20.08.06-07高野山紀行

 高校時代の友人数名ともう一度、高野山に行こうと以前から話をしていたが、やっと実現した。高野山は60年ほど前に林間学校で行ったきりであった。同行の友人たちは何度も出かけており、この3年間は毎年出かけている人も。彼はチョット頼りない感じだが先達にピッタリと思った。

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 世間ではコロナウイルスの第2波が進行中で出かけるのはと少々憚られたが、政府が『Go Toキャンペーン』を奨励していることもあり、大手を振って出かける。先ず、羽田空港より、伊丹空港まで、そして大阪ナンバの南海電車を目指す。

9時丁度発のANA便は1/3程度の乗客  
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上空より富士山を臨む
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 ミナミの難波駅には順調に到着し、待ち合わせまで1時間ほど余裕があった。折角なので10分ほどの所にある法善寺横丁を訪れる。ここは織田作之助の小説『夫婦善哉』の舞台になったところ。船場の商家を感動された維康柳吉(森繁久彌)と芸者の蝶子(淡島千景)の物語である。映画ではラストシーで雪の降る法善寺横丁を相合傘で柳吉が蝶子向かって『おばはん、頼りにしてまっせ』という。このセリフ、好きだとかなんだとか言わず、最高の愛の表現かもしれない。大阪人の男ならわかるはずだ。

法善寺横丁入口 
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有名な水掛不動
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 難波駅で友人たちと合流し、1時発の『高野号』に乗車。列車はコロナの影響でほとんど乗客はいなかった。

難波駅プラットフォーム
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指定乗車券(難波⇒高野山口⇒ケーブルカー高野山駅迄)
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 ケーブルカーを下車し、更にバスに乗車し千住院橋で下車。宿坊の『別格本山西禅院』は歩いて10分足らずなので、宿坊に直行せず金剛峰寺を見学。
 金剛峰寺は豊臣秀吉が亡母の菩提のため建立。さすがに時の権力者が建てたもの、鎌倉の寺と比べると・・・・・ 現在の金剛峰寺は一つの独立した形を成し座主の住寺であるが、高野山全体を総括している。そして真言宗の総本山として一切の宗務を司り、宗務所は全国(含海外)の末寺四千ヶ寺の行政を統ベ、一千万大師信徒の信仰の中心でもある。

金剛峰寺参道
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金堂(総本堂) 屋根の上には防火用水樽がある。どのようなカラクリで水が流れるのか?
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各室内はさすがに立派
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蟠龍庭  
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龍は四国産の青い花崗岩、雲龍は京都の白い砂
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大塔  
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壇上伽藍
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御影堂
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 金剛峰寺の見学を終え、宿泊先の西禅院に向かう。当初は林間学校生を受け入れる宿坊程度に考えていたが、これなら立派な日本旅館で通用する。修行僧が作務衣で食膳を運ぶ姿が仲居さんと違うだけだ。食事も三の膳までついており云うことなし。

西禅院の山門 
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お寺と思えない表札
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 翌日は6時前に寺の周辺を散歩。清逸でまさに心が洗われる気がする。6時半から本堂で勤行があり参加する。3人の僧侶がシンバルのような楽器や鉦を鳴らしながら読経するのを聞いていると、さながらギリシャ正教の修道士の賛美歌を聞いているような感じがした。
  9時前に高野山在住の同窓生が訪れてくれる。彼は今も現役で高野山高校の校長を務めていると思っていたが、流石に2年前に退職したそうだ。高野山の話を聞きながら、他の門前町と比べると非常に静かでけばけばしい感じがしない(同行の友人がネットでスナックを検索するがヒットしなかった)との感想を述べると、高野山の盆地のほとんどが金剛峰寺の所有地であり、宗教都市で勝手な営業ができないという。彼の住宅も土地は金剛峰寺のもので地代を払っているらしい。唯一、地代を払っていないのは土産物店の『数珠屋四郎兵衛』のみ。明治初期の廃仏毀釈で成りゆかなくなった高野山の寺にかの店が多額の資金を用立てた功績により、地代は永代免除とのこと。
  彼に宿坊近くの『高野山霊宝館』に案内してもらう。末寺の仏像などが散逸を防ぐために集めた仏像や曼荼羅図などが展示されている。彼の案内がなければ素通りしてしまいそうなお宝も多くあった。残寝ながら館内全て写真撮影はNG。
  高野山霊宝館見学後は奥の院に向かう。この参道沿いには約20万基の大名をはじめ個人や法人の墓がある。功成り名を遂げた人達の最後の自己主張かもしれない。中には会社の社員を祀るものもある。社員にとっては甚だ迷惑な代物かもしれない。死んでまで、会社に管理される社畜の様な気がする。

