15.11.28チョット知的な散歩

 いつもは公開されていない「吉屋信子記念館」が公開されるというので、出かけてみる。
吉屋信子は約120年前の明治29年(1896)生まれで、昭和48年(1973)に結腸癌により77歳で没。作品には「徳川の婦人たち」や「女人平家」などが有名であるが、1920年に「屋根裏の二處女」を著し自らの同性愛体験を明かしている。1928年(昭和3年)、満州、ソ連経由でヨーロッパに渡り、1年近くパリに滞在した後、アメリカを経由して帰国。太平洋戦争開戦直前には、特派員として蘭印(インドネシア)、仏印(ベトナムなど)も訪問している。彼女の様な行動力ある女性には、現在ではあまり驚かないが、70~90年以上前の時代では、とんでもない女性であったと思う。
 この記念館は「自分の得たものは社会に還元し、住居は記念館のような形で残してほしい」という遺志で鎌倉市に寄贈されたそうだ。長谷の少し奥まったところに位置し、近くには鎌倉文学館(旧前田侯爵邸)や川端康成邸などがある。説明書には土地は1877㎡、建物は207㎡とある。建物は数寄屋造りで書斎は生前使用していたと思われる大きな机があり、シンプルな感じがした。

記念館玄関
吉屋信子記念館玄関

玄関から庭を望む
玄関から庭を望む

記念館
記念館全貌

記念館庭園
日当たりの良い庭園

和室
和室には本の挿絵を使った屏風がある

書斎
書斎は非常にシンプル

 近くの鎌倉文学館では「鎌倉文士・前夜とその時代」というテーマで展示されていた。庭園のバラ園は秋咲きのバラはほとんど終わり、「宴」という品種がかろうじて咲いていた。また、庭園の隅には木立が3~4mで直径20cmほどの「皇帝ダリア」が満開であった。最近は住宅地でも、よくこの花を見かける。

文学館アプローチ
鎌倉文学館に続くアプローチ。散歩するにも気持ちがいい。

文学館
鎌倉文学館(旧前田侯爵邸)

宴
バラ園の「宴」

皇帝ダリア
バラ園の隅にさいている「皇帝ダリア」

 文学館のすぐそばにある甘縄神社に立ち寄る。ここは、和銅3年(710)行基が草創し、豪族・染谷時忠が創建した鎌倉最古ともいわれる由緒ある神社。源氏と縁が深く、源頼朝が社殿を修理したと「吾妻鏡」は伝えている。本殿近くからは材木座海岸を望見できる。

甘縄神社
甘縄神社

本殿
甘縄神社本殿

材木座海岸
甘縄神社から材木座海岸を望む

 そして甘縄神社の階段手前にある川端康成邸は親族の方が住まわれているのか、表札はかすかに「川端」と読めるが、あくまでも個人の住宅なので立ち入ることはできない。ガイドブック等にも記載されていない。

川端康成邸
川端康成邸

15.11.26 鎌倉やぐら探訪

 以前、NHKの番組「ブラタモリ」で鎌倉のやぐらと地質についての放映があった。今日は番組の記憶をたどりながら、やぐらを中心に寿福寺、海蔵寺、浄光明寺界隈を歩く。そもそも「やぐら」とは中世鎌倉を取り巻く山稜山腹を穿って造られた横穴式墳墓で、埋葬・納骨のための墳墓窟と供養を行う仏殿の両機能がある。一般的に埋葬者は上級武士や僧侶階級で火葬。庶民は基本的には海岸近くに土葬。三方を山で囲まれた鎌倉は三千から四千か所のやぐらがあるといわれている。やぐらを巡るには夏は蚊やブヨなどの虫が多く、またマムシなどの蛇も多いので、冬がベストと思う。

【鐘鋳畑やぐら】・・・元は寿福寺境内または塔頭があった場所で、やぐらが三穴ほど見られる。手前のやぐらには「龕(ガン)」という納骨穴が残っている。道路西側の個人宅の庭にもやぐらが多数ある。鐘鋳畑の名は寿福寺の鐘を鋳ったところといわれている。
鐘鋳畑やぐら


【寿福寺やぐら】・・・鐘鋳畑やぐらからトンネルを抜けると現寿福寺境内に墓地のやぐらがある。その墓地奥には源頼朝と北条政子の供養塔といわれるやぐらがある。
寿福寺トンネル

寿福寺参道

【智岸寺谷やぐら】(別名・人見やぐら)・・・元智岸寺のあった場所で、墓石の正面には「人見氏先祖之墓」、右側には「寛政貮年庚戌年」(1790年)、左側に「人見養斎建立」の銘があった。奥の壁面には額縁の様な刻字の後が見られる。
人見やぐら

