19.10.22-24東北紅葉観光

 久しぶりに2泊3日のスケジュールで東北地方の紅葉見物に出かけた。出発の22日は台風20号(後に温帯低気圧)の影響で早朝から大雨。また、東京都内は『即位の礼』で厳戒態勢だった。

 雨の中霞む紅葉。
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 先ず、山形県の山寺こと立石寺を訪れる。ここは松尾芭蕉の奥の細道で『閑さや巌にしみ入る蝉の声』で有名なお寺だ。山寺の入り口に『登山口』と書かれている。拝観より登山が似つかわしい。奥の院まで1015段の石段が待っている。

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 立石寺は松尾芭蕉の奥の細道がなければこんなにメジャーなお寺にならなかったのではと感じた。その感謝のためか、『せみ塚』や芭蕉と曾良の像があった。

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 雨の中、奥の院を目指すと風景はさながら墨絵の様な感じがする。

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  山寺を後にし、近くの天童で宿泊。天童は将棋の町と温泉で有名。ホテルで濡れた衣服を乾かし温泉に浸かる。


 二日目は昨日の天気が嘘のように快晴となった。そして最上川に出かけ、川下りを体験。最上川も芭蕉の『五月雨を集めて早し最上川』で有名だ。奥の細道の解説書によれば、当初は『五月雨を集めて涼し最上川』であったらしいが、芭蕉自ら船に乗り『早し最上川』に変更したらしい。たまたま小生が乗船した時も台風豪雨の影響で『大雨を集めて早し最上川』を実感。

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 川下りの後、大正ロマンあふれる銀山温泉を訪れる。最上川も銀山温泉もNHKの朝ドラ『おしん』で有名。残念ながら朝ドラを見ない小生はあまりピンとこなかったが。銀山温泉そのものは湯治客用なのか、観光地としての賑わいや猥雑さはなかった。中々好ましい。

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 銀山温泉の奥に流れる『白糸の滝』
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 銀山温泉を後にし、東北地方が誇る紅葉の名所、鳴子峡に向かう。ここはさすがに観光客が大勢来ていた。京都の嵐山同様、平坦な場所でなく渓谷なので高低差があり、上から眺めて良し、下から見上げてもよしの様々な紅葉が見物できる。

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 JR陸羽東線の鳴子温泉駅から赤倉温泉に向かう。赤倉温泉駅は半世紀以上前にスキーで訪れたことがあったが、全く記憶は残っていなかった。

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 最終日はロープウェイで空中から蔵王の紅葉を見物することに。山頂の鳥兜駅に着いた時は多分10℃を下回っていたと思われる。思わず寒さに震えた。

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 蔵王で折角なのでロープウェイ近くの温泉に入る。硫黄弱酸性ということでぬるぬるして少し硫黄臭がする。冷えた体には気持ちがよかった。


 今回の旅行で肝心の紅葉は、鳴子峡は今が見ごろ、また蔵王は山頂付近は終わっている感じがした。東北地方は温泉が多く、大浴場の湯船につかると思わず『ア~、ウ~』と奇声を発しご機嫌の3日間だった。


19.05.23横須賀・三笠記念艦

 吉村昭著の『海の史劇』を読んでから、一度、横須賀にある戦艦三笠の記念艦に行きたいと思っていた。丁度天気もいいので出かけてみた。

東郷元帥の銅像と戦艦三笠
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三笠の復元モニュメント 
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 JR横須賀駅を降りて、三笠記念公園に向かう途中に幕末に軍制改革や横須賀製鉄所建設に携わった小栗上野介忠順と同じく日本の近代化のため横須賀造船所の設立に貢献のあったフランス人技術者レオンス・ヴェルニーの顕彰碑があった。

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 そもそも戦艦三笠はロシアの極東進出に危機感を抱いた明治政府が、英国ビッカース造船所に発注し、明治35年(1902)竣工、同36年連合艦隊の旗艦となった。そして同37年に黄海海戦、同38年日本海海戦を戦っている。大正15年に軍縮会議で廃艦となり、過去の栄光を称えるため記念艦となった。第二次大戦後はGHQの指示で甲板上にあるすべての設備を取り払い、ダンスホールや水族館となったという。その後、昭和36年に改めて復元され現在の記念艦となっている。