様々な墓がある
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高野山奥の院参道 高野槙に覆われている
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 宿坊で枕投げはさすがにしないが、青春時代を思い出す久しぶりの同窓生との旅行。お互い年を取ったと実感。この歳になると友達は一生モノの宝物と実感した。









19.10.22-24東北紅葉観光

 久しぶりに2泊3日のスケジュールで東北地方の紅葉見物に出かけた。出発の22日は台風20号(後に温帯低気圧)の影響で早朝から大雨。また、東京都内は『即位の礼』で厳戒態勢だった。

 雨の中霞む紅葉。
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 先ず、山形県の山寺こと立石寺を訪れる。ここは松尾芭蕉の奥の細道で『閑さや巌にしみ入る蝉の声』で有名なお寺だ。山寺の入り口に『登山口』と書かれている。拝観より登山が似つかわしい。奥の院まで1015段の石段が待っている。

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 立石寺は松尾芭蕉の奥の細道がなければこんなにメジャーなお寺にならなかったのではと感じた。その感謝のためか、『せみ塚』や芭蕉と曾良の像があった。

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 雨の中、奥の院を目指すと風景はさながら墨絵の様な感じがする。

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  山寺を後にし、近くの天童で宿泊。天童は将棋の町と温泉で有名。ホテルで濡れた衣服を乾かし温泉に浸かる。


 二日目は昨日の天気が嘘のように快晴となった。そして最上川に出かけ、川下りを体験。最上川も芭蕉の『五月雨を集めて早し最上川』で有名だ。奥の細道の解説書によれば、当初は『五月雨を集めて涼し最上川』であったらしいが、芭蕉自ら船に乗り『早し最上川』に変更したらしい。たまたま小生が乗船した時も台風豪雨の影響で『大雨を集めて早し最上川』を実感。

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 川下りの後、大正ロマンあふれる銀山温泉を訪れる。最上川も銀山温泉もNHKの朝ドラ『おしん』で有名。残念ながら朝ドラを見ない小生はあまりピンとこなかったが。銀山温泉そのものは湯治客用なのか、観光地としての賑わいや猥雑さはなかった。中々好ましい。

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 銀山温泉の奥に流れる『白糸の滝』
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 銀山温泉を後にし、東北地方が誇る紅葉の名所、鳴子峡に向かう。ここはさすがに観光客が大勢来ていた。京都の嵐山同様、平坦な場所でなく渓谷なので高低差があり、上から眺めて良し、下から見上げてもよしの様々な紅葉が見物できる。

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 JR陸羽東線の鳴子温泉駅から赤倉温泉に向かう。赤倉温泉駅は半世紀以上前にスキーで訪れたことがあったが、全く記憶は残っていなかった。

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 最終日はロープウェイで空中から蔵王の紅葉を見物することに。山頂の鳥兜駅に着いた時は多分10℃を下回っていたと思われる。思わず寒さに震えた。

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 蔵王で折角なのでロープウェイ近くの温泉に入る。硫黄弱酸性ということでぬるぬるして少し硫黄臭がする。冷えた体には気持ちがよかった。


 今回の旅行で肝心の紅葉は、鳴子峡は今が見ごろ、また蔵王は山頂付近は終わっている感じがした。東北地方は温泉が多く、大浴場の湯船につかると思わず『ア~、ウ~』と奇声を発しご機嫌の3日間だった。


