東照宮拝殿

五重塔
東照宮五重塔

家康の墓所
家康の墓所

御宝塔
御宝塔1
御宝塔説明

 二荒(ふたら)神社は東照宮と比べて歴史は古く天平神護2年の建立と言われている。「二荒」の名については色々な説がある。観音菩薩が住む「補陀洛山」が訛ったもの、男体山・女峰山2神の二神二現説などが有名。また、弘法大師が日光をにこう「二荒」としたとも言う。

二荒神社参道
二荒神社鳥居

二荒神社社殿
二荒神社

昨年のお札や破魔矢を焼く。なぜか大宰府天満宮のお札が
古いお札

 輪王寺も創建が古く奈良時代にまでさかのぼる。近世には徳川家の庇護を受け繁栄を極めたようだ。徳川家光を祀った大猷院霊廟や本堂の三仏堂はすべて国宝重文だ。ただし、三仏堂は修理中であったが、大猷院は本堂の見学ができ、家康の位牌が公開されていた。

修復中の三仏堂 「金堂」の扁額の大きさは畳六畳と同じという
修復中の三仏堂

同じく修復中の大猷院
大猷院

日光大猷院参道
日光大猷院参道

大猷院皇嘉門、まるで竜宮城
大猷院皇嘉門

 1月2日ということもあり、日光は初詣客でにぎわっていた。車のナンバープレイトを見ると宇都宮、那須などが、ほとんどで東京や横浜はなかった。しかし大渋滞でこんな時に出かけたことに後悔する。しかし、途中で富士山が望め「終わりよければ始めよし」であった。

富士山

15.12.31長谷寺「除夜会・万灯祈願」

 例年の通り大晦日は長谷寺に出かけ、「除夜会・万灯祈願」を見る。別に宗教心があるわけでなく、あくまでも年末から新年の風物詩を味わうためだ。
 
 大晦日の長谷寺は夜間混乱を避けるためか、正門が解放され元旦の朝8時までは入場無料となる。夜11時半ごろに長谷寺に到着。境内はすでに大勢の人が私と同じように来場。なかなか、幻想的な雰囲気で味わいがある。年がかわると、長谷寺を始め、いろいろなお寺から除夜の鐘が聞こえてくる。それを機に帰路につく。途中の常盤八雲神社で氏子の人達から甘酒のふるまいを受ける。これも例年通りである。今年は異常気象のためか暖かい元旦だった。

長谷寺の正門はいつもは閉じられているが「除夜会・万灯祈願」の時は解放されている
長谷寺正門

願い事を書いた燭台に蝋燭を灯して並べる
万灯祈願1
万灯祈願2

蝋燭の値段は祈願料を含めて500円なり、安いか高いか・・・・安いと思う
蝋燭

常盤八雲神社の参道。階段を登り切れば社殿があるが、鎌倉の神社は何処も階段が急である
常盤八雲神社

常盤八雲神社の氏子さんが参拝客に甘酒を振舞う
八雲神社の氏子




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