7つの窓は操舵室の窓
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操舵室内部
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操舵室の上は最上艦橋で東郷以下参謀たちが立ち並んで指揮をとったところである
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最上艦橋は高々畳6畳程度の広さであり、有名な三笠艦橋図(14名)からは想像できない狭さだ。
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 三笠には当時の軍服が陳列されていたが、いくら明治の人が小さいとはいえ、14人の男たちが艦橋にひしめく様は、それにしても窮屈であったと思う。日露戦争末期には徴兵基準が伸長4尺8寸(147cm)まで引き下げられていた。

 船内は限られたスペースなので非常にコンパクトに設計されている。

長官公室
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長官寝室
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長官バスタブ
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士官室
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海図室
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軍艦旗室
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15センチ副砲 
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中甲板内の展示室
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正面は30センチ砲2門
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軍艦旗
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 ポーツマス条約を締結し、明治38年10月23日に連合艦隊の勝利を祝う凱旋観艦式が明治天皇を迎え横浜港沖で行われた。戦艦『敷島』『朝日』をはじめ160隻が集まったが、その場には『三笠』はなかった。そのわけは三笠記念艦では触れられていないが、不都合な事実があった。明治38年9月8日、修理中の戦艦三笠は佐世保港で火薬庫が爆発し沈没。死者は251名で日本海海戦の死者(107名)の2.5倍であった。爆発原因は自然発火でなく、数名の水兵が火薬庫の通路に忍び込み酒を飲んだ。彼らは酒の代わりに、発光信号用のアルコールを盗み出し、アルコールの臭気を抜くために火をつけた。その火が容器からあふれたアルコールに引火し火が広がったものだ。


 帰路は横須賀名物の『海軍カレー』を食べた。明治時代に軍人が脚気で死亡することが多く、カレーを食べることで海軍は脚気が無くなったという。今でもカレーは各自衛艦によりレシピが違うそうだ。全体的にスープカレーでなくドロッとしている。理由は船が揺れてもこぼれないようにということらしい。潜水艦は毎週金曜日にカレーがでるそうだ。この理由は、海中に潜っていると何曜日かわからないので、カレーが出ると金曜日ということ。

 JRの横須賀駅の手前の港には護衛艦が停泊している。よく見ると『184』のナンバーが確認できた。帰宅後調べてみると、これは『いずも』であり、現在、F35戦闘機が着艦できるように改修を検討しているようだ。改修すれば、まそしく『空母』となる。専守防衛を旨とする国是でどうして空母が必要か疑問に感じる。

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19.03.02-04若狭小浜の『お水送り』と東大寺『お水取り』

 春を告げる東大寺のお水取り(修二会)は有名だが、その水を送る若狭のお水送りはあまり脚光を浴びないようだ。そもそも『若狭』は古代より大陸・朝鮮半島との交流が盛んな場所であった。若狭の地名は新羅の朝鮮語のワショ(Welcomeの意)とカショ(Good-byeの意)が合体し、ワカサとなったといわれている。現代の日本でも祭で神輿を担ぎ神を迎えるときは『ワッショイ、ワッショイ!』といい、踊りで合いの手を入れるときに『ヤッショウ、マカショ・・・』と言いながら掌を前に突き出す所作をする。これらのことを考えるとワカサの語源はあながち荒唐無稽とは言い難い。

 今回はお水送りの神事が行われる小浜の神宮寺とお水取り(修二会)の行われる東大寺二月堂に出かけた。神宮寺と東大寺の神事はどちらも夜に実施されるため、取りあえず明るいうちは、日頃訪れることのないところを訪問する。

若狭神宮寺のお水送り神事 
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東大寺二月堂のお水送り神事
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 初日は、午後から若狭明通寺、若狭彦神社を訪ねてみる。明通寺の本堂と三重塔は、福井県唯一の国宝重要文化財である。深山幽谷の中にあり、それなりの威厳を感じる。

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 若狭彦神社には上社と下社があり上社を若狭彦神社、下社を若狭姫神社と云う。戦後すぐに大相撲の地方巡業が上社で開催され、その時の番付表が下社に奉納されていた。当時の横綱は双葉山、大関には前田山や東富士の名がある。また、前頭の次の蘭に(左側二段目の7番目)にプロレスに転向した力道山の名もあった。