19.05.23横須賀・三笠記念艦

 吉村昭著の『海の史劇』を読んでから、一度、横須賀にある戦艦三笠の記念艦に行きたいと思っていた。丁度天気もいいので出かけてみた。

東郷元帥の銅像と戦艦三笠
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三笠の復元モニュメント 
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 JR横須賀駅を降りて、三笠記念公園に向かう途中に幕末に軍制改革や横須賀製鉄所建設に携わった小栗上野介忠順と同じく日本の近代化のため横須賀造船所の設立に貢献のあったフランス人技術者レオンス・ヴェルニーの顕彰碑があった。

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 そもそも戦艦三笠はロシアの極東進出に危機感を抱いた明治政府が、英国ビッカース造船所に発注し、明治35年(1902)竣工、同36年連合艦隊の旗艦となった。そして同37年に黄海海戦、同38年日本海海戦を戦っている。大正15年に軍縮会議で廃艦となり、過去の栄光を称えるため記念艦となった。第二次大戦後はGHQの指示で甲板上にあるすべての設備を取り払い、ダンスホールや水族館となったという。その後、昭和36年に改めて復元され現在の記念艦となっている。

7つの窓は操舵室の窓
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操舵室内部
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操舵室の上は最上艦橋で東郷以下参謀たちが立ち並んで指揮をとったところである
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最上艦橋は高々畳6畳程度の広さであり、有名な三笠艦橋図(14名)からは想像できない狭さだ。
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 三笠には当時の軍服が陳列されていたが、いくら明治の人が小さいとはいえ、14人の男たちが艦橋にひしめく様は、それにしても窮屈であったと思う。日露戦争末期には徴兵基準が伸長4尺8寸(147cm)まで引き下げられていた。

 船内は限られたスペースなので非常にコンパクトに設計されている。

長官公室
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長官寝室
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長官バスタブ
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士官室
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海図室
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軍艦旗室
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15センチ副砲 
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中甲板内の展示室
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正面は30センチ砲2門
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軍艦旗
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 ポーツマス条約を締結し、明治38年10月23日に連合艦隊の勝利を祝う凱旋観艦式が明治天皇を迎え横浜港沖で行われた。戦艦『敷島』『朝日』をはじめ160隻が集まったが、その場には『三笠』はなかった。そのわけは三笠記念艦では触れられていないが、不都合な事実があった。明治38年9月8日、修理中の戦艦三笠は佐世保港で火薬庫が爆発し沈没。死者は251名で日本海海戦の死者(107名)の2.5倍であった。爆発原因は自然発火でなく、数名の水兵が火薬庫の通路に忍び込み酒を飲んだ。彼らは酒の代わりに、発光信号用のアルコールを盗み出し、アルコールの臭気を抜くために火をつけた。その火が容器からあふれたアルコールに引火し火が広がったものだ。


 帰路は横須賀名物の『海軍カレー』を食べた。明治時代に軍人が脚気で死亡することが多く、カレーを食べることで海軍は脚気が無くなったという。今でもカレーは各自衛艦によりレシピが違うそうだ。全体的にスープカレーでなくドロッとしている。理由は船が揺れてもこぼれないようにということらしい。潜水艦は毎週金曜日にカレーがでるそうだ。この理由は、海中に潜っていると何曜日かわからないので、カレーが出ると金曜日ということ。

 JRの横須賀駅の手前の港には護衛艦が停泊している。よく見ると『184』のナンバーが確認できた。帰宅後調べてみると、これは『いずも』であり、現在、F35戦闘機が着艦できるように改修を検討しているようだ。改修すれば、まそしく『空母』となる。専守防衛を旨とする国是でどうして空母が必要か疑問に感じる。

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19.03.02-04若狭小浜の『お水送り』と東大寺『お水取り』

