15.12.25江の島界隈

 先日、明治時代のポルトガルの外交官で軍人でもあり、物理学や自然科学に造詣の深かったヴェンセスラオ・デ・モラエスを描いた小説「弧愁」<サウダーデ>(著新田次郎・藤原正彦)を読みちょっと気になったことがあった。

 時代背景は司馬遼太郎の小説「坂の上の雲」と同時期のものである。ポルトガル国は神戸駐在のモラエス領事を明治36年に東京の大使館に呼びよせ、日露戦争開戦の可能性など国際情勢の分析や対応を協議した。そしてモラエスは東京からの帰路、江の島に立ち寄る。江の島には英国の貿易商サムエル・コッキングが当時の金で200万円の巨費を投じて日本初の本格的温室植物園を設けたことが評判になっていた。そこは天水をプールし、ボイラー室で熱湯を沸かしパイプで温室内に導くという近代的なもので、温室内には熱帯植物が茂り、モラエスはその中のユーカリの木を発見し故郷を思い感動したそうだ。モラエスは儲けた金を本国に送らず、日本に植物園と庭園に巨額の費用をかけて還元した英国人に拍手を送りたいと思っただろう。

 今日はこの植物園と温室が今はどうなっているかを確認したく江の島に出かけた。当時の植物園は現在、「サムエル・コッキング苑」として残っている。ただ残念なことに温室の上部は関東大震災ですべて倒壊し、今はボイラー室から温水などを送った施設が遺構として残っているだけだ。勿論、モラエスの感動したユーカリの木はなかった。そのかわりキャプテン・クックが南太平洋で発見した「シマナンヨウスギ」など、コッキングが植えた木が大木となり残っていた。また、苑内には年末なのにチューリップが満開❓。管理している人に尋ねたところ、チューリップの球根を夏場に冷蔵庫に入れておいて、秋に地植えすると、初冬に花が咲くと種明かしされた。

江の島の参道
江の島の参道

サムエル・コッキング苑
サムエルコッキング苑

冬咲きチューリップ
チューリップ1

冬咲きチューリップ
チューリップ2

シマナンヨウスギの説明
ナンヨウスギ

キャプテン・クックが発見しコッキングが植えたナンヨウスギ
ナンヨウスギ説明

展望台とアオノリュウゼツラン
展望台

温室のボイラー遺構
遺構

同じく温室の遺構
遺構2

 余談であるが、モラエスは様々な件で日本とかかわっている。明治25年に発生した「千島艦事件」がそうだ。この事件は濃霧の瀬戸内海で日本海軍がフランスに発注した砲艦千島を回航中に英国商船ラベンナ号と衝突し、沈没した事件。フランスの要請でモラエスは中立の第三者として力学的に英国船の速度と衝突の角度を推計し、意見書としてまとめ提出した。この結果、領事裁判権がないにもかかわらず、いわゆる「千島艦事件」はモラエスの援護射撃というべき意見書で日本側が勝訴した。
 また、明治33年に神戸市が海岸通りをガス灯から電灯に切り替える際、彼は外国人商館や外国公館の代表として神戸市と協議し、風致を害さないため、海岸通りには電柱を立てず埋設配線にすべきと主張。そして海岸通りは日本で初めて埋設配線となった。けだし、卓見である。
 江の島に来たついでであるが、ここには日露戦争勝利の貢献者の一人、児玉源太郎が祀られている「児玉神社」がある。モラエスはマカオとモザンビークの防衛のため、日本から大砲10基を購入しようとして日本国政府と交渉。最終的に陸軍大阪砲兵工廠で協議を行った。その時の日本側責任者は児玉中将であった。これは江の島に児玉神社があったので全くの余談である。

児玉神社鳥居
児玉神社鳥居

児玉神社社殿
社殿

203高地の石で作成した石碑石碑


 

15.12.22大船界隈

 年末で賑わっている大船に出かける。と言っても商店街ではなく、ガイドブックにも乗っていないところを重点的に訪れる。西友ストアーを過ぎたところに鎌倉市「景観重要建築物等」に指定されている昭和初期の住宅「小池邸」がある。現在も個人の住宅であり、小池という表札がかかっていた。小池邸から少し、イトーヨーカ堂の方向ら向かう途中にレストラン「ミカサ」がある。ここは松竹大船撮影所が全盛時代に俳優や監督が利用したことで有名。イトーヨーカ堂を過ぎると以前松竹の大船撮影所であったが、今は鎌倉女子大学となっている。