【金子家やぐら(仮称)】・・・旧海蔵寺境内にあり、原型をとどめている貴重なもの。金子家は鶴岡八幡宮の流鏑馬の武田流を継ぐ家柄。
金子やぐら


【海蔵寺】・・・臨済宗建長寺派の寺で創建は応永元年(1394)。寺の裏山から湧出する水が心字池を満たす池泉庭園が美しい。本堂に向かって左奥の壁面に二階のやぐら群が眺められる。土地が狭いため鎌倉人の工夫の結果か。また、境内の近くには弘法大師が掘ったと伝えられる「十六の井」がある。ここは紅葉の名所でもある。
海蔵寺

海蔵寺やぐら

十六井

【浄光明寺】・・・真言宗泉湧寺派の寺で創建は建長三年(1251)。ブラタモリでも紹介された、岸壁を垂直に掘削した切岸を背にした庭園で、切岸の横縞の地層と途中から生えている柏槙は圧倒的な迫力がある。やぐらは4穴がある。向かって右側の五輪塔から「元徳二年(1330)」「七部全徳」の銘文が見つかっているそうだ。最奥のやぐらは隧道となり、藤ヶ谷の相馬師常墓やぐらの横に繋がっているという。
浄光明寺やぐら

浄光明寺楊貴妃観音

浄光明寺説明書

15.11.20紅葉を求めて茨城に遠征

 昨日は紅葉鑑賞に花貫渓谷、袋田の滝、竜神峡の三か所を訪れる。地元の人によると今年の紅葉は例年に比べ異常気象のためイマイチとのこと。

【花貫渓谷】・・・花貫渓谷は険しいV字谷が形成されている。花貫ダム周辺は傾斜のキツイ断崖だ。ここは尾根と谷間では気象条件に微妙な変化が見られ、暖帯林と温帯林が混じって見られる貴重な場所となっている。「花貫暖帯温帯混交自然林」として高萩市の天然記念物に指定されている。渓谷沿い土産物店でアユの塩焼きを売っている。1尾450円なり。
花貫渓谷1

花貫渓谷2

花貫渓谷3

花貫渓谷4

花貫渓谷5

    
【袋田の滝】・・・日本三大名瀑の一つであり、高さ120m、幅73m、4段で落下するため別名「四度の滝」と呼ばれている。滝の第一展望台に行くにはトンネルを200m以上歩く必要がある。また、第2観瀑台にはさらにトンネルを進みエレベーターに乗る必要がある。トンネルとエレベーターの費用は310円也。春は新緑、夏は水温がこだまし、秋は紅葉、冬は氷結、と四季折々の風雅があるという。さすがに見応えがあった。
袋田の滝1

袋田の滝2

袋田の滝3

袋田の滝4

袋田の滝5

【竜神峡】・・・日本最大級の歩行者用吊橋375mの長さを誇る「竜神大吊橋」がある。春は橋の上から約千匹の鯉のぼりをつるし春風に群泳させ、秋は峡谷に広がる紅葉をめでるという。橋の中央に約100m下の湖面に向かいバンジージャンプができるようになっている。代金は15,000円也。ジャンプするには勇気も必要だが、お金も必要。橋を渡るには310円の通行料を払う必要がある。橋を渡ってみると何もなく行き止まり。地元民が生活に使用しているわけでなく、全く観光用の橋。どうしてこんなものを作ったのか理解に苦しむ。
竜神峡1

竜神峡2

竜神峡3

15.11.17妙本寺

 今日は、チョット気になった妙本寺に行く。

 先日、ある本を読んでいたら中原中也が小林秀雄に愛人を横取りされたという。中也の写真を見ると子供のように華奢で繊細な感じがする。従い小林秀夫の敵ではなかったのだろう。チョット許せない気がする。
 中也が17歳の時に3歳年上の長谷川泰子と京都で知り合い同棲を始めた。中也と手を携えて東京に出てきた途端に泰子が小林によろめいてしまった。しかし泰子と小林の関係は長く続かず、泰子は演出家との間に子供をもうけた。中也はその子の名付け親になっている。
 ところが、泰子は、その後実業家と結婚し豪奢な暮らしをしたが、戦後は困窮しビルの管理人となり、最後は横浜の老人ホームで生涯を閉じる。まさしく「魔性の女」の生涯というところか。
 一方、中也は26歳の時に遠縁の女性と結婚。その後長男をもうけたが、その長男が2歳の時に病死、それが原因で精神に異常をきたす。一方、小林秀夫とは妙本寺の海棠の下で仲直りするが、半年もたたずに持病の結核が悪化し鎌倉町扇が谷にて30歳で他界。中也の生涯は不幸の連続のようだ。

総門
妙本寺は鎌倉駅から10分もしない所に位置している。総門までは一般の住宅が続く。総門を入るといきなり右手に「比企が谷幼稚園」がある。それにしても電線を地中化できないのか、鎌倉市はこの程度でで世界遺産に登録しようとしている。身の程知らず!