 春を告げる東大寺のお水取り(修二会)は有名だが、その水を送る若狭のお水送りはあまり脚光を浴びないようだ。そもそも『若狭』は古代より大陸・朝鮮半島との交流が盛んな場所であった。若狭の地名は新羅の朝鮮語のワショ(Welcomeの意)とカショ(Good-byeの意)が合体し、ワカサとなったといわれている。現代の日本でも祭で神輿を担ぎ神を迎えるときは『ワッショイ、ワッショイ!』といい、踊りで合いの手を入れるときに『ヤッショウ、マカショ・・・』と言いながら掌を前に突き出す所作をする。これらのことを考えるとワカサの語源はあながち荒唐無稽とは言い難い。

 今回はお水送りの神事が行われる小浜の神宮寺とお水取り(修二会)の行われる東大寺二月堂に出かけた。神宮寺と東大寺の神事はどちらも夜に実施されるため、取りあえず明るいうちは、日頃訪れることのないところを訪問する。

若狭神宮寺のお水送り神事 
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東大寺二月堂のお水送り神事
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 初日は、午後から若狭明通寺、若狭彦神社を訪ねてみる。明通寺の本堂と三重塔は、福井県唯一の国宝重要文化財である。深山幽谷の中にあり、それなりの威厳を感じる。

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 若狭彦神社には上社と下社があり上社を若狭彦神社、下社を若狭姫神社と云う。戦後すぐに大相撲の地方巡業が上社で開催され、その時の番付表が下社に奉納されていた。当時の横綱は双葉山、大関には前田山や東富士の名がある。また、前頭の次の蘭に(左側二段目の7番目)にプロレスに転向した力道山の名もあった。

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 当地の伝承では若狭彦神社の神事としては「お水送り」が知られる。ある年、奈良の東大寺二月堂の修二会で神名帳を読んで全国の神を招いたが、遠敷明神は漁で忙しかったため遅刻してしまった。そのお詫びとして、遠敷明神は二月堂の本尊である十一面観音にお供えの閼伽水を送ると約束したという。白石から下った所にある鵜ノ瀬と呼ばれる淵は、二月堂の若狭井に通じているとされている。旧暦2月には、鵜の瀬で二月堂に水を送る「お水送り神事」が行われる。その水を受けとる祭事が東大寺二月堂の「お水取り」である。 ただし、今日では、元は当社の神宮寺であった若狭神宮寺が主体となって行われている。言い伝えによると閼伽水は12日半ほどかかり東大寺に到着するらしい。
 
  当日のクライマックスは「鵜の瀬」で夜に行われる大護摩焚。その鵜の瀬を下見。鵜の瀬は若狭井といわれる湧水がありここから地下を潜り東大寺へ。

大御法要が行われる鵜の瀬
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第護摩法要用の杉の木
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  夕刻に神宮寺境内に続々と山伏(修験者?)が集まり法螺貝を吹く。そして堂内では修二会が行われる。その後、境内では大護摩法要となる。

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  午後7時半ころから1.8km先の鵜の瀬に向かって松明行列が始まる。先ず6人で担がれた大籠松明を先頭に様々な神職が続く。そして氏子による中松明、一般参加による手松明と続く。野次馬気分で手松明に参加。手松明は藁縄に杉の葉をきつく巻き、幅5cm、長さ1mほどの板4枚を針金できつく結わえた棒状のもの。これをかざしながら鵜の瀬まで行列。火の粉がどこからともなく飛んでくる。ナイロン状の衣服はすぐに穴が開く。やはり木綿の衣服がベスト。

護摩の火
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護摩の火で手松明に火をつける
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手松明にはそれぞれ願い事を記入。そして一列になり鵜の瀬へ
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鵜の瀬で護摩法要があり、手松明の残骸をここで燃す。水師の送水文奉上後神事が終了
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  二日目は三方五湖を通り、『若狭鯖街道』最大の宿場町である熊川宿を訪れる。福井県三方上中郡若狭町にある 若狭と京都を結ぶ旧鯖街道の宿場。若狭町熊川宿伝統的建造物群保存地区の名称で国の重要伝統的建造物群保存地区として選定されている。 昔は若狭小浜で上がった鯖を若狭街道を走り、琵琶湖の水運を利用し大津を経由し京都に至ったといわれ