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 当地の伝承では若狭彦神社の神事としては「お水送り」が知られる。ある年、奈良の東大寺二月堂の修二会で神名帳を読んで全国の神を招いたが、遠敷明神は漁で忙しかったため遅刻してしまった。そのお詫びとして、遠敷明神は二月堂の本尊である十一面観音にお供えの閼伽水を送ると約束したという。白石から下った所にある鵜ノ瀬と呼ばれる淵は、二月堂の若狭井に通じているとされている。旧暦2月には、鵜の瀬で二月堂に水を送る「お水送り神事」が行われる。その水を受けとる祭事が東大寺二月堂の「お水取り」である。 ただし、今日では、元は当社の神宮寺であった若狭神宮寺が主体となって行われている。言い伝えによると閼伽水は12日半ほどかかり東大寺に到着するらしい。
 
  当日のクライマックスは「鵜の瀬」で夜に行われる大護摩焚。その鵜の瀬を下見。鵜の瀬は若狭井といわれる湧水がありここから地下を潜り東大寺へ。

大御法要が行われる鵜の瀬
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第護摩法要用の杉の木
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  夕刻に神宮寺境内に続々と山伏(修験者?)が集まり法螺貝を吹く。そして堂内では修二会が行われる。その後、境内では大護摩法要となる。

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  午後7時半ころから1.8km先の鵜の瀬に向かって松明行列が始まる。先ず6人で担がれた大籠松明を先頭に様々な神職が続く。そして氏子による中松明、一般参加による手松明と続く。野次馬気分で手松明に参加。手松明は藁縄に杉の葉をきつく巻き、幅5cm、長さ1mほどの板4枚を針金できつく結わえた棒状のもの。これをかざしながら鵜の瀬まで行列。火の粉がどこからともなく飛んでくる。ナイロン状の衣服はすぐに穴が開く。やはり木綿の衣服がベスト。

護摩の火
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護摩の火で手松明に火をつける
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手松明にはそれぞれ願い事を記入。そして一列になり鵜の瀬へ
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鵜の瀬で護摩法要があり、手松明の残骸をここで燃す。水師の送水文奉上後神事が終了
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  二日目は三方五湖を通り、『若狭鯖街道』最大の宿場町である熊川宿を訪れる。福井県三方上中郡若狭町にある 若狭と京都を結ぶ旧鯖街道の宿場。若狭町熊川宿伝統的建造物群保存地区の名称で国の重要伝統的建造物群保存地区として選定されている。 昔は若狭小浜で上がった鯖を若狭街道を走り、琵琶湖の水運を利用し大津を経由し京都に至ったといわれ

三方五湖の風景。さながら水墨画の世界
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熊川宿はひっそりとしていた。昔はそれなりににぎやかだったんだろう。
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石の道標には「京へ十五里 今津へ四里」と読める
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奈良に到着後、お水取りの行われるまで時間があるので、事前に東大寺二月堂を下見をする。
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此処が若狭から水が送られる閼伽井屋(あかいや 別名・若狭井)
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  夜の7時ごろから二月堂の境内の照明が消され、いよいよ修二会の『お松明』が始まる。先ず大鐘がつかれ、それを合図に二月堂の下にある戒壇院から火のついた松明(約40kg)を持って舞台に駆け上がり、松明を振り回す。

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  修二会のシンボルのような行事に二月堂の舞台で火のついた松明を振り回す「お松明」は、この日は10本行われた。意外と時間は短く半時間ほどで終了した。少々あっけない感じ。



  東大寺の修二会の翌日は折角の奈良なので、平城宮跡歴史公園と昨年10月に再建された興福寺中金堂を訪れる。

  平城宮跡公園は広大な敷地で何もかが再建されたものであり、新しく美しい。特に、朱雀門は当時の雰囲気が味わえる。博物館などいろいろな施設がそろっており、修学旅行にはうってつけの場所だろう。

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  興福寺の中金堂はさすがに新しく美しい。中金堂内に安置されている釈迦如来、薬上菩薩、薬王菩薩を始め大黒天、広目天、増長天、多聞天、吉祥人等重要文化財をじっくり拝見する。

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  天気があまりすぐれない中の旅行だったが、充実した3日間であった。東大寺の『お水取り』が終わればいよいよ春が来る。待ち遠しいものだ。