(鎌倉市景観重要建築物小・池邸)
小池邸

(元松竹大船撮影所・鎌倉女子大学)
釜倉女子大

 鎌倉女子大学から岩瀬の方向に20分ほど歩くと大長寺がある。かつては大頂寺と称し、玉縄城主北条綱成が、天文17年(1548)に主君北条氏綱の娘である亡き妻の供養と平和を祈願して創建した浄土宗の寺。小田原北条氏滅亡後、徳川将軍家の保護を受け高い格式を誇った。宝蔵には家康とその父松平秀忠の位牌、家康の像が安置されている。また、寺の石段は家康が駕籠に乗って登ったといわれている。道理で参道も階段も広く立派だった。

(大長寺の山門)
大長寺山門

(家康が駕籠で登ったといわれている石段)
階段

(大長寺の方丈)
方丈

(徳川家の保護を受けていたため葵の紋所)
葵の紋所

 大長寺から20分ほど東南方向に歩くと多門院がある。南介僧都が開山、甘粕氏が開基で天正815799開創といわれている。小さいがよく手入れされおり、静かでなかなか風情がある。境内には「とげぬき地蔵尊」の名で知られる地蔵尊がある。

(多門院方丈)
多門院

(とげぬき地蔵尊)
とげぬき地蔵

 多門院の隣は熊野神社がある。明治の神仏分離までは隣の多門院が別当を務めていたそうだ。寺の横の急な石段を登ると社殿があり、日本武尊を祀っている。神社の境内は無人で静寂そのもの。社殿の前をウロウロしていると突然メロディーが流れて驚く。防犯カメラが作動したようだ。

(熊野神社鳥居)
鳥居

(石段と社殿)
石段

 熊野神社から大船方向に10分ほど歩くと常楽寺がある。鎌倉幕府三代執権北条泰時が妻の母の菩提を弔うため、その基のある場所に建てた「粟船御堂」を前身として、仁治3年(1242)当地に泰時が葬られた時、常楽寺と改めたそうだ。寺号は泰時の法名「常楽寺殿」にちなんでつけられた。この辺りの地名は粟船といい、大船の地名もこれに由来しているそうだ。静寂な参道の先に茅葺の山門があり、境内も非常に良く手入れされている。大きな銀杏の木は途中で朽ち果てているが、そのひこばえが大木となっており、元の木の大きさを感じる。

(常楽寺山門)
常楽寺山門

(常楽寺山門にかかる扁額)
山門にかかる扁額

(常楽寺方丈)
常楽寺方丈

(北条泰時の墓)
北条氏の墓

 「水堰橋」(せいしくばし)は柏尾川の支流小袋谷川にかかる橋で橋柱には「せゐ志くはし」と描かれている。鎌倉幕府を開いた頼朝の軍勢が出入りするとき必ず当地で勢揃いし、隊伍を組んで進み始めたという。このため「勢揃い橋」と呼ばれ、いつしか「せいしく橋」になったとか。

(「せゐ志くはし」と描かれてい石碑)
せいしく橋の石碑

(チョット読みづらいが、「右とつか、左藤さわ」の石碑)
同じく石碑



15.12.18長谷界隈

 今日は長谷寺が「歳の市」、「納め観音」が開催されるという。少々寒いが朝から出かけてみた。歳の市は縁日のようだが、他の神社の縁日と比べるとチョットさみしい感じがする。また、納め観音は11時からと12時から希望者に対して祈祷を行うそうだ。もちろん有料。残念ながら宗教心がないので興味がわかない。年末に「除夜会・万灯祈願」の催しがある。宗教心がなくても風物詩としてなかなか風情があり、天気が良ければ大晦日に出かけよう。

長谷寺山門
長谷寺

長谷寺本堂
本堂

長谷寺の紅葉
紅葉

門前の歳の市
歳の市

 天気もよいので近くの高徳院に出かけ大仏さんのご機嫌をうかがう。いつものように海外からの観光客で結構にぎわっている。やはり日本国宝の威光か。

大仏
大仏

 最後に、空気も澄んでいるようなので稲村ケ崎に出かけ富士山を望む。神奈川景勝50選の一つだ。サザンオールスターズの「稲村ジェーン」の舞台となったところ。古くは新田義貞の鎌倉攻めでも有名だ。また、明治43年1月の逗子開成中学校の生徒11名と小学生1名が七里ヶ浜沖1.5kmで遭難の碑がある。真白き富士の根、緑の江の島、仰ぎ見るも今は涙~🎶 という悲しいメロディを聞いたことがある。岩場では磯釣りをしている人がいたが、釣果はゼロであった。