三方五湖の風景。さながら水墨画の世界
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熊川宿はひっそりとしていた。昔はそれなりににぎやかだったんだろう。
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石の道標には「京へ十五里 今津へ四里」と読める
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奈良に到着後、お水取りの行われるまで時間があるので、事前に東大寺二月堂を下見をする。
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此処が若狭から水が送られる閼伽井屋(あかいや 別名・若狭井)
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  夜の7時ごろから二月堂の境内の照明が消され、いよいよ修二会の『お松明』が始まる。先ず大鐘がつかれ、それを合図に二月堂の下にある戒壇院から火のついた松明(約40kg)を持って舞台に駆け上がり、松明を振り回す。

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  修二会のシンボルのような行事に二月堂の舞台で火のついた松明を振り回す「お松明」は、この日は10本行われた。意外と時間は短く半時間ほどで終了した。少々あっけない感じ。



  東大寺の修二会の翌日は折角の奈良なので、平城宮跡歴史公園と昨年10月に再建された興福寺中金堂を訪れる。

  平城宮跡公園は広大な敷地で何もかが再建されたものであり、新しく美しい。特に、朱雀門は当時の雰囲気が味わえる。博物館などいろいろな施設がそろっており、修学旅行にはうってつけの場所だろう。

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  興福寺の中金堂はさすがに新しく美しい。中金堂内に安置されている釈迦如来、薬上菩薩、薬王菩薩を始め大黒天、広目天、増長天、多聞天、吉祥人等重要文化財をじっくり拝見する。

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  天気があまりすぐれない中の旅行だったが、充実した3日間であった。東大寺の『お水取り』が終わればいよいよ春が来る。待ち遠しいものだ。















18.07.28大阪で暑気払い

 28日に大阪で大学時代のサークルの暑気払いがあり、久しぶりに関西に出かける。丁度台風12号の日本直撃の報道もあり、少し早めに新幹線に乗車。昼頃に大阪に到着。夜の暑気払い開始まで時間を持て余すので、かねてから行きたかった『司馬遼太郎記念館』へ。

記念館は東大阪市の近鉄「八戸ノ里」駅から700mほどに位置する
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記念館そのものは安藤忠雄氏の設計によるコンクリート打ちっぱなしの斬新なものだ
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 展示内容は主に司馬氏が集めた膨大な資料、自著、翻訳本等2万冊の蔵書が高さ11mの書架に収められている。これには圧倒される。さすがに「坂の上の雲」を執筆した時は神田の古書店から日露戦争関係の資料や古書籍が店頭から消えたそうだ。 館内の写真撮影はNG。DSCN3064 (800x600)

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ホールでは氏のインタビューのVTRが上映されていた。ただ、鑑賞者は私ともう一人のみであった。チョット寂しい。
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 庭に出てみると居宅の中にある氏自身の書斎をガラス越しに拝見できる。
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 庭の片隅には花供養碑があった。また、江戸時代に河内平野で栽培されていた日本自生種の「稲田桃」がたわわに実っていた。
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 司馬遼太郎記念館を堪能した後、夜の会場近くの梅田・曾根崎に戻ったが時間があるので、近松門左衛門の遊女お初と手代徳兵衛の心中を扱った『曾根崎心中』の舞台「露天神」に立ち寄る。ここは通称「お初天神」の方が、とおりが良い。ここもビルの谷間にあるため大阪の南にある『夫婦善哉』の舞台「法善寺横丁」とよく似ている気がする。

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 この日はいろいろ寄り道をしたが、久しぶりの関西を満喫。しかし、台風の影響で予約していた高速夜行バスは運休との連絡があり、ホテルに泊まるか迷ったが、新幹線の最終便に近い新大阪9時3分発ののぞみに乗車。案の定、掛川、静岡間で徐行や停車を繰り返す。結局、自宅に戻ったのは日にちが変わった12時半頃となった。台風だからしょうがないか。

 暑気払いの会場、曾根崎の「しょうち梅田」
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