参道
総門から二天門までは深山幽谷の感じがする参道が続く。

二天門
二天門から祖師堂を眺めると額縁から見るような感じがする。

祖師堂
祖師堂は一見すると本堂のように大きな建物だが、本堂は別にある。

海棠
祖師堂の横にあるこの海棠の下で中也と小林が仲直りをしたという。

石碑
この寺の開山は日蓮とも、日蓮の本弟子六老僧のひとり日朗とも言われている。

日蓮像
この界隈は日蓮ゆかりの寺が多い。同じように日蓮像が建立されている。

富士山
帰り道にいつものカメラスポットより富士山を眺める。今日は雨上がりで水蒸気が多くイマイチな感じだった。

15.11.13村岡界隈

 今日は朝から少し遠征し、隣の藤沢市に行く。鎌倉幕府開設以前の鎌倉付近は強大な勢力を持った坂東八平氏の祖・村岡五郎平良文の根拠地であった。そして「後三年の役」で勇名を馳せた鎌倉権五郎景正が率いた鎌倉党武士団の根拠地。良文が勧請した御霊神社には権五郎景正が祀られ、村岡城址公園の小舘あたりは当時の武士の館であったのだろう。北条早雲の菩提を弔う天嶽院や良文三代の塚のある二伝寺は玉縄北条氏のゆかりの寺である。晩秋の村岡地域を巡りこれらの旧跡を訪れた。

村岡一族の墓

御霊神社の鳥居
御霊神社入り口


御霊神社の階段、ここを登れば無住の神社本殿がある
本殿

鎌倉古道は平安時代からのもの
鎌倉古道道しるべ

鎌倉古道

【弥勒寺】・・・創建は嘉禄2年(1226)、開基は北条泰時。3代執権北条泰時が、父義時の菩提を弔うために創建。最初は法泉寺と称し禅宗であったが、新田義貞の鎌倉攻めで戦火にあった際、村人が裏山の岩窟に本尊の弥勒菩薩を隠し祀ったと伝えられている。その後、天正元年(1573)に日佑が再建し、宗派を日蓮宗とした。この辺は暖かなのかばなな芭蕉の木と仏手柑が植えられていた。

弥勒寺境内の芭蕉、実をつけている。一見するとバナナのよう
弥勒寺の芭蕉

弥勒寺境内の仏手柑。砂糖漬けにするとうまいそうだ
仏手柑

【天嶽院】・・・創建は明応4年(1495)、開基は北条早雲。国道に面しているが、水戸光圀が建立したという茅葺の山門をくぐると境内は大きくて静寂そのもの。鐘楼の近くを歩いていると突然、鐘の音が。しかし鐘をつく人は見当たらない。よく見ると自動鐘つき装置?によるものであった。荘厳な感じとミスマッチ。

水戸光圀が寄贈した茅葺の山
天嶽院山門

天嶽院山門裏側

本堂に続く参道
天嶽院境内

撞木に取り付けられた自動鐘つき装置
天嶽院鐘楼

【村岡城址公園】・・・延長元年(923)に平良文が東国に下り、相模国村岡郷に居を構えた時に築いた山城。館というより砦がピッタリと思う。権五郎景正の産湯に使用した三日月井戸の石碑があった。今は広い公園でゲートボールに興じる老人や子供と過ごす若いお母さんの憩いの広場。

村岡城址市公園の石碑
村岡公園石碑

三日月井戸の石碑
三日月井戸

【二伝寺】・・・創建は永正2年(1505)、開基は北条氏時。二伝寺のある丘陵は玉縄城を北東に見る位置にある。昔は交通、軍事の要衝。そのため砦が築かれ二伝寺砦と呼ばれたそうだ。裏山の山頂には平良文、忠光、忠通三代の塚があった。

二伝寺の山門
二伝寺

平良文の塚 この他 忠光、忠通の塚がある
良文公石碑












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2011年秋に完全リタイアー。現在は毎日が日曜日の素浪人。そして地球の何処かを徘徊中。

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