稲村ケ崎から見た富士山
稲村ケ崎からの富士山

自宅近くから見た富士山
家の近くから見た富士山

15.12.14北鎌倉界隈

 今年はエルニーニョの関係で例年より暖かく暖冬である。とはいうものの、そろそろ紅葉も見収め思いき鎌倉界隈に出かける。

【円覚寺】・・・山門に登る石段の前を横須賀線が走る。明治22年に横須賀線を開通させるため寺領の一部を提供したそうだ。鎌倉五山の第二位。総門の前は、春は桜、秋は紅葉で写真スポット、カメラ小僧(老人)がいつもいる。明治時代は夏目漱石がしばしば参禅したそうだ。国宝の洪鐘は境内東側の階段を登り小高い丘の弁天堂の傍にある。ここに茶店があり、夏はわらびもち、冬は草団子などが食べることができたが、今は耐震工事のため来年の4月まで休業中。

円覚寺の総門前を走る横須賀線
円覚寺1

円覚寺の総門に至る階段
円覚寺2

円覚寺の国宝<洪鐘>
円覚寺鐘楼

円覚寺総門から見た下界風景
円覚寺総門から眺め

【東慶寺】・・・昔から有名な「駆け込み寺」。明治時代までは尼寺であったが、今は男性の住職。境内の中には歴代の尼さんの墓地がある。また、よく見ると、禅を西洋に紹介した鈴木大拙、作家の小林秀夫、哲学者の和辻哲郎、日本画家の前田青頓の墓や筆塚などがある。

東慶寺山門
東慶寺山門

東慶寺本堂
東慶寺本堂

東慶寺代代の住職の墓東慶寺代々の住職の墓

【浄智寺】・・・こちらも鎌倉五山の第四位。階段を登ってゆくと、あまり大きくない山門がある。この山門の二階が鐘楼であり、非常に珍しいと思う。

浄智寺総門
浄智寺の総門

浄智寺山門 二階が鐘楼になっている
浄智寺山門

【長寿寺】・・・建長寺の境外塔頭寺院であり、非公開である。石段を登ると茅葺の山門があり、清爽な雰囲気が漂う。こっそり境内の写真を撮る。一般公開される時期があるので一度その時に訪れたいと思う。

長壽寺の山門長壽寺の山門

長壽寺の境内
長壽境内

 今日は四つの寺を巡ったが、全て階段を登って山門をくぐる形式である。谷戸に沿ってお寺が造られ、その谷の道が街道として発達したようだ。

15.12.09遊行寺の大銀杏

 鎌倉市内の時宗の寺院、「光触寺」、「来迎寺」などは、いずれも藤沢清浄光寺末とある。然らば本山へと出かける。ここ清浄光寺は全国時宗寺院の総本山。ここは「遊行寺」の方が、正式名称「清浄光寺」より通りがいい。遊行寺の名は時宗の法主を遊行聖人といい、それらが住持する寺の謂である。鎌倉時代のお寺なので境内には南部重時や小栗判官などの武将の墓もある。
 また、境内には今が見ごろの大銀杏の大木がある。かつては高さ31mあったというが、1982年の台風で地上6mあたりで折れてしまい、今はずんぐりとした樹形になっている。2008年の調査では幹回りは7,1mであったという。樹齢は推定700年とのことだ。遊行寺の創建が正中2年(1325)なので創建当時からのものかも知れない。ただ、この樹は雄株なのでギンナンはできないそうだ。