18.07.28大阪で暑気払い

 28日に大阪で大学時代のサークルの暑気払いがあり、久しぶりに関西に出かける。丁度台風12号の日本直撃の報道もあり、少し早めに新幹線に乗車。昼頃に大阪に到着。夜の暑気払い開始まで時間を持て余すので、かねてから行きたかった『司馬遼太郎記念館』へ。

記念館は東大阪市の近鉄「八戸ノ里」駅から700mほどに位置する
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記念館そのものは安藤忠雄氏の設計によるコンクリート打ちっぱなしの斬新なものだ
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 展示内容は主に司馬氏が集めた膨大な資料、自著、翻訳本等2万冊の蔵書が高さ11mの書架に収められている。これには圧倒される。さすがに「坂の上の雲」を執筆した時は神田の古書店から日露戦争関係の資料や古書籍が店頭から消えたそうだ。 館内の写真撮影はNG。DSCN3064 (800x600)

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ホールでは氏のインタビューのVTRが上映されていた。ただ、鑑賞者は私ともう一人のみであった。チョット寂しい。
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 庭に出てみると居宅の中にある氏自身の書斎をガラス越しに拝見できる。
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 庭の片隅には花供養碑があった。また、江戸時代に河内平野で栽培されていた日本自生種の「稲田桃」がたわわに実っていた。
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 司馬遼太郎記念館を堪能した後、夜の会場近くの梅田・曾根崎に戻ったが時間があるので、近松門左衛門の遊女お初と手代徳兵衛の心中を扱った『曾根崎心中』の舞台「露天神」に立ち寄る。ここは通称「お初天神」の方が、とおりが良い。ここもビルの谷間にあるため大阪の南にある『夫婦善哉』の舞台「法善寺横丁」とよく似ている気がする。

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 この日はいろいろ寄り道をしたが、久しぶりの関西を満喫。しかし、台風の影響で予約していた高速夜行バスは運休との連絡があり、ホテルに泊まるか迷ったが、新幹線の最終便に近い新大阪9時3分発ののぞみに乗車。案の定、掛川、静岡間で徐行や停車を繰り返す。結局、自宅に戻ったのは日にちが変わった12時半頃となった。台風だからしょうがないか。

 暑気払いの会場、曾根崎の「しょうち梅田」
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17.12.17-19中国地方旅行

 世間では師走で忙しい季節、ならば観光地はガラ空きと思い、旅行に出かける。以前から雪の足立美術館の庭園を見たいと思っていた。ということで今回は足立美術館と倉敷在住の友人のI君に会うことが主たる目的だ。それ以外は付録というか、おまけの様なもの。

 朝8時の羽田発で岡山空港へ、その後は倉敷に向かう。滞在は10時半頃から1時まで、わずか2時間半のため、定番の大原美術館でエル・グレコの『受胎告知』鑑賞はパスし、市内の散策と会食で過ごす。

大原美術館
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美術館前のロダンの彫刻『カレーの人』
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同じくロダンの彫刻『洗礼者ヨハネ』
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 倉敷の街並みは江戸時代天領であったこともあり、豊かな感じがする。

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  倉敷は何度か訪れたことがあるが、だんだん洗練された街になってきた感じ。街を歩いている若い女の子は”アンアン”や”ノンノン”(ちょっと古いか❓)の雑誌から抜け出したような雰囲気だが、おしゃべりをし、クレープかなんかを食べながら歩いているのは頂けない。そして気が付いたが、『星野仙一記念館』や『加計美術館』などが新たにできていた。中でも加計美術館については、ついつい私学助成金の流用か、とか加計孝多郎氏の税金対策かと、小市民はネガティブな勘繰りをしてしまう。

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  倉敷から一気に日本海側に移動。途中の中国山脈越えは蒜山で雪景色となった。中国地方の最高峰大山は残念ながら雲の中で見えなかった。そして米子から西に向かい、玉造温泉で宿泊。昔の温泉街の風情でなかなかよろしい。小雪がちらつく旅館の露天風呂は素晴らしい。しかし首から上は非常に寒い。翌日は少し西にある縁結びで有名な『出雲大社』に出かける。伊勢神宮と比べると遥かに小ぶりな神社。子供のころに読んだ『大国主と因幡の白兎』の物語のモニュメントがあった。