(境内の大銀杏)
大銀杏

(銀杏と本殿)
銀杏と本殿

(境内にある南部重時の墓)
南部重時の墓

(境内にある小栗判官の墓)
小栗判官の墓

15.12.08日本橋川・神田川クルーズ

 今日は天候が曇り空の中「日本橋川・神田川クルーズ」に出かけてみる。10時スタートで130分間、船に乗りっぱなしである。日頃見ていた風景と全く異なり、ローアングルから町や橋の風景を眺め、非常に新鮮だ。もう少しきれいで、狭い運河ならベネチアとそん色がないのではと思う。
 日本橋をスタートし、まず日本橋川を、江戸橋⇒鎧橋⇒茅場橋⇒日本橋水門⇒霊岸橋⇒新亀島橋⇒亀島橋⇒高橋⇒南高橋⇒亀島川水門、ここから左折し隅田川を上る。永代橋⇒豊海橋⇒清洲橋、ここから右折し小名木川を下る。萬年橋⇒新小名木川水門⇒高橋⇒西深川橋⇒東深川橋⇒大豊橋⇒新高橋、そしてUターンし隅田川まで戻る。また、隅田川を上り新大橋⇒首都高の橋⇒両国橋、と進み、ここから左折して神田川を遡上する。柳橋⇒浅草橋⇒左衛門橋⇒美倉橋⇒和泉橋⇒神田ふれあい橋⇒万世橋⇒昌平橋⇒聖橋⇒お茶の水橋⇒水道橋に至り、ここからUターンして隅田川、日本橋川へ、そして出発の日本橋に戻る

 スタート地点の日本橋は「日本国道路元標」の地であり、また、ここからイスタンブールまでのアジアハイウエーのスタート地点でもある。船着き場は高速道路の下、近くの江戸橋ジャンクションは下から見ると、このようである。

(日本橋)
日本橋

(日本国道路元標)
元点

(出発地点の船着き場)
船着き場

(江戸橋ジャンクション)
江戸橋ジャンクション

 鎧橋は明治時代に造られたため、橋脚の基礎部分はレンガ造りである。また、この辺りは野鳥が多くユリカモメ(東京都の鳥)、カワウ、マガモなどを見かける。

(鎧橋の基礎部分)
鎧橋基礎

(ユリカモメ)
ユリカモメ

 江戸時代、亀島橋界隈は関西からの下り物である清酒などを樽で陸揚げ保管し小分けして販売した。購入者は甕を持って来て買ったため、本来は甕島橋であるとのこと。亀島水門を抜けると佃島の高層マンション群が目に入る。

(亀島橋)
亀島橋

(佃島の高層マンション)
佃島

 隅田川を遡上すると永代橋、清洲橋が視界に入る。どちらの橋も東大教授田中豊の設計による。彼の遊び心なのか永代橋の丸いアーチをひっくり返すと清洲橋のアーチの凹部分にピッタリと会うという。どちらもスカイツリーをバックに美しい。

(永代橋)
永代橋

(清洲橋)
清洲橋

 隅田川の新大橋は名前に負けず斬新なデザインである。両国橋の真ん中には観覧用のでっぱりがあるが、これは、両国と関係がある。相撲の土俵がそのままの大きさで半円の土俵があるそうだ。

(新大橋)
新大橋

(両国橋)
両国橋

 柳橋をくぐると、途端に粋な雰囲気となる。近くの佃煮屋さんの販売プロモーションの一環か三味線を弾きながら、お江戸日本橋七つ立ち~🎶 と唄ってくれる。

(柳橋)
柳橋

(佃煮屋の販売プロモーション)
三味線

 浅草橋は以前、ガス灯であかりを灯していたという、橋の欄干には今もガス灯の名残の箱が残っている。その昔、美倉橋 付近には大店の倉庫がぎっしりと並んでいて、運河から商品を入庫し、表から大八車で配達したのだろう。

(浅草橋)
浅草橋

(美倉橋)
美倉橋

 秋葉原近くの万世橋や昌平橋は山手線や京浜東北線の車窓から良く見える。また、地下鉄丸ノ内線が神田川の上を走るため、船は地下鉄の下を走る

(昌平橋)
万世橋

(地下鉄丸ノ内線)
丸の内線

 お茶の水あたりに来ると江戸城の外堀なのか非常に美しい。聖橋は独特の趣があり、桜の季節はよくニュースなどでお目にかかる。昔は小石川養生所があったためか、今は東京医科歯科大や順天堂大学などがある。  

(聖橋)
聖橋

(順天堂大学)
順天堂大学

 今日は川を巡るクルーズだったが、ほとんどの橋は関東大震災の後に作られた。しかし今も現役で頑張っているのが良くわかった。当時の技術は溶接ではなくリベットで鉄板をつなぎ合わせているのでゴツゴツした感じがするが、昔の職人さんは真面目でいい仕事をしていたようだ。外国では手抜き工事で橋の建設後、5~6年で崩落したとのニュースを見た。日本は捨てたものでない。


15.12.05腰越j満福寺

 朝から天気が良いので、鎌倉山から七里ヶ浜経由、腰越の満福寺に出かける。昨日の暴風のためか七里ヶ浜はサーファーで大賑わい。
七里ヶ浜

サーファー

 腰越の満福寺は山門に上がる階段の目の前2mを江ノ電が通り過ぎる。満福寺略縁起によれば古義真言宗大覚寺派の寺で正式名は龍護山医生院満福寺というそうだ。寺伝によると東国の疫病が蔓延した際、聖武天皇(724~49)が行基に病気平癒を命じた。行基が仏像を彫り、祈りを捧げると流行病がぴたりと平癒したという。行基はこの地に病気平癒祈願の寺を建立、これが満福寺の起こりだ。
万福寺
江ノ電が門前を走り去る

満福寺入り口

 一方、この寺は義経悲劇のスタート地としても有名だ。1184年に兄源範頼とともに木曽義仲を討ち、入洛し、次いで一の谷で平家を破った。帰洛後、洛中の警備にあたり、後白河法皇の信任を得、頼朝の許可を得ず検非違使・左衛門少尉となったため頼朝の怒りをかった。頼朝にすれば、頑張って鎌倉で旗揚げしたのに、後白河法皇の下につく、義経の政治的未熟さが許せなかったのだろう。
 しかし、捕虜となった平宗盛らをともなって鎌倉に凱旋してきた義経は、兄頼朝から鎌倉入りを禁じられ、義経は無念の日をここ満福寺に逗留。頼朝の怒りを解くべく幕府公文書別当の大江広元に嘆願書を出した。これが「腰越状」といわれている。
 実物大の腰越状の版木が現存し寺内で展示されている。また、鎌倉彫の技法を取り入れた漆画で表現された襖絵には静御前との別離など義経の生涯が描かれていた。境内には弁慶が、腰越状の筆をとるのに水を汲んだとされる硯の池、弁慶の腰かけ石、義経公手洗いの井戸もある。
義経・弁慶象
境内には義経と弁慶の石像がある

襖絵
襖絵・弁慶最後の図

襖絵2
襖絵・安宅の関の図

襖絵3
襖絵・腰越状  なぜかグランドピアノがある。多分、賛仏歌の演奏用か

 お寺の裏山は霊園となっており、一番高いところに登れば江の島や富士山が望見できる。しかし、霊園の販売の事務所などがあり、折角の歴史遺産が艶消しの感じがした。
トンネル
裏山の霊園に至るトンネル

霊園からの眺め
霊園からの眺め

15.12.03池中3年4組同窓会

 正式な同窓会として今回は最後の同窓会です(今後は有志が勝手に開催)。という連絡があり3日に関西に出かける。残念ながら参議院議員のN元経産大臣は所用があり欠席。恩師の米寿と教え子達の古希の祝いのコラボレーション。出席者は恩師と教え子の男性10名、女性9名の計20名。さながら老人会の合コンのようだ。
 専ら話は、肺がんや胃がんや前立腺がん、そして脳梗塞になったと病気自慢。それにお墓を買ったとの話に盛り上がる。恩師も肺がんで右肺の上葉を切除し、現在は前立腺がんの治療中といいながら大酒を飲む。耳が少し遠いが外見は若々しく一見、誰が恩師で誰が教え子かわからない。
 一次会の懐石料理の後はカラオケの二次会、そして最後は居酒屋で三次会。三次会まで残ったのは7名であった。幹事の話しによると予算がオーバーし、会費の再徴収が必要だが、恩師のXデーのために予備として蓄えておいた香典の一部から流用すると了承を求められる。参加者は全員「異議なし」。
 翌日4日は家族ぐるみで付き合いのある友人の奥さんが難病の治療中ということなので、お見舞いに行く。自分や家族が元気でいることを感謝した一日だった。

「池中3年4組同窓会」との表示があった
宴会場

若々しく感じる恩師、現在はお寺の住職。
恩師

全員で記念写真
記念写真

昔の才女も今は「肝っ玉バアサン」
昔は才女で今は肝っ玉婆さん

二次会はカラオケで盛り上がる
二次会1

二次会2

三次会まで残った7名
三次会

4日の帰路、富士宮辺りから眺めた富士山。残念ながら頂上は雲の中
帰路富士山
プロフィール

Whitedevil

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2011年秋に完全リタイアー。現在は毎日が日曜日の素浪人。そして地球の何処かを徘徊中。

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