因幡の白兎
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拝殿の大しめ縄
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奥の建物は本殿
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参道
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  案内してくれた人が、出雲大社では「二拝四拍手(二拍手でない)一拝」ですと強制。一般的な作法とは異なるそうだ。そんなことはどうでもいいと思っていたが、チョット強制されるのもどうかと思う。最近の週刊誌の見出しで読んだのだが、高円宮典子さんと出雲大社の宮司千家国麿氏が3年前に結婚されたが、現在別居中で離婚の危機にあるとか、もし事実なら縁結びの神社が、縁切り寺ならぬ縁切り神社になるのではと思うのは私だけか。

渦中の千家氏の住宅 
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 出雲大社は過去から言い伝えで「天空の社」があったとのこと。それを証明する柱が見つかった。その柱は杉の木を3本束ねたものであった。その柱が存在した場所にモニュメントとして地面に表示されている。

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  出雲大社を出て、今度は東に向かって玉造温泉を通り過ぎ安来節で有名な安来に向かう。足立美術館は安来の山村というべきところにあった。足立美術館の庭園は日本庭園900か所以上を対象に実施したアメリカの雑誌でランキングは14年連続1位となっている。因みに2016年度の2位は庭園は桂離宮であった。雪の中の庭園を期待していたが、残念ながら雪景色ではなかった。

  美術館の展示品はあくまでも絵画や工芸品、陶器であるが写真撮影はNG。庭園はOKだ。
  庭園が借景としている近くの山は、変な建物や構造物が建たないようにと足立美術館が購入したそうだ。また、庭園の松の木は20年程度で大きくなりすぎるので、植え替えるべき松を準備圃場で育てているとのこと。チョットその辺の庭園とはスケールが違う。

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  美術館では室内から壁の一部を取り除き、窓枠として庭園を一幅の絵画として楽しめるような工夫がある。和室の場合は掛け軸の感じだ。

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  島根県の安来地方は雪景色ではなかったが、さらに東に進み、鳥取県に入ったところ状況は一変。鳥取砂丘に立ち寄ったら、鳥取砂丘は鳥取雪原であった。空はどんよりと、海まで歩く人の跡は確認できたが、海まで歩く気が起こらなかった。
 
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  日も暮れかけて、さらに寒さも増してくるので宿泊地の神鍋高原のホテルに急ぐ。神鍋高原は大阪に住んでいたころ、よくスキーに出かけた。当時はホテル等なく民宿が中心であった。今は、温泉付きのしゃれたロッジ風リゾートホテルだ。ここにも露天風呂があり、温泉に入る。「ア―ッ、ウーッ、ゴクラク、ゴクラク」と奇声を発しながら堪能。
 
  翌日は天橋立に出かける。日本三景の一つだ。昔は人気があった気がするが、今はこの程度の観光地は賑わいを感じない。今の人はデズニ―ランドやユニバーサルスタジオ・ジャパンのような所がいいのだろう。天橋立ではあまり若い人を見かけなかった。
  天気の様子も芳しくなく、今にも雨が降りそうな感じで橋立の見える展望台はリフトを利用し大急ぎで登る。さすがに展望台の眺めは素晴らしかった。青空なら海の青のコラボが素晴らしいと思うが・・・

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「股覗き」で見た光景はこんな感じか。
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  天橋立駅のすぐ側にある知恩寺は臨済宗妙心寺派の寺である。「三人寄れば文殊の知恵」で知られ、今も受験生に人気のあるお寺。このお寺の多宝塔は重要文化財だ。

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  天橋立から伊丹空港をめざし南に向かう。途中の朝来市の竹田城跡に立ち寄る。ここは最近、「日本のマチュピチュ」とか「天空の城址」などと売り出し中だ。城址に行くには駐車場から専用のマイクロバスに乗り、さらに徒歩で20分ほど歩く必要がある。結構、急坂で息が弾む。おかげで体が温まる。築城の由来を見ると1431年に「応仁の乱」で有名な山名宗全が着手したそうだ。城そのものは小ぶりな山城だが、京都にも近く交通の要所でもあったので、それなりに重要な城なのかもしれない。2006年には日本名城100選にも選ばれている。ポスターなどでは雲海に浮かぶ城跡だが、季節限定なのだろう。気温差があり水蒸気が立ち上る晩秋がベストか。

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  竹田城跡から伊丹空港まで約2時間。空港に到着したのは5時。飛行機の便は19時30分なので空港で食事をとり休憩。結局帰宅は10時はであった。
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